2022年10月11日火曜日

休戦は遠のくばかり

  ロシア本土とクリミアを結ぶ道路橋が攻撃された。被害は甚大というほどではないようだが、プーチン大統領にとっては面目を潰された形となった。彼はこの攻撃をテロ攻撃と決めつけウクライナの首都をミサイル攻撃した。同地の歴史を物語る建築物の破壊が危惧される。

 プーチンがクリミア橋の破壊を「テロ攻撃」と決めつけるのは当たらない。ロシアが「特別軍事作戦」と名づけようと両国が戦争状態にあることは明らかである。橋の破壊作戦はその一端に過ぎない。橋を開通させたプーチンの面目失墜など自業自得に過ぎない。

 しかし、ロシアの言論界でのプーチンの強力な支持者だった人物の自動車が爆破され、彼の娘(同じくプーチンの支持者)が爆死したことは些細なことではない。ロシアもウクライナの指導者やその家族に同じことをしたら凄惨なテロの応酬となろう。それを予見しなかったのか。

 戦争開始以来、ロシア軍による数々の戦争法規違反がなされたことは事実だろう。しかし開戦直後、ウクライナ側が作った火炎瓶の映像を見て私は危惧を抱いた。正規軍が火炎瓶を使用するとは考えられないとすれば、民間人によるロシア軍攻撃のためだろう。しかしその瞬間から彼は民間人ではなくなり、正当な攻撃の対象となる。ウクライナ政府がそれを知らないとは考えられない。そうとすれば戦争法規違反は一方だけではなくなる。

 ロシア軍の侵攻を阻止するため学校などの公共施設は貴重だろう。しかしその瞬間からそれらは民間施設ではなくなるだろう。ひとたびそこで戦闘行為が始まれば残虐行為は避けられない。相手を10人、100人殺しても自分は生きたいのが戦争である。一晩で10万人が殺された3月10日の東京空襲は戦争法規の重要性とその限界を示している。

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