2021年11月3日水曜日

一方的決めつけはいただけない

  11月3日といえば文化の日と記憶していたが、今年は日本国憲法公布75年に当たるというので朝日新聞は「憲法公布75年 学術・研究取り巻く危うさ」と題する社説を載せている。「危うさ」の具体例二つの一つは学術会議の委員任命問題だが、もう一つは新型コロナ禍への政府の対応である。後者が学術・研究を取り巻く問題性の具体例と言われると戸惑うが、社説によると政府が科学者たちの提言を「つまみ食い」し、「自らの施策に役立つものは採り入れ、そうでないものには耳を貸さないという、政治のご都合主義」が問題とのこと。その例として「唐突な一斉休校、Go To事業の強行、緊急事態宣言下での五輪の開催」が挙げられている。しかし、公正な批判と言えるだろうか?

 「一斉休校」はたしかに唐突な印象があった。しかし、当時はウイルス拡大防止は急務と考えられた。教育評論家の尾木ママは教室に何十人もの児童や生徒が閉じこもることの危険を訴えていた。その後になって年少者の危険はそれほどでないと判明したが、批判は結果論に過ぎない。

 GoTo事業が一時的であれ地方の観光関連業にとって救いだったことは事実だろう。制度導入に際し業界の後ろ盾だった二階氏が暗躍したことは推測されるが、都会人の感覚だけで判断すべきでないと当時わたしは指摘した。

 「緊急事態下での五輪の開催」に多くの問題があったことは指摘の通りである。私も当時ブログにさらに一年の延期が望ましいと書いた。しかし、そうなると同一年に冬期と夏季の二つの五輪が開催されることになり、中国は猛反対しただろうし、我が国より感染者が一桁も多い国々からどう思われたろうか。自分から誘致しながらその程度で中止要請とは身勝手と映ったろう。当時、他紙の多くが開催への疑問を並べ立てるだけなのに『朝日』が開催中止を主張したことは一つの見識だと私は評価しているが、その判断が正しかったかは別問題である。『走れメロス』が我々の心に響くのは約束を守り切ったことの尊さではないか。

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