2024年10月8日火曜日

軍部独裁より恐ろしい宗教独裁

  ガザの戦乱が始まり昨日で一年経ったという。ヨーロッパ諸国もわが国も宗教的目的の追求を国家目標としてはいないが、中東諸国ではイスラエルも含めてそうではないと今回改めて思い知らされる。今朝の東京新聞にガザのハマスのメンバーが4万2000人のパレスチナ人の犠牲を「後悔していない」と語ったと読んだ。これでは4万人の死はハマスとイスラエルの共作と言うべきではないか。宗教目的を国家目的とすることの恐ろしさである。他方イスラエルは近代国家ではあるが、ユダヤ教のある極端派は兵役を免除されていると最近読んだ。ヨーロッパでも絶対平和主義者が個人として兵役を免除されることはあるようだが集団として兵役免除とは驚きである。

ガザの戦乱は最近ではレバノン南部に拡大しつつある。イスラム教徒のヒズボラとイスラエルの武力抗争は今に始まったわけではない。しかし、私が不思議に思うのは関連報道の中でレバノン政府への言及が皆無であること。もはや同国政府の威令はゼロなのだろう。他方、レバノンと同様にイスラエルの隣国である王制国家のヨルダンは戦乱とは全く無縁。軍人独裁のエジプトも同様である。同国はナセル大統領が第三次中東戦争に敗れて失脚したのち、サダト、ムバラク、シーシと穏健な軍人大統領が続いて宗教独裁を免れ、戦乱とは無縁である。王制や軍人独裁というと遅れていると決めてかかる人が少なくないだろうが、イスラム国ではトルコのケマルパシャ以来むしろ進歩的役割を果たしてきた歴史がある。

 ヨーロッパのキリスト教諸国でも近世には新旧のキリスト教徒の間で戦争があった。その間に寛容の重要性を学んだ結果、脱宗教化を実現した。中東諸国に宗教的寛容が受け入れられるのを期待する。

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