2022年3月5日土曜日

昭和の鉄道旅

  前回に続いて恐縮だが、原武史さんの今日の『歴史のダイヤグラム』は「青春18きっぷ」を利用し門司から函館まで乗り継ぎにつぐ乗り継ぎの丸2日間の普通列車の旅の思い出である。私の大学生時代に「青春18きっぷ」は無かったが、原氏は函館到着時「精魂尽き果てていた」とのこと。単純な乗車時間ならシベリア鉄道でモスクワからナホトカ間9日間の方が長いが、私の場合乗り換えはハバロフスクの1回だけ。とても比較にならない。壮絶というべきだろう。

 私の大学入学時、自宅のあった愛知県から東京まで普通列車で8時間はかかった。一度だけ急行の『雲仙』を利用したが、九州からの夜行客はほとんど途中下車しないので立ちっぱなしの私は疲労困憊。沼津で湘南電車の東京行きに乗り換えた。2年か3年後、『東海』という準急電車が創設され、もっぱら利用した。当時は窓が自由に開閉でき、静岡駅で茶や冷凍みかんや土産のわさび漬けを買った。とくに丸ごとの冷凍みかんは楽しみの一つだった。

 当時は乗車券は1等から3等まで3等級あったが(一等車連結は稀)、ある年から特別2等(特2)という座席の背中がある角度まで倒れる等級が導入され、社会党の浅沼書記長がご満悦と新聞で読んだ記憶がある。しかし、我々庶民はそうもいかず、遠距離は夜行列車がふつう。運が悪ければ床に新聞紙を引いて過ごすことも稀では無かった。

 当時と比較して現在は在来線で満員となることは少なく(通勤時間は別)、鉄道旅は格段に楽になったが、車窓が開かない車体が大半となり、窓を開けて弁当や茶を買えた時代が懐かしくもある。

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