2024年4月12日金曜日

 国民体育大会に存在意義はあるか

  昨日の東京新聞に「知事会長言及 国スポ(旧国体)の行方」「開催地に負担 廃止も一つの考え」との見出しの記事が載っている。やっと惰性に終わりが来るかと、村井嘉浩宮城県知事(全国知事会長でもある)を応援したくなった。

 戦後すぐの1946年から毎年開催されてきた国民スポーツ大会(旧国民体育大会)はわが国のスポーツ競技の振興に多大な貢献をしてきたのだろう。何しろ当初は外国での競技大会への参加は水泳など人気スポーツだけの特権だったから。しかし、その後多種のスポーツで海外の競技会への参加は当たり前になった。もはや国体の役目は果たされたと言えるのではないか。

 何よりも国体そのものが形骸化していないか。記事にもあるように1964年以降は開催県が38大会連続で天皇杯を獲得するなど輸入選手の活躍しか考えられず、優勝は開催県にとってノルマと化しているのではないか。本末転倒というしか無い。

 それだけでない。開催を機にスポーツ施設を新設するなど(ハコモノ主義)、すべての施設が本当にふさわしい規模なのか疑わしいケースもあろう。来年の開催県の佐賀県の総事業費は590億円とか。多いか少ないかは各人の価値観にもよるが、同県にとって最も差し迫った資金の使い方なのだろうか? ともあれ、村井嘉浩氏の問題提起がうやむやにならぬよう注目したい。

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