2021年8月13日金曜日

オリンピックの開会式演説

 私はオリンピックの開会式を幾つもは見ていないので評価はしたくないが、今回の東京の場合も評価はさまざまなのだろう。しかし、バッハIOC会長と橋本組織委員会長の開会演説が長すぎて退屈だったとの声は強いようだ(私もろくに聞いていなかった)。 偉い人はどうして長い演説をしたがるのか。 米国の南北戦争の激戦地ゲティスバーグの墓地献納式でのリンカーン大統領の演説は、末尾の「人民の、人民による、人民のための政治」により広く知られているが、英語による演説の中でも不朽の名演説とされているようだ。リンカーンは演説の準備には労を惜しまない人だったという(以下、史実は主に井出義光『リンカーン 南北分裂の時代に生きて』清水新書 1984に依拠)。

 当日、リンカーンに先立って演説したエヴェレットはハーヴァード大学の学長を手始めに国務長官など要職を歴任し、その雄弁で知られてもいた。しかし、彼の演説は2時間近い長広舌で、会衆はすっかり退屈した。それに対してリンカーンの演説は3分足らずで終わり、写真師には大統領を撮影する時間もなかった(当時の写真撮影は現代とは違い、時間を要した)。

 のちに不朽の名演説とされるゲティスバーグ演説だが、当初の反響は芳しくなかったとのこと。しかし、エヴェレットは翌日、「自分が2時間かかって述べたことも、あなたが2分で語ったことに及ばない」と手紙に書いた。流石に彼はこの演説の不朽の価値を認めた最初の米国人となった。

 バッハ氏にしろ橋本氏にしろリンカーンと比較されるなど迷惑千万かもしれない。しかし、これまで演説の機会が多かった筈の両氏は、長広舌は聴衆を退屈させ感動を減殺することを学んでいなかったのだろうか。

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