2022年5月13日金曜日

広島カープの誕生

  5月5日にNHKで放映された『鯉 昇れ』というドキュメンタリー番組を録画で見た。内容はプロ野球チームの広島カープの誕生秘話といったもので、2015年制作の再放映だった。

 1950年のカープの誕生時は高校生だった私は、一時プロ野球への関心が減退していたので記憶はほとんど無かった。番組によると同年急にセパ両リーグへの分裂が決まったので新球団の誕生は歓迎された(むしろ要請された?)。その機を逃すべからずということで地元出身で戦前タイガース監督を務めた石本秀一氏を監督に迎えて球団設立となった。しかし、資金は計画の三分の一しか集まらず、石本氏の苦労は並大抵では無かった。初年度の成績は41勝96敗でリーグ最下位だった。

 私がカープ誕生の経緯に関心を持ったのは第一に、同じ市の商業高校の長谷川忠平という好投手(で好青年!)がカープの「若きエース」となっていたこと。当時は甲子園出場は二県から一校だったので愛知県代表となったチームの長谷川はプロ野球界から注目されず、しばらく我が校の運動場で一人で練習していた。第二は中学生時代に鳴海球場( 中日球場はまだ無い)で見た巨人軍の名ショートの白石と、「壁際の魔術師」と謳われた名レフトの平山が出身地ではあるが新球団のカープに移籍した事情を知りたかったのである。結局、その3名を含めて選手の個々の事情は紹介されなかったが、ひたすら野球を続けたいとの願いから給料遅配にも夜行列車の三等座席での移動にも耐えた選手たちの野球愛は心を打つものがあった。

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