2021年5月10日月曜日

米軍立川基地に反対した人たち

  毎日新聞 ( 5月9日 )に、60年前の米軍立川基地拡張反対闘争に学生の身で参加し、現在も基地反対の立場を堅持する人の記事が載っていた。『己の道8』と見出しにあるので、同じように初心を堅持した人々の列伝かと思うが、他の回は記憶にない。

  立川基地拡張反対闘争と聞いても同時代人として記憶する人はもう多くあるまい。冷戦時代のさなか、米空軍が当時独占使用していた立川空軍基地を北側に拡張する計画を立てた。それに対し農民主体の地元民と急進的大学生たちが拡張反対を唱えて基地内に強行侵入した ( 砂川事件 )。事件を担当した一審の東京地裁の伊達秋雄裁判長は日米安保条約そのものが憲法違反であるとして無罪判決を下した ( 政府の上告を受けた最高裁が逆転有罪判決 )。

  記事の人は当時大学生で共産党員であったということだが、その後も最高裁判決を不服として闘ってきた。しかしその間、沖縄住民に本土の基地反対運動のおかげで基地が沖縄に移ったと言われ困惑したという。本土で嫌われた米軍基地を沖縄が受け入れさせられたのは事実だが、立川基地の場合、すぐ近くの横田基地がその役割を代替した可能性が高いのでは........。

  大学卒業後に立川基地拡張反対闘争に参加したと聞く友人がおり、クラスでは親しい方だった。その後長く交流はなかったが、卒業後20年あたりから始まった同窓会で再会して以来、年一回の交際が復活した。彼はその後も野党的立場を変えなかったが、両家の子女を集める有名な学園で教え、亡くなる前、中学部の校長だったと聞く。武骨で政治的立場を隠そうともしない彼を重用した学園も懐が深いと思う。

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