2022年7月11日月曜日

安倍元首相の功罪

  僅か四日の間に我が国は元首相の衝撃的な死と参院選での自民党の勝利を経験した。色々な見方はあろうが、終わってみれば大山鳴動すれど大きな変化はなかった。元首相の横死はあってはならない事件だが、犯人が政治的信条が動機ではないと語ったと知った時、私はやや安堵した。これが左右両翼の過激分子の政治目的の行動ならその後の政治の両極化を産みかねないと感じたからである。

 暗殺事件を知った後の諸外国の首脳の安倍氏への高い評価は日本国民にとって意外だったのでは? もとより非業な死への儀礼の側面は大きいだろうが、本心が掴みにくい歴代の首相に比べて理解されやすい首相であった。それに何より七年間の長期政権の利点も大きかったろう。

 他方、わが国では元首相は新聞を中心とするメディアに数々の批判を受けてきたので個人として親しめない感じを私は抱いていた。ところが死の翌日の『朝日』の「評伝」と題する署名入りの記事が、「会食では早口で話し、冗談を飛ばして場を盛り上げた。その明るさと情熱に、近くで安倍氏に接した人は引きつけられた」とあった。さらに同日の『毎日』は、「座談の名手、気配りの人」との見出しで、「じかに接してみると、ソフトな人物だと感じる人が多い。相手の発言をよく聞き、気を配る座談の名手であった」とあり、驚かされた。両新聞とも筆者はおそらく「首相番」の記者で、大きく割り引いて読むべきだろう。しかし、これまでは世論や「社論」に反する評価は忖度して書かなかったとも解せられる。

 元首相の強権的政治家像の代表は街頭演説中に反対者に、「こんな人たち」に屈してはならないと叫んだ件がある。しかし今日あらためてその時のニュース画像を初めて実見したが、彼らは演説の妨害のために参加した人たちであり、ある意味で最も非民主的な人たちだった。

 七年間首相を務めれば批判されるべき件は少なくなかった。しかし、ためにする批判もまた少なくなかったのではなかろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿