2024年3月12日火曜日

懐かしき人びと

 先日、ガザ紛争に関するテレビ番組にイスラエル研究家のI氏が出演しており、私の旧知の故人Iさんのご子息だと思った。のちにタブレット端末で調べたらどうやら別人らしいが、それがきっかけで今は亡きIさんら在外研究仲間を思い出し、無性に懐かしかった。

 1960年代後半に私が留学した英国の大学(university)は30余の学寮(college)から成り、後者の一つでは私より先に2人の日本人教授がおられた(私は院生)。その1人のIさんは当時は大阪市大の教授(のち東北大)だったが、海軍兵学校の最後?の卒業生で、『日本の海軍』という新書本をのちに書かれた。当時日本から持ち出せた外貨(700ドル?)を私が使い果たしたので、Iさんの分を使わせて頂いたこともある。氏の縁故で3人でダートマスの海軍兵学校の式典に招待されたことなど良い思い出である。

 もう1人のOさんは北大教授(政治思想史)で剛毅な人だった。帰国便の予約のためのロンドンの日航支店までのドライブに誘われ同行した。しかし、日航支店の近くの駐車スペースが先客で満杯で、閉店時刻が迫ってきた。するとOさんが、「平瀬君、行って閉店時間を延ばすように話してくれ」と言い出した。さいわいスペースが空いたので助かったが、いくら当時の日航支店は小さかったとはいえ驚いた。札幌では北大教授なら無理を聞いてもらえるのか(まさか!)。

 私の留学期間が1年を過ぎるとIさんもOさんも帰国され、SさんとNさんが学寮に入ってこられた。都立大教授のSさんは我が国の英国労働党研究の大御所であり、当時の民主社会党を支持する文化人で最も高名な人。のち参議院議員にもなられた。温厚そのものの人で、すでに大家だったのに、熱心に労働党関係の資料を読んでおられた。

 他方、Nさんは私より年少者で社会人類学を専攻する院生。毎日食堂で顔を合わせるのですっかり親しくなった(のちには家族同士も)。彼は私の帰国後、アフリカの原住民の部落に1年間住み、帰国後『××民族誌』として公刊した。大変多才な人で、英国の競馬史にも親しく、一度はNHKの競馬番組の解説者を務めた。ところが中継のカメラが大事なシーン(多分)を撮りこぼしたら、「だからNHKはダメなんだ」と叫んでしまった。やはり、その後の競馬番組に呼ばれることはなかったようだ。数年前、その後の彼の最近の住所(なんと同じ市内だった)を探し出し、20年前の拙著『英国の石造アーチ橋』を贈った。しかし返書はかなりの乱筆だった。一番に見てほしい人の1人だったが…。

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