2021年9月8日水曜日

ニューヨークからカブールまでの二十年

  9月11日が近づくにつれ、新聞各紙にニューヨークの同時多発テロ事件の回顧記事が目につくようになった。あらためて読み返して事件の理不尽さ、非人間性に圧倒される思いである。米国が20年間アフガンで戦っても戦死者は7000人程度なのに、9月11日の死者は1日で3000人(乗客らを含む)。この犯罪の犯人と彼らを庇護する者は必ず罰せられなければならないと米国民が決意したのは無理からぬところがあった。主犯とされるビン・ラディンを殺害したのはオバマ大統領時代の米国だった。

 それではビン・ラデインを殺害した時点で米国(NATO諸国も)は撤兵すべきだったのか。結果論で言えばそれが少なくとも賢明だった。しかし、言うは易いが、それまでの十余年間にアフガンでは和解できない二つの勢力の併存状態となっており、一方を見捨てる決断は困難だった。たとえ結果がそうなっても。 

 米国はアフガン人の人権のため戦争をしたのではない。しかし、結果としてアフガニスタンの少なくとも都市部では多数の女性が教育を受ける機会を手に入れた。その人たちの中から十数人が女性の人権を主張してデモを行なった。タリバン指導部は国際的反響を考慮してただちに弾圧はしないだろうが、兵士たちはどう反応するか。彼女たちの勇気には敬服の他ない。昨日あたり、それが男女数千人の人権要求デモの口火となっている。ビルマやベラルーシの弾圧の再現とならぬよう祈るしかないのが残念である。

0 件のコメント:

コメントを投稿