昨年末にニュージーランドの国民投票で安楽死合法化が多数を得た。2001年のオランダをはじめスイス、ベルギー、ルクセンブルク、コロンビアと、最後のコロンビアを除き全て先進国に数えてよい国々が安楽死承認に踏み切っている。それなのに我が国は安楽死 ( 薬剤使用らしい )どころか極度に厳しい条件でしか治療停止を認めない。これでは医師も我が身の安全を考えたらめったに同意しないだろう。
我が国のこの動きの鈍さは他の問題にも頻繁に見られ、切羽詰まらないと動かない国民性と私は考える。他方、村上氏は国民性には触れず二つの歴史的要因を挙げる。ひとつは長く続いた戦争体験であり、「そうした世の中への深い反省、強烈な反動というものが、戦後の日本社会に非常に大きく働いているのではないでしょうか。某首相は『命は地球より重い』などと不可思議な言葉を吐いて、テロに屈する言い訳にしました」「1日でも長く生き延びることが100%の『善』である、という思想です」に私も同感である。
氏は続いて、「もう一つ、直接医療と関係ないところでの安楽死・尊厳死への根強いブレーキがあります。それは『ナチスの悪夢』という形で語られる側面です」と言われる。これは一見別の事のようだが、ナチスによるユダヤ人虐殺が、大戦前から続く同胞の精神障害者の抹殺の延長線上の事象だったことが我が国でも近年たびたび紹介され、優生思想の危険性が大きくクローズアップされた事実と安楽死嫌悪との関連の指摘であり、鋭いと思う。
しかしヨーロッパ諸国も日本と同様に戦争を体験したし、ホロコーストは我が国以上に身近な体験だったはず。それでも安楽死をやむを得ないものと受け入れる。高齢者の一人である私には他人事ではない。
追加 。 前回のブログで紹介したNHKの番組は『飽食の悪夢』( 2.17 )でした。食料の3分の1がムダになるとは世界ではなく日本のことの間違いか?
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