2022年6月1日水曜日

理想主義者の陥る罠

  ロシアのウクライナ侵攻に関してロシア国民の政府支持は目立って減少していない。政府のプロパガンダに国民が「騙されている」との解釈は必ずしも正しくないことをロシア史専門の池田嘉郎氏が主張しているとのインタビュー記事(『朝日』5月30日夕刊)が伝えている。私も同感である。

 池田氏がソ連崩壊の1991年秋にモスクワで会った人の多くは「生活が苦しくなった」「老後が不安だ」と訴え、「昔のソ連へのノスタルジーを語り続け」たという。プーチンは彼らに救世主と映ったのである。池田氏は続けて「プーチンの台頭期と1917年ロシア革命におけるボルシェビキ(後の共産党)の権力奪取には共通点があります。社会の無秩序化で最も痛めつけられた『普通の人』こそが、社会に安定と規律をもたらすためには家父長的な強い権力が必要だと考え、それを求める点です」と指摘される。

 1917年と1990年代の共通性の指摘にも全く同感である。それはロシアの立憲民主派のひ弱さである。1917年3月にロシアで帝政が倒れ民主派が政権に就いたが、同年11月のボルシェビキの政権奪取までは大混乱期だった。従来は民主派が西欧との連帯を重視して大戦継続を追求したことが彼らの没落の理由として強調された。しかし、彼らが犯罪を厳しく取り締まらなかったため首都は犯罪者の天国となり、民衆がボルシェビキの剛腕に期待したことを重視する研究が30年前に発表されている(長谷川毅『ロシア革命下ペトログラードの市民生活』中公新書 1989)。1989年当時も経済の大混乱とともに治安が悪化した。今は亡き同年輩の知人でロシア史研究者のIさんは当時モスクワの街頭でギャングにホールドアップさせられた。1917年も1989年も西欧流の民主主義はロシアでは大衆に見放されたのである。その理想がどれほど高貴でも。

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