2024年8月9日金曜日

日米開戦の裏面

 長崎への原爆投下日に関連して今朝の『朝日』に原爆開発の関連記事でピューリツァー賞をとったニューヨーク・タイムズ記者のウィリアム・ローレンス(当時は原爆開発チームの広報担当に移籍)のことが紹介されている。

 記事文の中のローレンスの後年?の発言「これから死ぬかわいそうな悪魔たちに哀れみや同情を感じるだろうか。いや、真珠湾(攻撃)やバターン死の行進を考えれば、それはない」を知って腹が立った。真珠湾攻撃が開戦通告前の不意打ちだったとして「リメンバー パールハーバー」の一句が一躍、米国民の対日敵意を高めたことはよく知られている。それに対して戦後のわが国では在米大使館員たちが前夜に会食をして翻訳通告が遅れたこと、開戦通告文が異例の?長文で訳出が間に合わなかったことなどが弁解として挙げられた。その通りかもしれないが、私は長文の通告文は奇襲を成功させるためのの策略だった可能性はなかったかとの疑いを持っている。 しかし、真珠湾攻撃はまったくの軍事施設攻撃であり、東京らの都市空襲や原爆投下のように当時の国際法でも明白な違反だったのではない。

 他方、当時米国の植民地だったフィリピンでの米比軍の降伏に際して、捕虜たちが炎天下に数十キロ歩かされ少なくない死者が出たことが「バターン死の行進」と宣伝され、米国民の対日敵意を高めた。しかし、米比軍がマニラ湾のバターン半島やコレヒドール島の要塞に立てこもり降伏したとき、その人数は予想をはるかに超える多人数で、トラックによる輸送は不可能だった。後知恵としては捕虜の輸送をそれほど急ぐ必要があったかとの疑問はあるが、とにかく日本軍の能力を超えていた。

 真珠湾攻撃も「バターン死の行進」も、対枢軸諸国への参戦を熱望していたルーズベルトに最大限に利用されたことは否定できない。野党の共和党からは「裏口からの参戦」と批判されたが。むろん、日本の対米開戦の愚かさは言うまでもないが。


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