ほぼ半世紀前の連続企業爆破事件の犯人の1人と見られる桐島聡が司法の追求を逃げおおせて形の上では自由のまま死んだ。しかし、何という寂しい死か。
彼が所属した「東アジア反日武装戦線」は企業人10名近くを死に追いやった(他に負傷者多数)過激派集団であるが、桐島個人は殺人容疑ではなかったらしい。それなら損得でいえば自首しても重い刑にはならず、何年か後には刑期を終えて出所していたのではないか。死の直前、警察の追及に対し「後悔している」と答えたなら、それも有りではなかったか? 少なくとも国家権力への憎しみとはすでに縁切りしていただろうに。
半世紀前、我が国で大学を中心に燃え盛った新左翼運動と東アジア反日武装戦線との関連は良くは知らない。しかし、ベトナム反戦運動をはじめとする同じ時代状況から生まれたとは感ずる。桐島聡らに犯罪を革命運動と教化した知識人たちは反省しただろうか?
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