2024年12月24日火曜日

教員の離職増加の真の原因?らや

  年若い教員の早期休退職の増加に関して私が前回のブログを書いた前日、書店で岩波新書の池上彰編『先生!』を見かけて購入した。新刊かと思ったら11年前の旧書の増刊だったが、最も目につきやすい場所に平積みしてあったので、やはり現下の重要問題の一つと判断されてそうなったのだろう。前回のブログの執筆時には27篇のうち数篇しか目を通しておらず、どちらかというと強烈な個性と行動の先生たち(大半は男性)に習った生徒たちの回想。それはそれで立派だが、誰にでも出来ることではないと考えた。

 その後全編に目を通したら、もっと多様な報告集だった。その中に私が上手く表現できなかった(モンスターペアレンツの代表が女性であるかのような誤解を与えかねなかった表現)思いを強烈な文章にした一編があった。筆者の武富健治氏は漫画家で、映画化された『鈴木先生』の原作者。「消費者的に」学校教育をあれこれ論ずることに反対する。以下、一部引用。

 「保護者の方々も「わが子を守る」と息巻いて教師や学校をあからさまに批判し、街頭で、あるいは家のパソコンなどを前にして、実際には子を持たない人間までも、当然その権利があるかのように「がっかり」感をあらわにして、好き放題に「現代日本の学校教育」をこきおろす。そうしたノイズを「聞くべき貴重な声」として番組なども好意的に紹介する。」私が「そんな中で辛かったこととして覚えているのは、いけないことをした生徒をなんで先生はちゃんときつく叱らないのだろう?ということでした」。「今、先生や学校ばかりが叱られて、学校教育に対して好き勝手を言っている人たちはなぜ叱られずに済んでいるんだろう、と悔しく思っているのです」。

2024年12月22日日曜日

教師の受難時代ほの

 昨日今日の新聞各紙に初等中等教育に従事する教員に精神を病み退職や休職する者が増加しているとの調査記事が載っている。心痛む由々しい事態である。メディアによればその理由は本務の授業以外の仕事時間の増加、いわゆるモンスターペアレンツへの対応の困難、低い給与ないし不合理な給与体系など。

 半世紀以上も前の3年間程度の実体験では理解できないことが多い。給与水準の低さはその通りだろうが、昔も他の職業に就いた同級生ほどの給料ではなかった。それでも当時の「モーレツ社員」の働きぶりを知れば羨ましくはなかった。

 二十年ほど前だろうか。「学級崩壊」という事態が問題化したことを記憶している人は少なくないはず。その原因に関しては諸説あろうが、私は生徒の権利といったことがむやみに唱えられたことと全く無関係ではないと感じている。戦前戦中のように教師が生徒たちを2列に並ばせてビンタさせ合うなどといった野蛮なことはあってはならないが、生徒を大人と全く同様に遇するわけにもいかないと思う。

 最新のモンスターペアレンツの問題は私は父兄とりわけ母親の学歴が教員並みに向上したことと無関係ではないかとも思う。私が児童だった頃の母親たちは中等教育(旧制の高等女学校)の卒業者は少数派だったと思う(田舎では間違いなく)。ところが現代では教師と生徒の母親とはどちらも大卒が普通だろう(とくに都会では)。弁の立つ人も多かろう。生徒の母の担任批判を生徒が家庭で耳にすることもあろう。ここで校長ら管理職がモンスターペアレンツに毅然とした対応をしてくれれば良いのだが、教育委員会を含めて事なかれ的に対応されたら教師の心も折れてしまうだろう。幸い企業や役所がモンスターカスタマー対策を立てる方向にあるようだ。教育界もしっかりして貰いたい。

 追伸 前回のブログに松本清張のそば好きに関連した記事に言及したが、この記事は「多摩版」掲載で、全国版ではありませんでした。悪しからず。

2024年12月12日木曜日

シリアのアサド独裁の後は?

  シリアのアサド独裁政権がカルタの城のようにあえなく崩壊した。親子2代にわたる体制が崩壊したのは大いに慶賀すべき事件だし、ロシアの支援を受けていた政権の崩壊はウクライナ戦争中のロシアにとって面目失墜となる点で大いに喜ばしい(私はNATO諸国やウクライナが一方的にロシアを悪者にしていることには賛成できないが、世界戦争に発展しかねない戦争の終結のためには両国の疲弊を望む)。

 他方、内外のメディアも成功した反乱軍がテロ組織を含む(むしろ彼らが主体?)であることを指摘しており、一方的な民主派の勝利と見做していないのは正しい。それで思い出すのはリビアのカダフィ政権の崩壊である。「アラブの春」の影響下の民衆反乱でカダフィ独裁が打倒された時、私は心から祝福した。しかし、その後の同国は相争う二つの地域に分裂していると聞く。一つの独裁の打倒が国家の分裂と対立を生むならば喜べない。同じ結末はスーダンを始めとする一部のアフリカ諸国の宿痾となっているようだ。数十年間の独裁を経験したシリア国民が同じ過ちを犯さぬよう祈るばかりである。

 追記 今朝の朝日新聞に松本清張のそば好きに関連した記事があり、その中で清張の能登金剛の歌碑が言及されている。しかし、私もこのブログで引用した作中の冬の日本海の風景の「かなし」が「恋し」と誤記されている。そうした引用も絶無ではないらしいが、歌碑の写真が「かなし」なので誤りである。私も10年にもなるこのブログでいくつかの間違いを犯しているに違いないが、念のため。

2024年12月8日日曜日

韓国の戒厳令騒ぎ

  韓国の尹大統領による戒厳令騒ぎは「初めは脱兎の如く」始まったが、2日間で一応の終止符が打たれた。解決までには未だ曲折が有りそうだが。

 同国では軍政にさよならした後でも朴槿恵大統領と武鉉費?大統領と二度の大統領罷免騒ぎがあった。日本や英国の民主制と異なり、大統領と議会が相互に無関係に選ばれるという制度的な問題もあるようだが、与野党間の対立の激しさは日本とは違うし、まして与党と陛下の反対党(her or his majesty’s  loyal opposition)が争う英国の国政とは大違いである。

 韓国のそうした与野党対立の激しさの原因にはもう一つ北朝鮮の存在があると私は見ている。現在の野党(共に民主党)の李在明代表は「北朝鮮への不正送金に関わったことも指摘される」(「東京新聞」12月8日)。北が韓国の政治の混乱を目指すのは不思議でないが、韓国の野党勢力は政権党の弱体化のため時に北の別働隊の役を演じる。済州島事件以来の「韓国の民主化運動」には金大中氏のような純粋な人ばかりではないと私は考えている。

2024年12月3日火曜日

PFOAについての報道

 最近各地で健康への被害の恐れが問題となっているPFAS(有機化合物)についてNHKスペシアル『追跡PFOA汚染』を見た(PFOAはPFASの中でも最も危険視される種) 。                                          最初にPFAS残留への危惧がメディアに取り上げられたのは各地の米軍基地でのアワ消火剤としての使用の影響ということだった。東京では横田基地の水系にある国分寺市などが影響を受ける代表で、我が多摩市は多摩川を隔てているので安心だろうと内心ホットしていた。ところが最近の調査では日本の各地の井戸などでPFASが混入していることが分かってきた。実はPFASは消火剤としてだけでなく、フライパン、防水服、半導体などで泡活性剤として使用されていたのである。

 番組は代表的な使用企業としてエアコンの大手製造企業の「ダイキン」を取り上げていた。米国では2000年ごろから一部企業で対策が取られ始めていたのに、ダイキンをはじめとする日本の企業と地方自治体はPFASの健康被害が確実とまでは言えないことを理由に今日まで対策を怠っていたという。被害がまだ確実ではない段階で使用中止したくないことは企業として理解できないではないが、自治体まで口をつぐんでいたとは.............。

 NHKはメディアの中では企業や政府の問題点を先頭きって指摘するほうではないとの印象も無いでもなかったが、今回は他局に先駆けて問題提起したのは評価すべきだろう。

毛沢東の功と罪

 昨12月2日夜、NHKテレビの「映像の世紀」で「毛沢東の革命と独裁」を見た。人物の評価とくに政治家の評価は浮き沈みが避けられないが、毛沢東ほど今に至るもその評価が本国で極端に変動する例も稀ではないか。延安の洞窟住居から天安門の壇上への彼の生涯の前半は英雄の生涯と見るのが戦後の一時期までの評価であり、スターリン独裁の暴露でソ連共産主義の理想視から解放された世界の左翼勢力にとっては新たな崇拝の対象となった。フランスの五月革命も我が国の大学紛争も毛沢東思想(造反有理)の理想視と無関係ではなかったろう。革命思想のレベルでも労働者階級を革命の担い手とするマルクス・レーニン主義に代わって毛沢東の「農村から都市を包囲する」思想は左翼の人々の心をつかんだ。日本でも中国革命の成功に影響され、共産党が「山村工作隊」を組織したが、彼我の地理的社会的条件は違いすぎたようだ。

 今回の番組の新しさは毛沢東を崇拝する青年李鋭がやがて毛沢東の秘書を務めたのち、大躍進政策や文化革命に批判的になり苦難の後半生を記録した大部の日記をスタンフォード大学に託し、それに部分的に基づいている点にもある。いま現在も習近平による再度の毛沢東神格化が進んでいる。言論の自由を欠く限り歴史は繰り返すといことだろう。

追記 最近、安全重視のためか、ブログの開始面を呼び出す手間が複雑になり、手を焼いている。今後「もぐらのたわごと」が中断したりしても、当方の健康不全が理由ではありません。悪しからず。

2024年11月25日月曜日

二重のミス

  前々回のブログでコンゴのことをコンゴーと書いたので前回の末尾に訂正したら、今度はトルコー、トルコとダブルミスを犯してしまった。記憶力の低下かくの如し! ああ!

大谷人気にすがる?

  午後のいつもの時間に夕刊が配達されたら、全4ページの大谷特集の号外も付いてきた。都心で号外を配るテレビニュースを見て郊外生活を恨めしく感じていたが、前半の2ページは街頭配布の物と同じではないか?兎も角も有難いサービスである。

 実は今シーズン前の昨年11月28日の『東京新聞』の読者投稿欄に「大谷の真摯な姿に感服」との題で私の投稿が載り、同学の後輩と今は亡き友人の奥方のお二人から読んだとの葉書をいただいた。投稿が載ったのは満足だったが、「民間親善大使 大谷」との私の題が変えられていたのはチョッピリ残念だった。実際かれほど日米親善に貢献している邦人が居るだろうか?

 もう一つ有り難かったのは無職としてではあるが私のフルネームと年齢が読者に知られたこと。私は終戦の1年前の小学5年生の時に東京から愛知県に転居したが、当時は学童疎開の真っ最中で、混乱の中で5年間も一緒だった旧友たちに挨拶も出来なかった。戦後も7年後に大学に入学して上京したが、旧同級生とは2人した再会できなかった。私の名前は珍しいほうなので旧同級生が年齢と名前を知ったら思い出してくれるのではとの切ない思いもあった。だから戦争被害者だなどと言う気はないが.............。

追記 前回のブログにトルコのことをトルコーと記していた。恥ずかしいかぎり!

2024年11月24日日曜日

 狩猟採集民族の運命は?

  昨日録画したNHKテレビの定期番組『地球ドラマチック』の「冒険家 コンゴーを行く」を見た。1人の英国人の冒険家がコンゴーのジャングルの中の原住民の集落を訪ねた記録。私はコンゴー共和国について写真すらほとんど見たことがないが、首都のキンシャサなどはビルが立ち並ぶ現代都市なのだろう。しかし、同じコンゴー共和国でも今回は密林の中で頑固に昔ながらの狩猟採集生活を営む「ムベジュレ族」の探訪記である。 

 戦前戦中の我が国では腰蓑を身につけた南洋の住民が登場する『冒険ダン吉』という漫画があった。ムベジュレ族もほぼ同じで、上着を身に着けているのは住民のほぼ半数程度。森の中の動植物だけを食して生活している。世界の未開民族の中には他の部族との殺し合いもあるようだが、ムベンジュレ族は助け合って平和に暮らしているとのこと。しかし支配民族のバンツー族の圧迫を受けているとか。

 我が国でもかつてアイヌ民族が圧迫された歴史がある。我々には狩猟採集民族は農耕牧畜民族よりも遅れた民族であるとの思い込みがある。しかしその土地の特性に左右されることもあろう。ともあれ、ムベジュレ族の幸せを祈りたい。

2024年11月20日水曜日

現代詩の良さが分からない!

  詩人の谷川俊太郎氏が亡くなられた。新聞各紙も大きく取り挙げているだろうが、『朝日』の場合、3ページにわたり各ページ大きく取り挙げている。私の知る限り死去に際してこれほどの扱いを受けた詩人を知らないし、小説家でも例が無いのではないか?

 それなのに私は彼の詩に親しんだことはほぼ皆無。『鉄腕アトム』の作詞者であることも今日はじめて知った。それだけでなく、断片的に記事に引用されている詩の良さも全く分からない。要はお前に文学鑑賞力が乏しいのだと言われればそうなのだろうが、それでも『古今集』あたりからの古歌に感動することは少なくないし、明治以後の藤村らの近代詩も同じ。ただし、近代以降の不定形詩では萩原朔太郎をほとんど唯一の例外として良さが分からない。

 私がこれまでに入手した唯一の現代詩集は朔太郎の『月に吠える』ぐらい。それも日本の近代文学の数十冊ほどの完全復刻版(同じ装丁)中の一冊でしかない。それらももう読み通す自信も無くなり、文学好きの後輩の某君に全冊譲った。所詮門外漢だったということか。

2024年11月11日月曜日

日露間の二つの戦争

  第二次世界大戦前に生を受けた日本人なら誰でも知っている唱歌の一つに『水師営の会見』がある。長く激しい攻防の末に陥落した旅順要塞戦の末に乃木将軍がロシアのステッセル将軍の降伏を受ける式典の様子を歌うバラード調の歌は相手への思いやりに満ちた歌詞(佐々木信綱)と哀調を帯びたメロディ(岡野貞二)が心に沁みる(乃木将軍の2人の息子はこの戦いで戦死)。もっとも、歌詞にあるステッセル将軍の愛馬を乃木将軍が貰い受けるエピソードを中国人の現地ガイドは、降伏すれば一切の所有物は相手国のものになるのにと馬鹿にした口調だった。日露両国が中国の土地を勝手にやりとりすることへの反発だったのか?

 今夏に出版されたばかりの麻田雅文『日ソ戦争 帝国日本の最後の戦い』(中公新書)を入手して読んだ。1945年のソ連参戦後の満州や千島を舞台に日本人居留民や日本兵たちの苦難。それを強いたソ連軍の暴挙の数々はすでに多くの証言で明らかになっているが、豊富な資料に基づく本書は、倫理感覚を欠く独裁者のもとの国民の堕落の深刻さを明らかにしている。帝政のもと、ステッセルは最後まで戦わなかったとの理由で帰国後死刑判決を受けたがのちに禁錮十年に減刑され(乃木将軍の働きかけもあったとも聞くが真偽は不明)晩年は市井の人として生きたとのこと。スターリン独裁のもと、ロシア人は40年の間に逆に退化していた。

2024年11月7日木曜日

米国人はマッチスモが好き?

  米国の大統領選は結果が確定するまで数日かかるとの予測まであったが、なんと即日にトランプ候補の勝利が確定した。大統領選挙人の数が多いので両候補が最後まで力を注いだ7州の全てでトランプが勝利したとは驚きである。私も事前の世論調査では「かくれトランプ」の力が反映されないとは思ったが、これほどの差とは思わなかった。

 報道によれば、民主党政権下のインフレも選挙結果に多大な影響をもたらしたようだ。私も米国のマクドナルドのハンバーグが日本の同社のそれの3倍ほども高価と聞き、世界最強の食糧生産国なのにと不思議に思っていた。コロナ騒動の影響が我が国よりはるかに大きかったとは聞いており、バイデン政権の失政と一方的に判断できないが、やはり人気には打撃だったようだ。

 私がこれ程の支持率の差を予想できなかった理由の一つは、黒人や中南米出身者らマイノリティや女性有権者の民主党支持は固いと考えたこともある。しかし、今朝のNHKテレビ番組によると、黒人のトランプ支持は9%に過ぎないとのこと。それに対して女性有権者の投票率はハリス53%、トランプ43%だったとか。これではハリスは大統領になれない。

 なにしろ過去のテレビ番組でエンターテイナー的役割を演じていたトランプの人心をつかむ力は抜群だった。政治的能力に不足と思えないヒラリーの前々回の敗北と考え合わせると、米国人のマッチスモ(男性性の称揚)の根は深いのだろうか?

2024年11月2日土曜日

二つの修学旅行

  秋は修学旅行の季節でもある。私の参加歴は2回。初回は自分の高校最後の年に関東地方へ。二回目は中学生の関西旅行の付き添い教員として。

 私自身の中学時代は終戦直後の3年間だったので、修学旅行など考えられなかった。したがって愛知県の高校3年時に修学旅行と聞いたときは意外の感があった。東海道線を普通列車で上京するとき、雪をいただいた富士に同級生たちは感激していた。東京生まれの私でも本当に美しいと感じた(今では秋でもなかなか冠雪とはならないようだが)。その後は箱根の強羅温泉、東京、日光と移動。一緒にまわった友人たちも存命中はわずかである。

 付き添いの教員としては東京の有名進学校の中学生の修学旅行で奈良と京都の社寺が中心で、私も初めての所が少なくなかった。当時の高校の世界史は5単位、週5時間だったが、その高校では二年生に5時間、三年生に2時間持ち上がりで教えるので2年目は余った時間を中学の授業と担任を務めた。その私学の制服が大変スッキリした印象だったこともあり、バスガイドは生徒たちの態度を大いに誉めてくれた。私は最後尾の席で生徒がトランプをしているのを知っていたので、冷や汗ものだった。

 帰りの東海道線は荷物置き場が別になっている修学旅行専用車で珍しかった。生徒たちが富士山に感激した記憶はないので夜行だったのか? 付き添いの苦労というほどのこともなく、良い思い出となっている。

2024年10月25日金曜日

映画『ゼロの焦点』の時代

  NHKテレビのドキュメンタリー番組『映像の世紀』を欠かさずでもないが見ることも少なくない。選挙報道に食傷し(すでに不在者投票)、7月8日に放映された「東京 戦後ゼロ年」を今ごろ見た。終戦直後の東京の「惨状」としか言いようのない記録で、上野駅?に住む孤児たちや闇市、パンパン(米兵相手の売春婦)などなど。あらためて圧倒された。父の転勤で一年前に地方に移っていた私には旧知の知識でもやはり衝撃的だった。

 松本清張には『砂の器』など汚辱に満ちた過去を隠すため他人を殺してしまう作品が少なくないようだが、『ゼロの焦点』も前者に次いで有名で、のちに再映画化もされた。久我美子扮する主人公は金沢の営業所長を務め最近本社に勤務することになった男性と見合い結婚するが、残務整理のためとして夫は結婚8日の後に金沢に出張し行方不明になる。真相究明を依頼された夫の兄は、元パンパンで今は地方の名流夫人と戦後の一時期に風紀取締の警官だった夫とは旧知の仲だったと突き止めるが何者かに毒殺される。久我扮する主人公は名流夫人と名勝の能登金剛で対決し、相手を投身自殺に追い込む。

 前の戦争は310万人の直接犠牲者の他にも多くの人を悲惨な運命に陥れた。大学の研修旅行の付き添いで訪れた能登金剛の「ヤセの断崖」には清張の歌碑「雲たれてひとりたけれる荒波を かなしと思えり能登の初旅」がある。私の場合、訪問は晩春だったが、一瞬で厳冬の能登に引き戻される想いだった。

2024年10月20日日曜日

赤道下の旧フランス植民地ガボン

  昨日、「行くぞ! 最果て!秘境x鉄道..........ガボン」を見た。本来は続き物の鉄道紹介番組らしいが、日本人、と言うより私がほとんど知らないアフリカ西海岸の赤道直下の旧フランス領の国の実情がうかがえて興味深かった。

 番組は私が初めて名を聞く日本人の若者タレントが、大西洋に面した首都のリーブルビルから600キロ余りの世界的マンガン鉱山の町フランスビルをつなぐ鉄道の沿線紹介がすべて。最初は大河沿いの村で魚を取って生活する人々の紹介。私には村人の生活よりも、多年の独裁者が追放され新しいリーダーが生まれたが、彼の国内視察のため8時間も列車の運行が取りやめという国情が印象的だった。ついでジャングルの中の村で鉄骨の両端にコンクリートの塊というフランス式の鉄道用枕木の輸出向けの近代的工場を訪ねた。

 最後は終点の世界第4位の産出額のマンガン鉱山の町フランスビル。近代的な大精錬工場で、ここで初めてフランス人の姿を見た。あまり日本人の目に元植民地母国人を晒したくなかったのか。かつてシュバイツァーが住民の医療に尽くしたこの国は今は石油の大産出国とのこと。鉄道紹介番組にそうした言及がなかったのはやむを得まい。ともあれ、独立後数十年を経てもフランスとの経済的つながりは大きかった。産業技術の差を考えればフランスの利益は大きくとも共存共栄の関係なのだろう。

2024年10月16日水曜日

昭和天皇の戦争責任

たいへん大袈裟な題を付けたが、昭和一桁生まれで日米戦争中に小学生であった者には此の問題に全く無関心ではいられない。とは言っても最近公刊された田島道治初代宮内庁長官の全7巻の『昭和天皇拝謁記』を読むほどの熱意も根気もない。

 ところが今年8月、20世紀後半生まれの7人の若手研究者たちによる『昭和天皇拝謁記を読む』が刊行されたので入手して読んでいる。しかし、一巻全4部のうち天皇の前大戦観を扱ったのは第1部だけ(「天皇は戦争をどう認識していたか」)。残る3部は戦後の「象徴天皇制」への昭和天皇の対応などでやや失望した。

 第一部の「天皇は戦争をどう認識していたか」も戦前の昭和天皇の心の葛藤を十分に理解しているか疑問に思った。私は明治憲法上の天皇の地位や権限を詳しく知るわけではない。しかし、絶対王政時代の君主ではなかったとは考える。英国の君主政を理解し、訪英中にジョージ5世(名君と言われる)から直接に君主の道を説かれた昭和天皇にとって対米英戦争が不本意そのものだったろう。それでも宣戦の詔書を発した以上むろんその責任は免られない。しかし、戦後のマッカーサーとの会見で開戦の全責任を負うと語り、元帥の天皇への深い敬意を生んだ。

 日米開戦の直前に昭和天皇とルーズベルト米大統領のハワイ会談が計画された。グルー駐日米国大使はその回想録『滞日十年』で述べたように本国政府に対し会談の実現を悲痛なほどの調子で訴えた。彼は日本の上層部が日米開戦を望んでいないことを知っており、さらにこれが最後の機会であることを知っていた。しかし、ヨーロッパでの対独戦参加を重視した米国政府は此の要請を顧みなかった。米国自身が此の選択で大きな犠牲を払うことになる。

2024年10月10日木曜日

大学の国際的順位再論

  前々回にタイムズ・ハイヤー・エデュケーションの「世界の大学ランキング」を朝日新聞にもとづき論評した。その記事は我が国の読者向けに最上位の数校の後は日本に関係の深い米国やアジアの諸大学がアト・ランダムに挙げられていた。その後端末で調べたら20位までが順位通りに紹介されていた。ところが、その中にはドイツの大学もパリ大学も挙げられていない。それによると「国際性」(教員や学生の割合だろう)の評価は全体の5%どのことだが、19世紀に世界の大学の模範であったドイツの大学(ゼミナールはドイツ語)や世界最古の大学の一つのパリ大学が20位に入らないとは! ドイツ人やフランス人は到底受け入れない順位である。やはり英語が大学でも国際語となりつつある現状の反映と断じざるを得ない。割り引いて考える必要がある(一愛国者から!)。

2024年10月8日火曜日

軍部独裁より恐ろしい宗教独裁

  ガザの戦乱が始まり昨日で一年経ったという。ヨーロッパ諸国もわが国も宗教的目的の追求を国家目標としてはいないが、中東諸国ではイスラエルも含めてそうではないと今回改めて思い知らされる。今朝の東京新聞にガザのハマスのメンバーが4万2000人のパレスチナ人の犠牲を「後悔していない」と語ったと読んだ。これでは4万人の死はハマスとイスラエルの共作と言うべきではないか。宗教目的を国家目的とすることの恐ろしさである。他方イスラエルは近代国家ではあるが、ユダヤ教のある極端派は兵役を免除されていると最近読んだ。ヨーロッパでも絶対平和主義者が個人として兵役を免除されることはあるようだが集団として兵役免除とは驚きである。

ガザの戦乱は最近ではレバノン南部に拡大しつつある。イスラム教徒のヒズボラとイスラエルの武力抗争は今に始まったわけではない。しかし、私が不思議に思うのは関連報道の中でレバノン政府への言及が皆無であること。もはや同国政府の威令はゼロなのだろう。他方、レバノンと同様にイスラエルの隣国である王制国家のヨルダンは戦乱とは全く無縁。軍人独裁のエジプトも同様である。同国はナセル大統領が第三次中東戦争に敗れて失脚したのち、サダト、ムバラク、シーシと穏健な軍人大統領が続いて宗教独裁を免れ、戦乱とは無縁である。王制や軍人独裁というと遅れていると決めてかかる人が少なくないだろうが、イスラム国ではトルコのケマルパシャ以来むしろ進歩的役割を果たしてきた歴史がある。

 ヨーロッパのキリスト教諸国でも近世には新旧のキリスト教徒の間で戦争があった。その間に寛容の重要性を学んだ結果、脱宗教化を実現した。中東諸国に宗教的寛容が受け入れられるのを期待する。

2024年10月6日日曜日

世界の大学の格付け

  各紙に東京工業大学と東京医科歯科大学の合併の記事が大きく載り、それに関連してか、英国のタイムズ紙の「世界大学ランキング表」が改めて紹介されている。現在の医療技術の進歩、とくに電子化、AI化などを考えれば両校の合体は意義があるだろう。しかし、政府が最近進めている「国際卓越研究大学」(現在10校程度)に認められれば研究費が大幅に増額されるので、それを狙ったということもありそうだ。いずれにせよ研究水準を大幅にアップして欲しい。

 ところで「世界大学ランキング表」で1位オックスフォード、2位スタンフォード、3位マサチューセッツ工科大、4位ハーバード大はともかく、東京大29位、京都大55位はいくら何でも低すぎるのでは? シンガポール国立大19位より低いとは!

 何故こういう結果なのか。たしか、大学の国際性(教員や学生中の外国人の割合)も考慮されていると記憶する。その点なら日本の大学は不利になるだろう。前にもブログで触れたが、私は1960年代に英国の海軍兵学校の式典を見学したことがある。遠目にもアフリカ系の生徒が目立った。旧英領植民地では軍関係の学校の整備が遅れていたのだろう。兵学校でそうなら有名大学の場合それ以上に外国人( カナダなど白人英連邦諸国も含む)は少なくないはず。英語が共通の米国の大学も同じ。

 だからといって清華大12位、北京大14位より下位とはよく分からない。文系以上に理系では研究費が貧弱ではどうにもならないの場合が多いのでは。ともあれ、29位や55位を早く脱してほしい。

2024年10月1日火曜日

ロシア・ウクライナ戦争の行方

  発生以来2年半にもなるロシア・ウクライナ戦争は我が国でも絶え間なく報道されている。しかし、開戦以来私が気づいたのは、これまでロシア関係の報道に際して紙上でよく見かけたロシア研究者たちの名が稀にしか目につかず、二世代ほども違う若い研究者たちの発言ばかり紹介されていることである。古い世代はもう亡くなっている場合も多いだろうが、そればかりでもないのでは? 想像だが、彼らが一方的なロシア断罪に合流出来ない、したくないからでは?

 ゼレンスキー大統領はウクライナの独立以来ロシアに奪われた全領土の回復なしには終戦はないと断言している。しかし、例えばクリミア半島は19世紀に帝政ロシア(当時はウクライナも含むが)がトルコから獲得したもので、第二次世界大戦末期にここの美しいロマノフ時代の離宮でヤルタ協定がつくられた。フルシチョフがソ連末期にクリミアをウクライナ領に移管したとき、ソ連の崩壊など誰も予想していなかった。20年ほど前にウクライナ東部がロシアに奪われたのはウクライナがロシア語を排除して国語をウクライナ語に統一したことが紛争の発端で、ウクライナは国連が勧告した「東部の特別の地位」への2国間交渉にその後応じなかったと記憶する。

 無論ウクライナだけを責められない。ソ連解体時、ロシアとともに冷戦終結を誓った西側大国がNATO加盟国を15から30に倍増させたことが賢明の筈がない。今のままではバルカン半島の小国の行方が全ヨーロッパに拡大し誰も止められなかった第一次大戦の経過をたどりかねない。いかに小国に同情しても原水爆戦争に近づいてはならない。今のままでは取引(ディール)上手を自称するトランプが米国大統領に選ばれるのが世界にとって安全、などということは無いだろうが.............。

2024年9月27日金曜日

真の2大政党へのスタート?

  ようやく、民主党と自民党の党首選びが終わった。どちらの党の党員でもない私は、むろん、指をくわえて見ているほかなかったが、私から見ると、少しは我が国の政治の前進が始まったかと思う(思いたい)。

 先ず、民主党の党首選。候補者はどなたも真面目に我が国の政治の改革を目指しておられるだろうが、党首が小粒と見られては選挙は絶対に不利。その意味では元首相の野田氏がベストだろう。「最大の政治改革は政権交代」との氏の発言はそのとうりだと思う。演説も上手と聞く。今後を大いに期待する。

 他方、自民党の9人の候補者のうち谷川陽子外相は立派な経歴からも、また我が国最初の女性首相の誕生という点でもぜひ党首に選ばれてほしいと思ったが、現在の自民党にはやはり無理な注文だった。それにしても、新聞が途中から石破、高市、小泉の三氏しか紙面で取り上げなくなったのには腹が立った。

 これで少しは日本の政治が前進すると期待したい。

追伸   前回のブログ(日付もテーマも忘れた)が当方のミスでタブレット端末から消えてしまった。今後はそうしたことが増えるのか.............。



2024年9月13日金曜日

 フジモリ元ペルー大統領の死

  ペルーのフジモリ元大統領が亡くなった。わが国の諸新聞の同氏評価も前半期の治安面での多大な貢献と後半期の民主主義のルールを逸脱した強権的政治の側面の指摘と、管見の限りではほぼ一致している。誤りではないが、私はフジモリ氏はもっと評価されてよいと感ずる。

 1960年代まで南米諸国ではクーデターが誇張すれば日常茶飯事だった。その代表格だったアルゼンチン人の級友に私がそうからかったら彼は、「いや、あれはミリタリーパレードだ」と弁解した。たしかに、白人支配層の間の政権交代の儀式のようなもので、じじつクーデターといっても流血の争いとなることは稀だった。

 しかしその後ペルーでは左翼の体制批判が暴力化、ゲリラ化し、同国では裁判官たちがゲリラの報復テロを恐れて彼らに重罪の判決を下すことを避けるようになり、混乱は深まった。フジモリ氏が大統領選に立候補したとき、ペルーの日本人たちは混乱に巻き込まれる事を危惧して反対だった。しかし、大統領となったフジモリ氏は貧民対策とテロ対策を果敢に実行し庶民の高い支持を得た。

 しかし、任期の後半では民主主義のルールに背くことも増え、復活を目指す白人支配層と左翼ゲリラの双方が反フジモリで一致するようになり、事態は当初日系人たちが恐れた方向に進んだ。結局は貧乏籤を引いたとも言える。いつか正当な評価を受けるよう願わずにはいられない。

2024年9月9日月曜日

日本人の「行きたいアジア」アンケート

  朝日新聞の土曜別刷のbe(9月7日)に5年半ぶりにアンケート調査の「be ランキング」が復活し、第一回は日本人の「行きたいアジア」がテーマだった。20位までの順位のうち上位は1 台湾、2 シンガポール、3ベトナム、4韓国 5タイ。以下、8香港、14中国などなど。

 私はタイと台湾は低運賃の南回りのヨーロッパ往復とネパール観光の中継地としてのバンコクと台北の空港に立ち寄っただけ。どちらも空港以外は知らない。一位の台湾の人気は日本からの近さも大きいだろうが、韓国はもっと近い。やはり、親日度が原因なのか。私も訪問できなかったことを心から残念に思う。4位の韓国は私の勤務先の大学で2〜3年間同僚だった韓国人教授の強い勧め(脅迫に近い!)と「冬ソナ」の故地の魅力で訪問したが、ほぼ満足。

 中国とヒマラヤ観光のネパールは観光目的で訪ねた。漢詩にうたわれる江南の春もよかったが、雲南省や四川省の巨大なスケールの自然も満足度は高かった。雲南省の大理(大理石の産地)のさらに北の長江が数十メートルの幅の激流となる虎跳峡など驚きそのものの光景だった。共産党の独裁が続く中国に共感は持てないが、文化も自然も満足度は高かった。

 最近ウクライナ軍が侵攻して名が知られたロシアのクルスクは史上は独ソの戦車戦(史上最大と言われる)で名高いが、ツルゲーネフの館の所在地でもあり、彼の『猟人日記』の舞台でもある。世界の多くの文化人が訪ねたトルストイの館のヤスナヤポリヤーナも遠くない。地下のご両人は何を思っているだろうか?

2024年9月2日月曜日

津田梅子の使命感

  このたび新五千円札の図柄に選ばれた津田梅子について、私も通り一遍の知識は持っていたが、磯田道史氏の軽妙な司会で知られるNHKの『英雄たちの選択』の津田梅子篇(8月6日)を見て改めて彼女の努力の跡を知った。

 6歳の彼女が明治の初年に山川捨松らと数人の女子留学生に選ばれ、11年間を米国で勉学に励んだこと。帰国後「女子英学塾」を開いて日本の女子教育に多大の貢献をしたことなどはよく知られている。私が新しく番組で知ったのは、彼女の父の津田仙も幕末の米国派遣留学生であったこと。帰国後の彼女が華族女学校の英語教師として勤めたことは知っていたが、その後の彼女が教育研修のため再び渡米し、米国の名門ブリンモア女子大で3年間生物学を研究し、指導教授と連名で生物学論文を発表していたこと。大学の研究者として残る道を断念して故国での教育者の道を選んだこと。帰国すれば米国での先端的研究を諦めることになると知りつつ日本での女子教育者の道を選んだ強い使命感に感じ入った。

 そうした決断はおそらく彼女だけではなかったろう。初代の東京女子大学長を務めた新渡戸稲造博士も米国留学中に日米間の不平等条約批判の演説に熱心だった。そこに男女の違いはなかった。両者が五千円札の図柄に選ばれたのは偶然だろうが。

2024年8月27日火曜日

理解に苦しむ高級腕時計ブームの時代

近ごろ、時代物のスイス製の高級腕時計が高値(むしろ超高値)を呼んでいるとはなんとなく聞いていた。今朝の朝日新聞の『多事奏論』というコラムに「資産になった高級時計」という文章が載っている。それによると一部の時代ものの高級時計の価格は何千万円にも達するという。 投機のための所持も多いのだろうが、高額の賃料を払って借りる人もいると聞くと高級時計そのものの魅力が大きいのだろう。

 私はカメラは十台ほど所持したことはあるが、ライカM6を除きすべて実用のための道具としてだった。それでも白状するとオメガを2度入手したことはある。最初のものはアラスカのアンカレッジ空港の売店で入手した。まだソ連が民間航空に上空を開放していなかった頃、ヨーロッパへの往復はアンカレッジ経由が一般的であり、夏休みの何回かのフランスでの図書館通いで滞在費が余ったとき、空港の売店でオメガを入手した。しかし電池式はいっ時はネジを巻く必要がないとして流行だったが、一年か二年で電池を交換する必要があり、その後すたれた。その後日本でネジ巻き式のシーマスターを求め、長い期間所持した。しかし、特別に愛情を感じることもなく、電池式のそれとともに最近手放した。

 けっきょく、時計に実用性しか求めなかった私に現在の高級腕時計ブームは理解不能ということ。今はただ、アンカレッジ空港時代が懐かしい。昔を今になすよしもがな。

2024年8月24日土曜日

農協職員から学者知事へ 蒲島郁夫氏の見事な人生

 今朝の『朝日新聞』で14回にわたり続いた前熊本県知事の蒲島郁夫氏の自伝?が終わった。地方政治家執筆のものとしては異例の扱いであり、また、そうした扱いに値する企画だと思う。

 樺島氏は高校卒業後に熊本県の農協の職員に採用された。牧場を持つことが将来の夢だったが、その後、派米農業研修生に選ばれ大学で農学を、ついで大学院で政治学を学ばれた。帰国後は筑波大教授ついで東京大学教授となり、さらに郷土の熊本県知事を14年間務めた。私は以前から同氏に注目していたが、今回の自伝を読みあらためて尊敬の念を深めた。

 唯一不満があったのは熊本県の人吉盆地を流れる川辺川のダム建設を中止させ、2020年の同地の水害の誘因をつくったこと。民主党を中心とする連合政権が「コンクリートから人へ」のスローガンのもと無駄な公共事業にストップをかけた際に、川辺川ダムと群馬県の八ッ場ダムがともに何十年にもなる反対運動が目的を達して計画廃止となった。

 しかし、2020年の人吉市の水害で川辺川ダムは建設再開となった(八ッ場ダムはそれより早く)。「コンクリートから人へ」のスローガンは一般論として誤りだとは思わないが、過去に何回も水害を起こしている川辺川の場合、中止は妥当ではなかった。今回の自伝がわずか数行の弁明で済ませているのはどんなものか?

 それはともかく蒲島氏の人生はやはり見事という他ない。当時とは時代が違うとは言え、家庭的に必ずしも恵まれていない若者へのこの上ない励ましではなかろうか。

2024年8月17日土曜日

手入れのとどかない庭

 もともと庭の手入れなど、家内に迫られて最小限で済ませていたが、バチが当たったのか先月初旬に左手首の準骨折で除草機が使えなくなり、八重葎とはこういうことかと思うほど夏草に庭を占領されてしまった。それがかえって良かったということも無いだろうが、二、三年前から咲き始めた山百合が今年は数本に増え、それぞれが数個の白い花を次々と咲かせている。

 清楚な白百合は大学の名前になっているぐらい尊ばれているが、私は何色であれ色つきであればなあと思う方。バルザックに『谷間の百合』という名作がある。読んだことはないので何色か想像するしかないが、一般的なのはフランスでもニッコウキスゲのようなオレンジ色なのか?

 もう訪れることは難しくなったが、尾瀬や信州の高原に咲くニッコウキスゲ。もっともっと写真に撮っておけば良かったと軽い後悔をしている。

2024年8月12日月曜日

奇想の国フランス

 ようやくパリ・オリンピックが終わった。これはフランスの責任とは言えないが、既述したようにテレビチャンネルをどこに回してもオリンピックという期間もあり、閉口した。しかし、男女のマラソン放送など、地上を歩いても分からなかったパリの建築物群の美しさ、途切れない並木、それらを睥睨するエッフェル塔など、あらためてパリの美しさに感じ入った。
 他方、セーヌ川での開会式や水泳競技や気球を使った聖火台?など相も変わらぬ独創性の発揮ぶりが目立った。さすが奇想の国フランス!
 このブログで既に紹介したか確かでないが、戦後ドゴール空港を新設したとき、空港ビルは円筒形で(地下エスカレーターで入る)、その外周の数カ所に旅客機乗降用のブリッジがあり、他の空港とは異なり他の力を借りることなく自力で発着していた。さすがフランス的天才(genie francais)だといたく感じ入ったが、のちに増設された駐機用ビルは他国と同じ横一列で、自力で発進は不可能だった。アイデア倒れだったのだろうか?
 そう言えばヨーロッパ諸国の政体が君主制だった18世紀末フランスは、「自由 平等 友愛」を旗印に大国としては稀な共和政を発足させた。当時としてはまさに「奇想の国」だった。しかしヨーロッパの大国でフランスほど政体変更がひんぱんだった国はない。それでも新しい実験に突き進むところがフランスの面目躍如と言うべきだろう。

2024年8月9日金曜日

日米開戦の裏面

 長崎への原爆投下日に関連して今朝の『朝日』に原爆開発の関連記事でピューリツァー賞をとったニューヨーク・タイムズ記者のウィリアム・ローレンス(当時は原爆開発チームの広報担当に移籍)のことが紹介されている。

 記事文の中のローレンスの後年?の発言「これから死ぬかわいそうな悪魔たちに哀れみや同情を感じるだろうか。いや、真珠湾(攻撃)やバターン死の行進を考えれば、それはない」を知って腹が立った。真珠湾攻撃が開戦通告前の不意打ちだったとして「リメンバー パールハーバー」の一句が一躍、米国民の対日敵意を高めたことはよく知られている。それに対して戦後のわが国では在米大使館員たちが前夜に会食をして翻訳通告が遅れたこと、開戦通告文が異例の?長文で訳出が間に合わなかったことなどが弁解として挙げられた。その通りかもしれないが、私は長文の通告文は奇襲を成功させるためのの策略だった可能性はなかったかとの疑いを持っている。 しかし、真珠湾攻撃はまったくの軍事施設攻撃であり、東京らの都市空襲や原爆投下のように当時の国際法でも明白な違反だったのではない。

 他方、当時米国の植民地だったフィリピンでの米比軍の降伏に際して、捕虜たちが炎天下に数十キロ歩かされ少なくない死者が出たことが「バターン死の行進」と宣伝され、米国民の対日敵意を高めた。しかし、米比軍がマニラ湾のバターン半島やコレヒドール島の要塞に立てこもり降伏したとき、その人数は予想をはるかに超える多人数で、トラックによる輸送は不可能だった。後知恵としては捕虜の輸送をそれほど急ぐ必要があったかとの疑問はあるが、とにかく日本軍の能力を超えていた。

 真珠湾攻撃も「バターン死の行進」も、対枢軸諸国への参戦を熱望していたルーズベルトに最大限に利用されたことは否定できない。野党の共和党からは「裏口からの参戦」と批判されたが。むろん、日本の対米開戦の愚かさは言うまでもないが。


2024年8月5日月曜日

 人口減の心配 神戸まで!

  今朝の『朝日』に我が多摩市と神戸市の現況がそれぞれ、「老いる団地 幻聴が聞こえる」と「タワマンやめた 神戸の選択」として紹介されている。多摩市の記事は全国の公団住宅団地の現況の一例として驚くことは何もなかったが、天下の神戸!が中心地の将来の人口減少を予想しているとは驚いた。

 私が大学一年のクラス会に出席したとき、神戸出身の同級生が東京と神戸の違いは鯛と鰯の違いですと言ったのに驚いた。まだ東京に東京タワーもない時代。それにしてもあんまりだと思った。その20年ほどののち、私のゼミの卒業生が大阪で結婚式を挙げると言うのでゼミ仲間たちと出席した。翌日は神戸見物だったが、タクシーの運転手が「神戸には大したものは無い」といって連れて行ったのは天下の?山口組の組長の邸宅だった(むろん外から見ただけ)。当時はポートアイランドもなく、北野の異人館街が観光資源になるなど想像も出来なかった。

 それにしても天下の神戸市が将来の人口減を見越して対策を考えているとは.............。全国の自治体の苦しさはすでに尋常ではないだろう。対策として移民歓迎と言いたいところだが、彼らが住み着くのは仲間に会える大都会とその近郊だろう。邦人の若者もどうせ耳を傾けてくれないし、まさか大震災の到来に期待もできないし、対策なしとしか言いようがない。

2024年8月4日日曜日

 オリンピック種目は多ければよいのか?

  オリンピック放送がうっとうしいなどと書いたら変人扱いされるだろうか? しかし昨晩7時にテレビチャンネルを回したら、同時刻に5局(NHKだけで通常波とBSで2局)がオリンピック放送。他に日本のプロ野球2局となるといい加減にしてくれとも言いたくなる。

 どうしてこんなことになったのか。もちろん新種目の増加が第一の原因である。東京大会からパリ大会にかけてだけでもスケートボードやブレイキンなどが新しく採用されただけではない。従来からの種目でも体重別の細分化や(男女)混合種目が増えた。これを隆盛とだけ捉えてよいのだろうか?

 むろん新しい種目がすべていけないなどとは思わない。しかし、スケートボードで14歳と15歳の競技者が金メダルを取ったなどと聞くと、苦節十年の競技者は本心から納得できるのだろうか? また、オリンピックの多種目化のためテレビから疎外されたと感じる高齢者は私だけなのか? 恐竜類は巨大化のため滅びたとの説(異説あり)を信じたくなる!

2024年7月29日月曜日

公団住宅の今昔

  今朝のテレビ放送はパリ・オリンピックの報告を満載(新聞もそれに近い)。私も決して無関心ではないが、とてもすべての種目には付き合いきれず、録画したテレビ番組のうち、八千代市の花見川団地を取り上げたNHKの「マンモス団地を歩いてみれば」(7月26日放映)を見た。元の団地住民として感慨なきにあらずだった。

 私が何回も落選したのち初めて入居した昭和30年代、各戸風呂付きで水洗便所方式の公団住宅は多くの人の憧れの的だった。川口市の先の鳩ヶ谷団地と川越市に近い東上線沿線の霞ヶ丘団地、それに名古屋市東郊の虹ヶ丘団地にそれぞれ2〜3年入居した。都心から遠く、五階でもエレベーターはなく、夏休みのある教員としては五階の天井の熱気は辛かった。しかし、入居者は近い年齢の人が多く、住みやすかった。隣家の大阪出身の若夫婦が大きな音でラジオをつけるのには困ったが、人間関係への影響を考慮してしばらく我慢した。しかしとうとう音を小さくしてくれと頼んだら「さよか」となんともあっさりと音を絞ってくれた。それが大阪流なのか、付き合いに何の変化もなかった!

 閑話休題。現在の花見川団の七千世帯(入居率50%程度)は老人世帯が中心で、昔のような活気のある住宅地ではなく、かつての憧れの団地生活ではないようだった。しかし、家賃は高くないし、外国人など新住民にはありがたい存在であってほしい。

2024年7月24日水曜日

片手では出来ないことの多さに気づく

  月初の日曜日にバスの時間を気にして急いだら、つんのめって左手と右足を痛めた。大抵の病院は休みなので地域病院の緊急窓口の世話になった(治療はしない)。放射線診断の結果は、大きな骨折はないとのことで、今後痛みが増したり体温が上昇したらすぐに専門医に診てもらえということだった。痛みはすぐにはそれほど減らなかったが、別の用事に追われ、週末まで専門医に診てもらわなかった。

 現在は左手にギブスをつけている。治療効果が徐々に現れることを期待じているが、意外だったのは左手(左利きなら右手)の効かない不便さだった。手拭いは片手では絞れないし、左手で押さえていないと右手の効果も半減以下のケースが多い。

 それで思い出したのだが、同業で数年先輩のSさん。かなり早く脳出血の後遺症で片手が効かなくなった上に、やがて夫人に先立たれたが、弱音を吐かなかった。私に不便さを訴えてもどうなるものでもないが.............。私の場合完治するかどうかは別とし、家内の助けはある。それにタブレットという強い味方がある!




2024年7月19日金曜日

トランプ氏より危ういバンス氏?

  米国の共和党大会がトランプを次期大統領候補に選んだのは予想通りであるが、銃撃事件がそれを熱狂的支持に変えた。これでは高齢で頭の回転が鈍くなった(多数の証拠!)バイデンでは太刀打ち出来まい。しかし、私が共和党大会で驚いたのはバンス氏が副大統領候補に選ばれたことである。

 同氏が『ヒルビリー・エレジー』で経済的困窮にあえぐラストベルトの状況を描いて一躍名を馳せたことは私も知っており、邦語訳が出れば読んでみたいとも思っていた。しかし、同書の人気で連邦上院議員になっていたとは知らなかったので驚いた。しかし、その政治的立場はトランプ以上に超保守的なようで心配である。

 メキシコ国境に壁を作って以来、トランプが反移民を売り物にしていることは周知の通り。しかし私の見るところ、彼の反移民を始めとする保守主義の大半は彼の信条に基づくが、同時にそれが白人優位の現体制の後退を心配する大衆にアピールする効果を十二分に計算しているだろう。ところが、バンス氏の場合、そうした政治的計算よりも100%彼の信条に由来する。この見方が正しいとすると、彼はトランプ以上に危険な人物にも思える。これが杞憂なら良いのだが.............。

2024年7月15日月曜日

銃社会の米国

  米国でトランプ前大統領が銃撃された。同国では銃撃死した大統領だけでもリンカーンからケネディまで4人。ほかにレーガンなど危うく逃れた大統領もある。

 しかし被害者は著名人だけではない。米国ではほぼ毎年学校が襲われ何人もの生徒や教師が亡くなっていると聞く。我が国での同種の事件は2001年、宅間守が大阪教育大附属池田小学校で生徒と教員あわせて15人(13+2)を包丁で刺殺して以来、聞かない。厳しい銃規制の有無の違いである。

 それだけ悲惨な事件が絶えないのに米国では市民の銃保持の権利を否定しない。その起源は米国が対英独立戦争に際して市民出身の民兵(ただちに銃を手にして参加するという意味でミニットマンと呼ばれた)が活躍して以来、市民兵制度が伝説化したためと聞く。

 それ以来、今回の様に100メートルを超える距離から対象を狙えるほど銃器が進歩したのに米国は銃保持の権利に固執する。他国の伝統を批判しても時間の無駄と言われれば一言もないが.............。

2024年7月12日金曜日

兄の葬儀

 週初、95歳の兄の葬儀が新大久保のルーテル派の教会で営まれた。当人の年齢からも、また多年愛知県で医院を営んでいた経歴からも親族以外の出席者は考えられないので、不釣り合いな大きな教会堂だったが、久しぶりのステンドグラスの美しさが印象的だった。平瀬家は神道の家柄だったが、先に入信した兄嫁の希望に従い?、兄もキリスト教に入信していた。

 私は式の前日に足を痛めていたので新宿駅からは教会へも中野区の火葬場もタクシーに頼るほか無かった。そのため新大久保の有名な韓国料理や中国料理のレストラン街はタクシーの車窓から眺めるだけだったが、壮観ではあった。

 しかし、久しぶりに郊外から都心それも下町を訪ねて圧倒される思いだったのは、隙間なくびっしりと立ち並ぶ大小の建物群で頭上の抜けるような青空が川のように目に映じたこと。思わず『智恵子抄』の「東京には空が無い」の語句が頭に浮かんだ。

 帰路が通勤ラッシュと重ならないよう、そのあとの食事会は欠席した。十年に一度ほどの親族の集まりに出席できないのは残念だったが、体調からしてやむを得なかった。それでも息子は久しぶりに二人の従兄妹とその家族との再会を満喫したようだ。親族への兄の最後の貢献ではあった。



2024年7月7日日曜日

イランの夜明けとなってほしい

 イランの大統領選で対欧米柔軟派のベセシュキアン氏が保守強硬派のジャリリ氏を300万票差でやぶったとテレビニュースが伝えている。これがイランの国際社会への正常復帰を意味すれば良いのだが、同国には大統領の上に立つイスラム教シーア派の「最高指導者」ハメネイ師がこの結果をすんなり受け入れかは分からない。しかし、イラン国民の意志は明らかとなった。私はイラン国民の快挙と言いたい。

 イランだけでもイスラム教だけでもないが、国家が宗教的規範を国民に押し付けるのは時代錯誤も甚だしい。男性は顎髭を、女性は最低限スカーフを着用しなければならないなど、宗教が個人(とりわけ女性)の自由を束縛するのもいい加減にしろと言いたい。そもそもイランは古代ペルシャの時代、世界でも指折りの文明国だったのに、のち政治的には退化を遂げたと私には思える。それを何とか言いつくろうとする我が国の主流派のイスラム教研究者たちには賛成できない。

2024年7月2日火曜日

 富士登山の季節始まる

  梅雨はまだ明けないが、今日から富士登山が解禁となった。ところが何しろ近年の富士登山ブーム。一番人気の河口湖口からの登山は山梨県が有料化(2000円?)と人数制限(4000人)を導入したと聞く。富士登山には静岡県側にも三つの登山口があり、とりわけ富士宮口は河口湖口とほぼ同じ高度までバスで到達できる。そのうえこちらは入場料も人数制限もないのだが、東京からの交通の便の良さからか河口湖口が人気がある。入山料と人数制限で今年は少しは状況が変わるだろうか?

 登山人数の過剰とともに問題となっているのが深夜に登り頂上付近で朝日(ご来光)を拝む「爆弾登山」である。たしかに短時間での急行登山は健康上の危険を伴う。しかし、富士山の山小屋は昔から数少なく、登山者の一部しか宿泊できまい。したがって「弾丸登山」の制限は登山者の人数制限以上に実行困難ではないか?

 以前にこのブログに書いたが、40年前の私の富士登山も「弾丸登山」だった。山小屋数の飛躍的増加がない限り夜行登山は無くならないだろうし、夏山しか素人にはむずかしい以上、山小屋の大幅増加は望めない。人気があっても無くても困るとは皮肉である。

2024年6月28日金曜日

ヨーロッパの君主制の現在

  別に特記するほどのことではないが、天皇皇后ご夫妻の英国訪問に際し英王室はお二人に最大限の親しみを込めて応対された。 なにしろ明治以来、日本の皇室はイギリス王室を見習ってきた面が強いし、それを知る英王室も日本の皇室を弟分と見做して来ただろう。

 近代とりわけフランス革命以後、ヨーロッパでは君主制に疑問が投じられたが、その先頭に立ったフランス自身がその後2度の王政復活と二度のナポレオン帝政を経験した。他方、ヨーロッパ自身でも北欧3国やオランダ、ベルギーなど君主制を維持したし、スペインに至っては一度は共和国になったが、数十年後に王制を復活させた。21世紀の現在、ヨーロッパでは君主制の効用が見直されつつあると言っても過言ではない。古式ゆかしいパレードや儀式が国民に自国への誇りを掻き立てる面もあろう。

 これに対し米国大統領選でトランプとバイデンが、大統領選が始まったばかりなのにもう悪口を投げ合うさまは美しくない。しかし、今日の朝刊に中国の国防相が2人続いて解任され、国民に碌に説明もないと知ると、対立が国民に見える国、本人が国民に直接訴えれる国の良さは認めたい。のの

2024年6月21日金曜日

 都知事選の2人の有力候補

  政治資金規制法をめぐる対立にやっとケリがついたと思ったら、今度は都知事選がメディアの恰好のテーマとなっている。東京都の年間予算は国家予算の1割にもなるとかで、知事選の重要性もさることながら、国政の先行きを占うという点で今回はとくにメディアに注目されているようだ。

 候補者が今回は56人とか。ふざけるのもいい加減にしろと言いたくなるが、やたらに供託金を値上げして候補者数を減らすのも正解とは言い切れない。 

 国会議員選挙が首相を間接的に選ぶのに対し知事は直接に選ばれるため、これまでも職業政治家をおさえて作家やタレントが選ばれることが多い。その極端な例が青島幸男東京都知事と横山ノック大阪府知事だった。前者には「世界都市博」廃止という「功績」?があったが、後者にはその程度の「功績」もなかったと思う(私が大阪のニュースにうといせいか)。

 小池百合子氏と蓮舫氏、どちらが適任かは別とし、女性候補同士の対決となったのは時代を反映しているのだろう。

2024年6月16日日曜日

「政治改革2024」をどう評価するか  私見

 私の記憶では自民党国会議員の資金パーティーの参加費20万円の不透明処理から始まった今回の「政治改革」は曲折を経て、参加費5万円で間も無く決着となりそうだ。朝日新聞(6月15日)に、14日の参院特別委員会で与野党が指名した4名の参考人(すべて大学教員)の主張が掲載されている。立憲民主党と公明党推薦の2人の参考人がそれぞれ自民党由来の案に不十分であると批判的なのはわかる。しかし、自民推薦の飯尾潤氏が「政治資金パーティーをやめると、代わりの手段が出てくる.............。むしろ機会を設け、関係を明らかにすることで資金管理が可能になる」と肯定的。維新推薦の中北浩爾氏は「政治資金が浄財ではなく、汚いもののような前提で議論されていることを危惧している。献金やパーティへの出席は国民の政治参加の有力な手段」と一定の評価をしている。同感である。

 私は他の部分の評価には詳しくないが、これ迄の20万円の参加費の上限を5万円と4分の1にしたのはかなりの前進で評価に値すると思う。  メディアは政治への関心の低さから選挙で棄権する人たちの問題性の方をもっと取り上げてよい。

2024年6月14日金曜日

訂正

  前回のブログで1966年の6月にアロマンシュの米軍墓地を訪れたと書いたが、4月の誤り。文中の「国家資料館も国家図書館の誤り。国家資料館に通ったのはその10年ほどのちでした。

2024年6月9日日曜日

 私のオマハ海岸

  80年前の6月6日の米軍主体のノルマンジー上陸作戦を記念する式典に旧連合国の指導者たちが集まった。あらためてこの作戦の規模と戦闘の激しさを思い出し、厳粛な気持ちになった。

 1966年の6月、私はパリの国家文書館に日参するため安ホテルに泊まっていた。しかし、その年の復活祭のある数日間は先約の客に部屋を明け渡さなければならず、他のホテルに当たったがどこも断られ((復活祭休暇は旅行シーズンの始まり)、これを機会に地方を訪ねることにした。 シャルトル、オルレアン、モンサンミッシェルと泊まりを重ね、最後にノルマンジー上陸作戦の地アロマンシュを訪ねた。

 のちにミシュランガイドのノルマンジーの巻が詳しいと聞いたが、当時は英国で入手したポケット版のガイドブックに、作戦名のオマハ海岸はアロマンシュという町とあり、行けば分かるだろうと簡単に考えていた。しかしフランス人がオマハの呼称など尊重するはずもなく、大いに迷った。しかし、曲折はあったが、最後には見渡す限り白い十字架(ときどきユダヤ人のダビデの星)が並ぶ広大な米軍墓地に出た。

 なるほど上陸地点に選ばれる筈と思わせる広大な砂浜が広がり、それを見渡す小高い丘にあずまや風の展望所と米国旗の掲揚塔があった。この墓地の用地ははフランスから寄贈されたと聞く。戦後も何かと米国に楯突いたドゴール大統領も反対はしなかったようだ。 

 墓地では2組のアメリカ人家族を見かけたが、アジア人の私たちを見て怪訝な顔をした。当時は敵国人だった日本人としてちょっぴり居心地が悪かった。米国人としてはここはゲティスバーグにも比すべき聖地だろう。私は彼らに話しかける気にはならず、降り出した雨に追われて、まだ遠いパリに向けて車を発進させた。

2024年6月3日月曜日

石川雅規と和田毅

  昨日のプロ野球でのヤクルトの石川雅規投手の23年連続勝利がどの新聞でもトップ扱いとなっている。私が早くから彼に注目した発端は彼が青山学院大学出身だったから。その後は多くの同大学出身者がプロ野球で活躍するが、当時はそのこと自体が珍しくかった。しかも入団のころ(今日あらためて調べたら)身長も体重も私の学生時代とほとんど代わりなかったとは! ともかく豪速球投手とは正反対の彼が23年間プロ野球で活躍し続けたことは偉大といってもよく、頭が下がる。

 同じ昨日、同じく豪速球とは縁のないソフトバンクの和田毅投手が広島カープを相手に5回2安打、0点に抑えた。惜しくも勝利投手にはなれなかったが、彼もまた私が心中密かに?応援してきた小さな大投手である。石川より1歳下で2人は夏の甲子園大会で投げ合ったこともあるとか。高校卒でプロ入りして以来、今日まで軟投型で勝ちを重ねてきたのだろう。野球が体力勝負のスポーツでないことを示した彼と石川には是非とも野球の殿堂入りを遂げてほしい。

 

2024年5月29日水曜日

 インバウンド外人との超短い対話

  半月ほど前、所用があり都心を訪ねた。京王線で新宿に出てメトロで四谷三丁目駅を往復した。最近、インバウンドの外人観光客で各地が賑わっている(京都など困っている)とは無論聞いていた。東京はそれほどでも無さそうだが、それでもメトロでは往路でスペインの女性と、復路でイタリアの女性と隣席となった。私が話しかけたくて近づいたのではない。どちらも席が空いたので座ったら隣が外人だったのである。

 外人と得意になって話していると他の乗客たちに思われたくなかったので、どちらとも下車駅のふた駅前まで待ち、お国はどちらと聞いたら南スペインとイタリアだった。ついで「日本をエンジョイ出来たか」と訊ねたら、両人とも「大いに」とのことで私も嬉しかった。

 ところが、両人に私も南スペインやイタリアを訪ねたことがあると話したが、具体的な都市名が全然思い出せない。スペインは国際歴史学会出席の際にマドリードとトレドを訪ねたし、他の機会にグラナダ、セビリア、コルドバを満喫した。イタリアも英国の友人とフィレンツェやピサを(彼も初めての大陸旅行だった)、のちに遅れて渡英した家族とローマ、フィレンツェ、ヴェニス、カプリ島などを訪ねているのにミラノしか即座に思い出せなく、なんとも情けなかった。これからは訪問したヨーロッパの各地の名を記したメモを持参しなければ!

2024年5月24日金曜日

パレスチナ紛争解決の第一歩は………

  ガザの戦場には大きな変化はないが、国際政治面では最近注目される変化があった。国際刑事裁判所(ICC)がイスラエルのネタニヤフ政権の幹部とハマスの最高幹部たちを戦争犯罪者として訴追したことと、スペイン、ノルウェー、アイルランド三国によるパレスチナの国家としての承認であり、私はどちらにも賛成である。
 ICCによるイスラエルの現政権訴追は新しくないが、今回はICCとして始めてハマス幹部も戦争犯罪者として訴追したことであり、私は賛成である。私は以前から、イスラエルによるパレスチナ人への攻撃だけを非難する米国の大学生たちの運動には共感できなかった。
 私にはパレスチナ問題の解決には平凡だがオスロー合意(イスラエルとパレスチナの両国家共存)しか考えられない。その意味ではスペインら三国によるパレスチナ臨時統治機構の国家としての承認に大賛成である。                              今はヨルダン川西岸だけを統治する同機構の腐敗や統治能力不足を指摘する声が絶えないが、1960年代のアジア・アフリカ諸国の独立ののち、独裁やそれに伴う腐敗を経験している国家は枚挙にいとまがない。だからと言って植民地独立が誤っていたわけではあるまい。

2024年5月19日日曜日

馬毛島の現況

 あれは二、三年前だったか、大隅半島沖の種子島(西表市)から西に10kmほど離れた無住の小島の馬毛島が自衛隊の艦載機の離着陸訓練タッチアンドゴーの場となるとの報道があり、西表島の市長が反対しているとのことだった。今は無人の同島にはかつての滑走路跡があり、むろん大改修(むしろ新設)が必要になるが、現在、自衛隊岩国基地から1700キロ離れた硫黄島での離着陸訓練を400キロ離れた馬毛島に移せば多大なムダが省けると思った。

 たまたま視聴したテレビ番組では、現在は米空軍の訓練地と共用の自衛隊の基地として1年前から造成が進行中とのこと。そのため漁師たちは本来の漁業よりもはるかに高収入になる資材運搬などに従事し、漁業から離れているとのこと。いつまでも続く仕事ではないにしろ、地方経済にプラスなら大いに貢献してほしい。

 ともあれ、馬毛島の利用で自衛隊にとって多大なムダが省けるだろうし、米軍機の訓練の頻度などは不明だが、多少でもそのぶん沖縄の負担が減らせるなら二重に望ましい。むろん今後も沖縄の基地負担を減らすための本土側の努力は欠かせないが。

2024年5月15日水曜日

 シャープとソニー

  今朝の各紙に家電メーカーのシャープの「テレビ用液晶撤退」と、もはや家電メーカーと言い切れないソニーの過去4年連続の最高売上高(13兆円)が並んで報じられている。私のような古い世代の人間は企業経営の難しさを今さらに感じさせられる。

 日立や東芝などと異なり両社とも戦後の新興企業だが、どちらも半導体やテレビといった時代の花形の商品を作って先行企業に迫る勢いで名を挙げた。当初は洗濯機などの家庭電器が主だったシャープが液晶テレビで先輩企業を追い越したかに見え、ソニーも極小トランジスターラジオで世界にその名を知られた。私は留学先で短波放送で日本のニュースを知りたくて英国製トランジスターラジオを買ったら学生仲間で笑いものとなった!

 ソニーもその後一時、人員整理を迫られた難局はあったが、ゲーム機や半導体や米国の映画会社の買収などで拡大再生に成功した。シャープの場合、同じ家電の(それだけでは無いが)東芝の身売りを見れば経営陣の不手際などと安易に決めつけられない。新しい分野で第一人者となって社員を安心させてほしい。

 

2024年5月13日月曜日

 政治家だけが悪いのか?

  自民党の派閥の裏金事件を受け、政治資金の規制強化が課題となっている。みずから作った法律や取り決めに違反して良いはずがない。素人のわたしには細部は分からないが、速やかに改善策を講じてほしい。しかし、現代の日本でメディアの政治家批判はきびしいが、政治家だけが悪いのか?有権者の側には問題はないのか(低い投票率も勿論だが)。

 昨日の『朝日』にめずらしく!、有権者の側にも批判の矢を向けた記事が載っている。「選挙対策 かさむ出費」「地元会合 1万円X数百回 風評恐れ減らせず」との見出しで、政治家に対する業界団体や住民の金品の要求は風習と化しているとのこと。

 むろん政治家の側の問題点を指摘するのが悪いのではない。しかし、それだけでは片手落ちというもの。それとも有権者の側を批判して購読者の反発を買いたくないのか。まさかとは思うが.............。その点、今回の『朝日』の記事には拍手したい。


2024年5月6日月曜日

 異民族の共生の明暗

  英国の首相が少し前からインド系でヒンズー教徒のスナク氏であることは私も知っていた。オクスフォード大の卒業生で大変な資産家らしいが、かつてインドを支配した英国の舵取り役がインド系とは驚きである。私が留学中の1960年代の半ば、ロンドンのあの特徴あるヘルメット姿の巡査に初めてインド系英国人が採用され、本人の満面の笑顔の写真を見た記憶があり、その後の進化の大きさを思った。

 ところが、今朝の『毎日』で、ロンドン市長もしばらく前からパキスタン系のイスラム教徒と知り驚いた。私の滞在時のロンドンより多民族的とは思うが、アングロサクソン系がまさかマイノリティとも思えない。ひるがえってわが国で韓国系や台湾系の首相や市長が誕生するのは相当先ではないか? 植民地支配の長さも違うが..........。

 他方、英国がルワンダに金銭を援助する代わりに在英の同国人を送り返そうとしている。一見、身勝手な印象を与えるが、英国へと小船で渡ったりトラックの荷室にひそんだりして不法入国するアフリカ人が絶えず、有効な対策を講じなければ政権党からの脱落も有りうる状況で、放置できないと考えたのは理解できる。他民族の共生は必ずしも他民族の混住でなければならないとは思えない。

2024年5月2日木曜日

 『いちご白書』の再現?

  今朝の『毎日』か『東京』(メモなしではどちらか思い出せない!)の記事に往年の米国映画『いちご白書』への言及があった。むろん、現在の米国の大学生たちのガザ反戦の対イスラエル抗議運動との関連からの言及である。私自身は1960年代末の大学紛争では学生たちの追及を受けた側なので必ずしも良い思い出ではないが、ユーミンの『いちご白書をもう一度』の甘美なメロディの故にか映画の『いちご白書』を見たいと思っていたら、先日のテレビ放映で希望を満足させることが出来た。しかし、映画の『いちご白書』での学生たちは日本の学生たちよりもずっと奔放な印象で、ユーミンの音楽のようには馴染めなかった。

 当時の大学糾弾運動が日米ともベトナム反戦運動の強い影響を受けていたとは言えるだろう。米国はアジアの民族解放運動の敵対者と学生たちは捉えた。しかし、「民族解放戦線」と名乗っていても本心は共産主義国家の樹立であることは米軍撤退後直ちに明らかとなり、命がけで国外脱出を図る「ボートピープル」の悲劇を生んだ。「ベトコン」指導者たちの愛国心を疑うものではないが、ひとたび独裁を選んだらそれを脱することがいかに困難かにはもっと敏感でありたいものである。

 

2024年4月28日日曜日

 女性天皇で何がいけない!

  今朝の東京新聞に共同通信社による皇室に関する最新の世論調査の結果が載っている。それによると女性天皇への賛成は90%。女系天皇への賛成と「どちらでもよい」の合計が84%。天皇制自体については「あったほうがよい」と「どちらかと言えばあったほうがよい」の合計84%であった。

 私には至極当然の調査結果と読める。以前にもこの欄に書いたが、君主制の成立条件はやはり血筋ではないか。現在の天皇には直系の後継ぎが居られるならそれがベストではないか。伝統重視はひとつの道だが、過去にも女性天皇は複数おられたし、本格派の前のつなぎの(stop gap)天皇ではなかったと聞く。であれば、女性天皇は日本の伝統に反するわけではない。

 そうした過去もあるのに女系がどうの、遠い宮家からどうのなど、国民は何を言っているのかと思うばかり。大衆週刊誌での秋篠宮家や紀子妃へ失礼極まる記事が絶えないようだ。一刻も早く不自然な選択を断念すべきではなかろうか。

追記 ごく最近のこのブログに国スポ(旧国体)の存続の再検討を促す全国知事会長の発言が東京新聞に載っており、賛否はともかく他紙もこの問題を報ずるだろうと私は期待したが取りあげたのは『毎日』一紙だけだった。邪推ならよいのだが、新聞もテレビもいまや大きなコンテンツとなったスポーツ欄へのスポーツ界の反応を恐れて会長発言を無視しているのでは無いか?もしそうならジャニー氏の悪行を知りながら報じなかったことへの反省はどうなったのか。

2024年4月21日日曜日

 天野芳太郎氏の活躍

  今夕、TBSの『世界遺産』という番組に偶然チャンネルを合わせたら、「空から迫るナスカ地上絵の謎」を放映していた。同遺跡は我が国でも謎めいた遺跡としてかなり前から広く知られてきたが、最近さらに地上絵が多数発見され、しかもその発見に山形大学が多大な貢献をしているとの紹介が大きな部分を占めていた。

 ペルーのアンデス文明の解明に日本人の天野芳太郎氏が多年にわたり協力し、現地に高名な「天野博物館」を創設したことも良く知られている。しかし、同氏が第二次大戦中に米国の日系人収容所に入れられていたこと、交換船で対戦中に帰国し、反米的な著書を二つ発表したことはほとんど忘れられているようだ。

 天野氏は実業家としての海外での活躍を志し、日米開戦当時は中米パナマで志を実現しつつあった。しかし当時パナマを実質支配していた米国はパナマの邦人を捕らえ、米国内の収容所に入れた。同氏は日米交換船で帰国後、『我が囚われの記』(汎洋社  1943  中公文庫 1983)で日本人収容の不当性を訴え( ただし個人として米軍将校の善行も紹介)、さらに翌年、スペインによる征服に徹底的にあらがった原住民の紹介『南米史話 アラウカノ族のごとく』( 同社 1944)を出版した。なぜか両書とも我が家にあったので、くり返し読んだ記憶がある。そのため、戦後にアンデス文明の紹介者として天野氏の名を見ても同一人物とは直ぐには分からなかった。それにしてもスケールの大きい日本人として特記に値する人物だった。

2024年4月17日水曜日

家鼠との闘い

  家鼠が十数年ぶりに悪事を働いた。4日ほどの間隔をおいて家屋内の板戸が齧られた。食い散らかすという表現がピッタリで腹が立ったが、どこを通って「家宅侵入」したかが全く分からない。 

 ともかくも正攻法で闘える相手ではないので殺鼠剤を最初の被害後すぐ購入した。思わず人間様が口に入れたくなる様なピンク色の大豆ほどの粒で、初回は無視されたのが意外だった。しかし、2回目はかなり減っていたので万歳を叫びたかったが、死体がなかった。しかし、それから3日ほどのちの今日、庭先で一匹死んでいると家内が告げた。アリがたかっていたのも驚きだったが、それ以上に尻尾を除いた体長が数センチしかなかったのが意外だった。こんな小者が板戸2枚を齧ったとは.............。

 庭に埋めて一件落着となり、ホッとした。同情は起きなかった。私は冷血漢なのか!

2024年4月12日金曜日

 国民体育大会に存在意義はあるか

  昨日の東京新聞に「知事会長言及 国スポ(旧国体)の行方」「開催地に負担 廃止も一つの考え」との見出しの記事が載っている。やっと惰性に終わりが来るかと、村井嘉浩宮城県知事(全国知事会長でもある)を応援したくなった。

 戦後すぐの1946年から毎年開催されてきた国民スポーツ大会(旧国民体育大会)はわが国のスポーツ競技の振興に多大な貢献をしてきたのだろう。何しろ当初は外国での競技大会への参加は水泳など人気スポーツだけの特権だったから。しかし、その後多種のスポーツで海外の競技会への参加は当たり前になった。もはや国体の役目は果たされたと言えるのではないか。

 何よりも国体そのものが形骸化していないか。記事にもあるように1964年以降は開催県が38大会連続で天皇杯を獲得するなど輸入選手の活躍しか考えられず、優勝は開催県にとってノルマと化しているのではないか。本末転倒というしか無い。

 それだけでない。開催を機にスポーツ施設を新設するなど(ハコモノ主義)、すべての施設が本当にふさわしい規模なのか疑わしいケースもあろう。来年の開催県の佐賀県の総事業費は590億円とか。多いか少ないかは各人の価値観にもよるが、同県にとって最も差し迫った資金の使い方なのだろうか? ともあれ、村井嘉浩氏の問題提起がうやむやにならぬよう注目したい。

2024年4月7日日曜日

松江原発の再稼働は危険

  今朝の東京新聞の『こちら特報部』という欄に松江原子力発電所の活動再開可能性の記事がかなり大きく報ぜられている。再稼働に内心は積極的な行政側と反対派ないし慎重派が対立しているという。

 私は原理として我が国の原子力発電に反対はしない。東日本大震災でも牡鹿半島の女川原発は周囲に迷惑をかける事故は起こさなかったし、福島第一原発の場合も東京電力が堤防をあと数メートルケチらなかったら悲惨な結果を避けられた可能性はあったようだ。しかし、松江原発の再稼働には反対である。

 原発と松江市の距離は10キロメートル、クルマで30分しか離れておらず、避難計画が必要とされる30キロ圏内には約45万人の住民がおられるとのこと。同じように周辺人口の多い茨城県の東海原発とともにひとたび重大事故があれば影響は多大だろう。それだけではない。松江市には美しい松江城と小泉八雲の旧居がある。どちらも文字通り国の宝と言ってよく、壊れたら再建するといった話ではない。

 全国には原発を招致してでも地域の衰退を防止したいと考える自治体はあろう。それに口出しはしたくないが、日本と当該地域の魅力を構成するような文化遺産を原発の危険にさらしたくない。

2024年4月4日木曜日

AI化に追われる私

  毎週木曜日は多摩市の市立図書館はすべて休館になるので隣の日野市の高幡図書館に通う。ついでにその先の私設の魚市場に毎度立ち寄るのでマイカーで往復する。その帰りに広い駐車場のコンビニでこれまではちょっとした買い物をしていたが、最近店員では無く機械対応となった。新しいことを学ぶのは面倒なのでその後は路上駐車の近所のコンビニに場所を変えた。

 最近テレビの番組でアナウンサーが詳細はQRコードでと言う場面が多くなってきた。大変便利なものを発明したものだと考案者の功績には頭が下がるが、スマホを使わない私には役に立たない。どんな時代でも新技術の広汎な採用には利用できない者が不満を覚えるのは仕方がない。

 マイナンバーカードは夫婦とも作ってかなりになるが、一度も利用したことはない。しかし、AI技術に暗い私でもこれが行政の簡素化に資するだろうとは想像できる。発足時の不具合がメディアに叩かれたが、世の中には同姓同名で生年月日の同じ人がいたとのことなら我慢するしかない。どうせ私は長生きしてもあと数年なのだから(そんなに長く無い!)。

 

2024年3月28日木曜日

桜花の季節に

 例年、この季節になると桜の開花情報で日本人の心は落ち着かなくなる。無論私もその例外では無い。西行の昔からそうなのかも知れない。

 桜前線とも呼ばれるように、一般に日本列島の桜の開花時期は南から北へと北上するのだが、最近知られたように桜の開花時期は寒い時期からの温度差も左右する。私が大学入学のため4月10日ごろ上京したとき、熱海あたりの桜は満開間近の印象だった。ところが、下宿に近い井の頭公園の桜は落花が始まっており、不思議に感じた。

 その後というより最近になって河津桜ををはじめとして植えられる桜の種類も各地で増え、桜花の季節も以前ほどには短期間では無くなったようだ。私は日本を訪れる外国人観光客にはぜひ満開の桜を見てほしいと思うので、さらに多種の桜を植えてほしいと思う。

 戦前の世田谷の我が家にも桜の木はあった。しかし、戦時中に薪の入手が困難になり、切り倒され風呂の燃料となった(ガスは未だ台所にしか無かった)。そうした状況は我が家だけでも無かったろう。西行には見せたくない光景だった。

2024年3月24日日曜日

ケインズのヴェルサイユ条約批判

  昨23日の朝日新聞の土曜恒例の書評と新刊紹介のページに、J.M.ケインズの『新訳 平和の経済的帰結』の紹介がかなり大きく載っていた。ケインズと言えば戦後の一時期、「マルクスかケインズか」などとも評されたケインズ経済学の創始者であるが(並び称されるほどの人か素人の私には分からない)、本業で有名になる前に第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和条約が復讐的で将来に禍根を残すと警告した本書で一躍有名になった。

 ヴェルサイユ条約の「不平等性」(とくに過大な賠償金)がナチスの興隆に大きく貢献したことは否定し難く、本書が先見の明を評価されたのは誤りではない。しかし、パリ講和会議に出席した米国代表団の一人は回想録で、「ドイツが賠償金を全額支払うなどと信じた者は一人もいなかった」と記している。それなのに過大な賠償金額を定めたのは、そうしなければ国民の怒りに戦勝国政府は耐えられなかったのである。

 フランスだけではない。大戦中に英国では労働党を中心に「外交の民主的統制」という主張が叫ばれ、力を得た。君主国といえども国民の意志にもっと縛られるべきだとの主張はむろん真っ当だが、君主や取り巻きの一存で講和条件を決めることの困難を倍化させた。さらにフランスではドイツ軍により北部を占領されていた間に国土は荒廃させられ(末期に退却するドイツ軍は炭鉱を破壊して去った)、全期間外国領で戦ったドイツが賠償金を支払わないなど考えられなかったのは無理もなかった。ケインズのベルサイユ条約批判は正論ではあったが状況が許さなかったのである。

2024年3月23日土曜日

訂正

  前回、too small ,too lateと書いたが、too little ,too lateがベター。訂正乞う。

2024年3月22日金曜日

公定金利の引き上げ too small, too late ?

 ここ何年か懸案となっていた公定金利の引き上げ(と言っても たった0.1%)が実現したが、為替も株価も予想に反してむしろ上昇している。この程度では大勢に影響はないと軽く見られたのか。経済に疎い私には何とも言えないが、面白くない!

 安倍内閣と黒田日銀の超低金利政策が日本経済の長期停滞を打破するためであったことは分かる。しかし、その目標が2%のインフレと聞くと分からなくなる。戦後のインフレを知る小生の古い頭ではインフレなど無いに越したことはないし、今やわが国でも数多い年金生活者もそうではないか?

 しかもそのインフレを起こすための国債発行額が巨額(国と地方の債務残高1300兆円)に達している。奨学金の充実を始めとする教育費援助の充実には賛成したいが、まさにその年代の人たちが、のちに借金返済に苦労することにならないか?負債のない未来を残すことは我々の世代の努めではないのか?

 家計と国民経済の運営は違うと言われれば私に自信はない。ただし、与野党の違いを越えて政治のタガが弛んでいると感じるのは老婆心にすぎないか。

2024年3月12日火曜日

懐かしき人びと

 先日、ガザ紛争に関するテレビ番組にイスラエル研究家のI氏が出演しており、私の旧知の故人Iさんのご子息だと思った。のちにタブレット端末で調べたらどうやら別人らしいが、それがきっかけで今は亡きIさんら在外研究仲間を思い出し、無性に懐かしかった。

 1960年代後半に私が留学した英国の大学(university)は30余の学寮(college)から成り、後者の一つでは私より先に2人の日本人教授がおられた(私は院生)。その1人のIさんは当時は大阪市大の教授(のち東北大)だったが、海軍兵学校の最後?の卒業生で、『日本の海軍』という新書本をのちに書かれた。当時日本から持ち出せた外貨(700ドル?)を私が使い果たしたので、Iさんの分を使わせて頂いたこともある。氏の縁故で3人でダートマスの海軍兵学校の式典に招待されたことなど良い思い出である。

 もう1人のOさんは北大教授(政治思想史)で剛毅な人だった。帰国便の予約のためのロンドンの日航支店までのドライブに誘われ同行した。しかし、日航支店の近くの駐車スペースが先客で満杯で、閉店時刻が迫ってきた。するとOさんが、「平瀬君、行って閉店時間を延ばすように話してくれ」と言い出した。さいわいスペースが空いたので助かったが、いくら当時の日航支店は小さかったとはいえ驚いた。札幌では北大教授なら無理を聞いてもらえるのか(まさか!)。

 私の留学期間が1年を過ぎるとIさんもOさんも帰国され、SさんとNさんが学寮に入ってこられた。都立大教授のSさんは我が国の英国労働党研究の大御所であり、当時の民主社会党を支持する文化人で最も高名な人。のち参議院議員にもなられた。温厚そのものの人で、すでに大家だったのに、熱心に労働党関係の資料を読んでおられた。

 他方、Nさんは私より年少者で社会人類学を専攻する院生。毎日食堂で顔を合わせるのですっかり親しくなった(のちには家族同士も)。彼は私の帰国後、アフリカの原住民の部落に1年間住み、帰国後『××民族誌』として公刊した。大変多才な人で、英国の競馬史にも親しく、一度はNHKの競馬番組の解説者を務めた。ところが中継のカメラが大事なシーン(多分)を撮りこぼしたら、「だからNHKはダメなんだ」と叫んでしまった。やはり、その後の競馬番組に呼ばれることはなかったようだ。数年前、その後の彼の最近の住所(なんと同じ市内だった)を探し出し、20年前の拙著『英国の石造アーチ橋』を贈った。しかし返書はかなりの乱筆だった。一番に見てほしい人の1人だったが…。

2024年3月10日日曜日

訂正

  前々回のエッフェル塔の建造年は1898年ではなく、1889年の誤り。失礼しました。

ガザへの海上からの食料補給計画がやっと!

  イスラエル軍のガザ全面制圧が進むにつれ、住民への食料や医薬品の供給が急務となっている。先週あたりからやっと海上からの補給計画が動き出したようだ。

 イスラエル政府が壁を越えて攻撃を仕掛けたハマスをどれほど許せないにせよ、非武装の住民を飢えさせるのは人道に反するし、それだけで無く、犠牲者数の増大はハマスの侵攻目的に合致するから。

 私はガザ南端のラファの国境解放が実現しないのはイスラエル政府の意志なのか、エジプト側の意志なのか測りかねた。現在のエジプト政府はハマスの仲間であるイスラム同胞会系の政府を打倒した軍部政権でパレスチナ人の大量流入を警戒する動機はある。そのいずれでも無く単に港らしい港がガザ海岸には無いのか、不思議に思っていた。

 大型トラックの輸送力も船舶のそれには到底及ばない筈。今回ようやく特別に桟橋を新設するとのこと。もうサウジらの仲介によるイスラエルとハマスの協定成立を待つことなく、人道的措置として米軍単独でも行動すべきだろう(略奪阻止の必要も加わった)。我が国も求められれば資金面の協力を惜しむべきでは無いのは無論である。

2024年3月6日水曜日

大阪万博の「二億円トイレ」への批判は正しいか?

  ほぼ毎日、図書館で他紙(と言っても2紙ほど)に目を通しているが、夕刊までは対象外である。ところが今朝、偶然に昨夕の『東京新聞』を手にしたところ、「2億円トイレ 理念理解を」との見出しの大阪万博のトイレの記事が載っていて同感を禁じ得なかった。

 大阪万博当局が会場のトイレ8箇所の設計を若手建築家の競作に委ねた。そのうちの何箇所かは知らないが、1億9千万円のものもあり、壮大な無駄であるかのようにメディアの格好の批判の対象になっている。しかしこの記事によれば、1箇所の便器が数十器といった超大型トイレの話であり、「過去から学び、転用可能に」するなど工夫もなされており、設計者が「(2億円トイレといった)言葉が独り歩きしている」と反論しているという。

 大変妥当な記事で、日頃『朝日』以上に野党的な『東京』が? と驚いたが、同紙は他紙以上に日頃から文化面に力を入れている印象で、若手建築家たちの内々の批判を無視出来なかったのだろう。1898年のパリ万博に際して作られたエッフェル塔も同時代のボードレールやモーパッサンに手厳しい批判を浴びたが、今ではパリ屈指の名所となっている(自民党代議士もその前で浮かれてしまうほど!) 文化的価値評価は私の得意では無いが、エッフェル塔ほどパリ再訪を意識させる建築はない。

2024年3月1日金曜日

隣国の与える教訓

  韓国の少子化が我が国をはるかに凌駕するとは聞いていたが、昨日の朝刊各紙に同国の統計庁の最新の出生率の発表の数字が掲載されている。結果は、我が国の一昨年の1.26に対し、昨年の韓国は0.72とのこと。

 少子化は多くの先進国に共通の現象だが、0.72とは夫婦2人の後継者が1人に達しないということ。我が国も他国を心配する余裕などないが、これでは韓国は将来の小国化が避けられない(もっとも韓国には朝鮮半島の統一というウルトラC級の解決策がある)。

 先進国に共通する少子化の原因は女性の家庭からの解放や晩婚化が挙げられる。しかし、日韓の差はそれでは十分には説明できない。各紙の指摘するように韓国の首都圏に人口の半数が暮らすという異常さや、それと無関係では無い進学競争や就職難の激しさだろう。

 しかし、我が国も韓国ほどでは無いが、首都圏への人口の集中や進学競争の激化は顕著であり、対策を急がなければ韓国の姿は明日の日本の姿だろう。さいわいわが国には京阪神というもう一つの核が存在する。この地域の振興は待ったなしであり、万国博の開催は半世紀前ほどのインパクトは無いかもしれないが、大きな一助(形容矛盾だが!)ともなりうる。隣国はそれを教えているのでは無いか?

2024年2月28日水曜日

半世紀の逃亡の真の責任者は誰?

  ほぼ半世紀前の連続企業爆破事件の犯人の1人と見られる桐島聡が司法の追求を逃げおおせて形の上では自由のまま死んだ。しかし、何という寂しい死か。

 彼が所属した「東アジア反日武装戦線」は企業人10名近くを死に追いやった(他に負傷者多数)過激派集団であるが、桐島個人は殺人容疑ではなかったらしい。それなら損得でいえば自首しても重い刑にはならず、何年か後には刑期を終えて出所していたのではないか。死の直前、警察の追及に対し「後悔している」と答えたなら、それも有りではなかったか? 少なくとも国家権力への憎しみとはすでに縁切りしていただろうに。

 半世紀前、我が国で大学を中心に燃え盛った新左翼運動と東アジア反日武装戦線との関連は良くは知らない。しかし、ベトナム反戦運動をはじめとする同じ時代状況から生まれたとは感ずる。桐島聡らに犯罪を革命運動と教化した知識人たちは反省しただろうか? 

2024年2月24日土曜日

訂正

  前回のブログで親ソ派としたのはすべて親ロ派の誤り。失礼しました。

世代によるウクライナ評価の違い?

  ロシアによるウクライナ侵攻から満2年を迎え、新聞各紙もテレビ各局もロシアやウクライナの専門研究者たちの発言を載せている。以前から何となく感じていたが、研究者の年齢によってロシアを強く批判する若手と、ロシアへの全面的批判に踏み切れない年配者に分かれるかに見える。

 一昨日の朝日新聞の『交論』という欄に、若手の広瀬陽子慶大教授と年配者の塩川伸明東大名誉教授の2人の論考が載っており、どちらも無論専門研究を生かしたものだが、世代差を感じさせられた。前者の論旨はこの2年間の主流派メディアのそれ(むしろその形成に同氏も寄与した?)に近いので省くが、後者は10年前の「マイダン革命」を大半のメディアのように腐敗した親ソ派政権を打倒した民主主義革命と解する若手に対し、「不法なクーデターだという見方も」あるとし、「最終局面では暴力の要素が増大した」とする。

 私はロシアやウクライナの政治の門外漢だが、マイダン革命で権力の座を追われた親ソ派政権も国民の投票で選ばれていた筈。国民を怒らせた彼らの腐敗も現政権でも変わらず続いているようだ。メディアが物事を善と悪の対立と描きたがるのは毎度のことではあるが.............。

2024年2月15日木曜日

大学入試の多様化は万能か?

 今朝の朝日新聞は「変わる大学入試」との見出しで三人の識者の論考で現在の大学入試の状況を問題提起している。付図によると、2023年度の入学者は一般入試が48%、推薦が36%、 総合型(面接や過去の学校外の活動の重視)が15%のこと。選抜方法は学力テストが圧倒的に重要だった私の受験時代とは大きく異なっている。

 課外活動の重視など、この数十年間の学生選抜方法の多様化は入学者の多様化を促すと私も信じ、一定程度なら賛成だった。ところが識者たちによるとことはそれほど単純では無いとのこと。例えば入試科目と無関係な課外活動が評価される推薦や総合型では、「体験をお金で買える富裕層が圧倒的に有利」とのこと。

 私が海外留学していた半世紀余り前、『(ロンドン) タイムズ』が、学力だけを問う日本の大学入試を徹底したメリットクラシー( 能力主義)と紹介し、当日の朝のカレッジの食堂で話題ともなり、私はちょっぴりだが誇らしかった! しかし、朝刊紙の識者のひとりによると、その後の選抜方法の改善を経ても家庭の経済格差や文化格差がものを言う「ペアレントクラシー」(「親ガチャ」の逆 )の結果、「選抜方法の多様化が、学生の多様化につながっているかは疑問です」とのこと。

 さいわい、「未だ学歴社会の日本で、受験は『階級』を逆転できる一大イベントでもある』とすれば、奨学金制度の一層の充実など正攻法で改善してほしい。

2024年2月8日木曜日

丸の内での再会

 今朝、食事を摂ったのちテレビのスイッチを入れたらNHKニュースは半ばを過ぎ、「山梨のステキな日本一」というテーマを取りあげていた。それによると、海なし県の山梨はマグロの消費額は全国第二位とのこと。
 山梨県の名産品ではアワビの煮貝が古来知られている。ブドウのような農産物ならともかく、静岡県から1日かけて運んでくるなら生鮮品よりも加工品として売るのが賢明だったろう。しかしマグロは山梨県では調理してではなく鮨ネタとして食されている。ただし、醤油ではなく甘ダレという「甘ジョッパイ」タレを上に載せて食べる。少なくも出演者は大変美味しいと言っていた。
 その後の番組は山梨県の宝石類に話題を移した。古来水晶の産地として知られた土地だけに、今では各種の宝石の加工地として文字通り日本一となっても不思議はなく、私も甲府駅の北すぐの宝石博物館(いまは山梨ジュエリー・ミュージアム)を訪ねたことがある。ところが駅構内で当地出身の元ゼミ生とパッタリ会って驚いた。私は甲府駅で乗降したことは無く、このゼミ生の結婚披露宴にも同級生たちと1472メートルの柳沢峠をクルマで越えて出席した (日曜午前の中央高速道の下りは渋滞の名所で全く予定が立てられない)。 博物館訪問のときは駅南のパーキングを利用したため、駅構内での邂逅となったのだろう。思えばゼミ生の住所も博物館の住所も同じ「丸の内」だった。

2024年2月6日火曜日

西武デパートの無い池袋とは.............。

 最近、池袋の西武デパートが閉店するとの報道があったためか、今朝の朝日新聞の「ぶらりぶらり」というコラムが池袋の過去と現在を取り上げている。

 半世紀以上も東京の郊外に住みながら私の池袋との縁は、戦前戦中に井の頭線沿線(当時は帝都電鉄!) に住んで利用した渋谷や、現在都心に出るたびに利用する新宿と比較すれば縁が薄かった。それでも全く無縁ではなく感慨は皆無では無い。大学生のころ叔父の家が西武線沿線の大泉学園にあった縁でその地の病院で盲腸とサヨナラしたし、その後の2年間下宿したのは同線の練馬駅下車の下宿で、同家の長男の「ラジオ少年」に私の五球スーパー作りを助けてもらった。  その間、通学のため毎日池袋駅を利用したし、駅前広場のビルの一階の中古カメラ店で身分不相応のニコンFを購入した。さらにその後、東武東上線の上福岡の公団住宅にやっと入居し、たった2年間だが池袋との縁は尽きなかった。

 そうした私にとって西武デパートの無い池袋は考えにくいし、まして長年にわたり池袋駅を利用する人たちには難しいだろう。「万物は流転する」との古代ギリシアの哲学者の言(名前は忘れた!) を柄にもなく思い出した。今はただ、池袋駅を利用する通勤通学客の利便が損なわれないよう願うばかり。

訂正 前回のブログの毎日新聞の2月1日は2月2日の誤り。悪しからず。

 

2024年2月2日金曜日

宗教と寛容

  一週間ほど前?、 新聞各紙に国連パレスチナ難民救済事業機構(UNRWA)の職員12名が今回のガザ紛争の発端のイスラエル領攻撃に参加しており、機構は直ちに彼らを解雇したとの短い報道があった。その詳報はようやく『読売』(1.30)と『毎日』(2.1)に掲載された。それによるとガザでの同機関員の人数は一万三千人。現地採用なので大多数はパレスチナ人とのこと。その報道を受けて欧米や日本など16ヶ国が機構への援助金の拠出金を停止した。これがガザ難民にとって大打撃であることは言うまでも無い。

 パレスチナ人の若者が同地の現状への憤りのあまり反イスラエルの実力行使に加わるのは無論分からないではない。しかし、対立を仲裁すべき国連機関の職員が中立的立場を放棄して動乱に参加すれば困るのは結局はガザ住民である。救済機関自身も職員150人が死んだと言う。周知のとおり宗教や宗派を異にする信徒の対立抗争は珍しいものではなく、ヨーロッパ自身、キリスト教の新旧両派に分かれて殺し合った過去を持っている。しかし、その過程で徐々に寛容の大切さを学んだ。現在の中近東は未だ、神の正義の実現のためには人権も人命さえも至上の価値ではないという段階なのだろう。ここの人々が寛容の価値に目覚めるのはいつの事なのだろうか。

2024年1月25日木曜日

 「友軍の砲火」による死

  最新の報道によれば、ロシア軍の捕虜となっていたウクライナ兵65人を乗せたロシア軍の輸送機がウクライナ軍のミサイルにより撃墜され、ロシア人の関係者9人を含め全員が死亡したという。ウクライナ側はまだ責任を明言していないようだが否定もしていない。戦場の混乱の中では友軍を攻撃してしまうことはあり得ること。英語では (death by) friendly fireと呼ぶ。戦死はどんな場合も心痛む災難だが、ようやく故国に帰る喜びに浸っていたであろうウクライナ兵には何ともむごい結果だった。現在の戦争に終止符が打たれない限り、類似の状況下での死は続くだろう。

 ソ連の解体以来、西側諸国はロシアを敵視はしなかったが大国の待遇を認めることをせず、ロシアの自尊心をいたく傷付けた。NATO加盟国は15カ国から30カ国に増え、ウクライナが31カ国目となることをロシアが甘受すると思うほどに鈍感になっていた。ウクライナ戦争は3年目に入っても終わる兆しが見えず、両国民の苦難は続いている。またウクライナ危機は国際政治における中国と北朝鮮の地位をますます向上させている。

2024年1月19日金曜日

大戦下のパリの日本人たち

  新聞の新刊書の広告で藤森晶子著の『パリの「敵性」日本人たち 脱出か抑留か 1940ー1946』(岩波書店)の公刊を知ったので早速購入した。第二次大戦中のパリはその大半の期間中、ドイツ軍とそれに協力させられたフランス政府の統治下におかれた。日本はその時期のほとんどドイツの同盟国だったので、パリ在住の日本人たちは食料の特配を受けるなど、生活に苦しむパリ市民の羨望の対象となった。

 大戦下でドイツ兵と親しく付き合ったためパリ解放後に丸刈りとされたフランス女性たちの研究書の著者である藤森氏は、たまたま群集に捕まり引き立てられる日本人の写真を見て、ドイツ軍占領下の在仏同胞の徹底調査を志した。私は同時期のフランス政治(とくに対独協力派)について半世紀前に学会発表をしたことがある。しかし本書によりパリに残留していた少なくない数の日本人について教えられること多大だった。

 ドイツの敗北の兆しが感じられたとき、ギリギリでパリの日本人たちの大半はシベリア鉄道で帰国することができた( 当時のソ連は日本との交戦国ではない)。 しかし、夫人がフランス人だったりフランスを熱愛したりでパリに残留した人たちは「敵性外国人」として少なくともフランス政府には敵視された。著者の多大の努力にもかかわらず、写真の引き立てられる日本人の素性は明らかにならなかった。ところが後日、その写真を見たベトナム人はこれは自分の同胞に間違いないと主張した! 真相は確かめようが無いが、たとえ日本人でなかったとしてもそれが機縁となって重厚な一書が誕生したことを祝福したい。

2024年1月12日金曜日

盛岡の魅力

  もう一年前とはむろん知らなかったが、ニューヨーク・タイムズの特集記事で盛岡市がロンドンに次ぐ世界で2番目の都市として紹介された事実が最近になって話題を呼んでいる。今朝の朝日新聞が「海外の目 足元の『価値』を照らす」との見出しで大きく取りあげている。鎌倉市在住の米国人作家の紹介が端緒とのことで、権威ある調査機関が選んだわけではないし、盛岡市民自身が「うそだって」、「盛岡でいいの?」と口をそろえているように、大方の日本人にとっても意外至極だろう。

 私自身は東北旅行の途次に複数回訪ねている他に、勤務先の大学の初代学長の新渡戸稲造の学内研究会の活動の一環として、盛岡市内の『盛岡市先人記念館』(視察当時はたしか『三偉人記念館』という名称で新渡戸稲造と米内光政と金田一京助の3人が対象だった)を訪ねている。

 しかし、平均的日本人が盛岡の名で思い出すのは、わんこそばや南部鉄器もさることながら、やはり石川啄木と関連する岩手山と北上川と不来方の城跡ではないか? 新渡戸稲造との縁の深い職場に奉職した身で失礼は承知の上でだが、花巻の宮沢賢治と共に文学作品の持つ影響力の大きさをあらためて痛感させられる。

2024年1月9日火曜日

図書館員への長い苦言

  一昨日、駅前の図書館分室で日課の新聞読みをしていたら一見紳士風の男が若い女性の館員に抗議を始めた。低い声なので原因は分からなかったが、おそらく、格別に北西風の強い日なのにそちらに面した窓( 15度ぐらい開く)が全開だったことへの苦言だったろう(翌日は閉まっていたので)。 私自身当日窓に近い机付きのその席を避けたので、館員への注意は不当ではないが、彼女はおそらく規則に機械的に従ったのだろう。それにしても10分近い苦言で館員が気の毒になった。しかし、割って入れば矛先が私に向かう可能性は低くない。それも困るのでしばらく仲裁の文言をあれこれ考えた挙句、「図書館への注意には時間制限があって良いのでは」と言ってみたら、相手は意外におとなしく抗議をやめた。館員がお礼を言いに近づいてきたので目配せして制止した。紳士の怒りが再発しては困るので。 おかげで昨日も今日も紳士とは何事なく済んでいる!

2024年1月4日木曜日

驚きの元旦

  年の初めの元旦に大きな災害と肝を冷やす事故が発生した。能登半島には私は史学科の研修旅行でとプライベートな旅行と二回訪ねており、変化に富んだ自然と独特の地方文化など充分に楽しんだし、他人にも自信を持って推奨できる旅行先だった。天災からの最速での復興を願うばかりである。

 震災だけでも驚きなのに同じ日に時間をおかず羽田空港で航空機事故が発生するとは......。   しかも能登の災害地への物資輸送の海上保安庁の職員たち数名がその犠牲になるとは。死者のご冥福を祈るしかない。私は寡聞にして空港での運行指示が英語とは知らなかった。それが事故の一因でなければ良いが.............。私は機長の責任を厳しく問う気にはなれない。

 それに対して日航機の乗員と乗客379人が全員無事だったことは驚きであり、外国紙が奇跡だと報道しているのもむべなるかなと思う。幸運もあっただろうが、地道に訓練を重ねてきたcabin attendantたちの沈着さと恐怖を抑えて彼女らの指示に従った乗客たちも立派と評するほかない。外国での日本人の評価を一挙に高めたのではないか? 国民栄誉賞の条件は知らないが、年末の日本政府の表彰に日航の乗務員たちの表彰は欠かしてはならない!

 

 

2024年1月2日火曜日

年賀状あれこれ

  アイスランドの首都の風景を皮切りに18年間 (2004年~2022年)、写真入りの年賀状を作ってきたが、一昨年秋に風景写真集『一期一会』を自費出版したのを機会に昨年は最後の写真無しの賀状を出し、これで打ち止めにすると告げた。百余枚程度になった宛名書きが面倒になったからだが、今年は例年の3分の1程度になりそうだが賀状を頂いている。中止宣言?を失念されたか、返しはなくとも自分は出すとの意向なのか分かりかねている。さしあたり版画などの自作を取り入れた賀状だけには此方も出さなければと考えている。しかし、私の賀状が届かない方も私が有り難く思っていることは知ってほしい。身勝手かも知れないが。

 18年間、私の写真入り賀状の注文を受けてくれた写真店も去年閉店した。写真入りの賀状など自作する人が増えたのか。 念のため店主の名刺だけは頂いておいたが、再会はおそらく街頭での偶然だけだろう。時々は私の2冊の写真集を開いて「徒然なるまま」を埋めてくれたらと思っている。