今年は連合赤軍同志大量殺人事件と同派による浅間山荘占拠事件から50年と言うことで新聞に回顧記事が出始めており、今後も雑誌などが後に続くだろう。50年前に両事件が社会に与えた衝撃の大きさは当時を体験しない年齢の人たちには理解できないかもしれない。
当初は、有名企業の山荘が連合赤軍を名乗る数人の革命家気取りの若者に占拠され、奪回作戦中に2人の警官と民間人1人が銃撃され死亡したという正にテレビ向きの事件で、国民の耳目を数日間釘付けにした。その後の逮捕者の取り調べで、それ以前に自称革命戦士たちは複数の山岳アジト(根拠地)で革命戦士の資格に欠けるとして12人の仲間をリンチ殺人していたことが判明し、世間を驚愕させた上にわが国の左翼運動の退潮の最大の?原因ともなったことは知られている。
朝日新聞の特集(日付け未確認)は学者2人と山岳アジトで殺人に加担した植垣康博(懲役20年)の3人の小論だが、全二者の持って回ったような論に対し、獄中で血を吐く思いで反省したに違いない植垣の結論は、ソ連共産主義を克服したはずの新左翼の彼らがその前衛党理論を克服しておらず、組織の上位者に反対できなかったと明快であり、その結論は正しいと思う。
今日の毎日新聞の広告欄に『ポルポトの悪夢』という書籍の広告が載っている(論創社)。それを見た瞬間にカンボジャのポルポト派と連合赤軍の共通性に初めて思い到った。ポルポト派による国民の大量虐殺をアジア的後進性に帰するのは必ずしも正しくない。ポルポト以外の同派の最高幹部たちはフランスに留学しサルトルらに心酔した者が少なくない。やはり、人民は先に真理に目覚めた前衛に従うべきだと考えた点で連合赤軍との共通性を感じざるを得ない。現在から見れば連合赤軍事件は前衛党理論の凋落の始まりだったとのではないか。
0 件のコメント:
コメントを投稿