2022年4月17日日曜日

寝台車の思い出

  昨日の朝日新聞のbe掲載の原武氏の鉄道コラム『歴史のダイヤグラム』は「3等寝台がない特急『へいわ』」との見出しで、戦後(1949年9月)に東海道線で復活した特急『へいわ』の話題を取り上げている。『へいわ』というネームに戦後の日本社会の空気がうかがえるが、さすがに3個月半で『つばめ』に改名したという。同名の戦前の特急にノスタルジーを感じる世代からの反対に行に抗しきれなかったのだろう。

 しかし、今回の主題は『へいわ』が1等展望車、2等車、3等車(他に食堂車と荷物車)で編成され、3等寝台車が無いことへの原氏の不満と関西の鉄道王の小林一三翁の憤懣である。『へいわ』は上りも下りも昼間に走るので両人の不満はよく分からないが(戦前は寝台車も連結?)、板張りの座席の3等車と1等車のあまりの格差が不満を誘ったようだ。

 私は名古屋と東京間の利用が主だったので寝台車の利用はずっと後年に札幌行きのブルートレイン『北斗星』を2度利用しただけ。夜汽車の情緒は大いに気に入ったのだが、間も無く廃止となったのは残念だった。

 ヨーロッパの寝台車は3度利用した。第1回はローマ・ミラノ間、第2回はマドリード・グラナダ間、第3回はパリ・ナポリ間で全てフランス語でクシェットと呼ぶ簡易寝台だが、我が国の普通寝台とあまり違いはなかったと記憶する。とくに初回は初のヨーロッパの和服姿の母を加え大人3人幼児1人だったので、周囲の好奇心は大変なものだった。第2回はフランコ独裁時代の末期でテロを恐れて駅は小荷物を預らず、周辺のカフェに預けるのが通例となっており、ポーターがどんどん駅から遠ざかるので不安だった。3回目も盗難を恐れてか車掌が旅券を一晩預かるのだが、フランス国鉄の車掌は私服だったのでナポリまで不安いっぱいだった(パリのメトロでは私服のスカート姿の女性が運転していた)!

0 件のコメント:

コメントを投稿