『朝日新聞』の土曜夕刊に『いいね探訪記』という連載があることは知らなかったが、昨26日のそれは、「近代日本への レールを敷いた」との見出しで「碓氷峠のめがね橋」を取りあげていた。私は信越線を利用することは稀にだったが、特別の思い出が2度ある。
最初は1952年。大学受験のため愛知県から上京したが帰りは別の経路を使うチャンスだと思った。中央線ではなく、遠回りの信越線を選んだのは前年に「日本最初の総天然色映画」を謳う『カルメン故郷に帰る』( 地方の映画館では黒白だった!)への心酔と、そこに登場する軽便鉄道 ( 草軽電鉄 )に乗りたいということだった。 当時の信越線の横川・軽井沢間はアブト式だったのでマラソン選手程度のスピードだった。下車した軽井沢は3月初旬なのに30センチぐらい積雪があった。それでも草軽電鉄は動いていたので北軽井沢まで往復した。車内も北軽井沢もほとんど無人だったが私は満足した。
その後、信越新幹線の開通で横川・軽井沢間の鉄道路線が廃止されることになった。偶然その前日か前々日か軽井沢を通りかかったら横川との往復の記念乗車の催しを行なっていたので、用事はないが乗車した。車内は混雑して往復とも立ちっぱなし。正直、特別の感慨はなかった.............。
信越高速道路が開通して国道18号は勿論、碓氷バイパスを通ることも稀になり、横川の峠の釜飯とも無縁となった。その気になれば支店が佐久インターや茅野インターの高速道の出口にあるが、もう半分で腹一杯になるのが買わない理由なのかも。
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