記事の扱いは目立たないが、今朝の各紙に「英語民間試験・記述に消極論」との見出し( 『朝日』)で昨日の文科省の有識者会議で2025年以降の大学入試共通テストの英語の民間試験利用は「見送りを求める意見が大勢を占め」、国語と数学への記述式問題導入についても「消極論が強く」、「入試改革のかつての二大看板は当面実施されない公算が大きくなった」とのこと。二大看板の導入を決めた有識者会議とはメンバーの大幅交代もあったのか、何とも奇妙な結末である。
なぜ方針転換となったのか。私見によれば、理想の入試問題を追求するあまり、他の条件を軽視したことに尽きる。私は退職後もしばらくは新聞掲載の大学入試センター出題の世界史と英語とくに前者には出来るだけ目を通していたが、数年前からやめていた。問題の質の向上は明らかだったが、解答への負担が大きくなるばかりだったから。
大学としてできるだけ的確に受験生の能力を知りたいと思うのは当然だろう。しかし、今回の「改革」に限って言えば、 受験生の便益や親の財政的負担にもっと留意すべきだったろう。入試の質の向上の必要は留学でヒヤリングに苦労した私にもよく分かるが、競争条件の平等もそれに劣らず大切に思える。
かつて有名進学校で教えた際、受験生活は辛いだろうが今後の人生で大学入試ほど公正な扱いを受けることはないと知れと激励した。その意見は残念ながら今も変わらない(この項二番煎じ?)。
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