たった二年間専任教諭を務めただけの私に、ある時期から毎年の今ごろに『開成会学報』が送られてくる。内容に特別の興味は無いのでこれまで目を通さなかったが、今年は学園創立150年記念号というので20名余りの有名卒業生が思い出を寄稿している。それでも総理の岸田文雄氏とクイズプレーヤーの伊沢拓司氏以外は読んでいない。しかし本号には英語科教員だったSさんへの追悼記が4篇載っているので読んだ(その一人のH君は私の教え子)。
私の勤務時、Sさんは学年主任だった。温厚な人柄で誰からも親しまれていたが、今回初めて私より数年年長なだけと知って驚いた。同校では各教科とも同じ教員が卒業まで担当するので、この年度の東大合格者数が大きく伸びたのはSさんの力が大きかったと思う(新米の私は足の引っ張り役だった!)。
ところでH君がたった一行だが私の名前を出しているので驚いた。「平瀬先生は授業をつぶしてソフトボールなどという名物めいたものもあったが、島村先生についてはそのような記憶がない」というもので、知らない人が読めば困った教師としての私に言及しと受け取るだろうが、私は最高の賛辞と受け取っている。なぜなら彼の属した2組 (担任は別人)には特別の思い出があるから。
世界史(開成では2年間教える)の4クラス(人文地理が2クラス)のうちこのクラス(2組)には私が一年半顧問を務めた山岳部の部員が3名いたので、授業以外でも私が開成のため汗をかいていると思われたのか、数人で連れ立って埼玉の1DKの公団住宅を2回訪ねてきた。ところが後に検事総長を務めた男を中心に冗談を言ってはゲラゲラ笑い合って帰ったので、家内はあの人たち何しに来たのと不思議がった。生徒は有益な話を聞くため先生宅を訪れるものと思ったのである。のちに検事総長就任を機にこのクラス仲間数人が『文春』の『同級生交歓』に写真出演した。そのうちの二人が師に先立って永眠したのが悔しい。
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