2022年12月31日土曜日

年賀状にさようなら

   来たる正月を最後に多年続けてきた年賀状交換を止めることにした。理由は老齢となり継続困難となったためである。最後まで宛先の住所と氏名を下手な手書きをしていたが、歳とともに減少した枚数でもしんどくなったのである。それにもう一つ、2004年以来、旅行などで撮った写真を利用してきたが、旅行も近距離以外は困難となり、写真入りを断念したこともある。

 これまで17年間の賀状の写真は少なくとも一部の方々からは好評を得ていたので、そのうちの十余枚を含んだ私家版の写真集『一期一会』を今秋出版した。それも賀状継続を断念した理由の一つである。出版の過程でかなりのミス( 記憶違いや校正ミス)があり、関係者の協力でなんとか訂正できた。高齢での出版の限度だったようだ。

 しかし、年賀状をやめても皆さんの厚誼に変わりはないことをお願いしたい。まさか来年にまた復活など無いはず........!

2022年12月23日金曜日

ウクライナ紛争への米国の責任は無いか?

  ウクライナのゼレンスキー大統領が渡米してバイデン米大統領と会談し、連邦議会の議員たちに演説した。議員たちは演説に対してほとんど絶え間なく拍手し、ときどき起立して拍手していた。

 大国ロシアの侵攻と闘っているウクライナへの支援強化が誤りだという気はない。しかし、大国の横暴に抵抗する小国といったステレオタイプの理解に留まって良いのだろうか。

 二、三日前のテレビ番組でレーガン米大統領とゴルバチョフ書記長のアイスランドのレイキャヴィークでの会談が放映されていた。政治家の笑顔をそのまま受け取ることは出来ないにせよ、両首脳の間には暖かい心の交流が感じられ、それが三年後のマルタ会談での冷戦終結の宣言に結実したと納得させるものがあった。

 しかし、その後、ゴルバチョフは国家指導者の地位を追われ、現在のロシアでの評価も最低に近いようだ。ソ連末期の経済的政治的混乱がその理由だろうが、米国に外交的に譲歩しすぎた「お人好し」との評価も一因だろう。冷戦後のNATOは縮小するどころか、15ヵ国から30ヵ国に拡大し、大国としてのロシアの自負心は徹底してないがしろにされた。私にはその結果が現在のウクライナ侵攻と思える。

2022年12月20日火曜日

モロッコ・サッカーの躍進の一因?

  サッカーのワールドカップ戦が終わった。オリンピックと同様に関係者はひたすら規模の拡大を目指すが、その結果開催誘致から大会終了までに多額の裏金が動いたり、戦争当事国や人権無視国の参加を認めるか否かなど政治絡みの問題が避けられなくなる。

 それらはさておき、今回のW杯ではモロッコの四強入りが大きな話題となった。中近東諸国には内戦状態の国や、それ程でなくとも国内対立を抱えた国が多い。モロッコチームの大活躍も国内の安定なくしては成し遂げられなかったろう。

 私が大学で受けた西洋中世史の講義で教授はヨーロッパ中世世界をローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝という二つの中心を持つ「楕円的世界」だったと説明された( うろ覚えだが)。ある意味で現在のモロッコも、イスラム教という教権と王権が併存する楕円的世界だろう。その結果として現在のイランやアフガニスタンのような教権の非妥協的(狂気のと言いたい)支配を免れているとも考えられる。一方に偏しないバランスの取れた思考が両国に回復することを切望する。両国とも過去に高い文化を生んだ国だったのだから。

2022年12月15日木曜日

訂正

 前回のダド・マリはダド・マリノの誤り。読みかえすのも無益ではない!

私的日本ボクシング史

 井上尚弥選手が世界ボクシング界の4団体の王座統一を成し遂げた。4団体の王座を独占したのは日本人初であり、アジア人初の快挙とのこと。写真でだがなかなかの好青年でもあり、日本人として嬉しい。

 わが国のボクシング界について戦前に関してはピストン堀口の名前を知る程度だが、戦後初めて世界チャンピオン(フライ級)になった白井義男のことはよく覚えている。アメリカ人のカーン博士に才能を見出され、従来の日本ボクシング界の「肉を切らせて骨を断つ」式の作戦とは違った科学的トレーニングを受けて前王者のダド・マリを破ったとき、メディア(といっても当時は新聞中心)の扱いも大きかった。何しろすべての面で米国に頭が上がらなかった当時のこと、白井は日本の英雄だった。

 しかし1960年代にタイ国にポーン・キングピッチが出現し、状況が変わった。カミソリパンチを謳われた海老原博幸や、試合の初めから終わりまで一刻も攻撃をやめない壮絶なファイティング原田はファンを沸かせたが、一度は王座に着いた2人ともリターンマッチでポーンに敗れ日本人ファンをガッカリさせた。

 その後も具志堅用高ら強いチャンピオンは出たが、世界のボクシング団体が倍増し、また重量別のクラスも倍増?したため自然とメディアの扱いも小さくなった。久しぶりの例外となった井上選手にはクラスを上げていつまでも活躍してほしい。

 

2022年12月12日月曜日

ごみ処理という難題

  以前にもこのブログに書いた気もするが、毎朝の新聞と広告紙の重さを痛感する。土曜日の朝が最大であり、通常400グラム、最大時450グラムだったが先週はついに470グラム。年末商戦の反映なのだろうが、戦争直後、表裏2ページの新聞を記憶する世代としては何と無駄なことをと言いたくなる。

 しかし、他の資源と比較すれば古紙の場合は回収して再資源化するルートが確立しているようで、最近の宅配サービスなどの拡大に伴う段ボール箱の需要の増大に応じているのだろう。それに対して菓子折など燃やす以外には考えられないものも多い。しかも二重三重の包装が最近は当たり前である。

 昔の家庭には燃えるゴミを家庭で始末する古い石油カンがあった。しかし現在はそうした処理は少なくとも都会では禁じられており、行政が処理するゴミの量は半端でないようだ。したがって処理工場の規模は拡大する。40年?ほど前、臨海部の区が他区のゴミの通過や受け入れに難色を示し、杉並区の清掃工場の新設が区民の反対で難航した。

 30年以上前、パリの1Kのマンション( ステュディオと呼ぶ)に半年住んだ。キッチンにゴミの投入口があり、ゴミの分別などあるはずも無く、上階の住民が捨てるビン類の衝突音が甲高い音を立てる(下では無論粉々だろう)。 管理人に日本では分別収集すると話したら不思議な顔をした。外国人も少なくないパリの住民には到底無理かも.............。

2022年12月7日水曜日

山村は無人の里!

 昨日、半年ぶりに長距離運転をした。コロナ禍で旅行を控えていた事が大きいが、夫婦ともますます少食になり、旅館の食事を半分近くも残すのが心苦しいことも一因だった。今回は用事のための日帰り旅。

 今秋私家版で出版した写真集『一期一会』の中の一枚に、秩父最奥の集落の栃本の旧関守の大村家に学生時代になんの前触れもなしに泊めていただいたと書いた。田部重治の『峠と高原』に同家で歓待されたことが書かれていたのがきっかけだが、高名な紀行文作家(高校の教科書で氏の「笛吹川を遡る」を読んだ)と一介の大学生の違いもわきまえず、夕刻同家を訪れた。断られたら野宿するしかない時刻だったが、一泊し食事もいただいた。

 今回、近年の栃本を写した一枚に同家への感謝を書き添えたので、ぜひ一冊進呈したいと昨日栃本を訪れた。ところが場所の記憶はないので関所跡の近くの数軒を正午ごろ訪ねたが全て不在。結局は持参した写真集を持ち帰る羽目になった。なかには屋内に洗濯物が干してある家も複数あったが、無住を隠すためではないかとも思った。

 『ポツンと一軒家』を毎週見ているので山村の実情を知らぬではなかったが、道路は全て舗装されガードレールはあってもしんと静まりかえった家々を見て、写真を撮った10年ほど前とも違った変貌の大きさを実感させられた。訪ねた時間が悪かったと思いたいが。

2022年12月1日木曜日

防衛費のGDP2%は「数字ありき」か

 最近わが国の防衛費のGDP2%目標をめぐって野党からは「数字ありき」との批判が出されている。しかし、全国紙の社説までそれに同調するとは.............。昨日の『毎日』の社説は「やはり『数字ありき』だった」「だが内容を詰めきれないまま規模を決めてしまうのは問題だ」と批判している。本当にそうだろうか?  慌てて細部を決めることが正しいだろうか。

 2%という数字はトランプ前大統領がNATO諸国の防衛費の基準厳守を要求し、バイデン大統領もその要求を受け継いでいることは周知の通り。何時までも我が国だけが1%の制限を守っていけるだろうか。

 今年になって英国が空母を太平洋に派遣し、ドイツが軍艦を派遣した。まだ太平洋に自国領を領有する英国はともかく、第一次大戦での敗北以来太平洋地区に全く領土を持たないドイツが軍艦を太平洋に派遣するとは本当に驚いた。同盟とはそういうもの。いくら同盟国でも自国の半分以下の軍事費しか負担しない(米国は3%とか)日本を米国がとことん守ってくれるとは思えない。

 最近の軍事技術の高度化は「極超高速ミサイル」のように攻撃側が有利になりつつある。効果が極めて疑わしくなった防衛兵器だけで国を守れるだろうか。

 最近の共同通信社の世論調査(『東京』11月28日)によると、我が国が「反撃能力を持つ」ことに賛成60.8%、反対35.0%とのこと。「数字ありき」というだけの野党は国民から見放されかねない。それで良いのだろうか。

2022年11月29日火曜日

角を矯めて牛を殺す

  国会ではこのところ宗教団体等への寄付の制限をめぐって、伝えられる政府案よりも厳しい制限を要求する野党の政府追及が続いている。統一教会とそのフロント組織の冷酷非情な寄付集めが明らかになった以上、より厳しい制限を要求する野党側を応援したくなる。

 しかし他の宗教団体も街頭募金だけでその活動資金を賄える筈もなかろう。やはり信者の寄付により支えられているのだろう。それらと非情なマインド・コントロールによる資金集めを区別する事はそれほど簡単だろうか? そうした点を野党も理解する必要はあろう。

 一昨日(11月27日)の東京新聞の『時代を読む』との長文コラムに目加田説子氏の「角を矯めるに 牛を殺すな」という文章が載っている。それによると、NPOや支援団体が厳しすぎる寄付制限への反対の「緊急声明」を発表しているとのこと。私も健全な宗教団体のことは危惧したが、NPOや各種支援団体のことまでは考え及ばなかった。

 何も行動しない私などから見れば、これらの団体で活動する方々は地の塩、世の光のような人たちである。それなのに野党もだが新聞各紙はなぜ声明を黙殺しているのか? 不可解である。

2022年11月27日日曜日

碓氷峠のめがね橋

  『朝日新聞』の土曜夕刊に『いいね探訪記』という連載があることは知らなかったが、昨26日のそれは、「近代日本への レールを敷いた」との見出しで「碓氷峠のめがね橋」を取りあげていた。私は信越線を利用することは稀にだったが、特別の思い出が2度ある。

 最初は1952年。大学受験のため愛知県から上京したが帰りは別の経路を使うチャンスだと思った。中央線ではなく、遠回りの信越線を選んだのは前年に「日本最初の総天然色映画」を謳う『カルメン故郷に帰る』( 地方の映画館では黒白だった!)への心酔と、そこに登場する軽便鉄道 ( 草軽電鉄 )に乗りたいということだった。 当時の信越線の横川・軽井沢間はアブト式だったのでマラソン選手程度のスピードだった。下車した軽井沢は3月初旬なのに30センチぐらい積雪があった。それでも草軽電鉄は動いていたので北軽井沢まで往復した。車内も北軽井沢もほとんど無人だったが私は満足した。

 その後、信越新幹線の開通で横川・軽井沢間の鉄道路線が廃止されることになった。偶然その前日か前々日か軽井沢を通りかかったら横川との往復の記念乗車の催しを行なっていたので、用事はないが乗車した。車内は混雑して往復とも立ちっぱなし。正直、特別の感慨はなかった.............。

 信越高速道路が開通して国道18号は勿論、碓氷バイパスを通ることも稀になり、横川の峠の釜飯とも無縁となった。その気になれば支店が佐久インターや茅野インターの高速道の出口にあるが、もう半分で腹一杯になるのが買わない理由なのかも。

 

2022年11月25日金曜日

真の功労者

  私はサッカーファンではないのでカタールでの対ドイツ戦を同時中継では見なかったが、かなり長い要約番組で見て驚いた。メディアでは得点のシュートを放った浅野と道安に多くのスペースを割いて賞賛の嵐である。それは当然である。しかしゴールキーパーの権田にはほとんど言及すらない(『東京』だけが例外)。しかし私の見た限りでは彼の活躍は素晴らしく、それがなければドイツに3点か4点を献上していたのではないか。

 私はサッカーに詳しくないので別の意見があるかもしれない。それはともかく、世の中にはその貢献の大きさや重要さが知られず、十分な評価を得ていない人たちが多いのではないか。題名は忘れたが、NHKテレビに最近の建設や運輸などの紹介番組がある(あった)。最終電車と始発電車の間の時間に渋谷駅のホームの改修に合わせて線路を移動する作業は息が詰まりそうだった。また、港湾での巨大クレーンの正確極まる運転をする操作員など一瞬の油断も許されない人たち。せめて待遇の面で貢献に応えてほしいと思った。

 貢献といえば介護施設などで働く人たちの重要度は今後も増すばかりだろう。私だって何時世話になるかわからない。新しい器具の導入などでその労働を軽減するにも限度があろう。せめてその労働に見合う報酬を得られるよう願うばかりである。

2022年11月22日火曜日

元気な地方を応援したい

 俳優の日野正平が自転車で各地を探訪するNHKテレビの『にっぽん縦断 こころ旅』はその日の気分次第で見たり見なかったりするが、昨日は9年前の琵琶湖の沖島訪問の再放送だった。かつてそこで小学校教員を務めた女子教員がその廃校跡を訪ねてほしいとの依頼だった。

 私は半世紀以上前にゼミ合宿を琵琶湖北岸のマキノ町でしたことがあるが(海浜の漁村のようだった)、竹生島以外に琵琶湖に島があるとは知らなかった。日野が撮影チームと訪れた沖島はむろん竹生島よりずっと小さな島だが、上陸すると案外多くの子どもたちが一行を迎えたので、これでも廃校にしなければならなかったか疑問に感じた。しかし本土!との距離が近ければ教育効果からも廃校が正しい決定だったかもしれない。

 小学校跡は漁村特有の建て込んだ家々の中の路地の先の丘の上にあり、背の高い雑草に覆われていた。戦場ではないが、「夏草や兵どもが夢の跡」の句が頭に浮かんだ。いつもと違い一行が自転車に乗る場面は少なかったが、小さな島にも元気な子供たちが住んでいることを知り心が明るくなった。

  最近のわが国は少子高齢化が問題視され、とりわけ地方は衰退の道を辿っているやに聞く。9年前、元気な子供たちで賑やかだった沖島が今も変わらないことを願う。

2022年11月17日木曜日

キューバ・ミサイル危機の回顧

  NHKのBS放送の『映像の世紀』は現代史に関心を持つ者にはたいへん興味深いシリーズ番組で私も直接ないし録画で数多く見ている。今日、6月27日に放映された『キューバ危機』を見た。なぜこれほど遅れて見たかというと、ロバート・ケネディの『13日間』を読んでいた上に、事件当時にいよいよ原水爆戦争かと恐怖に駆られた体験を思い出したくない故もあった。

 ということである程度は事態を知っていたつもりだったが、ケネディ政権内の対立や葛藤を実写フィルムで紹介した番組の印象はやはり強烈だった。

 事件の発端は米軍のU2偵察機がキューバに建設中のミサイル基地を発見したためとは誰もが知っていたが、じつはソ連内のスパイのペンコフスキーが最初に情報をもたらしたため、偵察飛行となったと初めて知った。その後の米政権内の極秘討議では、日本空襲の主唱者で実行者だったカーチス・ルメイら軍最高幹部たちが一刻も早い爆撃によるミサイル除去を主張し、大戦当時は一海軍兵だったケネディには巨きな圧力となった。しかしキューバへの海上封鎖作戦によりソ連が折れ、トルコの米ミサイル基地の閉鎖との交換でミサイル撤去となったが、その間我が国でも親ソ派の人々は米国の「海賊行為」を糾弾した!

 こうして戦後最大の国際危機は解決に向かったが、自己の信念に従ってスパイ行為をしたペンコフスキーはソ連内で死刑となったという。彼の行為と悲劇をわれわれは忘れないようにしたい。

2022年11月14日月曜日

米国からの朗報

  今日は新聞休刊日なので確認はできないが、昨夕のテレビニュースでは米国の中間選挙で民主党がようやく上院で50議席を確保したとのと。米国民主主義にとって久しぶりの朗報である。

 選挙前の予想よりも民主党が下院でも善戦している。その理由はまだ確言はできないが、最高裁が女性の妊娠中絶を半世紀ぶりに不法としたことも一因ではあろう。なにしろバイデン政権下での物価上昇は日本とは比較にならない高率なのに民主党の善戦だから。とは言えこれでトランプの大統領復帰の可能性がなくなったとまでは言えない。

 トランプ人気がなぜ衰えないのか。移民の流入を防ぐための壁の構築が世界から問題視されても年間に100万人単位の不法入国ともなればバイデンでも建設中止が精々のところだろう。まして何十年か後には白人が米国人口の少数派になるとの予測ともなれば白人の不安は底流として無視できない。

 それとともにトランプの暴言がむしろ人気を集めている側面も見逃してはならない。極言すれば政治の大衆娯楽化である。米国だけではなく、ハンガリーやポーランドや最近はイタリアでも指導者の暴言まがいの発言がむしろ人気の源泉となっている。わが国でも最近のように「コトバ狩り」に深入りすると、岸田首相のように無難な発言だけを心掛ける政治家ばかりとなり、国民の政治への関心は低下の一途をたどるだろう。政治には「自民党をぶっこわす」と言った首相も時には貴重である。

2022年11月5日土曜日

あるドイツ人家族の歴史

  10日ほど前に知人から訳書をいただいた。東ドイツのある家族の100年近い家族史を同家の一員が纏めたもの(マクシム・レオ『東ドイツ ある家族の歴史』アルファベータブックス)。同国はヨーロッパでも最も激しい変化を経験した国と言ってよい。したがってドイツ史については我が国では膨大な研究の蓄積があるが、渦中で生きた一家族の歴史を通して下から照射し直す家族史の成果は如何?

 父方のユダヤ系家族と母方のアーリア系!ドイツ人の家族の歴史は10人余りの人物の名前を家族図で幾度となく確認しながらの作業の繰り返しで、投げ出したくなった。わずかに、戦後のベルリンでは街路樹は市民により燃料として利用され、無くなっていたとの記述には驚かされた。じつは戦時中の世田谷区の我が家でも、庭の桜の木を切り倒して風呂を焚いたから。

 しかし、ナチスの信奉者となった母方の家族と、ユダヤ人ゆえに追放されフランスに亡命し、フランス共産党系のレジスタンスに参加して活躍し、その縁で東ドイツの準高官となった父方の家族との波乱に富んだ家族史は、同じく戦争に翻弄されたとはいえ一体となって戦争中を生きた日本人との差は大きい。後半で東ドイツの諸相をどう評価するのか、期待したい。

 

2022年10月27日木曜日

野田氏の安倍氏追悼演説

  国会での安倍元首相への追悼演説が一昨日野田元首相によりなされた。野田氏のたっての希望によると聞き、同じ首相の重責を担った者として思いを語りたかったと推測した。ところが最初に眼を通した{朝日』の演説要旨を読み、私はそれほど心を動かされなかった。通り一遍の演説では決してなかったが、感銘を受けたとまでは言えなかった。次いで読んだ他紙は『朝日』の倍近い演説全文であり、心を打つものがあった。野党の元首相として立場は違っても共に重責を担った者として哀惜を禁じ得なかったのだろう。

 『読売』や『産経』が全文を報じたのは日ごろの論調から不思議ではなかったが、『東京』がそれに倣ったのは意外だった。同紙の野党色はこれまで『朝日』以上に目立っていたからである。今朝の同紙のコラム『筆洗』は「重圧と孤独の職に耐えた心情を思いやる。敵が消えればいいという態度はない」「分断に荒れた時代を癒やす言葉があった」と演説を評価している。

 『朝日』は森友事件で自殺した赤木さんの遺書も要旨しか紙面に載せなかった。他紙に載った全文には土地の大幅値引きの元凶は大阪の代議士の働きかけだったと記されていた。全文が載ったら不都合だったと解するほか無い。

2022年10月22日土曜日

小室圭さんの受難に終わりを!

  最近の週刊誌記事で大変不愉快だったことの一つは小室圭さんと秋篠宮一家をめぐるものだった。小室さんの母親に多少の問題があろうと、若い二人に何の責められる点があるというのか。さいわい昨日、小室さんが米国の弁護士試験に合格した。有名国立大の大学院生だった同氏はそれなりに優秀な人だろう。これまでに2回試験に不合格だったといっても、日本人にとって外国語による資格試験に合格することは誰もが出来ることではあるまい。

 それなのに「追求」とでも評したくなる週刊誌の論調は2人だけでなく秋篠宮家、とりわけ紀子さんにも向けられた。皇族という立場上反論ができない相手に対して、私には「不当」というよりも「卑劣」としか感じられない執拗な記事が続いた。雑誌の売れ行きのためなら出版人の矜持を捨て去ったとしか思えない。あるいは最初から持ち合わせないのだろう。

 小室圭さんの弁護士試験合格で、民間人だったら名誉毀損の連続の記事に終止符が打たれることを望む。

2022年10月19日水曜日

マイナンバーカードへの不安

 最近、政府がマイナンバーカードの取得を国民に呼びかけ、取得者には2万円?のボーナスを支給すると宣伝している。我が夫婦の様に早々と取得した者にはその恩恵はないらしい。不公平だが、国家としてマイナンバー制度が必要ならその程度の事にあれこれ言いたくない。

 政府の主張を信ずれば各種の証明書の取得など大変容易になる。例えば遠隔地でも取得できるのは便利だ。最近、銀行で身分を証明する必要に迫られ、マイナカードと運転免許証を持参したら後者は見向きもされなかった。どちらも写真入りの政府や自治体発行の証明書なのだが......。

 それでも政府の推奨にも拘らずマイナンバーカードの取得率はやっと5割になったばかり。国民としては政府や自治体の仕事の簡素化に協力したいが、とりわけ高齢者からすると「何にでも使える」と言われると紛失したときいろいろに悪用されないかと疑ってしまう。むろん対策はつくってあるのだろうが、「落としたのが悪い」と言われたら如何にも正論で、それ以上反論できるだろうか。マイナンバー制度が正くとも便利でも、この不安を分かりやすく解消してもらわないと、高齢者はなかなか応じようとしないだろう。

 

 

2022年10月14日金曜日

英語のスピーキング・テストの導入への疑問

  しばらく前から大学入学共通試験(正式名称はよく変わるので覚えられない!)に現行のヒヤリングテストだけでなく、スピーキングテストの導入が新聞などで報道されていた。今回はそれを高校入試にも導入しようという事のようだ。

 日本人の英語が読解能力に比べて会話能力や意見発表能力で著しく見劣りすることは間違いないだろう。だから後者の能力の改善を経済界の要望の反映だなどとする批判には私は与しない。しかし、私はヒヤリングテスト導入には賛成するが、スピーキングテストには賛成できない。

 私の狭い経験かもしれないが、海外の大学でのゼミなどで我が同胞の発言は少ない。これはテーマが欧米から選ばれがちだからではない。日本やアジアの政治や文化を研究対象とするゼミには他の研究分野の日本人の訪問教授や学生も興味を感じて出席することが多かった。しかしそこでも発言を促されるまで黙っている日本人(私を含めて)は多かった。ヒヤリング能力の不足でとんちんかんな意見の開陳となることを恐れるのである。

 ヒヤリング能力がしっかりしていればスピーキングも流暢でなくても時間はかかっても通用するものである。高校入試でも大学入試でもスピーキングテストは出身校の教育レベルの差は勿論、本人の性格(寡黙か多弁か)などの問題を容易には克服できないことを心配する。

2022年10月11日火曜日

休戦は遠のくばかり

  ロシア本土とクリミアを結ぶ道路橋が攻撃された。被害は甚大というほどではないようだが、プーチン大統領にとっては面目を潰された形となった。彼はこの攻撃をテロ攻撃と決めつけウクライナの首都をミサイル攻撃した。同地の歴史を物語る建築物の破壊が危惧される。

 プーチンがクリミア橋の破壊を「テロ攻撃」と決めつけるのは当たらない。ロシアが「特別軍事作戦」と名づけようと両国が戦争状態にあることは明らかである。橋の破壊作戦はその一端に過ぎない。橋を開通させたプーチンの面目失墜など自業自得に過ぎない。

 しかし、ロシアの言論界でのプーチンの強力な支持者だった人物の自動車が爆破され、彼の娘(同じくプーチンの支持者)が爆死したことは些細なことではない。ロシアもウクライナの指導者やその家族に同じことをしたら凄惨なテロの応酬となろう。それを予見しなかったのか。

 戦争開始以来、ロシア軍による数々の戦争法規違反がなされたことは事実だろう。しかし開戦直後、ウクライナ側が作った火炎瓶の映像を見て私は危惧を抱いた。正規軍が火炎瓶を使用するとは考えられないとすれば、民間人によるロシア軍攻撃のためだろう。しかしその瞬間から彼は民間人ではなくなり、正当な攻撃の対象となる。ウクライナ政府がそれを知らないとは考えられない。そうとすれば戦争法規違反は一方だけではなくなる。

 ロシア軍の侵攻を阻止するため学校などの公共施設は貴重だろう。しかしその瞬間からそれらは民間施設ではなくなるだろう。ひとたびそこで戦闘行為が始まれば残虐行為は避けられない。相手を10人、100人殺しても自分は生きたいのが戦争である。一晩で10万人が殺された3月10日の東京空襲は戦争法規の重要性とその限界を示している。

2022年10月7日金曜日

日米プロ野球あれこれ

  今年のプロ野球のペナントレース(リーグ優勝)は私の願いどうりヤクルト・スワローズとオリックス・バファローズの優勝で終わった。両チームとも2年続けて勝つことで前年の優勝がまぐれでないことを証明できたことが嬉しい。そしてジャイアンツとソフトバンクという金満チームが優勝を逃したことも!

 ところが何時からか、チャンピオンシリーズなるものが導入され、日本シリーズは両リーグの覇者同士の戦いとは限らなくなった。リーグ優勝が見通せるシーズン末期の試合が客を呼べないための改変と聞くが、半年を超える激闘の末の優勝チームが日本シリーズに出場出来ないなど納得できない。そこまで米国野球の真似をするのか!

 他方、彼の地のプロ野球は大谷翔平が今年も大活躍でペナントレースが終わったようだ。昨年と比較して投手としては前進、ホームラン打者としては後退ということでホームラン新記録のジャッジとのMVP争いはやや不利か?  それでも前人未到の活躍なら立派の一言である。来シーズンもエンゼルス残留と決まったが、チームのオーナーは有望選手の補強によるチーム力アップを目指してほしい。私の願いはわが国の新聞がエンゼルスの毎試合の記録をより詳しく報道してくれること!

 今年気づいたことは広島だけがカープと単数で呼ばれること。米国のデトロイト・タイガースのユニフォームの綴りがtigresであること。centerとcentreなど辞典では両方が記載されているが、少なくとも研究社の英和大辞典(第5版)ではtigreはなかった!

2022年10月4日火曜日

国葬再論

  いまや日大総長(総理?)となった作家の林真理子氏が『週刊文春』に連載しているコラム『夜ふけのなわとび』の最新号(10月6日)で安倍元首相の国葬問題にふれている(家人の指摘でiPadで読んだ)。その趣旨は「非業の死を遂げた元総理」を悼もうということで、「国葬で心が一つになったイギリス、日本は真っ二つ。 これでまた国運が下がるはず。間違いない。」とこの問題でのメディアの論調に疑問を呈している。

 私はテロを弁護する者ではないが、元総理の統一教会との癒着が山上徹也の犯行の原因であることは明らかであり、犯人には法の許す限りの軽い刑を望む。しかし、元総理が自らの横死である意味で罪をつぐなったとも考える。日本的感性では「死者に鞭打つ」ことは心無いこととされる。その意味で私には林氏の弔い心に同感する部分はある。

 ともあれ、野党やメディアの支配的論調に敢えて不満を表明した林氏の侠気?には爽快感のようなものを感ずる。

2022年9月26日月曜日

医療費2割自己負担の導入は当然。

 来月から75歳以上の高齢者の医療費負担が当人の所得次第で従来の1割から2割に増加する人が増える。今朝の朝日新聞に「年金減り、物価高騰、 通院我慢するしか」との見出しで該当者の不満の声が紹介されている。どうして新聞は不満な人の声ばかり取り上げるのか。

 我が家の場合も従来通りの1割負担か2割負担になるか、境目ぐらいと予想していたが、最近2割負担の保険証が届いた。つまり紙上の不満家族と所得は大差ないことになる。現在のわが国の大幅な借金財政や少子高齢化を考慮すれば高齢者の医療費負担の増加はむしろ遅すぎたとも言える。

 現代の福祉国家の元祖は第二次大戦後の英国労働党の諸政策、とりわけNHS(national health service) という名の完全無料の医療制度であり、外国人も例外では無く、私も留学中に1度お世話になった。現在も無料を続けていると聞くが、その結果、患者の手術が半年も待たなければならないケースもあるとか。私自身は手術の先延ばしよりも医療費の支払いの増額を選ぶ。ともあれ、現在の国民皆保険制度は戦後日本の生んだ宝であり、是非とも守らなければと思う。

2022年9月20日火曜日

国葬の諸相

 数日前に私は諸新聞に外国の国葬の紹介が乏しいとの不満を記し、エリザベス女王の死去が報道の現状を変えるかとの期待を述べた。結果として私の期待は満たされなかった。あるいは逆に英国の女王の死に関する大量の報道に私の要望は埋没してしまったのかも。結局、不十分ながらも諸外国の国葬の紹介記事は管見の限りでは『毎日』(9月18日)の、英米仏韓のケースを取り上げた「世界の国葬」という記事だけのようだ。

 その記事では英国は「国に類い稀な功績」との小見出しで、歴代の君主を別とすればニュートン、ネルソン、チャーチル(と第一次大戦時の某看護婦)といった超大物だけとのこと。サッチャーもダメとの厳しさでは安倍元首相は問題外となりそうだ。

 米国は「大統領経験者対象」との小見出しで、「法令無く、慣例として実施される」。 ウォーターゲイト事件のニクソン大統領を例外として歴代の大統領は全員が該当する。

 フランスは、「明確な判断基準なく」との小見出しで、「いずれも大統領が実施を決定する」とのこと。そのせいか、「国葬はごく少数」だったが、マクロン大統領のもとで文化人が増え、数年前のテロ事件で犠牲になった一般市民も対象になったとのこと。なお、同国では国葬ではないが、対独レジスタンスの英雄などの偉人を合葬する「パンテオン」という霊廟があり、国葬に準ずる制度となっている。

 韓国は、「国家葬に一本化」との小見出しで、朴正煕大統領や金大中大統領が国葬になったが、金泳山氏や盧泰愚氏が該当した「国家葬」に現在では一本化されたとのこと。

 結局、国葬は歴史的産物として各国が実施しており、国民的偉人という共通点はあっても選考基準も方法もそれぞれということのようだ。我が国も諸外国の例を参考にしつつも早く法令化すべきだろう。

2022年9月12日月曜日

蛇足だが......。

  世界最古の職業とはふつう娼婦を指す。

エリザベス女王の死去

  英国のエリザベス女王が亡くなられた。在位70年は同国の君主としてヴィクトリア女王を抜いて最長だっただけでなく、他国を入れても稀ではないか。 その間、英国の君主だけでなく、英連邦諸国の君主でもあった。

 昭和ヒトケタ生まれの私でも、彼女以外の英国の君主時代を知らない。告白すると、最近はもう退位したほうが良いのではとも思っていた。世評は必ずしも芳しくない息子のチャールズではあるが、ユーモアのセンスは豊かだし(ある会合で「世界最古の職業の一員として」と自己紹介して出席者を楽しませた)、 何しろチャールズだけでなく孫のウィリアムまで今では禿げ頭である。

 ヴィクトリア女王の後を継いだエドワード7世もやはりなかなか即位できず、その間、パリの社交界での活躍で憂さを晴らした。しかし、そのため?英国の積年のライバルであるフランスとの間に「協商」ententeという名の同盟の構築に多少とも貢献し、のちの第一次世界大戦の勝利に貢献した(この項、知ったかぶり)。

 しかし、今振り返ると死去直後の儀礼的な賛辞を割り引いても英国へのエリザベス女王の貢献は大きかったと思う。何よりも彼女の君主としての強い義務感は認めざるを得ない。さいわい我が国の上皇夫妻も天皇夫妻も彼女に負けない義務感の持ち主であると信ずる。彼女に負けない長寿を願っている。

付記 このところ我が国では元首相の国葬をめぐって議論百出である。私は国葬は門外漢なので諸外国の例を教えてくれることをメディアに期待したが(私の職業病!)、全く期待はずれだった。これで変わるだろうか?

エリザベス女王の死去


2022年9月6日火曜日

社会の変貌を映す『ポツンと一軒家』

 これまでこのブログで取り上げたことがあったか確かでないが、日曜夜のテレビ朝日の『ポツンと一軒家』を毎回見ている。現在の「地方」について実にさまざまなことを教えてくれる番組である。

 題名どおり山中の一軒家(まれに海辺も)をテレビ局員が訪ねるのだから当然ではあるが、何と我が国が山また山の国であるかを再認識させられる。祖先がそこに住み着いた理由に多少の違いがあっても基本的には平地で生活を営む土地が不足したからだろう。現在は一軒家でもかつては何軒もの集落だったケースも多い。戦後の日本経済が拡大するにつれ、平地に職を得ることが可能になって山中を離れたと考えられる。

 現地までの道路は当然山道になるが、ほとんどの場合到達直前までアスファルト舗装されており、ガードレールの設置も珍しくない。自民党政権が選挙地盤である地方の要望に寛大であることが分かる。電気は必ず配電されているが水道は皆無で、沢の水を引いているか自家の井戸に依存している。現在は老人世帯でもかつては小学生して山道を徒歩で通学した。現在の足は基本的に自家の軽トラックである。かつてこのブログで普通車と軽自動車の税金の大きな差を嘆いたことを反省させられる。

 毎週なので似たケースも少なくないが一昨夜は特異だった。享保年間に藩主の佐竹家が茨城から秋田に移封させられたとき、 移住を拒んだ家臣十三家族が山中に移住したとのこと。今は一軒家だが、244年年前に先祖が建てた家屋は茅葺の立派な造り( そのまま映画に利用できるとの解説役の林修の声)。 下山に踏み切れなかった理由も理解できる。今は高齢の嘗ての花嫁は、2人並んで歩けない狭い山道3キロを花嫁衣装で登り披露宴に出席したとのこと。今は一家は炭焼きと蒟蒻造りを生業とし、自家用に多種の野菜も作っている。

 ほとんどのケースに共通するのは他人の助けを借りずに家の修理や生活用具の製作などを果たす器用さであり、そもそもそうでなければ生活できたかっただろう。また彼らはほとんど例外なく『ポツンと一軒家』を愛聴しており、いつか自分のところにもと密かな期待を抱いていた様子が窺える。彼らを励まして来たこの番組を是非とも続けてほしい。 

2022年8月30日火曜日

緩衝材としての君主制

  最近、ミャンマーの軍事独裁政権はスーチー氏とともに軍部のクーデターに屈しなかった複数の民間政治家を処刑した。その横暴さには言葉もない。他方、現在のタイの政権もクーデターによる軍事独裁政権である。しかし文民政治家を処刑するといった蛮行には至っていないようだ。この二つの独裁政権の違いはそれぞれの国の歴史や国民性などさまざまな要素が絡んでいるだろうが、私は君主制の有無も大きいと考えている。

 ミャンマー軍による批判派の処刑は全く正当化できない。しかし、クーデターを起こした軍人たちは形勢が逆転すれば死刑を含む厳罰を免れられないことを知っているだろう。それに対して王室が一定の権威を持つタイでは、同じくクーデターにより権力を握った軍人たちは今後たとえ権力闘争に敗れても国王が仲裁者の役割を果たす可能性を期待できる。

 以前にこのブログで中東で政争が一定程度に保たれている国としてヨルダンとモロッコを挙げた。両国がその政治にどれほどの矛盾を抱えていても、悲惨な内乱は免れている。君主制の緩衝材的効用を見落とすことは賢明だろうか。イランもアフガニスタンも君主制を廃止してからそれを凌駕する宗教独裁の国に陥っている。

2022年8月24日水曜日

「フロント組織」の煙幕

  安倍元首相の銃撃死以来、自民党議員と旧統一教会 (現世界平和統一家族連合)との密接な協力関係が次々と報じられている。ついには過去の民主党政権時代の幹部たちの名前まで紙上に現れたが、『世界日報』などへの寄稿程度で、自民党の深入りとは同列には論じられない。しかし野党政治家といえども一見中立的なメディアへの寄稿を求めらたら深く考えずに応じてしまうのは無理もない。今回の場合、相手は文化団体をよそおったフロント組織で、相手の警戒心を封じたのである。

 フロント組織とは聞きなれない人が多いだろう。べつだん定義などないが、ある組織が本体への警戒心を解くために平和、民主、友愛など反対できない名の別組織を表に立てる時使う。起源は1930年代の左翼の人民戦線 (Popular Front, Front populaire )あたりか。しかし、その全盛時代は第二次世界大戦後で、ソ連の影響下に「平和」や「民主」を冠する文化組織 ( 音楽、演劇、科学などなど )が誕生し、世論を動かそうとした。大学生時代の私もそうした組織が主催するデモなどに参加したことはあるが、深入りはしなかった。私の性格もあるが、そのころ戦後シベリアに抑留された高杉一郎氏が執筆した『極光の陰に』を読んでいたので、ソ連共産主義が理想ではあり得ないと考えていたことが大きい。

 フロント組織は無論左翼の専売特許でも何でもないことを統一教会の例が示している。それにしても新聞を中心とするメディアは、霊感商法で統一教会の正体が暴かれて以来今日までまったく同組織へ沈黙を守ってきたのは不可解である。戦前戦中に新興宗教が政府に弾圧された歴史から、戦後は宗教団体への干渉がタブー視されたためもあろうが、それにしてもメディアはオウム真理教に次いで第二の怠慢を犯したと言っては言い過ぎだろうか。無数の山上徹也が苦しんでいたろうに.............。3

2022年8月17日水曜日

ロシア史研究者の意見対立

  ロシアによるウクライナ侵攻の評価をめぐってロシア史研究者の間で意見の対立があり、それが世代の違いとも関連していると何処からともなく伝わっていた。しかしメディアはこれまでどちらの側も批判したくないのか、ほとんど沈黙を守ってきたので、門外漢の私には世代差ということかと想像するしかなかった。今朝の毎日新聞の「即時停戦は正義か」との見出しのコラム『論点』で、両者の代表的見解を大筋だが知ることができた。

 旧世代(と言っても私よりは下)の代表は和田春樹東大名誉教授や冨田武成蹊大名誉教授で今回は富田氏が早期停戦と「ロシアに利益のない公正な講和」を呼びかける。毎日のように両軍の死者や民間人の被害を聞かされる我々も賛成したいが、ロシアが「利益のない公正な平和」を受け入れるかとの疑問は拭えない。この派の主張はクリミアや東部ニ州のロシア領化をやむを得ないと受け入れることにあるのだろう。総じてこの世代の主張には善悪二分論的なアングロサクソンの主張への不信があるようだ。

  これに対し若い世代の東野篤子筑波大教授は「ウクライナだけに決定権を」という立場で、戦争による国境の一方的変更を認めてはならないとの立場の延長と読める。

 もう1人、年齢的に中間(それで依頼された?)岩下明裕北大教授は旧世代の主張を「ウクライナの抵抗を否定すると受け止められかねない」表現は疑問だ」と批判する。しかし国力で上回るロシアがウクライナの主張 (ゼレンスキー大統領はクリミア回復まで停戦しないと主張)に簡単に譲歩するとは思えない。結果として戦争継続とならざるを得まい。

ナチスドイツへの譲歩が何の効果もなかったように、場合によっては莫大な人命の犠牲を甘受しても抵抗しなければならない時もある。しかし近年のウクライナ政権はNATO加盟要請はもちろん、人口の2割を占めるロシア系住民へのウクライナ語強制など侵攻原因の一端をつくったことは否めない。「自らの勢力圏に敏感な国の周辺国は、慎重すぎるぐらいでないと自国を守れない」(岩下明裕)のも国際政治の現実である。

2022年8月13日土曜日

地球環境保護先進国の苦悩

  地球環境保護の思想と運動は米国の女性科学者レイチェル・カールソンの『沈黙の春』あたりから始まるが、当初は化学薬品の多用による昆虫類の死滅が鳥も鳴かない春をもたらす( 一例だが)との警告だった。しかし、現在では過大なエネルギーの消費による気温の上昇がもたらす気候変動や海面上昇 (洋上の島国だけでなく先進国の大都市にも脅威)への対処に焦点が移ってきた。

 そうした地球環境保護運動で世界の先頭に立っているのがドイツであることは誰もが認めるだろう。東北大震災による原発事故に素早く反応して原発全廃への道を選んだことは我々日本人にも驚きだった。しかし、ロシアのウクライナ侵攻に対する経済制裁でドイツも少なくとも目標の先延ばしに追い込まれている。

 その発端が経済制裁に反発したロシアによる天然ガスの輸出制限である。ドイツは天然ガス供給の55%をロシアに依存していた。そのため世界に代替供給国を求めているが、他国との獲得競争になっている。そればかりではない。海外からの輸入は液化天然ガス ( LNG  )に転換して専用船で運ぶ必要がありパイプラインより割高になる。そのためドイツは最も炭素排出量の多い石炭火力発電も考慮しはじめた (以上『毎日』8.113)

 ウクライナ政府が制裁の中途半端さにどれほど不満を表明してもドイツも西側諸国も無策のまま自国経済への打撃を放置すれば国民の批判を浴び、内閣が持たないだろう。民主主義国家の苦しさであり、またそれほど世界経済は平和を前提として一体化しつつあったということだろう。「治にあって乱を忘れず」とはやはり名言だったようだ。

2022年8月8日月曜日

動物保護を何処まで徹底するか

  最近ヴィーガニズムとかヴィーガンという言葉が一部で使われ出したようだ(池上彰 佐藤優『漂流 日本左翼史1972〜2022』)。私もアニマルライト(動物の権利)が何を問題としているかは見当がついたが、数十年前に英国で生まれた完全菜食主義の名称は知らなかった。

 菜食主義者といえば誰でもベジタリアンを思い浮かべるが、実はベジタリアンには、1) 鶏卵までは許される、2)乳製品までは許される、 3) およそ動物が関係したものは蜂蜜まで禁止といった段階分けがこれまであったという。ヴィーガンは最も徹底した菜食主義者の称。

愛玩動物への虐待は聞くだにおぞましい。しかし人類は家畜はもちろんのこと、野獣や野鳥の肉を食べ、その毛皮を利用してきた。そして遂に最近ドイツでオスのひよこを殺してはならないという法律が出来たという。養鶏のため生まれるひよこの半数はオスである。メスと肉質の違いがあるのか、これ迄はどの国でもオスは殺処分され、動物園の動物のエサに利用されるのがせいぜいだった。

 ドイツの決定が他の諸国に追従されるかは分からないが、かなり根本的な問題を含む。ナチスが政権をとり多数の精神障害者を殺害した国だけに種の選別には特別に警戒的なのかもしれないが、私などジェノサイドを実践した国らしい徹底性を感じてしまう。事実、肉屋や実験動物を扱う研究所への襲撃が起こっているとか。 佐藤・池上の両氏が、かつての新左翼の視点に通ずるとヴィーガン的視点に一抹の危惧を感じているのも理解できる。合理主義だけで人間社会を裁断してはならないということだろう。

動物愛護を何処まで徹底するか

2022年8月6日土曜日

ペロシ訪台の評価

  米国のペロシ下院議長の訪台に賛否両論が寄せられている。ここでは以前に本ブログで紹介した佐藤優氏の「外交の三つの体系」に照らして考えてみよう。

 先ず「価値の体系」を基準に考えるとペロン訪台は民主主義と強権の対立の一方に強力に肩入れしており、台湾政府は大いに歓迎している。私をはじめ日本国民の大多数も台湾が香港と同じ運命を辿ることは何としても避けたいと思っているだろう。

 次に「利益の体系」を基準に考えると台湾と中国との経済にとって緊張の激化はマイナス要因である。どちらにとってよりマイナスかは何ともいえないが、常識的には小国に不利だろう。

次に「力の体系」で考えると両国の軍事力の差は圧倒的である。その差はこれまでは顕在化しなかった。しかし今後中国はその差を世界に見せつけようとするだろう。

 米中両国はかつてソ連への強い警戒心から米国は台湾が中国の一部であると認め、中国は当面は現状を承認するということで国交を回復した。曖昧さは両国にとって好都合だった。しかし中国がこれだけ強国化した以上、曖昧さの維持には米国側の最大限の配慮が必要だった。しかしペロシ訪台は中国の体面への配慮を欠いた。 米国政府は内心では思慮を欠いたことをしてくれたと思っているだろう。



2022年8月1日月曜日

プロ野球の名二塁手たち

  私はカレーライス好きではないが、例外はカツカレーで、選べるときはカツカレーを注文する。今朝の東京新聞に、カツカレーを発明?したのは戦前戦後に巨人軍の名二塁手として活躍した千葉茂で、現在も続く「銀座スイス」という洋食屋でのことだったとの記事が載っている。やがて同行する同僚選手たちも注文するようになり広まったという。

 戦前の活躍は知らないが戦後の数年間、千葉はファースト川上、ショート白石、サード山川らと巨人軍の内野守備陣を担当して名手と言われた。打撃も四番の川上の前を打つ三番で活躍し、その風貌と相まって猛牛とあだ名された。のちに新設球団の近鉄の監督を務めた。同球団や現在のオリックス球団の愛称バファローズはその名残である。

 その後の名二塁手たちは球場で見たことはない。活躍した時代順では西武球団の現監督の辻発彦が大柄な体格もあり、守備範囲の広さ、堅実さで鳴らした。他方、華麗な守備では中日の高木守道も忘れられないが、現在の広島カープの菊池涼介の二塁守備はプロ野球史上最高ではないか。小柄なのに打撃も見劣りしない。ぜひ、カープの菊池として選手生活を全うしてほしい。勝手な願いだが.............。

2022年7月26日火曜日

やまゆり園事件から6年

 今年は相模原市津久井の障害者収容施設のやまゆり園で施設の植村職員が入所者を襲い、死者19名、負傷者26名の惨事を惹き起こして6年経った。当初は死刑も厭わない態度だった植村死刑囚も現在は死刑判決の再審を求めているという。

 障害者は家族や周囲の人に不幸をもたらすだけで生存の価値がないとの植村の思想は、被害者が老婆1人との違いはあるが、ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公のラスコーリニコフの思想に相通ずる。しかし、被害者数の違いもさることながら、障害者は生きる価値がないと決めつけた点が特異である。

 施設は建て直され追悼の石碑が建立されたが、死者の名前を明らかにした遺族は6家族だけだったようだ。不幸なことだが、やはり障害者が家族に居ることは知られたくないとの思いは強いようだ。

 今朝のテレビで障害者の世話をする職員たちの姿が写されていた。こうした施設の職員の仕事ぶりには頭が下がる。最近、職員が収容者に暴力を振るったとの報道があったが、何度も注意しても無視されたり反抗されたりした場合、職員も思わず逆上することも当然あろう。そうした経験のない私には植村死刑囚に死刑執行は当然だと言い切る気にはなれない。同じ日に死刑執行が報じられた秋葉原の無差別殺人事件の犯人は当然の報いを受けたとしか思わないが.............。

2022年7月25日月曜日

外交の評価

ウクライナへのロシアの侵攻とそれに対するウクライナの抵抗は5ヶ月を経て終わりの見えない戦争の観を呈している。両国とも人命と国富の損失をさらに重ねるしかないのか。どうして外交はこの戦争の発生を防止できなかったのか。
 評論家でかつては職業外交官だった佐藤優氏は「外交は価値の体系、利益の体系、力の体系という三つの体系からなっている」と解説する(『毎日』7月17日)。価値の体系とは例えば民主主義対強権という捉え方。 利益の体系とはこの戦争が自国にもたらす利益と損失の評価。力の体系とは彼我の国力や戦力の評価である。
 開戦から現在までは民主主義国と強権国家の違いが強調されてきたが、独立後のウクライナは激しい街頭行動によって大統領が退任させられるという西欧型の民主主義の基準に合致しないため、EUやNATOへの加盟を許されなかった国である。民主主義対強権の構図は割引して考える必要がある。
 利益の体系からすればクリミア半島や東部2州を回復しない限りはウクライナに具体的利益はなく、その可能性は乏しい(変わりやすい世論を無視できない民主主義国はそこまでの支援はできないだろう)。力の体系は人口や生産力の比較だけでなく電子技術などの能力も計算する必要が大きくなっているとはいえ、ロシアとウクライナの力の差は大きい。西側諸国もウクライナの求めるすべての旧領の回復までは軍事支援はできないだろう。
 無限に戦争を続けることは不可能な以上、遅かれ早かれ現状での停戦となろう。その場合、失われた多くの人命に値するだけの停戦になるとは思えない。


2022年7月18日月曜日

元首相暗殺事件をどう理解するか

  安倍元首相暗殺事件の直後は選挙中ということもあってかメディアは「宗教団体」の名をなかなか明かそうとしなかったので、私などもっと有名な団体のことかと思った。統一教会の名が出てようやく犯人への理解が進んだのは私だけではあるまい。

 「理解」というと同情を含むと捉えられそうだが、否定しない。犯人山上徹也のこれまでの人生を顧みると第一に母親の愚かさに呆れる。死後の財産を宗教団体に遺贈する例は珍しくないかもしれない。しかし、親から受け継いだ企業を破産させ、そのため息子が大学受験を断念しても統一教会に入れあげたとなると親の資格ゼロと言いたくなる。

 むろん第一に批判(むしろ弾劾)すべきは統一教会だろう。宗教団体が信者の寄進に期待するのが誤りではない。しかし相手の無知や苦境を利用して遺産をほとんど召し上げたばかりか、霊感商法に至っては呆れるほかない。30年前に強い批判を浴び、その後メディアもほとんど無関心だったが、その間、「世界平和連合」など三つ四つの「フロント組織」(正体を隠すための当たり障りのない別名の組織)で悪行を継続していたとは.............。メディアも怠慢だった。

 統一教会が反共を売り物にしていたことから岸信介元首相と深く長いつながりがあったという。その家族的伝統のためか最近も安倍元首相は自派の某立候補者の支援のためメッセージを寄せていた。山上徹也が本来の目標に近づけず、やむなく元首相を標的に選んだのは「理解」できる。彼が知人に送った通信文を読むと彼なりに追い詰められ苦しんでていたようだ。

 戦前の日本で政治家や財界人の暗殺が続いたころ、わが国は昭和恐慌下に庶民は娘を売るなど大いに苦しんでいた。だからと言って暗殺犯たちに「理解」や同情を示した当時の「世論」を是認することはできない。迂遠ではあるが、先ずは政治家の質の向上と国民の政治を見る目の向上を図るほかない。

2022年7月11日月曜日

安倍元首相の功罪

  僅か四日の間に我が国は元首相の衝撃的な死と参院選での自民党の勝利を経験した。色々な見方はあろうが、終わってみれば大山鳴動すれど大きな変化はなかった。元首相の横死はあってはならない事件だが、犯人が政治的信条が動機ではないと語ったと知った時、私はやや安堵した。これが左右両翼の過激分子の政治目的の行動ならその後の政治の両極化を産みかねないと感じたからである。

 暗殺事件を知った後の諸外国の首脳の安倍氏への高い評価は日本国民にとって意外だったのでは? もとより非業な死への儀礼の側面は大きいだろうが、本心が掴みにくい歴代の首相に比べて理解されやすい首相であった。それに何より七年間の長期政権の利点も大きかったろう。

 他方、わが国では元首相は新聞を中心とするメディアに数々の批判を受けてきたので個人として親しめない感じを私は抱いていた。ところが死の翌日の『朝日』の「評伝」と題する署名入りの記事が、「会食では早口で話し、冗談を飛ばして場を盛り上げた。その明るさと情熱に、近くで安倍氏に接した人は引きつけられた」とあった。さらに同日の『毎日』は、「座談の名手、気配りの人」との見出しで、「じかに接してみると、ソフトな人物だと感じる人が多い。相手の発言をよく聞き、気を配る座談の名手であった」とあり、驚かされた。両新聞とも筆者はおそらく「首相番」の記者で、大きく割り引いて読むべきだろう。しかし、これまでは世論や「社論」に反する評価は忖度して書かなかったとも解せられる。

 元首相の強権的政治家像の代表は街頭演説中に反対者に、「こんな人たち」に屈してはならないと叫んだ件がある。しかし今日あらためてその時のニュース画像を初めて実見したが、彼らは演説の妨害のために参加した人たちであり、ある意味で最も非民主的な人たちだった。

 七年間首相を務めれば批判されるべき件は少なくなかった。しかし、ためにする批判もまた少なくなかったのではなかろうか。

2022年7月6日水曜日

アルジェリア独立60年の爪あと

 今年はアルジェリアがフランスから独立して60年にあたる。新聞では他紙に先んじて?『東京』が今朝の紙面で、「近くて遠い国 アルジェリア独立60年  仏側協力者の苦難」との見出しで報道している。

 大戦後、英国は国内世論が賛否両論に割れながらもインド(現在のパキスタンとバングラデシュを含む)の独立を比較的早く承認し、その後友好関係を保っている。それに対してフランスは地中海対岸のアルジェリアを保持することに努め、「アルジェリア戦争」と呼ばれた流血の対ゲリラ戦を十年間も続け、60年前万策尽きてアルジェリア独立を認めた。

 ところが長引く戦争の間、万単位のアルジェリア人がフランス軍を助けて独立派ゲリラと闘った。その結果彼らは残留すれば死刑か重罪を免られず、フランスは道義に関わることでもあり、希望者全員を自国に受け入れた。

 しかし、「アルキ」と呼ばれた彼らとその家族は、以前からフランスに定住していた同胞にさげすまれ、フランス人からも一段下に見られるという境遇に落ちた。彼らに同情しくれるのは「ピエ・ノワール(黒い足)」と呼ばれる、かつてアルジェリアに住み独立後追放されたフランス人だけ(林瑞枝『フランスの異邦人 移民・難民・少数者の苦悩』中公新書 1984)。

 自身がピエ・ノワール出身のフランス人史家は、「全ての立場を満足させる解決策は存在しない」と紙面で語っている。フランス人は植民地権益を守るためと同時に、自国の「共和主義文明」を世界に広めることを善と疑わなかった(各地に凱旋門を建てフランス語を教えた)。それに対して英国は自国文明の普遍性の主張にはこだわらない商人国家だった。

2022年6月28日火曜日

ウクライナ侵攻は日本にとり幕末の浦賀沖の蒸気船? 

 岸田首相が参院選の最中、ドイツで開催のG7の会合に出席した。昨日の『日経』は「首相不在 異例の中盤戦」と報じているが、野党がなめられているとも言える。しかし、西側諸国から日本がウクライナ問題に関心が低いとみられることは、台湾問題などをひかえて絶対に避けなければならないと判断したのだろう。それは理解できる。

 他方、ロシアのウクライナ侵攻開始以来4ヶ月、我が国民の自国の安全への関心の高まりも無視できない。先週あたりの新聞各社やNHKの世論調査では日本国憲法の改正に対し賛成意見が反対意見を多少とも上回るようになった。この変化は最近半年間の新聞論調の変化の大きさにもうかがえる。

 昨年末に政府提出の新年度予算案が発表されたとき、『毎日』(12月28日)は「過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張は許されぬ」と書き、同日の『東京新聞』は「防衛費過去最大 軍拡競争に加わるのか」と書いた。その「膨張」や「軍拡競争」とは防衛費が前年の1%から1.1%に増やす政府案への反応だった。同じ日の『東京』の『本音のコラム』に評論家の鎌田慧氏は「新しい軍国主義」と書いた。 2%への増加が目標として語られる現在とは隔世の感がある。

 とはいえ、日本国憲法はその改正が「世界一難しい」? ように作られた憲法である。仮に改正が実現するとしても数年はかかるだろう。しかし、中国による台湾圧迫がさらに激化したら?  未来を予測することは誰にも難しい。古人が「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四盃で夜も寝られず」と書いたように。

2022年6月24日金曜日

アイスランドの銘酒をいただく

 先日の日曜日、ステファン駐日アイスランド大使に同国の銘酒を手づからいただいた。アルコール度47%のウイスキーは私の舌に余るが、ありがたく頂戴した。

 多摩市は今回のオリンピック・パラリンピックでアイスランドの選手たちのホストタウンを務めた。特別の関心はなかったので選手の人数も挙げた成績も知らない。しかし先月あたり、大使が御礼に参上するので式に参加希望者は申し込むようにとの広報があった。歩いて行ける施設での定員60名の会で申し込み期限を過ぎてから申し込んだら66人目で無理かとも言われたがダメもとと思い申し込んだら最後の一人に滑り込んだ(結局67人申し込み)。

 当日の通訳付きの大使のスピーチは最近の聴力減退で半分も聞き取れなかったが、同国紹介の映画もあり一応満足した。最後に大使館からのお礼の数種の品の抽選があり、何と私は同国の最高の品のウイスキーに唯1人選ばれた。手渡された際、30年前に御国を訪ねたことを何故か言いそびれた。大使はむしろ喜んでくれたろうにと事後に後悔した。羊のふんで燻すというウイスキーをせめて分け合って飲む機会があればと思う。


2022年6月21日火曜日

開成学園の思い出

  たった二年間専任教諭を務めただけの私に、ある時期から毎年の今ごろに『開成会学報』が送られてくる。内容に特別の興味は無いのでこれまで目を通さなかったが、今年は学園創立150年記念号というので20名余りの有名卒業生が思い出を寄稿している。それでも総理の岸田文雄氏とクイズプレーヤーの伊沢拓司氏以外は読んでいない。しかし本号には英語科教員だったSさんへの追悼記が4篇載っているので読んだ(その一人のH君は私の教え子)。

 私の勤務時、Sさんは学年主任だった。温厚な人柄で誰からも親しまれていたが、今回初めて私より数年年長なだけと知って驚いた。同校では各教科とも同じ教員が卒業まで担当するので、この年度の東大合格者数が大きく伸びたのはSさんの力が大きかったと思う(新米の私は足の引っ張り役だった!)。

 ところでH君がたった一行だが私の名前を出しているので驚いた。「平瀬先生は授業をつぶしてソフトボールなどという名物めいたものもあったが、島村先生についてはそのような記憶がない」というもので、知らない人が読めば困った教師としての私に言及しと受け取るだろうが、私は最高の賛辞と受け取っている。なぜなら彼の属した2組 (担任は別人)には特別の思い出があるから。

 世界史(開成では2年間教える)の4クラス(人文地理が2クラス)のうちこのクラス(2組)には私が一年半顧問を務めた山岳部の部員が3名いたので、授業以外でも私が開成のため汗をかいていると思われたのか、数人で連れ立って埼玉の1DKの公団住宅を2回訪ねてきた。ところが後に検事総長を務めた男を中心に冗談を言ってはゲラゲラ笑い合って帰ったので、家内はあの人たち何しに来たのと不思議がった。生徒は有益な話を聞くため先生宅を訪れるものと思ったのである。のちに検事総長就任を機にこのクラス仲間数人が『文春』の『同級生交歓』に写真出演した。そのうちの二人が師に先立って永眠したのが悔しい。

2022年6月18日土曜日

日韓関係の改善の好機会

  東京新聞(6月16日)のコラム『筆洗』(朝日新聞の『天声人語』にあたる)によると、デンマークとカナダの間で多年にわたり係争点となっていた前者のグリーンランド島と後者のエルズミア島の間の無人のハンス島が、両国間で分割する事で解決を見た件を取り上げている。領土帰属問題となると双方が冷静さを失うケースが圧倒的に多いのに、このケースはこれまで「世界一友好的な戦争」と呼ばれ、今回一滴の血も流す事なく解決したという。もともと自然条件の厳しい北極圏の小島だったことが解決に貢献したことは言うまでもないが、尖閣列島も竹島も無人島で、後者は飲料水にも事欠く筈。それが2国間関係のトゲとなっているのはどう見ても賢明ではない。

 私は尖閣列島と竹島について歴史的経緯に詳しい訳ではない。前者については戦後は米軍の管理下にあったということなので日本の主張に歩があるのだろうと思う程度だし、竹島の歴史に関してはそれ以上に無知である。しかし、竹島を日本領と正式に主張したのは日露戦争の勝利後と聞くので、韓国の主張に根拠が皆無とも思えない。思うに日韓両国の間でその時の力関係によって帰属が変わってきたのではないか。

 いずれにせよ水資源もない岩山の竹島を奪い合うのは愚かだし、漁業資源が目当てなら両国間で漁場を分割すればよい。韓国の新政権は日韓両国関係の改善を目指している。「慰安婦問題」など他にも解決困難な事案もあるが、領土問題という最もセンシティブな問題で妥協できれば他の懸案にも好影響をもたらすだろう。両国とも孫子の代まで対立を引きずって良いはずがない。

2022年6月13日月曜日

自由と規律

  高校の世界史の授業で必ず習う名辞に英国の思想家ホッブズの「万人の万人に対する闘争」がある。似た言葉に「homo homini lupus  人は人に対し狼」があり、私は長年ホッブズの言葉と記憶していたが、ローマの喜劇詩人の言葉と最近知った。語義は説明不要だろう。人類はそうした自然状態を脱するため社会契約を結ぶ。

 昨日の毎日新聞の書評ページにマシュ・ヘトリンクという著者の『リバタリアンが社会実験してみた町の話』の小川さやか氏の書評が載っていた( 私は原著を読んでいない)。 それによると米国のニューハンプシャー州のグラフトンという町に最近多数のリバタリアン(絶対自由主義者)が移住してきた。あらゆる束縛を否定する彼らは賭博の権利、麻薬売買の権利、決闘する権利などを主張する。なかでも問題なのはこの町に多数出没する熊たちへの対策(本書の原題は『リバタリアン 熊に遭う』とか)。家畜や猫を襲う熊たちへの対策として、「生ごみなどの管理や土地区画規制に従うのも、熊対策に税を払うのも嫌う彼ら.......。銃をぶっ放す権利対熊にせっせと餌やりをする動物愛護者もいる」。

 戦後間もなく岩波新書に池田潔慶大教授の『自由と規律』が発表され、英国の名門パブリックスクールの厳しい規律が紹介され、自由主義の母国とばかり思っていた英国の教育が驚きをもって迎えられた。自由と規律は両立不可能ではない。


2022年6月10日金曜日

訂正 

 前回に「悪評ぷんぷん」とあるのは「悪評ふんぷん」の誤り。打ち間違え!

2022年6月9日木曜日

ウクライナ・ロシア間の早期停戦は両国の利益なのだが...........

 ウクライナではロシア軍が苦戦しながらも占領地を広げつつあるようだ。ロシアも今ではウクライナ全土の占領は不可能と覚っただろうからアゾフ海沿岸とクリミア半島確保で停戦に応ずるだろうが、ウクライナのゼレンスキー大統領がそれに応ずるだろうか。戦争は長期化で犠牲が拡大するほど停戦受諾は困難になるだろう。

 かつて君主国間の争いは国民の意思を顧慮することなく君主の意思で開始され終了した。しかし、第一次大戦中、英米を中心に「秘密外交の廃止」が叫ばれるに至り、停戦決定も講和条約の確定も容易ではなくなった。ヴェルサイユ条約のもとで敗戦国ドイツに要求された巨額の賠償金は「天文学的数字」と評され悪評ぷんぷんだが、米国の交渉団の一人は「全額回収が可能などと考えた者は一人もいなかった」と回想している。しかし、戦勝国民の怒りを鎮めるためにはとりあえず巨額を要求せざるを得なかったのである。それがやがてヒトラーの台頭を生んでも........。

 6月4日の『毎日』のコラム「オピニオン」欄に同紙の論説委員の伊藤智永氏は、「インターネット上ではウクライナ軍の戦争犯罪も確認されている。まして米国の異常な兵器の供給ぶりを見ると、ウクライナが米露代理戦争に命と国土を提供している実態は誰の目にも明らかではないか」と書いている。それも真実の一面ではあろう。ロシア兵にとっても戦争の実情は大きくは変わらないだろう。

 冷戦終了後、NATOの加盟国は15ヵ国から30ヵ国に増加し、ウクライナが加盟すれば31ヵ国目だった。これがアイスランドのレイキャビークとマルタ島でレーガンとゴルバチョフが握手したとき思い描いた世界だったろうか。ウクライナは憲法にNATO加盟をうたっていたと聞く。同国には第二次大戦後に中立国を選んだオーストリアを見習って欲しかった。

 それでも物事には両面があるフィンランドのNATO加盟はロシアに取り許し難いと映るだろう。しかし、ウクライナ軍の勇戦はロシアにフィンランド攻撃を躊躇させる効果を生むだろう。

2022年6月4日土曜日

「国恥地図」の示すもの

  昨夜のTBSの『報道1930』は「国恥地図が秘めた中国 '' 失われた帝国 ’’  習氏国家観の原点」と題され、中華民国初期つまり蒋介石政府が流布させた「国恥地図」と題された地図が主題。東アジアは日本やフィリピンといった島国を除いて、北は旧満州のさらに北のロシア極東地方から、南はインドシナ半島、西は西域諸国まで赤い曲線で囲まれた「中国」地図であった。中国が最大版図を誇った清国時代から後に失われた地域はすべて回復されるべき旧領土なのであり、習近平の「中国民族の偉大な復興」の中身は共産主義中国の独創ではなかった。それが中華思想というものか。近代の「国民国家」とは全く異質な国家観と言うほかない。

 我が国はこれまで文化的には中国の深い影響を受けてきたが、幸い海で隔てられ政治的には独立を保ってきた。しかし数年前、習近平が太平洋は米中二国を容れるに十分な広さがあると語ったと報ぜられた。ソロモン諸島など太平洋の島嶼国家群への中国の接近は、太平洋の東半分が米国の勢力圏なら西半分は中国の勢力圏であっても当然と考えた結果なのか。

 

2022年6月1日水曜日

理想主義者の陥る罠

  ロシアのウクライナ侵攻に関してロシア国民の政府支持は目立って減少していない。政府のプロパガンダに国民が「騙されている」との解釈は必ずしも正しくないことをロシア史専門の池田嘉郎氏が主張しているとのインタビュー記事(『朝日』5月30日夕刊)が伝えている。私も同感である。

 池田氏がソ連崩壊の1991年秋にモスクワで会った人の多くは「生活が苦しくなった」「老後が不安だ」と訴え、「昔のソ連へのノスタルジーを語り続け」たという。プーチンは彼らに救世主と映ったのである。池田氏は続けて「プーチンの台頭期と1917年ロシア革命におけるボルシェビキ(後の共産党)の権力奪取には共通点があります。社会の無秩序化で最も痛めつけられた『普通の人』こそが、社会に安定と規律をもたらすためには家父長的な強い権力が必要だと考え、それを求める点です」と指摘される。

 1917年と1990年代の共通性の指摘にも全く同感である。それはロシアの立憲民主派のひ弱さである。1917年3月にロシアで帝政が倒れ民主派が政権に就いたが、同年11月のボルシェビキの政権奪取までは大混乱期だった。従来は民主派が西欧との連帯を重視して大戦継続を追求したことが彼らの没落の理由として強調された。しかし、彼らが犯罪を厳しく取り締まらなかったため首都は犯罪者の天国となり、民衆がボルシェビキの剛腕に期待したことを重視する研究が30年前に発表されている(長谷川毅『ロシア革命下ペトログラードの市民生活』中公新書 1989)。1989年当時も経済の大混乱とともに治安が悪化した。今は亡き同年輩の知人でロシア史研究者のIさんは当時モスクワの街頭でギャングにホールドアップさせられた。1917年も1989年も西欧流の民主主義はロシアでは大衆に見放されたのである。その理想がどれほど高貴でも。

2022年5月26日木曜日

観光産業の競争力1位の日本

  新聞やテレビに世界の観光産業のベストテンが発表されており、日本は初めて?1位となっている。昔人間には考えられない日本の躍進である。2位のアメリカはニューヨークをはじめグランドキャニオンやナイヤガラ瀑布やイエローストーン公園などスケールの大きさで人を驚かす観光地が少なくないし、10位にも入らない中国も万里の長城のような人工物以外にも西部にはヒマラヤに連なる5000メートル級の山々(ヒマラヤは中国領に数えたくない)や長江上流部の激流など見所は多い。

 それに対しかつて観光王国だった西欧諸国はスペイン3位、フランス4位、ドイツ5位、スイス6位、などはそれなりに頑張っているが、英国8位など昔日の面影はなく、イタリアに至っては都市国家シンガポール9位に続く10位(他にオーストラリアが7位)。この結果を知ったら日本のカジノ誘致派はそれ見たことかと勢いづけられるのではないか!

 日本が1位となったのは、以前にも言及した気がするが狭い国土に観光名所が集まっているからではないか。何年か前高尾山がミシュランガイドに載ったと聞くが、先進国の首都で都心から1時間余りで600メートルの山に達する国は珍しいだろう。

 料理なども含めた日本文化や治安の良さや物価安で我が国が認められてきたとすればよろこばしいが、文化というなら中国はどうか。私はかつて紹興の町で会稽山公園という看板を見かけ、呉越2国の争いにちなむ「会稽の恥をすすぐ」、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」などのことわざの起源はここかと妙に感じ入ったことがある。それなのに圏外とは欧米から見ると中国はまだまだ未知の国なのか?

2022年5月22日日曜日

敗者への待遇

  ウクライナのマリウポリが陥落した。捕虜となったウクライナ兵の数は諸説あるが千人を超えるようだ。ウクライナ側はロシア兵の捕虜との交換を要求しているようだが、ロシア兵の捕虜がそれほど多いとは思えない。それに加えて「アゾフ大隊」と呼ばれる内務省配下の部隊はロシア側がネオナチ呼ばわりする集団であり、ロシア側の苛烈な報復にさらされる事態が危惧される。

 そもそもロシアは帝政時代から少数民族に移住を強いたりしたようだが、第二次世界大戦中にクリミア半島を占領したドイツ軍に協力したとの理由で原住民のタタール人をシベリアに追放した事実は知られている(ソ連崩壊後に帰国)。 旧日本兵がシベリアや中央アジアに不法抑留されたことは日本人の知るところである。

 戦前や戦中の学校教育を受けた日本人なら、「旅順開城約成りて」に始まる唱歌『水師営の会見』を私を含めて全曲暗唱するものは稀ではないのでは。旅順要塞の降伏式典で敵将ステッセルに乃木将軍が特別に帯剣を許して厚遇しロシア軍の善戦を讃えたばかりか、のちロシア皇帝が死刑を命じたステッセルの助命を嘆願し認められたことは世界で賞賛された。現在の中国が同じ評価とは思えないが、会見所は立派に保存されていた。歌詞の中でステッセルが愛馬を乃木将軍に託したとあるが、年若い中国人ガイドは降伏すれば全資材は没収されるのが当然で、無意味だと注釈を加えた。なにぶん現在の旅順要塞にはあちこちに「国恥記念」の看板が立っていた。

 そのうちに水師営の会見など知らず関心もない邦人観光客が大多数になるだろう。その時に何か新しい話題をが必要になるだろうと思って宇田博の『北帰行』の歌詞とその由来をガイドに教えておいた。それを生かすかは彼しだいだが........。

 

2022年5月19日木曜日

北欧へのNATOの拡大は賢明か

 ロシアのウクライナ侵攻にうながされてフィンランドが70年ぶり、スウェーデンが200年ぶりに中立の立場を捨てNATO加盟を希望している。昨夕のどこかの局のニュース番組を見ていたら人口65万人の首都ヘルシンキは90万人分の地下シェルターを備えるという。スウェーデンは全人口の8割分の地下シェルターを備えるとか。永世中立国と誰もが知っているスイスでも、観光都市ルツェルンは市の人口以上の地下シェルターを備えると読んだ記憶がある。

 生活様式や居住形態の違いも影響しているとは思うが、我が国で地下シェルターを備えた家など大都市でも1割も無いだろう。最近我が国で仮想敵国のミサイルに対抗して敵基地攻撃野力を保有すべきとの議論が始まったが、反対論が強いようだ。しかし、反対論者も地下シェルターが周辺国を刺激するとまでは言えないはず。結局のところ日本人は困難を直視したがらない国民のようだ。

 フィンランドとスウェーデンが早急なNATO加盟を目指しているのはウクライナ侵攻でロシアにも余力がなくいまが好機と捉えているのだろうが、それでは冷戦時代の二大陣営の対立の再現となろう。米ソ冷戦時代のNATOの功績は多大だった。当時ソ連は口先では「革命の輸出」は目指さないとしていたが、共産主義を世界に拡大することを歴史的使命としていた。一方、現在のロシアが求めているのは大国の地位の承認(と安全)であって世界の共産化ではない。

 NATO加盟にはメンバーの一国でも反対すれば認められず、今のところトルコは反対を唱えている。現在のトルコのエルドアン政権は強権的で私は強い反発を抱いているが、この問題ではトルコの拒否権行使を期待したくなる。

 訂正  前々回に「壁際の魔術師」と書いたが「塀際の魔術師」の誤り。悪しからず。

2022年5月16日月曜日

「日本映画の名匠」ベストテン

   朝日新聞の土曜付録be(5月14日)に日本映画の監督の「読者のRanking」10人が載っている。1位から順に伊丹十三、黒澤明、小津安二郎、大林宣彦、市川崑、木下恵介、深作欣二、大島渚、森田芳光、新藤兼人。番外として現役監督では山田洋次が「圧倒的に」支持された。

 トップの伊丹十三は文中では『マルサの女』や『ミンボーの女』が挙げられているが、彼の名を一挙に世に知らしめたのは前作の「葬式』で、私もそちらを取る。彼の作品はどれも娯楽性満点だが、松竹や東宝といった大会社専属でない彼は全ての作品の人気に配慮しなければならなかったのだろう。黒澤明と小津安二郎は芸風こそ違え巨匠であることは疑いの余地なく、外国からの評価も高い。黒澤明の作品から一つを選べと言われれば『七人の侍』や『生きる』を挙げる人が多いだろうが、私は三船敏郎をスターにした『酔いどれ天使』を推す。志村喬の町医者が、嫌われ者のヤクザだが何処か見所のある三船を喧嘩をしながら正道に戻そうとするが、更生を前に抗争で犬猫のような無残な死を迎える。小津安二郎ならやはり『東京物語』か。

 私が学生時代から欠かさず見たのは木下恵介の作品群。『二十四の瞳』や名も無い灯台守夫婦の生涯を描いた『喜びも哀しみも幾歳月』のような国民的作品もあるが、日本最初の「天然色映画」の『カルメン故郷に帰る』も素晴らしく、後年、パリのホテル内の日本料理屋でフランスの青年と熱く語り合って(直前にテレビで上映)、チップを払い忘れた(本当にフランス語で? ウイ!)。他方、木下作品で妙に心に残るのは『惜春鳥』。 会津若松の5人の親友のグループのうちの一人(川津裕介)が卒業後東京に出るが、2年後帰郷する。仲間たちは喜んで彼を迎えるが、やがて彼は今では詐欺で追われる身だと知る。こうして彼らの青春は残酷な終わりを迎える。青春の美しさとはかなさを描いた作品である。


2022年5月13日金曜日

広島カープの誕生

  5月5日にNHKで放映された『鯉 昇れ』というドキュメンタリー番組を録画で見た。内容はプロ野球チームの広島カープの誕生秘話といったもので、2015年制作の再放映だった。

 1950年のカープの誕生時は高校生だった私は、一時プロ野球への関心が減退していたので記憶はほとんど無かった。番組によると同年急にセパ両リーグへの分裂が決まったので新球団の誕生は歓迎された(むしろ要請された?)。その機を逃すべからずということで地元出身で戦前タイガース監督を務めた石本秀一氏を監督に迎えて球団設立となった。しかし、資金は計画の三分の一しか集まらず、石本氏の苦労は並大抵では無かった。初年度の成績は41勝96敗でリーグ最下位だった。

 私がカープ誕生の経緯に関心を持ったのは第一に、同じ市の商業高校の長谷川忠平という好投手(で好青年!)がカープの「若きエース」となっていたこと。当時は甲子園出場は二県から一校だったので愛知県代表となったチームの長谷川はプロ野球界から注目されず、しばらく我が校の運動場で一人で練習していた。第二は中学生時代に鳴海球場( 中日球場はまだ無い)で見た巨人軍の名ショートの白石と、「壁際の魔術師」と謳われた名レフトの平山が出身地ではあるが新球団のカープに移籍した事情を知りたかったのである。結局、その3名を含めて選手の個々の事情は紹介されなかったが、ひたすら野球を続けたいとの願いから給料遅配にも夜行列車の三等座席での移動にも耐えた選手たちの野球愛は心を打つものがあった。

2022年5月5日木曜日

「基地負担は沖縄に」がヤマトンチューの本心?

 今朝の東京新聞に共同通信社が実施した全国世論調査の結果が報じられている。それによると沖縄の基地負担が不平等とする回答が、「どちらかといえば」を含めて79%に達するとのこと。それでは自分の地元への移設に賛成かというと反対は69%に達するという。

 沖縄県が米軍基地の存在のため陰に陽に苦労していることは日本人の誰もが知っている。しかも、本土復帰ののち米軍基地は減少するどころか本土の基地の一部が沖縄に移転したと聞く。沖縄県民がヤマトンチューに対して不信感を持って当然である。基地が必要というなら本土が大部分を引き受けるべきだと言われれば一言もない。

 2年ほど前、秋田県と山口県のイージスアショアの設置が地元の反対でつぶれた。秋田の場合はそもそも地形が建設不適地だったと聞くが、山口の場合はそうした問題は無く、迎撃ミサイルの残骸の被害が許せないということらしい。政府はイージスアショアを自衛艦搭載用に改良するということだが、艦船は四六時中洋上にいることはできないし、費用は倍増するとか。地元自治体の首長は基地の受け入れに同意すれば政治的に命取りになるのを恐れるのだろう。情けないことである。

 安全地帯からの気楽な首長批判との反論は必ずしも当たらない。市ヶ谷の防衛省には迎撃ミサイルが設置されていると聞くし、我が家から十数キロの福生市には在日米空軍司令部が置かれる横田基地がある。東京の西部は開戦となればミサイルの残骸が雨のように降るだろう。山口県が地盤の安倍元首相は地元説得に本気で努めたとも聞かない。安倍元総理は地元説得に動いただろうか。

 

2022年5月3日火曜日

師岡カリーマの西側諸国批判

  『東京新聞』の『本音のコラム』の定期執筆者であり在日エジプト人の師岡カリーマ氏が、 4月30日の同紙に1ページ半にわたり「戦争を避ける努力はなされたか ウクライナ侵攻に思う」と題した小文を寄せて欧米側を強く批判している(元来は岩波の月刊誌『世界』掲載論文を同誌の了解を得て短縮転載したもの)。

 長い寄稿文の内容は小見出しの「『自由』対『強権』 危うい単純化」、「安全な距離から感傷と独善に陥っていないか」、「プーチンの暴挙だが.......... 西側の外交的失敗も」からも推測されよう。本文中にも、「誰が加害者で誰が被害者か、白黒のつけやすさゆえに世界は自ら考えるという労を要さない安易な勧善懲悪の悦に浸かりすぎてはいないか」「気がつくと、いつもは大国同士の利害をめぐる複雑な対立構造を紐解いてみせるジャーナリズムがなりをひそめ」「NATOの東方拡大問題、プーチンの世界観と心理状態と計算、それらを把握しているはずなのに採られなかった戦争回避策」などなど。私はカリーマの主張に全面的に賛成ではないが、同感できるところはある。

 なぜ彼女は西側諸国批をこれほど厳しく批判するのか。 以下は私の推測だが、チュニジアに始まった「アラブの春」は結局はアラブ諸国を混乱に陥れた。混乱を免れたのはモロッコやヨルダンといった君主制諸国だった(それぞれが問題を抱えつつも)。カリーマの祖国エジプトも穏健な軍人独裁者に代わったのは偏狭な宗教独裁だった(人口の1割を占めるコプト教徒にとっては災厄でしかなかった)。ヨーロッパにもかつて「啓蒙専制君主」たちが並び立った時代があった。 それを忘れて西側諸国が一足飛びに専制批判を押し付けても良い結果は生まれないをカリーマは「アラブの春」の失敗から学んだのではないか。

 訂正 前回の「イールド・フランス」は「イール・ド・フランス」が正しい。

2022年4月30日土曜日

復活祭でパリを追われて!

 今朝の『東京新聞』にパリ在住のフリージャーナリストの浅野素女女史の『柴犬 フランス歩記が載っている。同氏によるとフランスでは夏の2個月間のバカンスの他にも復活祭休暇など2ヶ月に一回は2週間程度の休暇が回ってくると言う。我が国とのあまりの違いにため息が出そうになる一方、それでフランスはやっていけるのかと他人事ながら心配になった。

 私は復活祭に迷惑を被ったことがある。英国の大学の学期外れの時にパリの図書館通いを計画した。大学の家族寮を不在中又貸しをする例を学内の掲示板で見ていたので、それに倣って1ヶ月貸して、オンボロの愛車でパリを目指した(不安はあったが大陸で車が故障した場合、英仏海峡のフランスの港まで運んでくれる保険に入った)。

 パリのホテルはオルレアン門近くの宿を直前に利用した英国人の友人が予約しておいてくれたが、数日で復活祭となり、1週間ほど部屋を開けろとホテル側が言う。困惑したが、これを機会に観光地を覗くのも悪くないと考えた。ステンドグラスの美しさで知られるシャルトルの大聖堂やモンサンミッシェルの大聖堂や、米国映画『ロンゲスト・デイ』で知られる大戦中の米軍のノルマンジー上陸作戦の地アロマンシュ(作戦名ではオマハ海岸)の広大な米軍墓地やロワール河沿いの古城群などを訪ねた。

 それぞれに興味深かったが、パリを取り巻く「イールド・フランス」と呼ばれる大平原の彼方に見えるシャルトルの大聖堂が次第に大きくなる間、中世の巡礼者になった気がした。フランスも移民問題で揺れる国柄だが、少なくともフランスの歴史と伝統を尊重しない人には来てほしくないと思った(いつからフランス人になった!)。

2022年4月23日土曜日

大豆ミートも鹿肉も!

  新聞に「大豆ミート」の記事が載っている。テーマはなぜ大豆肉と呼ばないかであって、ミートとしての完成度を問うているわけではないが、記者はその味に満足したようだ。

 大豆という植物の種子からある程度満足できる味の肉が出来るのなら一大朗報と言うべきだろう。牛のゲップが地球温暖化の一因となっているとは素人には信じ難いが事実のようだし、そのほかにも米国中西部の畜産は過去何百年?に蓄積された地下水を利用しており、やがて限界に達すると聞く。さらにブラジルの原生林はハンバーグの材料の食肉生産のため急速に失われつつあるとか。大豆ミートの生産は人類の肉食の維持に欠かせなくなるようだ。

 私自身も牛肉は好きだが味覚は上等でないので国産の銘柄牛肉を買い求めたことはない。数年前、卒業生(今は故人)の年賀状で初めて切手以上の賞品が当たり、何かと思ったら銘柄牛の肉だったが、特別美味いとは感じなかった。その程度の味覚なので大豆ミートで満足しそうだし、仏教徒ではないが殺生は少ないほどよいと感ずる。

 農地を荒らす害獣はむろん別。テレビの『ポツンと一軒家』が好きで毎回見ているが、獣害防止のため金属柵を設けている場合も多く同情に耐えない。衛生面など殺害後の処理は簡単ではないらしいが、若ければ害獣ハンターになりたいぐらいである(案外残酷な性格なのか?)。

訂正 前々回、寝台車利用の件でむかし上野と山形間で利用したことを失念。まだ他にあるかも!

2022年4月20日水曜日

一刻も早くマリウポリに停戦を!

  ウクライナ東端のマリウポリの攻防がいよいよ最終段階に至ったようで、一刻でも早い停戦が望まれる(国単位の休戦ではない)。同市の包囲はもう1ヶ月を超える。弾薬も食料も尽きかけているはず。無補給状態で戦い続けよと兵士に命ずるのは許されることでは無い。まして多くの市民も含まれるという。投降者の生命は保証するとのロシア政府の約束に疑いが残るにしても一大殺戮戦はあってはならない。

 それでは全体としてのロシアとウクライナの武力抗争はどうか。日本を含めて西側諸国ではゼレンスキー大統領への賞賛の声が高い。しかし、志田陽子武蔵野美大教授(憲法学)は「ゼレンスキー大統領への感情的な英雄視は危ない。侵攻で人命が失われる一方、武装して抵抗する市民が戦闘の標的となる。ここはゼレンスキー氏を批判しなければならないところで、武装して抵抗を呼びかけたため、ロシア軍が市民を攻撃対象にしても国際法上、違法に問えなくなる可能性がある」と冷静な評価を訴えている(『東京』4月6日)。

 ゼレンスキー大統領はNATO諸国に兵器の支援のみならず軍事介入まで求め、それに応じないとの理由でドイツなど他国を批判するが、それは当初から分かっていたことだった。我々はどれほどウクライナ人の苦境に同情しても核戦争の危険は絶対に犯してはならない。

2022年4月17日日曜日

寝台車の思い出

  昨日の朝日新聞のbe掲載の原武氏の鉄道コラム『歴史のダイヤグラム』は「3等寝台がない特急『へいわ』」との見出しで、戦後(1949年9月)に東海道線で復活した特急『へいわ』の話題を取り上げている。『へいわ』というネームに戦後の日本社会の空気がうかがえるが、さすがに3個月半で『つばめ』に改名したという。同名の戦前の特急にノスタルジーを感じる世代からの反対に行に抗しきれなかったのだろう。

 しかし、今回の主題は『へいわ』が1等展望車、2等車、3等車(他に食堂車と荷物車)で編成され、3等寝台車が無いことへの原氏の不満と関西の鉄道王の小林一三翁の憤懣である。『へいわ』は上りも下りも昼間に走るので両人の不満はよく分からないが(戦前は寝台車も連結?)、板張りの座席の3等車と1等車のあまりの格差が不満を誘ったようだ。

 私は名古屋と東京間の利用が主だったので寝台車の利用はずっと後年に札幌行きのブルートレイン『北斗星』を2度利用しただけ。夜汽車の情緒は大いに気に入ったのだが、間も無く廃止となったのは残念だった。

 ヨーロッパの寝台車は3度利用した。第1回はローマ・ミラノ間、第2回はマドリード・グラナダ間、第3回はパリ・ナポリ間で全てフランス語でクシェットと呼ぶ簡易寝台だが、我が国の普通寝台とあまり違いはなかったと記憶する。とくに初回は初のヨーロッパの和服姿の母を加え大人3人幼児1人だったので、周囲の好奇心は大変なものだった。第2回はフランコ独裁時代の末期でテロを恐れて駅は小荷物を預らず、周辺のカフェに預けるのが通例となっており、ポーターがどんどん駅から遠ざかるので不安だった。3回目も盗難を恐れてか車掌が旅券を一晩預かるのだが、フランス国鉄の車掌は私服だったのでナポリまで不安いっぱいだった(パリのメトロでは私服のスカート姿の女性が運転していた)!

2022年4月12日火曜日

 「バターン死の行進」の評価

  今朝の朝日新聞の「声」欄に、「死の行進 今は『勇者の日』に」との見出しでフィリピンの日本人学校の教員の方の投書が載っている。 氏は同国の祝日「勇者の日」が、1942年4月のいわゆる「バターン死の行進」の記念日であったと知って驚き、みずからその由来となった道を訪ねたという。

 旧日本軍が米比連合軍の捕虜を3日間歩かせ多くの死者を出した事件として、真珠湾の奇襲攻撃と並んで米国に日本人の邪悪さの実例として徹底的に利用された。細部に関しては輸送のためのトラック手配が一部実現していたか否かなどはっきりしないが、多くの米兵やフィリッピン兵が亡くなった事実は否定できない。そのため戦後、本間雅晴司令官以下の何人かが戦争犯罪の罪で死刑となった。

 しかし、家永教科書裁判で政府の教科書訂正命令と闘い、また日本の戦争責任や戦争犯罪を追求して戦後の進歩派知識人の代表格の一人だった家永三郎教授は、その著書『戦争責任』(岩波書店 1985)でバターン死の行進を果たして戦争犯罪と呼べるかどうか迷うと書いている。日米開戦後、米比連合軍はバターン半島の要塞に立てこもったが、次第に食糧不足やマラリアの蔓延に苦しみ、4ヶ月後に降伏した。しかし日本軍を驚かせたのは予想をはるかに超える捕虜の数であり、受け入れ準備不足のままの捕虜収容所までの3日間の行進に耐えられず多くの死者を出した。フィリッピン派遣軍の司令官の本間雅晴将軍は日本陸軍きっての人格者だったが、シンガポール攻防戦で英軍を破った山下奉文司令官(大戦末期のフィリッピン派遣軍の司令官でもあった)とともに死刑となった。植民地民衆の前で宗主国の面目を失墜させた両人は何としても死刑に処しなければならなかった。

 司令官クラスだけではない。後の京都大学教授の会田雄次氏は日本降伏後、英国支配下のビルマで道路工事を始めとする強制労働に服した(同氏 『アーロン収容所』 中公新書。のち中公文庫)。国際法は戦争終了後の捕虜の速やかな帰国を定めていたが.....。もっともこちらは戦争中ではあるが、映画「戦場にかける橋』に描かれているように日本軍の連合具捕虜の扱いは劣悪だったので、その報復でもあったのだろうが。

2022年4月6日水曜日

訂正

  前回のブログで暫次としたのは漸次の誤り。そもそも日本語が紛らわしい !(負け惜しみ)。

2022年4月3日日曜日

プーチンの怨念は彼だけのものか

  ウクライナとロシアの熱い戦いは短期で決着とはならず未だ続いている。私の当初の予想より長引いているのはウクライナ軍の勇戦が第一の理由だろうが、これまでの戦争で本格的に使用されることのなかった携行式の対戦車や対空のミサイルが予想を超える威力を発揮しているようだ。ロシア軍の兵士の戦意が低い可能性もあるが、そうでなくとも散在するウクライナ軍の兵士から放たれるミサイルの威力は兵士たちをひるませるに十分だろう。

 この戦争に関してこの1ヶ月余り、メディアに多くの論者が発言したが、目前の戦争ばかりで無い中長期的な視点からの解説は少なかった。戦争は突然起こるわけではなく過去からの不満の蓄積がついに発火点に達するケースが普通と考えるべきだろう。その点で今朝の毎日新聞のコラム『時代の風』への高原明生教授の寄稿は、今回の戦争を「人間の安全保障への脅威」と見る点で他の論者と大きく異なるわけではないが、「冷戦敗北の屈辱へのルサンチマン(怨念の情)がプーチン氏の侵攻の動機だとわかる」と過去30年を遡って捉えている。私も同感である。

 さらに昨夜(一昨夜?)のテレビで静岡県立大准教授の浜由樹子准教授が今回の戦争をロシアによるレコンキスタ(再征服、旧領奪回)と表現しているのは納得がいった。レコンキスタとは中世前期にイスラム勢力がスペインを領有したのに対し、スペイン人が中世後期に暫次これを駆逐した事象を指す。メディアでプーチンの非道を批判するのが間違いとは言わないし、テレビで反戦を訴えた女性局員や街頭の反戦デモ参加者の勇気には本当に頭が下がる。しかし、ロシアでは中立的な世論調査でも約8割が今もプーチンを支持していると聞く。それを強権政治の故とだけ理解すべきではない。

 

2022年3月27日日曜日

望んだ共生ではない!

  三日ほど前、我が家の庭をアライグマ(多分)がうろついていた。慌ててカメラを探し構えたが、丁度こちらに背中を向けた瞬間だったので毛皮を丸めたようにしか写らず残念だった。昔は多摩市のニュータウンはジブリ映画の『平成狸合戦ぽんぽこ』の舞台とされたが、最近は新参のアライグマに取って代わられつつあり、駅から我が家に来る途中の下水溝の蓋には美しい色絵にラスカルと書き添えられている。40年ほどの間には動物界では政権交代が起こっているのにわが国の政界は............。

 一年ほど前から我が家の庭の下にモグラが棲みついたようで、小さな塚のような土の盛り上がりがあちこちに見られるようになった。姿を見たことはないし、今のところ悪さをしないので駆除する気にもならない。「もぐらのたわごと」の筆者なら仲間だと思われているのかも?

 以前、庭に白猫があらわれ、小石を投げても動じなかったと書いた。もう二十日ほど前から数軒先の家や電柱に白猫が行方不明になり、見つけたら知らせてほしいとの張り紙が貼られている。野良猫どころか大層高価な猫とのこと。石が当たっていたら損害賠償となっていたことは確実。この世はどこに落とし穴があるか分からない。御用心を!

2022年3月23日水曜日

男女間の役割分担は有りでは?

  昨日の東京新聞に「全国137公立中高一貫校 36%なお男女別定員」との見出しの記事が載っている。私立の中高一貫校が大学入試で顕著な好結果を収めているのに危機感を覚え、公立も中高一貫校を創設していると聞いてはいたが、その総数が全国で137校に達したらしい。そしてそこでは非一貫校と同様に男女別定員が残存しているとのこと。

 その理由の一つは女子の入試成績が男子のそれより通常高いため均等化を図るためとのこと。不均等では困る教科が何なのか門外漢の私には分からないので発言を控えるが、一部の医科系大学で男女均等を図るため合格点を男女別にしていた事実が問題化したことは記憶に新しい。

 私は大学側が内密に男女の合格点に差をつけていたことは弁解の余地のない不公平な措置だと思う。しかし、男女それぞれの入学定員数を発表していたらどうなのか。ときに数時間以上かかる外科手術への適性が男女同一とは思えない。それでも男女の同数入学を厳守すれば体力を必要とする診療科への進学者が不足とならないだろうか。

 そんな疑問を感じたのは動物相手の獣医養成学校では問題が生じていると読んだ記憶があるから。牛や馬や豚を相手とする「産業医」が不足している一方、都会の犬猫病院(失礼!)の勤務医は増加していると聞く。牛馬豚よりもはるかに扱いが楽で都会中心の愛玩動物相手の獣医を女性が選んだら今後ますます産業医は減少し、畜産農家が困るのは当然予想できる。対策が急務だが、人間相手の医療にも似たことを生じさせない施策は必要ではないか?

2022年3月21日月曜日

プロ野球の名監督ベストテン

  一昨日の朝日新聞の付録beの恒例の「読者のRanking」は「プロ野球の名監督」10人で、納得できる者もあるがそうでない者もいる。

 野村克也監督の第一位に反対する人は稀だろう。行く先々でそのチームをリーグ優勝や日本一にさせた上に、全盛期を過ぎたと見られ他チームを解雇された移籍選手を復活させ「野村再生工場」と呼ばれたことは記憶に新しい。その最高の実例と自認する山崎武司は中日時代に一度本塁打王になったが、その後盛りを過ぎたと見られ中日ついでオリックスを解雇された。しかし野村に拾われ楽天で活躍し再度本塁打王(それも生涯最多の本数)になった。

 第二位の星野仙一は無論それなりの優勝実績(3回)を残したが、「女性人気が高かった」と評されるように実績以外の要素が働いたようだ。私なら「読者のRanking」には名が無いが三原修監督を第二位に推す。戦後間も無く巨人軍の監督を務めたが、元同僚選手だった水原茂がシベリア抑留から帰国すると何故かその地位を追われ西鉄の監督となり三連続優勝を成し遂げ見事に仇をとった。さらに大洋ホエールズに移り最下位チームを翌年優勝させた。名前にマジックが付いた最初の監督である。

 監督ベストテンに巨人軍からは川上(4位)、長嶋(5位)、王(8位)と3人が選ばれているが、私は3人をそれほど評価しない。川上が長嶋と王の活躍に大いに助けられたように彼等はいわば金満チームの監督故の常勝監督だったのではないか。毎年度下位だったチームを変身させた仰木(3位)や古葉(7位)や西本(10位)監督とは違うのでは。

 日本ハムの新監督となった新庄には大いに期待するが、最近の日本ハムは下位に低迷している。選手に地力がなければいくら監督が頑張っても苦しいかも.........。

 

2022年3月17日木曜日

葬儀考

  先々週と先週、2週続けてご近所の物故者の葬儀に出席した。どちらも仏式で、先々週は市内の葬儀社の会場、先週は我が家から駅に向かう途中の寺で執り行われた。故人はどちらも長患いの高齢者だし、ましてコロナ禍とあっては小規模の葬儀になるのではと勝手に予想したが、どちらもかなりの大きさの式場がほぼ満杯だった。自分の場合、雨天になると出席者が困るから自宅では難しいかな程度に考えていた私は甘かったのだろうか?

 いつの頃からか、棺の中の死者の顔を見せるのが普通になってきたようだ。私の場合それは願い下げにしたいが、希望が通るのかどうか。やはり生前の元気だった頃の記憶を保持してほしいのが人情ではないのか?

 四年ほど前にこの世にオサラバした高校以来の友人は、葬儀に使用する大型の写真を作っておいてくれと家族が要望すると不快そうに言うので、自分はもう用意してあると答えたら驚いた顔をした。いざと言う時には家族が多忙を極めるだろうからと考えた結果なのだが、作ってもう数年になるので、少しでも若い時の姿をとの下心があるのだろうか。

 いずれにせよ、長生きすればするほど嫌でも葬儀は簡単になる筈と、長生きに励んでいる。

2022年3月11日金曜日

ウクライナ紛争の行方

  ウクライナ紛争が首都キエフの攻防戦に近づいている。以前に本ブログで言及したことがあるが、前大戦に際しチェコスロバキアはナチスドイツ軍に抵抗せず、首都プラハは破壊を免れたが、ポーランドは徹底抗戦を選び、旧市街を徹底的に破壊された。どちらが正しかったなどと単純に軍配を挙げるつもりはない。大国に翻弄された歴史を持つポーランドにとってはワルシャワ攻防戦は輝かしい歴史の一部だろうし、「百塔の街」と言われ世界にとっての遺産であるプラハ市街が残されたことは後世への貢献である。

 伝えられるところでは、ロシアは休戦条件としてウクライナの中立化(NATO非加盟)と非武装化およびクリミア半島のロシア帰属を要求しているとか。以前に書いたように私はNATO非加盟は不当な要求とは思わないし、クリミア半島のロシア帰属も同様と考える。十九世紀中葉の露土戦争では同地のセバストポリでトルストイが英仏土連合軍と闘い、チエホフが晩年ヤルタに住み『犬を連れた奥さん』や『桜の園』などの名作を書いた。前大戦末にはロシア皇帝の離宮のリバディア宮殿でルーズベルト、チャーチル、スターリンの三巨頭が世界の今後を議した。

 紛争の最も望ましい解決はロシアの世論か軍部がプーチンを退場させることだが、世論にその力は無さそうだし、軍部の介入は内部対立から核戦争を引き起こす危険がある。ウクライナにとって欧米の軍事的支援は敵わぬ望みであり、戦争が長引くほど犠牲者は増加し、休戦条件はますます不利な「城下の盟」となろう。

 

 

2022年3月5日土曜日

昭和の鉄道旅

  前回に続いて恐縮だが、原武史さんの今日の『歴史のダイヤグラム』は「青春18きっぷ」を利用し門司から函館まで乗り継ぎにつぐ乗り継ぎの丸2日間の普通列車の旅の思い出である。私の大学生時代に「青春18きっぷ」は無かったが、原氏は函館到着時「精魂尽き果てていた」とのこと。単純な乗車時間ならシベリア鉄道でモスクワからナホトカ間9日間の方が長いが、私の場合乗り換えはハバロフスクの1回だけ。とても比較にならない。壮絶というべきだろう。

 私の大学入学時、自宅のあった愛知県から東京まで普通列車で8時間はかかった。一度だけ急行の『雲仙』を利用したが、九州からの夜行客はほとんど途中下車しないので立ちっぱなしの私は疲労困憊。沼津で湘南電車の東京行きに乗り換えた。2年か3年後、『東海』という準急電車が創設され、もっぱら利用した。当時は窓が自由に開閉でき、静岡駅で茶や冷凍みかんや土産のわさび漬けを買った。とくに丸ごとの冷凍みかんは楽しみの一つだった。

 当時は乗車券は1等から3等まで3等級あったが(一等車連結は稀)、ある年から特別2等(特2)という座席の背中がある角度まで倒れる等級が導入され、社会党の浅沼書記長がご満悦と新聞で読んだ記憶がある。しかし、我々庶民はそうもいかず、遠距離は夜行列車がふつう。運が悪ければ床に新聞紙を引いて過ごすことも稀では無かった。

 当時と比較して現在は在来線で満員となることは少なく(通勤時間は別)、鉄道旅は格段に楽になったが、車窓が開かない車体が大半となり、窓を開けて弁当や茶を買えた時代が懐かしくもある。

2022年3月2日水曜日

マッカーサーとトルーマン

  朝日新聞の土曜付録 beに政治学者で鉄道史家(何より鉄道ファン)の原武史氏の『歴史のダイヤグラム』と題するコラムが毎週載っている。今週は「列車に乗らないマッカーサー」との見出しで、戦後しばらく天皇以上の存在として日本に君臨したマッカーサーを取りあげている。

 日本での元帥の連合軍最高司令官の任期はほぼ私の中学から高校前半にあたり、原氏によると在日中鉄道を利用したことはなかったという。昭和天皇の方が日比谷の司令部を訪ねたとの指摘に当時の日米関係が読み取れる。

 まさに日本に君臨したマッカーサーが、不服従との理由でトルーマン大統領に突如解任されたとき、文民優位とはこういうことかと日本中が驚いた。元帥の帰国時には沿道に二十数万人が別れを惜しんだ?が、帰国途中に「日本人の精神年齢は十二歳」と語ったと報じられ、人気は一気に衰えた。実は同じ戦争犯罪でもドイツ人ほど悪質ではないという意味での発言だったのだが。

 本国でも人気絶頂だったマッカーサーをあっさり解任したトルーマン大統領はルーズベルトの突然死で副大統領から昇格した地味な大統領で、再選はないと予想した米国の某紙が選挙後共和党候補当選と早とちりして報道したことでも知られる。しかし、北朝鮮の攻撃で始まった朝鮮戦争に際し直ちに韓国への派兵を決断し、非凡さを見せた。

 30年ほど前、私たち夫婦は米国勤務の旧友に勧められラスベガスのショーを見物した。椅子が6脚の小部屋に当初は新婚?の日本人夫婦と4人だったがすぐ米国人の老夫婦が加わった。同室者がアジア人ばかりと知り米国人夫婦は失望を面に出した。しかし、彼らの故郷がミズーリ州インディペンデンスと知りトルーマンの故郷ではないかと返事したら一転喜色満面となり、話が弾んだ。ニューヨークを訪ねたことがないとのことで、同地やベニスなど世界の名所の模造品を内心馬鹿にしていた私は自分を恥じた。別れに際して2度も3度も感謝された。職業上の知識が実生活で役に立った稀な機会だった!そ

2022年2月26日土曜日

新左翼運動の盛衰

  浅間山荘事件50年をきっかけに新左翼への論評や回顧談が各紙に掲載されている。それぞれに興味深いが、まとまった紹介としては、池上彰・佐藤優の共著『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960ー1972』(講談社現代新書 2021)が最上の解説書ではないか。著者たちの前著『真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945ー1960』(同新書 2021)が戦後左翼の代表だった社会党と共産党を中心に書かれているのに対し、今回は両党にも言及するが副題通り新左翼運動の盛衰が叙述の中心となっている。

 すでに社会人となり報道で限られた事実を追うしかなかった私は、当時大学生だった著者たちに教えられること多大だった。大学を支配階級の下僕の養成期間と規定し、学生である自分を「自己否定」した新左翼の学生運動にいっとき多くの学生が心惹かれたことは理解できるし、彼らの大学と大学人糾弾には当たっている点も少なくなかった。しかし、左翼的言辞の深みにはまり他派を敵と見做して学生同士が殺し合う「内ゲバ」に至る。山岳アジトでの連合赤軍の同志リンチ殺人は私を含めて日本人を驚愕させたが、その頃大学構内で対立セクトに見つかった学生活動家が何人も虐殺された事実は本書で初めて知った。本人たちは真剣なのだから運動の「堕落」と呼ぶのははばかられるが、大学のキャンパスが安全で無くなっていたとは...........。

「日本人を『総ノンポリ』にした新左翼運動」との本書中の小見出しに反論できる人はいるだろうか? その負の影響の巨大さには圧倒される。

訂正 文中の養成期間は養成機関の誤り。悪しからず。

2022年2月25日金曜日

ウクライナ紛争の行きつく先は?

 ロシアとウクライナの紛争はとうとう本格的な戦争になってしまった。政治とは可能性の技術とも聞いているが、素人(俳優出身)のゼレンスキー・ウクライナ大統領にそれを期待するのは矢張り無理だったようだ。

 それにしても、ウクライナ大統領の軽率さもさることながら、それを煽ったとしか思えないバイデン米大統領やブリンケン国務長官の発言にはうんざりする。実際にとことんまでウクライナを支持する覚悟もないのにロシアの非をならしても、足元を見られるだけで何の効果もない。両人だけでなく米国の政治家には想像力不足に基づく相手国の立場への無理解がしばしば顔を出す。

 今朝の毎日新聞に「米世論 関与に消極的」との見出しで米CBSの世論調査が載っている。それによると「(バイデン)政権のロシア対応」への支持40%、支持しない60%。「米国の望まれる対応」として、ウクライナを支持すべき43%、関わるべきでない53%とのこと。近年のイラクやアフガニスタンへの介入の失敗にうんざりしている米国民は同盟国でもないウクライナのために血を流す気にはなれないのだろう。制裁も強力になればなるほどロシアよりも自分達を苦しめるだろう。こんな事を繰り返していたら民主党は国民に愛想を尽かされ、トランプ再登場となりかねない。

2022年2月19日土曜日

連合赤軍事件五十年

  今年は連合赤軍同志大量殺人事件と同派による浅間山荘占拠事件から50年と言うことで新聞に回顧記事が出始めており、今後も雑誌などが後に続くだろう。50年前に両事件が社会に与えた衝撃の大きさは当時を体験しない年齢の人たちには理解できないかもしれない。

 当初は、有名企業の山荘が連合赤軍を名乗る数人の革命家気取りの若者に占拠され、奪回作戦中に2人の警官と民間人1人が銃撃され死亡したという正にテレビ向きの事件で、国民の耳目を数日間釘付けにした。その後の逮捕者の取り調べで、それ以前に自称革命戦士たちは複数の山岳アジト(根拠地)で革命戦士の資格に欠けるとして12人の仲間をリンチ殺人していたことが判明し、世間を驚愕させた上にわが国の左翼運動の退潮の最大の?原因ともなったことは知られている。

 朝日新聞の特集(日付け未確認)は学者2人と山岳アジトで殺人に加担した植垣康博(懲役20年)の3人の小論だが、全二者の持って回ったような論に対し、獄中で血を吐く思いで反省したに違いない植垣の結論は、ソ連共産主義を克服したはずの新左翼の彼らがその前衛党理論を克服しておらず、組織の上位者に反対できなかったと明快であり、その結論は正しいと思う。

 今日の毎日新聞の広告欄に『ポルポトの悪夢』という書籍の広告が載っている(論創社)。それを見た瞬間にカンボジャのポルポト派と連合赤軍の共通性に初めて思い到った。ポルポト派による国民の大量虐殺をアジア的後進性に帰するのは必ずしも正しくない。ポルポト以外の同派の最高幹部たちはフランスに留学しサルトルらに心酔した者が少なくない。やはり、人民は先に真理に目覚めた前衛に従うべきだと考えた点で連合赤軍との共通性を感じざるを得ない。現在から見れば連合赤軍事件は前衛党理論の凋落の始まりだったとのではないか。

2022年2月15日火曜日

フランス極右の親ロシア的主張

  昼食後、テレビ朝日の「大下容子 ワイド!スクランブル」を見ていたら近づくフランス大統領選挙を話題にしていた。聞いていて意外だったのは、マクロン大統領再選に反対する二人の極右候補ルペン氏とゼムール氏が共に大国ロシアのプライドと安全要求を軽視してはならないと、私と同じ主張だったこと(私って極右なの?)。

 19世紀末からのフランスは新興のドイツ帝国に対抗するため伝統的に親ロシアだった。ロシアが共産主義国となりそうした伝統は薄れ、フランスはイギリスと手を結ばざるを得なかったが、第二次世界大戦の初期にドイツ軍の猛攻受けてフランス軍を見捨てて大陸から一時撤退した。イギリスにとってはやむを得なかったし、民間のボートまで動員した撤退作戦の成功は「ダンケルクの奇蹟」と国民的誇りとなったが(アカデミー作品賞の『ミニヴァー夫人』)、フランスにとっては盟邦に見捨てられた以外の何物でもなかった(ジャン・ポール・ベルモント主演の『ダンケルク』)。戦後のフランスが原爆保有に固執したのは大国の地位保持が主目的だったろうが、アングロサクソン不信がそれを強めていただろう。

 第一次大戦は小国セルビアの青年がオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子を暗殺したサラエボ事件が拡大して始まった。小国の国民が大国の国民より理性的平和的とは限らない。ウクライナのゼレンスキー現大統領が責任感のある指導者なら(私は懐疑的だが)、大国間の戦争の引き金となってほしくない。衝突の最初の犠牲者は自国民であることを別にしても........。

2022年2月14日月曜日

補足 戦時下の「徴用」の一端

 東京新聞(2月12日)に戦時中の北海道北部の雨竜ダム建設(幌加内町朱鞠内湖)の紹介記事があり、マイナス40度に達する低温と悪い食料事情により「日本人二百人、朝鮮半島出身者五十人が犠牲になった」とある。それぞれの総人数が分からないので比較は困難だが、戦時下の徴用労働としても最悪の部類ではないか。ウィキペディアによると、現場では3000人の「アジア人」が働き、1日あたり最大7000人が労働に従事したとのこと。国力が遠く及ばない戦争をした結果の惨状と言うべきだろう。

2022年2月13日日曜日

公共施設の建て替えへの疑問

 今朝の朝日新聞の「多摩」のページにわが多摩市の隣の町田市に関して「老朽の公共施設 一斉更新困難」「人口減の見通し抱え 郊外都市の将来は」との見出しの記事が載っている。当面の争点は市が団地内の築50年の図書館の建て替えを断念する方針なのに対し、住民の反対の声が挙げられているとのこと。私自身、複数の新聞を読むため多摩市の二つの図書館分室と隣の日野市の図書館を天候と曜日によって使い分けているので反対する人たちを支持したい。しかし、将来の人口減(東京の郊外でも!)を見越して改築を断念するとの町田市の方針も理解できる。

 さいわい多摩市では図書館整理は話題になっていないが、講演や演劇や音楽などの催しに利用されている「パルテノン多摩」という文化施設がやはり築50年を経て改築を計画中と聞く。御大層な名前だが、丘の上に立つ姿をそう名づけた気持ちも分からぬでもない。しかし、私自身非文化的人間なのか50年間に二、三度しか利用していない。

 なにより私が疑問に思うのは鉄筋コンクリートの堅牢な建物が同じ建築年数のプレファブの我が家より早く建て替えとなる不思議さである。我が国ではコンクリート建築の寿命は50年が基準とされると聞く。付帯設備の老朽化が理由の場合もあろうが、物理的にそれほど老朽化するとも思えない。同じ理由で民間のマンションも数十年で建て替えの運命なら国富の大変な無駄である。地震大国の我が国は石や煉瓦造りのヨーロッパ建築のようにはいかないとしても、それでは町村の木造の社寺にも劣る。本当にそうなのか。

2022年2月8日火曜日

戦時下の朝鮮人集落

  北京冬季オリンピックの開会式を丁寧に見てはいなかったので私自身の記憶は無いが、昨日の東京新聞によると中国代表団の入場に際し同国の56の少数民族の代表がそれぞれの民族服を着て行進した。ところが朝鮮族の代表がチマ・チョゴリを着用したのに対し、「韓国の主要な野党がそろって『文化の侵奪だ』と反発している」とのこと。中国政府の計算はともかく、同国内の朝鮮民族が民族衣装を着て登場することがなぜ怒りの原因となるのか、私の理解を超える。

 佐渡ヶ島の金鉱山跡の世界遺産申請に対し韓国が、同胞の強制労働の場との理由で反対している。伏線として数年前の長崎の「軍艦島」の炭坑の世界遺産認可に際し日本が強制労働の事実を明示するとの約束を守っていない事実があるとのこと。当時は日本人の成年男子も「徴用」の対象だったので、殊更に「強制労働」と呼ぶのはどうかとも思うが、地元が世界遺産指定を目指して明示の条件を呑んだのならそれを守るのは当然だろう。

 戦時中の疎開先で私は朝鮮人の同級生2人と同じ教室で学んだし、彼らの住居は学校の目の前のバラック建ての集落だった。2人は体格も良く気も強かったためかイジメの対象ではなかったが、敬して遠ざけるという感じはあった。したがって朝鮮人集落に立ち寄る同級生は居なかったが、私は都会からの転入生として似た立場だったので、同級生宅に立ち寄りたいへん歓迎された。住居もバラックとはいえ新しいので清潔な感じだった。しかし、男たちの仕事は工場建設のための土木工事で、日本人が就きたがらない仕事だったとは思う。

 私が知る朝鮮人集落の生活は働き盛りの人たちが中心のためか活気があった。しかし、佐渡金山での彼らの生活がどうだったかはなんとも言えない。同じだったと願うばかりである。

2022年2月2日水曜日

ロシア国民をプーチン支持に追い込むバイデン氏

  今から40年以上も前、私は旧ソ連のある行動に納得できず、同じ職場のロシア史が専門の今は亡き長老教授に対してソ連批判を口にした。ソ連共産主義に批判的な同氏は、当時の「進歩派」から「反ソ反共派」とそしられた研究者グループの有力メンバーだった。私は当然に同感の言葉を予想したが氏は、「いや、ロシア人の対外警戒心には理由がある」と古くはモンゴル人の侵入と支配の300年 (ロシアでは「タタールのくびき」と呼ぶ)からナポレオンやヒトラーの侵入などを例にその時のソ連の行動を弁護された。

 ウクライナをめぐるプーチンのロシアの行動を中世まで遡って弁護するのが正しいかは別として、現在のロシアを警戒の眼ばかりで見るバイデン政権には賛成できない。同じく強権政治と言っても複数政党が存在し国政選挙も行われるロシアと、中国や北朝鮮のように一党独裁で制度上も政府の上に共産党が存在する国と同一視するのは正しくない( 中国や北朝鮮へのバイデン政権の姿勢には私は賛成する)。ロシアが長大な国境で接するウクライナの動向を警戒するのは不当ではない。

 幸い? 同じNATO加盟国でもフランスとドイツは微妙にバイデン政権と距離を取り始めたようだ。フランスは冷戦時代に米国が推進する西ドイツ再軍備に抵抗した過去を持つ(それでもドゴール大統領はキューバ・ミサイル危機のような決定的瞬間には米国を躊躇なく支持した)。マクロン大統領も米露間の調停役というフランスの伝統的立ち位置を意識し始めたのか。バイデン政権の対露政策は客観的には国の安全はプーチンにしか頼れないとロシア国民に思わせる効果を生むだろう。

2022年1月31日月曜日

二つの資本主義?

 朝日新聞の土曜付録 beに『下町ロケット』の著者池井戸潤氏の「日本の工場」視察シリーズの第一回として農業トラクター製造で知られるクボタの主力工場(つくばみらい市)が2ページにわたり掲載されている。それによると2700人の従業員が勤務する同工場では30秒足らずの間にエンジンを一台作る。基本は2種類だが注文に応じ3200種類のエンジンを単一の生産ラインで作る。それらは自社の農業機械用の他に7割は他社に提供される。農業従事者は別とし私のような都会住民は、トヨタの自動車生産台数が世界一になったとメディアを通じて知っているが、農業機械を主に生産するクボタの実態や評判を耳にすることは殆どない。この分野で世界的企業が我が国で育っていることを初めて知る人は多いはず。

 農業機械のクボタと同様に土木建設機械製造ではコマツが世界の巨人となっていることを知る人は多くないのではないか。今から数十年以上前、米国のキャタピラー社が日本に進出すると新聞で知ったとき、この世界的企業に日本の土木機械製造業は席巻されると思った。それが今では地位が逆転しているのではないか? 戦後間もない頃、その権威で法王と呼ばれた一万田日銀総裁が我が国は前途が真っ暗な?乗用車生産を断念すべきだと発言した。その予言を覆したのはトヨタをはじめとする日本の自動車企業である。

  折りしも朝日新聞が一昨日まで5回にわたり「強欲の代償」と題してボーイング社の内実を暴く企画記事を載せた。最近二度にわたり同社の737MAX機が墜落事故を起こし1年10個月間就航禁止となった事実は記憶に新しい。航空機製造業の文字通り巨人である同社が部品の下請け依存(それは何処も同じ)はおろか安全設計まで社外に依存して株主の利益向上に狂奔したことが事故につながったとの結論が事実とすれば恐ろしく、最近の米国流の「株主(優先)資本主義」の不健全も極まれりの観がある。我が国の製造業にとって他山の石となって欲しい。 

 

2022年1月25日火曜日

訂正

  書いたばかりで訂正となるが、「検討中としか」は「検討中とは」の誤り。悪しからず。

テケツとは?

  昨日の朝日新聞の多摩版のページに「元白鵬は免除の『テケツ』」との見出しで現役引退後に親方となった元力士の協会内の業務が紹介されている。それによると元横綱や元大関は免除される業務にテケツがある。切符のもぎりがそれで、テケツとはチケットのこと。「テケツのほうが実際の発音に近そうだ」と付記されている。英語に限らず外国語の日本語表記は近似的なものでしかあり得ない。まして開国以後文字よりも耳で覚えた外国語は教科書通りにはいかない。メリケン波止場が好例だろう。

 中には思いもかけない例もある。『ローマの休日』で一躍トップスターとなったオードリー・ヘプバーンとローマ字表記で有名なヘボンが同一とは当初から知っていた人は居なかったのではないか。固有名詞だけではない。英語のiの発音は日本語のイとエの中間なのでミルクがメルクと聞こえたりする。bookも日本語ではブックだがボックと聞こえたりする。

 その程度なら良いのだが、太平洋戦争を終わらせるため連合国が突きつけたポツダム宣言を当時の鈴木貫太郎内閣は受諾の検討に時間を要し、とりあえずignore(無視)と回答したと読んだ記憶がある。もっと明快に検討中と答えれば広島や長崎の悲劇は避けられたろうに。これはミスと言うよりも「聖戦完遂」を叫んでいた当時は結論に達するまでは検討中としか言えなかったのだろう。それにしてももう少しマシな英語が選べなかったものか

 

2022年1月23日日曜日

コロナ対策の難しさ

  昨日、3回目のコロナワクチンの接種を済ませることができた。会場では被接種者はやはり高齢者ばかりで、そのためか市の係員?も十分な人数が配置されていた。今回のオミクロン株の悪性度はこれまでの株ほどには深刻ではないようだが、それでもやはり安心感は増した。早急に希望者全員に接種してほしい。

 欧米諸国の感染者のパーセンテージは我が国より平均して1桁多いが、テレビ画面を見る限りマスクの着用率はずっと低いようだ。その上、接種の強制は国民の自由の侵害であるとしてフランスなど激しいデモが街頭に出ている。それを見ると日本人(私自身を含めて)は従順なのか、逆に理性的なのか私にもよく分からない。

 飲食業や観光業に従事する人たちへの打撃や不安はいかばかりか。それを考えるとオミクロン株をそれほど恐れなくても良いとも思うが、ベッドタウンの多摩市でも半月で1名か2名だった感染者は昨日は73名となった。政府が緩い規制では不十分と判断しても私は批判したくない。それでも入国を希望する外国人に対する厳しさはもう少し緩めても良いのではないか。学問や技能習得の目的地として日本を選んだのは間違いだったと思わせることのマイナスも配慮しなければならない時代ではないだろうか。

2022年1月16日日曜日

謙虚さの代償?

 昨日の東京新聞の『本音のコラム』に師岡カリーマ氏が「謙虚か誇りか」と題する小文を寄せている。それによると「日本人銀メダリストが国民に謝るのはなぜという記事を海外メディアが掲載した」とのこと。氏はこれを過剰な謙虚さの表れであるとする一方、「私たちには金がふさわしいという主張ともとれる」と、うがった見方を展開している。同様に、「新幹線が僅かな遅れで謝罪するのも.........本気で信じているわけではなく、実力宣言だろう」と見る。

 私は銀メダリストに関しては 、1) 我が国のメディアが事前に金メダル候補と持ち上げすぎるためと、2) 選手が企業など出身母体から多額の支援を受けているなど、選手が謝るのは心からの場合が大半だと思う (日本の特殊性?)。 それに対し新幹線の場合、私も過剰な謙虚さだと思う(規則に則っているのだろうが)。 さらに、カリーマの「でもこの謝罪の蓄積が一部の客には過度な権利意識を与え、時にはカスタマーハラスメントにつながっていないか」との指摘には賛成する。

 「お客様は神様です」とは歌手の三波春夫の言葉として知られる(それ以前に松下幸之助松下電器社長が「お客様は王様です」と発言しているが)。神様にせよ王様にせよ、商人や公務員の心構えとして間違っているとまでは言えないが、公務員組合の調査では組合員の6割ぐらいがカスタマーハラスメントの被害を受けているという。私自身、多摩市役所で何への不満か「民間会社なら考えられない」と繰り返し何度も担当者を責める「民間人カスタマー」を見たことがある。学校ではときにモンスターペアレンツに苦しめられると聞く。公務員でも教員でも役職者はカスタマーの不当な要求に苦しむ部下の盾となってほしい。

2022年1月15日土曜日

蜜柑あれこれ

  昨日、蜜柑の収穫を全部終えた。たかが全高3メートル足らずの庭木に450個余り。鳥につつかれて無駄になった30個ほどを加えれば500個ほどになる。予想外の数だった。

 もっとも、数が多かったため店頭で見る大きさのものは半分弱だった。摘果をすればよかったのだが、桃やリンゴと異なり蜜柑の花は小さいので幾つ咲いているか、そのうち受粉したものはいくつかなど皆目分からず、手が出せなかった。やはり専業農家とは違うのだろうが、他の果物と異なりスーパーなどで袋入りで小さいのを売っているのでやはりみかんでは摘果は一般的ではないのだろうか。

 味の方は店で買うものと変わりない甘さのものと、やや酸っぱいものと半分ずつぐらいで、外見では分からない。なぜ同じ木に生り、同じ時に収穫して違いが生まれるのか。家内は日当たりの違いだろうというが、確証はない!

 古事記や日本書紀によれば、垂仁天皇の命により橘を求めよと常世の国に派遣された田道間守(たじまもり)が10年をかけて苗をもたらしたが、その前年に天皇は崩御されていた。それを知った田道間守は悲しみに暮れ天皇の御陵で自殺したという。もとより神話伝説の類と見ることもできるが、戦前の小学校の音楽教科書に『田道間守』と題す唱歌が載っており、悲しげで美しいメロディーの歌は今も覚えている。タブレット類に歌詞は載っているが、メロディーは付かないのは残念である。

2022年1月10日月曜日

ウクライナのNATO加盟は賢明でない。

  ウクライナ国の西欧への傾斜、とりわけNATO(北大西洋条約機構)への加盟希望をめぐってNATO諸国(米国を含む)とロシアの対立が際立っている。独立国の方針はその国民が決めることではあるが、その方針が賢明かどうかは全く別の問題である。私にはウクライナのNATO加盟は最も望ましくないと映る。

 現在の西側諸国とロシアの対立を、8年前のウクライナ領クリミア併合に続く一連のロシアの領土的野心の発露と見る見方は妥当でない。ロシアがクリミア半島を獲得したのは遅くとも18世紀後半の女帝エカテリーナ2世の時代であり、その後も一貫してロシア領だった。ソ連時代にフルシチョフ共産党書記長がクリミアをウクライナに所属替え?した真意は明らかではないが、移管後、ソ連解体によりウクライナとロシアが別の国になるとは誰も当時は考えなかった。

 30余年前のソ連の解体に伴いNATOに対抗してソ連が創設したワルシャワ条約機構も消滅した。本来ならソ連の侵略を防止するため創設されたNATOも同様に消滅すべきだったが、ポーランドやバルト三国など帝政時代からロシアに支配された国々の猜疑心は西側諸国も考慮せざるを得ず、東欧諸国の多くがNATOに加盟を希望し認められた。しかし、ロシアと長大な国境で接しロシアが帝政時代から自国の一部と見做したウクライナのNATO加盟はあまりにもロシアを蔑ろにする行為で、同国の西側諸国への猜疑心を肥大化させる。ロシアをそこまで軽視すべきではない。これはロシアの内政(強権的体質)とは分けて考えるべきである。

2022年1月7日金曜日

核兵器不使用の五大国声明を高く評価する!

  新年早々、核兵器を所有する米英仏中ロが、「核戦争に勝者はなく、決してその戦いをしてはならない」との五大国共同声明を発表した。 この文言はもともと冷戦下の1985年にレーガン米大統領とゴルバチョフソ連共産党書記長が発表した誓いを再現したもので私は留保なくこの声明を歓迎する。

 ところが、新聞各紙(1月5日)は声明を歓迎しつつも核兵器廃止への一歩ではないと指摘し、むしろ五大国の政治的計算が背後にあるとする。『毎日』は「非保有国の不満をそらす」との見出しを掲げ、某一橋大学教授の「核軍縮の議論を自分たちの手の届く範囲に収めておきたいという意図」との指摘を紹介する。『読売』も「軍縮遅れをかわす狙いも」との見出しで『東京』と共にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の事務局長の「聞こえの良い声明を書きながら、実際は正反対のことをしている」との言葉を紹介している。

 国家の主張は自国の正当化と離れ難く、この場合も五大国声明への批判には当たっている面は否定できない。しかし、私は五大国側も核問題で早急に動く必要に迫られていたと考える。核兵器が使用されるとき最初に目標となるのは他ならぬ五大国である。それだけではない。

 トランプ政権の末期、大統領の対外強硬発言を誤解しないようミリー米国統合参謀長が2回にわたり密かに中国軍幹部に大統領の暴走(核攻撃命令)に従わないと通告していたことが最近明らかになった。軍人は文民指導者に従うという民主主義国の大原則を破ったこの異常事態は核大国の軍幹部も恐怖に襲われたことを示している。

 ゴルバチョフとレーガンの相互信頼の成果である核兵器不使用宣言に再び光を当てることほど現在必要なことはない。この問題ではどんな前進も相互信頼なしにはありえない。

2022年1月4日火曜日

エッセンシャル・ワーカーにどう報いるか

  今朝の朝日新聞は社会に欠かせない労働に従事する人たちにどのように感謝を伝え報いるかの問題を取り挙げている。大変良い企画記事だと思う。

 そもそもこの問題は危険なコロナウイルスと日夜闘っている医療従事者(医師、看護師、検査技師、清掃係員など)にどう報いるかの問題が発端だったと思う。しかし、それを考えると清掃事業をはじめそれ無しでは少なくとも都会の住民の生活は維持できない人々にどう報いるかが問題となる。紙面の写真にはには台東区の清掃事業所の壁に住民がゴミ袋に貼った感謝の手紙が多数掲示されている。下町には人情が色濃く残っているからか。心温まる情景である。

 しかし、社会にはその職業に就くために必要な就学年数や習熟年数により報酬に大きな差があるのが現実であり、一般には当人の能力差のゆえと考えられている(能力主義)。 そして米国の能力主義の強さは日本の比ではないと聞く。それが同国の活力になっているのは事実だろう。『朝日』の紙面にはハーバード大学教授で最近『実力も運のうち 能力主義は正義か』(邦訳は早川書房)を書いたマイケル・サンデルも登場する。

 私は同書を読んでいないが、親の所得や学歴など言わば「教育環境」が子の能力の育成に大きく影響することは明らかだろう。逆にそうした環境に恵まれなかった人たちへの配慮は欠かせない。「能力主義」の再検討が必要ということではないか。