ペルーのフジモリ元大統領が亡くなった。わが国の諸新聞の同氏評価も前半期の治安面での多大な貢献と後半期の民主主義のルールを逸脱した強権的政治の側面の指摘と、管見の限りではほぼ一致している。誤りではないが、私はフジモリ氏はもっと評価されてよいと感ずる。
1960年代まで南米諸国ではクーデターが誇張すれば日常茶飯事だった。その代表格だったアルゼンチン人の級友に私がそうからかったら彼は、「いや、あれはミリタリーパレードだ」と弁解した。たしかに、白人支配層の間の政権交代の儀式のようなもので、じじつクーデターといっても流血の争いとなることは稀だった。
しかしその後ペルーでは左翼の体制批判が暴力化、ゲリラ化し、同国では裁判官たちがゲリラの報復テロを恐れて彼らに重罪の判決を下すことを避けるようになり、混乱は深まった。フジモリ氏が大統領選に立候補したとき、ペルーの日本人たちは混乱に巻き込まれる事を危惧して反対だった。しかし、大統領となったフジモリ氏は貧民対策とテロ対策を果敢に実行し庶民の高い支持を得た。
しかし、任期の後半では民主主義のルールに背くことも増え、復活を目指す白人支配層と左翼ゲリラの双方が反フジモリで一致するようになり、事態は当初日系人たちが恐れた方向に進んだ。結局は貧乏籤を引いたとも言える。いつか正当な評価を受けるよう願わずにはいられない。
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