2024年4月21日日曜日

 天野芳太郎氏の活躍

  今夕、TBSの『世界遺産』という番組に偶然チャンネルを合わせたら、「空から迫るナスカ地上絵の謎」を放映していた。同遺跡は我が国でも謎めいた遺跡としてかなり前から広く知られてきたが、最近さらに地上絵が多数発見され、しかもその発見に山形大学が多大な貢献をしているとの紹介が大きな部分を占めていた。

 ペルーのアンデス文明の解明に日本人の天野芳太郎氏が多年にわたり協力し、現地に高名な「天野博物館」を創設したことも良く知られている。しかし、同氏が第二次大戦中に米国の日系人収容所に入れられていたこと、交換船で対戦中に帰国し、反米的な著書を二つ発表したことはほとんど忘れられているようだ。

 天野氏は実業家としての海外での活躍を志し、日米開戦当時は中米パナマで志を実現しつつあった。しかし当時パナマを実質支配していた米国はパナマの邦人を捕らえ、米国内の収容所に入れた。同氏は日米交換船で帰国後、『我が囚われの記』(汎洋社  1943  中公文庫 1983)で日本人収容の不当性を訴え( ただし個人として米軍将校の善行も紹介)、さらに翌年、スペインによる征服に徹底的にあらがった原住民の紹介『南米史話 アラウカノ族のごとく』( 同社 1944)を出版した。なぜか両書とも我が家にあったので、くり返し読んだ記憶がある。そのため、戦後にアンデス文明の紹介者として天野氏の名を見ても同一人物とは直ぐには分からなかった。それにしてもスケールの大きい日本人として特記に値する人物だった。

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