先々週と先週、2週続けてご近所の物故者の葬儀に出席した。どちらも仏式で、先々週は市内の葬儀社の会場、先週は我が家から駅に向かう途中の寺で執り行われた。故人はどちらも長患いの高齢者だし、ましてコロナ禍とあっては小規模の葬儀になるのではと勝手に予想したが、どちらもかなりの大きさの式場がほぼ満杯だった。自分の場合、雨天になると出席者が困るから自宅では難しいかな程度に考えていた私は甘かったのだろうか?
いつの頃からか、棺の中の死者の顔を見せるのが普通になってきたようだ。私の場合それは願い下げにしたいが、希望が通るのかどうか。やはり生前の元気だった頃の記憶を保持してほしいのが人情ではないのか?
四年ほど前にこの世にオサラバした高校以来の友人は、葬儀に使用する大型の写真を作っておいてくれと家族が要望すると不快そうに言うので、自分はもう用意してあると答えたら驚いた顔をした。いざと言う時には家族が多忙を極めるだろうからと考えた結果なのだが、作ってもう数年になるので、少しでも若い時の姿をとの下心があるのだろうか。
いずれにせよ、長生きすればするほど嫌でも葬儀は簡単になる筈と、長生きに励んでいる。
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