以前にもこのブログに書いた気もするが、毎朝の新聞と広告紙の重さを痛感する。土曜日の朝が最大であり、通常400グラム、最大時450グラムだったが先週はついに470グラム。年末商戦の反映なのだろうが、戦争直後、表裏2ページの新聞を記憶する世代としては何と無駄なことをと言いたくなる。
しかし、他の資源と比較すれば古紙の場合は回収して再資源化するルートが確立しているようで、最近の宅配サービスなどの拡大に伴う段ボール箱の需要の増大に応じているのだろう。それに対して菓子折など燃やす以外には考えられないものも多い。しかも二重三重の包装が最近は当たり前である。
昔の家庭には燃えるゴミを家庭で始末する古い石油カンがあった。しかし現在はそうした処理は少なくとも都会では禁じられており、行政が処理するゴミの量は半端でないようだ。したがって処理工場の規模は拡大する。40年?ほど前、臨海部の区が他区のゴミの通過や受け入れに難色を示し、杉並区の清掃工場の新設が区民の反対で難航した。
30年以上前、パリの1Kのマンション( ステュディオと呼ぶ)に半年住んだ。キッチンにゴミの投入口があり、ゴミの分別などあるはずも無く、上階の住民が捨てるビン類の衝突音が甲高い音を立てる(下では無論粉々だろう)。 管理人に日本では分別収集すると話したら不思議な顔をした。外国人も少なくないパリの住民には到底無理かも.............。
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