多摩市(当時は町)に私が住み始めたころ駅周辺にスーパーは無く、日常の食材調達は八百屋、肴屋、肉屋でなされた。そのため家人が店主らと顔見知りになることが多かった(とりわけ肴屋は我が娘の同級生の家だった)。 しかし数年後駅前に電鐵系のスーパーが開業し、食品の個人商店はほぼ消滅した。客がスーパーの店員と顔見知りになることはほぼ皆無。いまや支払いも精算機相手となりつつある。人間関係はいやでも希薄になった。
近年、1ページ全面の新聞広告が多くなったが、コロナ禍と関連するかどうか食品とくに生鮮食料品の広告がその仲間入りをしつつあり、今朝の全国紙はほぼ3ページが魚類を中心とする食料品の広告だった(『朝日』は3ページ半)。最近の冷蔵輸送技術の進歩が可能にしたのだろう。しかしそれによりスーパーへの行き帰りの途中に多少でもあった隣人同士の会話も、便利さと引き換えに減る筈。スポーツジムの隆盛と食品入手の多様化とは無関係ではないかも?
英国では最近、孤独担当大臣が創設され、我が国も後を追っているらしい。西欧諸国では我が国よりも一歩も二歩も先に個人主義が伸長した。しかしその結果、孤独な老人が増え、その隙間を犬や猫が埋めた。日本女性の憧れのパリは路上に犬のフンが多く、回収のためのスクーター隊もいた(最近は知らない)。 我が国でも犬を連れた人と行き交う機会が多くなった。日本人はフランス人より行儀が良いのでまさか糞回収のスクーター隊は出現しないと見るが............。
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