国会での安倍元首相への追悼演説が一昨日野田元首相によりなされた。野田氏のたっての希望によると聞き、同じ首相の重責を担った者として思いを語りたかったと推測した。ところが最初に眼を通した{朝日』の演説要旨を読み、私はそれほど心を動かされなかった。通り一遍の演説では決してなかったが、感銘を受けたとまでは言えなかった。次いで読んだ他紙は『朝日』の倍近い演説全文であり、心を打つものがあった。野党の元首相として立場は違っても共に重責を担った者として哀惜を禁じ得なかったのだろう。
『読売』や『産経』が全文を報じたのは日ごろの論調から不思議ではなかったが、『東京』がそれに倣ったのは意外だった。同紙の野党色はこれまで『朝日』以上に目立っていたからである。今朝の同紙のコラム『筆洗』は「重圧と孤独の職に耐えた心情を思いやる。敵が消えればいいという態度はない」「分断に荒れた時代を癒やす言葉があった」と演説を評価している。
『朝日』は森友事件で自殺した赤木さんの遺書も要旨しか紙面に載せなかった。他紙に載った全文には土地の大幅値引きの元凶は大阪の代議士の働きかけだったと記されていた。全文が載ったら不都合だったと解するほか無い。
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