ハイチ難民が米国への不法入国を試みるのに対し騎馬隊を使った米国(正確にはテキサス州?)の手荒な阻止行動に会う様子が報じられている。ハイチでは最近、大地震と大統領暗殺が相次ぎ国内の混乱は甚だしいと聞く。米国内でもハイチ難民への対処方針で国論が割れているようだ。
ハイチ難民に同情はするが、入国を許可するか否かは主権国家の米国が決めることだろう。不法入国の阻止自体を非難はできない。バイデン大統領が前任者のトランプ氏よりも難民に寛大だとの印象が広がり、中米諸国からの入国希望者が最近激増していた。政治的自由を求めて脱出する政治難民には出来るだけ手を差し伸べるべきだが、より良い生活を求める経済難民を同一視はできない。今回のハイチ難民の場合、「米メディアによると今回、集団で越境したのは2010年の大地震後にブラジルなどに渡り、バイデン政権の寛大な移民政策に期待しているハイチ人が多い」という(『毎日』9.27)。 米国政府が歓迎しているとの虚報まで広がっていたとか。
ハイチはフランス革命に触発された黒人奴隷たちが反乱を起こし、新大陸で米国に次ぎ二番目に誕生した独立国である。その後の250年は同国にとり何だったのだろう。
第一次大戦後、アフリカやアジアに散らばったドイツの植民地は国際連盟の新設の「委任統治」制度のもと日本を含む戦勝国が統治を任された。その理由付けである連盟規約第22条「近代世界の激甚なる生存競争の下に未だ自立し得ざる人民」は植民地の分けどりの偽善的美化との評価が一般的で、多分私も大学の現代史の講義でそう紹介した。現在の私ならそう語ることを躊躇するだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿