2025年8月20日水曜日

 三人の名雑誌編集者

  時間はたっぷりあるのに単行本はおろか雑誌すら手にすることが稀になった。弁解をすれば出版界は花盛り(各社の経営状態は知らず)で、単行本や雑誌、特に後者が激増したこともある。

 私の学生時代には『週刊朝日』の扇谷正造、『文藝春秋』の池島進平、『暮しの手帖』の花森安治の三氏が名編集者の評判を得ていた。三人のうち池島進平は菊池寛が創刊した文芸誌を現在の総合雑誌に発展させた人物だが、私の出身大学の同じ西洋史学科の先輩であり、教授二人とほぼ同じ世代だったので年一回の学科のコンパに顔を出すこともあり、「西洋史など学んでどうするの」などと院生をからかったりしていた。同氏の言葉「作家は力士、評論家は行司、 編集者は呼び出し小鉄」は謙遜もむろんあっただろうが、大した覚悟もなくジャーナリズムに憧れても大成するとは限らないと言いたかったのではないか?

 氏は三人の仲間のうち花森安治が一番偉いと語っていた。他の二人は既存の雑誌を大きくしたり、新方向に向けたりしただけだが、花森氏は商品テストを中心に新しい性格の雑誌を生んだからと高く評価した。同誌が高く評価した英国製の石油ストーブを長く愛用した我が家も花森氏の恩恵を受けたと言える!

 

2025年8月15日金曜日

訂正

  タラワ・マキンの守備隊の司令官は柴崎でI氏としたのは誤り。また、日本軍の玉砕の速い例だが、最初ではないかも。情けない!

 終戦記念日に思うこと

 朝日新聞が終戦記念日の特集の一つとしてカラー印刷で太平洋の激戦地の島々を図示しており、その東南端に近いギルバート諸島のタラワ・マキン両島(現キリバス)が私には忘れられない地名である。両島は海軍が守備していたが、太平洋の日本軍の玉砕の島々の多分第一号で、守備隊の司令官は私の同級生のI君の父だった。国葬だったかは確かではないが、それに準ずるI海軍少将(生前は大佐か中佐)の盛大な葬儀が営まれ、その葬列の先頭に常にI君がいた。

 そして、その前か後かに新聞社がI少将の遺児の写真を撮りに世田谷の某小学校を訪れた。ちょうどI君と私たち数人は校庭で遊んでいたので騎馬戦の写真を撮ることになり、I君と私が馬上で取っ組み合いを演ずることになった。ところが実際には最初から私がI君に組み敷かれる形で写真は撮られ、翌日の紙面を飾った。

 この日から私のマスコミ不信が始まったと言えばウソになる。それにしても一家の柱を失った一家は戦後の混乱期をどう過ごしたか。葬儀の一年ほど後に東京を離れた私は七年後に大学入学のために上京したが、再会できた旧友は二人だけだった。

2025年8月11日月曜日

 中国とロシアはお互い潜在的な敵?

  昨日の『朝日新聞』は1ページを費して『ニューヨーク・タイムズ』の記事を、「ロシア機関の秘密報告書が明かす中国への根深い警戒感」「潜在的な敵、 中ロ蜜月の裏で諜報合戦」との大見出しで紹介している。

 ロシアの「連邦保安局」(ソ連時代の悪名高い諜報保安機関ゲペウの後身) が見出しのような活動に励んでいるとの情報は確かに衝撃的である。しかし、制度として諜報機関が存在し、その一部門として対中部門があるのは当然とも言え、それほど驚くべきことではない。

 しかし、そうばかりとも言えないのは清朝時代に中国が支配したチベットへの現中国の執拗な支配欲である。同じ清朝盛時の1689年のネルチンスク条約は現在の中露国境よりはるか北の外興安嶺(スタノボイ山脈)を露清国境と定めた(どんな高校世界史の教科書も言及)。とあれば、中国が現在の中露国境に満足しているとはとても思えない。ロシア同様、中国の諜報機関も調査研究に励んでいるだろう。『ニューヨーク・タイムズ』の記事は驚くに値しない。「国家にとって永遠の友も、永遠の敵もないのは常識なのだろう。

2025年8月9日土曜日

川崎徳次と沢村栄治

  今朝の『朝日新聞』に元巨人と西鉄の主戦投手だった川崎徳次氏が曾孫の佐賀北高校の川崎澪投手と二人、写真入りの記事となっている。何十年ぶりかで消息を知り懐かしい。

 戦後数年頃か?、川崎投手は戦後最初の日米野球で第一戦の投手を務めた。当時は熱烈な巨人ファンだった私は彼の力投を期待したが乱打され、がっかりさせられた(それほど当時の日米野球の実力差は大きかった)。川崎氏はその後の何年間か西鉄のエースついで監督として活躍した。しかしその後は84歳の死去までその後の消息はまったく報じられることはなかった。

 戦前の日米野球でベーブ・ルースらを抑えて対等の試合をした沢村栄治投手がいかに凄い投手だったかが分かる。その後かれは兵役にとられ、台湾海峡で戦死した。一方その後話題にならなかったとはいえ、川崎徳治氏は天寿をまっとうした。人は生きていた時代により、こうも人生を変えさせられるのか。あらためて両氏の冥福を祈る。

 訂正 前回のブログで、むかし訪れたアンダルシア地方の都市の冒頭にセルビアを挙げたが、セビリアの誤り。情けない!

2025年8月4日月曜日

 「観光公害」の時代

  その場に居合わせたことはないが、京都を始めとする国内観光地で外国人のいわゆる「オーバーツーリズム」が報ぜられて久しい。私など、何百万人の外国人が来日して料理までを含む日本文化に触れた上に外貨をもたらすとはこんな有難いことはないと大歓迎の気持ちだが、現地の迷惑は半端ではないようだ。

 外国でも事情は同じらしく、今朝の『朝日』に観光公害に苦しむスペインのバルセロナの記事が載っている。それによるとスペインは「世界第二の観光国」( 第1位はイタリア? フランス?) だとか。私もマドリードやトレドをはじめセルビア、コルドバ、 グラナダなどアンダルシア地方を訪ねて大満足だった。しかし、バルセロナはザグラダ.ファミリア教会が嫌いなので訪問しなかったと他人には説明しているが、旅行資金が尽きたのも事実!

 外国人スキー客の北海道来道のように季節が分散してくれれば良いが、どの国もやはり夏が旅のシーズンのようだ。南半球はむしろ逆に自国が冬の季節がベスト。 そのうち南極大陸も観光公害に見舞われるのか? 

 訂正 前回のブログで知人の芥川研究書が『日本文壇史』で言及されたと記したが、 刊行時期が合わないかも。知人の著書が現在手元にないので確認できないが、他の芥川研究書での引用だったかもしれない。

2025年8月2日土曜日

 花火

  花火大会は夏に限られないだろうが、最近もテレビでどこかの花火大会を紹介していた。わが多摩市でも半世紀近く前には多摩川の河原で花火大会が催されたが、数年で消滅した。現在では我が家からは立川の花火大会が見れるが、当然小さくしか見れない(それでも音は聞こえる)。

 芥川龍之介の短篇小説に『舞踏会』がある。若き日に鹿鳴館の舞踏会でフランス海軍の士官と花火を見た思い出を老婦人が青年小説家に語るというのが大筋だが、フランス人士官の名前を聞いた小説家がそれは別名で、のちに『お菊さん』を書いたピエール・ロテイだと気づきそう告げると、老婦人は頑固に否定する。なんとも一場の夢のような美しい作品で、江藤淳氏や三島由紀夫に高く評価されているとか。

 私宅の近所に歯科医の資格を持ちながらそれを職業にせず、地区の世話役をしながら芥川文学を熱愛し、研究書を一冊著した人がいた。私も芥川文学は好きなので発売後すぐに買った。その後、伊藤整の『日本文壇史』に自著が言及されたとの報告を聞き大いに祝福してあげたが、残念なことにその後間も無く亡くなり、自宅は「何とか企画」という名の事務所になっている。それでも芥川文学の研究者として名前を残した事は本懐に違いない。

2025年7月28日月曜日

 これが「山里の宿」?

  現在も存在している筈だが(最後に利用したのは2022年7月 奥多摩の秋川渓谷の宿)、 全国の古い温泉宿200軒ほどが加盟する「日本秘湯を守る会」がある。同会加盟の宿に宿泊し、同会発行のスタンプ帳に十軒のスタンプをもらうとどの宿でも次の一泊が無料となる。しかし三年間に10泊はかなり厳しく、結局無料宿泊できたのは2枚目が満了してだった。

 昨日のNHKのBS放送に「山里の宿」と題する番組があり、題名に惹かれて期待して見た。京都の鞍馬のさらに奥の「花背」というところの茅葺きの宿で、  食器の収納庫が20畳とのこと。徹底して地元の山野草中心の食事を提供。  記憶に誤りが無ければ肉食は谷川で獲れる小さな「アジアどじょう」10匹ぐらい。しかし四季の山菜へのこだわりはすごく、直径が5ミリにも満たない野生の山イチゴのトゲをピンセットで除いて調理する。などなど。

 結局、私の予想とは正反対の最高級の山の宿だった。宿泊料金が気になったが番組は一切触れず。それを気にする私とは無縁の宿だった。京都の文化の底深さを徹底的に知らしめる?番組だった。

2025年7月26日土曜日

 フランスのパレスチナ国家承認は快挙

  G7諸国で初めてフランスのマクロン大統領がパレスチナを国家として承認するという。快挙ではなかろうか。米国やイスラエルが何と言おうとドイツや英国を中心にヨーロッパ諸国は団結してフランス政府の決断を支持してほしい。

 現在のパレスチナはPLO(パレスチナ解放機構)の流れを汲む「自治政府」とガザを支配下に置くハマスが実質的に国土を二分して支配しているようだ。前者に関しては内部の腐敗を指摘する声も絶えないようだが、国際社会がアラブ人とユダヤ人の二国家共存をめざす以上、自治政府支援以外に方法があるとは思えない。パレスチナの子供たちが食糧不足で痩せ細っている現在、残りのユダヤ人の人質の解放に応じない冷酷極まるハマスに国土支配の資格があるとは思えない。我が国も間違っても米国やイスラエルを支持してはならない。

 訂正 前回の本欄で参政党の「日本ファースト」を「日本人ファースト」に訂正します。悪しからず。

2025年7月21日月曜日

 メディアの言う「自公過半数割れ」は本当か?

  長かった選挙運動期間も終わり、一応の結果が示された。 メディアでは自公の過半数割れが大きく報道されている。私とても多年政権交代を願ってきたが、「自公大敗」「自民過半数割れ」(朝日新聞の朝刊と午後の特別版の大見出し)にはとてもではないが同意できない。 

   これ迄の国会議員選挙でも似たような状況は生じたが、選挙後に自民党は「無所属」の当選者(実は自民党の公認を得られなかった人たち) の入党を認めて安泰だった。今回も参議院の与野党差はわずか2名。13名の無所属当選者の動向次第で自公の過半数も大いにありうる。しかしそれ以上に注目する必要があるのは参政党(14名)や保守(2名)の動きだろう。「日本ファースト」を公言する前者は自民党の補助勢力ともなるだろう。

 日本人なら声に出さなくとも「日本ファースト」の主張に動かされやすい。しかし、多くの職場が今や外国人労働者抜きでは動かない時代である。東アジア(東南アジアを含む)との人的交流は不可避。  もはや「日本ファースト」を叫ぶ時代ではない。

2025年7月19日土曜日

 紙資源の浪費

  今朝起きて郵便箱内の新聞(一紙のみ)を手にしたらずしりと重い。これは重量の新記録か?と料理用のはかりで調べたら、挿入広告ビラを含めて450グラム。 過去2回の最大重量時と同じだった。

 新聞紙上の商品広告など、最近は1商品で1ページ全面は普通で、両面見開き2ページも珍しくは無くなった。新聞社も私企業である以上、 広告収入は不可欠だし、多ければ多いほどよいだろう。しかし、その一方で新聞は地球温暖化の危険を声高に訴えている。

 私は国土の大半が森林に覆われている日本なら木材を紙資源として利用することは大きな問題ではないと考えていた。ところが半年ぐらい前だろうか、新聞で我が国が北欧の木材を輸入していると読んで驚いた。最近の船舶の大型化で重量当たりの輸送費は低下しているのだろうが、それにしてもヨーロッパから日本まで地球を半周するための燃料の重油の消費量は少ないとも思えない。自社の紙面の地球温暖化への警告は何なのか。

2025年7月16日水曜日

120年後になぜ?

  今朝の『朝日』によれば、フランスのマクロン大統領は隣国ドイツのためにスパイを務めたとされた故アルフレッド・ドレフュース陸軍大尉が120年前に無罪放免された日を国家記念日と決めた。 

 ヨーロッパにおけるユダヤ人受難の象徴ともなった「ドレフュース事件」を詳述する余裕はないが、他国のためスパイを務めたと軍事法廷で判定され終身刑となったドレフュースは南米の仏領ギアナ(の沖の「悪魔島」)に送られ、10年後に無罪放免された。

 今回のドレフュース釈放を国家記念日とする決定には裏もありそうだ。植民地支配国だった関係からフランスは大量のイスラム教徒の移民を抱え、彼らによるユダヤ教の教会(シナゴーグ)放火事件などもあり、将来を不安視して米大陸などに移住するユダヤ系市民が新聞ダネになったことがある。何しろイスラム教徒は産児制限は許されないので、百年千年先にフランスで同教徒が多数派となる可能性は完全否定はできない。ドレフュース大尉の釈放日を国家記念日とあらためて決めることはユダヤ系フランス人に安心感を与えることは事実だろう。それとも考え過ぎだろうか?

2025年7月13日日曜日

 植物音痴?

  我が家ではここ3年ほどゴーヤーを自作している。軒下から地面まで粗い網を設置して蔓を絡ませるのだが、以前には気にならなかった蔓の成長速度だが、今年は1日で50センチも伸びるのに驚いた。私の無知と言えばそれまでだが............。

 ところがご近所さんの庭のヤマボウシの木(ハナミズキに似た白い花をつける)のタネが飛んできて1メートルほどの高さに育っていたのだが、今夏は半年足らずで3メートルほどに急成長しており、切るべきか、放置すべきか迷った。幹自身は3センチほどと細いので、いつでも切れると判断して見守ることにした。 もっとも竹ならば筍から一年で数メートルに成長するので驚くことでは無いのかもしれないが。

 それで思い出したのだが、たった一年半だが下町の高校の山岳部の顧問を務めたときの部員3人と彼らが大学生のころ雪の残る八ヶ岳に登ったことがある。その時、1人が桑畑を指さして「あの木は何の木ですか」と聞かれてびっくりしたことがあった。 全国一入学が困難な大学の学生がと驚いたが、下町育ちなら不思議では無いのかもしれない。 思いもかけず彼が病死して20年以上になる........。

2025年7月8日火曜日

 電車のスタイルの改悪?

 私は自分の美的感覚に特別の自信はない。しかし、歴代の新幹線の先頭車両の鼻先は初代のそれが愛嬌があるだけでなく、最も美しいと思う。それが代替わりごとに美しく無くなってきた。しかし、時速300キロといった高速に対処するためにはそうならざるを得なかったと納得する。
                                           今朝の朝日新聞の社会面に東部東上線、京王電鉄、 大阪メトロ3社の最新の先頭車両の鼻先の写真が掲載されている(すでに目にされた方も少なくないだろう)。 それが揃いも揃って私は美しいと感じない。今回の場合、スピード向上のための変更ではあるまい。事実、 鼻先が長いわけではなくやたら複雑になっただけ。昔のシンプルな前面のスタイルの改悪と感ずるのは私だけか?そう感じるのは老人のノスタルジーの故なのか? かなり頑固に昔のスタイルを守っていたと記憶する関西の私鉄も変わったのだろうか? 誰か知っている人はいないか!

2025年7月6日日曜日

 二つの地震の思い出

  トカラ列島の悪石島を中心に地震が頻発し、メディアが大きく取り上げている。当初は震度5弱と伝えられたが、この震度は先年の東日本大震災の際の東京の震度と同程度であり、私の実感としても不気味ではあった。しかし、伝えられる最近の震度6弱では住民は本当に生きた心地がしないだろう。

 大学入学前の数年間に移り住んだ愛知県で私は1944年12月7日の「東南海地震」と、翌1945年1月13日の「三河湾地震」を体験した(させられた)。 被害としては私の住む知多半島では後者はそれほどではなかったが、本震後の明け方から始まった絶え間ない余震が大変不気味で、その日の夜は家主が本宅と我が家の住む別宅のふすまを動員して作った掘立て小屋に両家ともに一夜を明かした。

 他方、東南海地震の揺れはもっと本格的であり、一般の住居にもかなりの被害をもたらしたが、航空機組立工場の被害は悲劇的だった。本工場の被害はそれほどでは無かったようだが、旧紡績工場を改造した分工場は煉瓦建築の上、半製品の飛行機を移動させるため?工場内部の柱の数を減らしていたため被害は甚大で、学徒動員で働いていた京都の名門の中学生や高等女学校の生徒たちが多数犠牲となった。勝利の見込みのない戦争をあと一年早く終えていたらと思う。

2025年7月5日土曜日

 少子高齢化に悩む日韓両国

  お隣の韓国が日本と同様に、否、日本に倍して少子化と人口の大都市集中に見舞われているとはむろん聞いてはいたが、昨日の『朝日』の朝刊に載った記事も考えさせられた。

 わが国の出生率は確か1.2程度と記憶するが、この数字でも元教師の私からすれば職場の減少や閉鎖が避けられなくなる重大事だ。しかし、韓国の出生率は0.72と聞くと、他人事ながら同国の将来はどうなるのかと考えてしまう。もっとも韓国の場合、北朝鮮との統一が実現すれば問題は一挙に解決するが、金王朝が続く限り夢物語でしかない。

 出生率とともに韓国の人口のソウル首都圏集中は総人口の約半分という信じられない数字と聞く。この点ではわが国の人口の大都市圏集中も小さくない問題だが、両国とも民主国家で人口配置の強制など不可能。対策としてはせいぜい留学生をはじめとする外国人人口の増加が考えられる程度だろう。そのうちどれほどの人たちが永住してくれるだろうか。 

 その昔、古代ローマの栄華はゲルマン人ら「蛮族」の侵入により終わったとされる。時代は変わり、日韓両国ともそれが平和的流入ならばむしろ歓迎すべきだろう。

2025年7月3日木曜日

 「穴は至る所に」?

 今朝の朝日新聞に高名な作家の高村薫氏の『穴は至る所に』と題する1面の大半を占める長い寄稿文が載っている。「「いま」に興じる我ら先見通せぬ残念資質 何もかもガタがきた」との大見出しで始まる論考は、まず年初に発生した八潮市のトラック陥没事故を取り上げる。事故原因として高村氏は「本来は事前の地盤改良や、定期的な地盤調査、さらには下水管の適切な設備更新や技術革新などによって、陥没など滅多に起こらないのが公道のはずである」とする。高村氏はさらに「明確なテーマを欠いたままめぼしいコンテンツを寄せ集めただけの大阪・関西万博がある」や、「使い勝手が悪すぎ」るマイナ保険証らを例に挙げ、「一義的には政治や行政から企業まで、戦後世代が時代の変化についてゆく努力を怠ったということになろう」と批判する。

 正論であり私自身、トラック運転手の救出の遅れに心を痛めたひとりである。しかし、道路や下水道をはじめとするインフラストラクチャーは建設に巨額の費用を要する。急速に拡大する都市化が要求する費用に全て十分に対応することの困難さは容易に想像できる。

 高村氏の厳しさに私がにわかに賛成できないのは私が同氏より20年早く生まれ、国家も個人も懐が無い無いづくしだった時代を覚えているからだろうか。それとも私がひときわ鈍感な人間だからだろうか。

2025年6月30日月曜日

 テレビの更新

  我が家のテレビが故障した。満15年も恩恵にあずかったのでその事自体には何の不満もない。それで新しいテレビに買い換えたのだが、その際むかしの入手時のレシートが出て来、 当時に比べむしろ値下げになっていると知った。この物価高の折、有難い。

 ところが、新型の説明書は以前のそれと比較にならないほど薄く、詳細はQRコードで調べてくださいとのこと。新しい事の苦手な老人夫婦に対して不親切極まりない。むろん、設置時に一通りの説明は受けたのだが、高齢者が一度で覚えきれるものではない。何より、説明書の簡略化でどれだけ紙資源が節約できるのか。 他のメーカーの説明書も同じなのか。たしかに昭和一桁生まれの私は前世紀の遺物には違いないが..........。

2025年6月23日月曜日

 愛国教師のとまどい

  私はNHKのいわゆる朝ドラの熱心な視聴者ではなく、現在放映中の『あんぱん』も全篇を見ているわけではない。今朝は小学校教師で政府の宣伝に何の疑問も抱かず愛国主義教育を実践してきた女主人公が、敗戦を迎えて大いに戸惑っている姿だった。

 そうした姿は多くの日本人とりわけ義務教育に携わっていた教師たちの現実でもあったろう。終戦当時、小学校(国民学校!)の6年生だった私たちは夏休み中なのに出校させられ、教室で昭和天皇の「玉音放送」を聞いた。勅語の文面は今読んでも厳粛な気持ちになる名文だが、何を言っているのか小学生には理解不能だった。しかし唯一、 「太平を開かんと欲す」というところでおやとは思った。

 疑問はすぐに解けた。担任の中年教師が「我々は負けた。君たちがいつか仇をとってくれ」と絶叫したので、日本が負けたと知った。それが当時の現実だった。これから主人公がどう変わるのか、多少は興味が増してきた!

2025年6月22日日曜日

日本農業の変容

  日曜朝のNHKテレビの『小さな旅』は今朝は京都府の南山城町を取り上げていた。関西の事情に疎い私だが、宇治市を始めとしてその辺りは茶の生産地が多い多いことぐらいは知っていた。

 小学唱歌にも歌われていたように昔は春の茶葉を採取するのは「茶摘み女」で、素手で若葉を一枚一枚摘んでいたのだが、現在は機械が摘むようだ。現在の見事に刈りそろえられた茶畑を見ると、便利な機械が発明されたものだと感心する。しかし、それを言うなら田植え機が整然と田起こしから田植え、そして刈り取りまで働く姿を見ると、すごい機械を考案したものだと思う。

 戦時中に小学5年生で農村に移住した(させられた)私は農業休暇も経験した(生徒は家業を手伝う)が、1日だけだが学校行事に田植えの日があった。ところがそうした経験のない私は翌日全身の痛みで医師の往診を受ける羽目になった。

 今どき山間部の千枚田でしか昔風の田植えは無いだろう。そういえば昔の農村には極端な前かがみで杖をつく老人をよく見かけた。ここ数十年の営農作業の変化はすごいとつくづく思う。

2025年6月20日金曜日

 過剰包装の時代

  のど飴を家人に買ってきてもらったら、小さな包装をその都度破らなければならないと気づいた。これまでの銘柄と同一かどうかに自信はないが、ともあれ、のど飴としては初めての経験である。のど飴だけではない。以前は包装されていなかった菓子類にも今は包装されている場合が増えたと感ずる。高級感を増すためなのか、衛生感の鋭い人が増えたためなのか?

 悪いことではないと思う。 しかし、老人の私の指の力はしだいに衰えているので、包装(紙)を破るのに時間がかかる。それなら包装の簡単な製品を選べと言われそうだが、容器や袋の中まで外から見分けられないケースが大半である。

 買い物の回数が減った私が知らないだけで過剰包装は食品全体に広がっているのかも。老人は指の鍛錬も求められる時代なのか!

2025年6月19日木曜日

新旧店主の交代

  40年間ほど利用した理髪店の店主が亡くなった。Kという店名はこのあたりに八百屋など何軒かあるようなので古くからこの土地の住民なのだろう。話好きの店主だし、私も髪カット中はすることがないのでけっこう彼との雑談を楽しんできた。私よりかなり年下のはずで、人間先のことは分からない。

 最近は店主の体調が良くなかったため、後継の息子にカットしてもらう事も多かった。私以上にプロ野球に詳しく、出身高校のK学院大久我山は高校野球界で知られた学校。大柄な彼もプロ野球選手を目指していたかも。そのためかなりマニア的な野球談義になる事もしばしば。近年の情報はむろん彼の方が詳しいが、私も終戦の翌年と翌々年に名古屋の近郊の鳴海球場(当時はバンテリンドーム名古屋どころか中日球場もまだ無い)で、巨人の川上、千葉、白石ら今や伝説となった選手たちと、阪神の藤村、土井垣、本堂ら初代ダイナマイト打線との試合を楽しんだ。新店主には古すぎる選手たちだが、大いに関心を持って聞いてくれる。もっとも、私が前店主の後を追うまでの話だが........。

2025年6月14日土曜日

 英国の「安楽死法案」の行方

  昨夜(6月13日)、NHKのBSの『国際報道2025』の時間に英国の国会で審議中の通称「安楽死法案」の審議が報道されていた。

 私のこれまでの知識ではヨーロッパでも「自殺幇助」を認める国はオランダとスイスと聞いていたが、いまやベルギーをはじめ北欧諸国にも広がりつつあるらしい。英国の今回の法案(18歳以上の国民で、余命6ヶ月未満との条件)に対して国民の支持率は7割とのこと。しかし反対も強く、身障者などを中心に「パンドラの箱を開ける危険」、「弱者に死を強要する風潮を生む」との反対も強いようだ。

 他方、我が国では昨日の新聞に「ALS 嘱託殺人、上告棄却」との見出しで51歳の難病の女性に依頼されて嘱託殺人の罪に問われた47歳の医師に最高裁は、下級裁の「懲役18年」の判決を承認したとのこと。記事以外の裏の事情は知らないが、これでは街頭での無差別殺人への刑と変わらないではないか。いくら何でも先進国の動向と違いすぎると感ずるのは私だけだろうか?これでは我が国で安楽死が認めらるのは限りなく遠いようだ。

2025年6月9日月曜日

長生きの功徳?

   1960年代後半に留学したオクスフォード大学のセント・アントニーズカレッジ(学寮)に残した残置諜者!からの写真入り報告によると先日、日本大使が同カレッジを訪問した際、食堂では私の名前入りの椅子が使われたとのこと。留学後20年ぐらい経って初めてカレッジからの寄付の依頼があり、一定金額以上だと食堂の椅子の背中に名前のプレートが付くと言うので送金した覚えはある。他の日本人名入りの椅子は壊れて私のだけが残っていたとも思えないので、日本人の過去の訪問教授や留学生では私が生存する最高齢者ということで選ばれたのだろう。

同カレッジは大戦後、30ほどあるカレッジに新しく外国史と国際関係の大学院として設置された。 今年は設立75周年の記念記事が予定され、当時私が母親宛に出した葉書2通も出品を求められた。これまた私が生存日本人の留学生の最年長者ならやむを得ない要望だったが、ひどい乱筆乱文。英国人には分からなくとも日本人の後輩が見れば一目瞭然。 有難いやら恥ずかしいやら。

2025年6月2日月曜日

魚介類を食べ続けれるように

  今日(6月2日)の『朝日』の夕刊の記事のトップは、我が国の漁獲高がピーク時の三分の一を切り、漁師や漁村は朝市やクルーズやサウナなど漁獲高につながらない副業?に目を向けざるを得ないとのこと。牛肉も豚肉も好きな私だが、魚肉や貝類などの海産物も大好きなので気になるニュースではある。

 漁獲高の減少の理由に今回の記事には直接の言及はないが、地球的規模の海水温の変化もさることながら漁獲方法の進歩も無視できない理由だろう。したがって解決は容易ではあるまいが、人工養殖でマグロまで実用化しつつある近畿大学の例もある。我々の食する鯛なども知らぬ間に養殖魚中心となっているかに聞く。他にも山の中で海洋魚を育てている例もあるようだ。

 四方を海に囲まれた我が国の後輩たちが獣肉とともに魚介類を豊富に食べられるよう願う。

2025年5月26日月曜日

 一部の新聞の言行不一致

  各新聞にはほとんど毎号、識者や関係者の主張が紹介される。どの世代の人の発言か、発言者の年齢が記されていると読者として理解や評価の一助ともなる。ところが女性の識者の場合、年齢が記されていないケースが多いことに最近気づいた。最近の私は腰痛のため図書館分室で各紙を読み比べることが困難になったので『朝日』以外の現状は確認できないが、この男女区別は正当化できるのか?

 発言者の希望で年齢不記載となっているなら理解できる。しかし、大半の女性発言者が不記載を希望したとも思えない。新聞社の方針が女性の年齢不記載の原因ではないのか?

 今夕の『朝日』の夕刊の常設コラムの『取材考記』と『with P lanet』の2人の女性記者の記事が年齢不記載となると、やはり、社の方針が例外を除き不記載なのだと推測される。男女差別の不合理を批判することの多い同紙がどうして男女別扱いをするのか? 自分たちは例外なのか? 不可解極まりない。

2025年5月24日土曜日

 続々 小さな庭の春

  前回、我が家の庭の春を綴った時から2週間足らずで、庭の表情が変化を蒙ったのはやむを得ない。まず、夏みかんの花はすべて散り、鳥も近づかなくなった。庭を我が物顔に飛び回っていた蝶もいつの間にか姿を消した。紫蘭も嘗ての華やかさを失い、今は雑草扱いもされたドクダミの小さな花だけが咲き残っている。

 これらすべての変化が十日余りのうちに起こった。古来、日本人が行く春を惜しんできたのは、むしろ春の期間の短さも一因なのだろう。これからは初夏にかけて咲く花を加えなければ.......。 大好きなゴーヤーの苗を植えるだけでなく.......。

2025年5月16日金曜日

独裁の緩和装置としての君主制

 ビルマの軍部によるクーデターにより文民政権が打倒されて以来、同国は深刻な内乱状態にあり、先日の国難とも言うべき強い地震もこの対立を緩和しなかった。軍事政権と反軍部勢力の対立はそれほど深刻なようだ。

ところで、軍部によるクーデターと言えばビルマの隣国のタイはこれまで頻繁に経験してきた。現在のタイ政府もその例外ではない。しかし、ここでは軍部と反軍勢力の間の内乱には滅多に発展しなかった。どちらの側もいざとなれば王室が介入してくれると予想できる。しかし、国王のいないビルマではクーデター側は絶対に負けられない。負ければ死刑を含む厳しい処罰が予想されるから。

 これは何もアジアに限ったことではない。ヨーロッパでも1936年に始まったスペイン共和国の共和派政府と保守派の軍部はどちらも外国勢力の助けを借りてまで激しい内乱を展開した(『誰がために鐘はなる』)。  第二次大戦後、スペインでまさかの王制復活を見たのも、苦い経験を二度と繰り返してはならないとの国民的合意があったからだろう。王政が常に政治的対立に中立的とは言えないとしても、国を二分する対立を緩和する効用は否定できない。

2025年5月11日日曜日

続 小さな庭の春

  冬季には全く姿を見せなかった虫や小動物が我が家の狭い庭に姿を見せるようになった。アリはコンクリートのタタキに必ず一匹は見かけるようになったし、今日はトカゲが目の前を横断した。

 アフリカの草原でライオンやハイエナが草食動物を襲う場面をテレビ番組で何度も見たせいか、弱肉強食が動物界の不動の掟だと思い込んでいた。しかし、我が家の庭では一羽のアゲハ蝶が庭を自己のテリトリーとしており、他の蝶はこの3週間ほど全く見かけない。鳥が蝶を必ず襲うわけでもないと知った。アゲハ蝶はひらひらと優雅に飛ぶものと思っていたら弾丸のように飛ぶこともあると知った。

 昔読んだ誰かの本に、ガラガラの早朝の始発電車に座っていたら後から乗車した乗客がいきなり隣の席に座ったら貴方は必ず不安を感ずる。それは人間も他の動物と同様、テリトリーを侵されたと感ずるからだと教わった。虫や小動物も適当な距離を確保すれば弱肉強食の関係ばかりではないのか?  人間もそろそろ他者への過剰な警戒心を捨てられないか?

2025年5月8日木曜日

 大阪万博とメディア

  今日の朝日新聞の夕刊の『取材考記』という名の記者が書く大型コラムに、4月13日に開幕した大阪万博の記事が載っている。これまで新聞を中心とするメディアでは、各国のパビリオンの建設の遅れがたびたび報ぜられていたが、この記事によると開幕に間に合わなかったパビリオンは5ヶ国。「5月1日時点で開館していないのはネパールのみ」とのこと。そうだとするとこれまでのメディアの報道はいったい何だったのか。

 私は過去の万博の歴史に全く詳しくないが、唯一専門と関連する1936年のパリ万博は同年のフランスの左翼政権(人民戦線内閣)の成立にともなうストライキの大波で大幅に遅れ、開場後も工事が続いていた。

 今回の大阪万博の終了までの入場者数のメディアによる予測は、入場券の予約状況では大幅赤字とのことだったが、私は本当にそうか疑った。私自身、半世紀前の大阪万博に特別の関心はなかったが、子供達のため(口実?)結局参加した経験を持つから。

 政界の内幕に詳しくない私にはメディアの冷淡さは自民党政権への反発なのか、開催に熱心だったとされる「維新」への反発なのか分からない。入場者数などの最終結果もまだ分からない。しかし、私は日本らしい木造のサークルなど、その卓抜なアイデアだけでも世界の人々に見てもらいたいと思っている。

2025年5月2日金曜日

小さな庭の春

  私が中学生か高校生の頃(たぶん後者)、国語の国定教科書に永井荷風の『花より雨に』と題する随筆が載っていた。内容は自家の庭の春から初夏までの変化を美しく綴った文章。荷風が『墨東奇談』などの作家であることは無論知っていたが、文章家としても大変高い評価の人であることは当時は知らなかった。

 永井家の庭と我が家のそれと比べるなど身の程知らずにもほどがあるが(時代も違うし)、我が家の小さな庭も数種類の花が今を盛りと咲いている。 夏みかんの木が無数の小さな花をつけているが、中型の鳥(椋鳥? ひよどり?)が毎日朝から枝を揺らしている。花を食べているのか、蜜を吸っているのかは分からない。地上で咲いている花は鉢植えが主だが、いつの間にか生えてきた紫蘭やミヤコワスレも咲いている。青系統(少しでも)の花が好みの私にはどちらも見ていて飽きない。                                     

しかし、草木は庭の主人の意向など気にしないので、今現在隆盛を極めているのは雑草である。その緑色も悪くはないのだが、荒れた庭の印象ではある。と言って除草剤を水に溶いてふりかける気にもならない。すべてなるようにしかならないこの頃である。

2025年5月1日木曜日

 トランプ人気に翳り?

  どの調査機関の報告だったかは思い出せないが、トランプ政権の関税政策に対する米国世論が不支持64%、 支持34%となっていた。これはあくまでも関税政策に対するもので、トランプ政権そのものへの支持率ではない。しかし、大統領選挙での歴史的高支持率を思い起こせば、トランプ人気に翳りが生じているようだ。

 トランプを選挙で支持した人たちは、共和党のコアな支持者を別にすれば、不法入国者への民主党政権の緩い取締りへの不満や、さらにその先の白人支配の終焉への不安が底流にあり、直接には自国産業保護の願望が表面化したためだろう。しかし、どの国民もそうだが、われわれには生産従事者の側面と消費者の側面の両方がある。自国産業の衰退を願うものはいないが、消費者としては輸入品は安いに越したことはない。その上に株式相場の下落をはじめとする経済見通しの悪化など、トランプの手法は市民が思いもかけなかった反作用、それも強烈なそれを生む恐れを感じさせたようだ。ともあれ、トランプ人気の高さにも終わりが来たのではないか?

2025年4月24日木曜日

 ブログ再開します

 心ならずも当ブログを休んでいましたが、入院一週間余りで術後退院を許されました。現代医学の進歩に厚い感謝の他ありません。

 先々週の日曜日、転倒して背中に激痛を感じ、すぐに専門病院に救急車で急行し、診察してもらいました。背骨に2箇所の圧迫骨折が見つかりましたが、予約で一杯だったのか手術は体調を整えてから?ということで3日前まで待たされました。その間、天井を向いて横臥することしか出来ず、もし術後もこの痛みが多少とも残るのなら、 絶食して死にたいと思いました。さいわい、 激痛とはさよなら出来、 よちよち歩きしか出来ませんが、医師をはじめとする関係者全員に感謝あるのみ。以上、とりあえず報告します。平瀬拝

2025年4月15日火曜日

 休刊のお知らせ

 昨日、骨折を起こしました。当分ブログの執筆は困難なので休刊といたします。悪しからず。これまでのご愛読感謝します。平瀬拝

2025年4月7日月曜日

 ガザにようやく休戦要求のデモ

  今朝の毎日新聞に一面(第一面ではない)の半分近くを使ったガザ関連の記事が載っている。「ハマス去れば 戦争終結」「統治望む住民住民は36%のみ」「ガザの弁護士 抗議デモ参加」という見出し。内容は、ガザ地区で3月下旬、「ハマスに対する抗議デモが数日間にわたり行われ」「数百人規模のデモが起きたのは異例のこと」とし、参加者の弁護士某(29才)が「ハマスが去れば、この戦争は終わる」と語ったというもの。同氏は2019年に「増税などに対する抗議デモを組織し、投獄された経験を持つ」という。

 私はついにガザの良識派が声を挙げたと感じる。ようやく実現した第一次の休戦が成功裡に終わったのに、ハマスは第二次休戦に応じなかった。むろんハマスが一方的に批判されて良いとは思わない。しかし、これまでイスラエルでは複数回の政府批判の大規模デモあった。先ごろの第一次休戦成立時のガザ住民の喜びぶりを見れば住民が休戦延長を支持することは明白で、ハマス指導部は休戦延長の障害となっている。

 これまでに成立した人質解放交渉ではハマスによるイスラエル人の人質1人に対し、ほぼ数十人のパレスチナ人の闘士が釈放された。ハマス指導部が同胞の囚人の運命を重視しているとは到底思えない。そもそも人質は全員即時釈放すべきなのに。

 私はデモの組織者たちと参加者たちの勇気に心打たれるとともに、彼らの身の安全を心から祈る。

2025年4月5日土曜日

 自由主義経済の明と暗

  トランプ米大統領の高関税政策が世界各国を揺さぶっている。すでに我が国の株式相場は激しい下落に見舞われている。経済(学)に疎い私には、この先の世界経済の行方を見通すことは困難だが、日本経済が特殊でないとすれば、各国経済が大変動に見舞われる可能性もあり得るのではないか?

 1929年に始まる世界恐慌の経験が各国の自国本位の閉鎖的経済政策の結果と反省されて以来、戦後世界ではほぼ一貫して各国経済の自由化が正しいとされた。しかし、その結果自由競争に敗れた産業が自国や地域から殆ど消滅する可能性は軽視された。その結果、単一の産業にほとんど依存していた地方のいくつかは経済が衰退した。ゥァンス米副大統領が描いた小説『ヒルビリー エレジー』の世界である。仮に経済の自由化が全体としての国民経済にプラスだとしても。

 われわ日本人は何はともあれ世界経済の一体化に利益を得てきた。しかし、それが米国の鉄鋼業や自動車産業の衰退を伴っていたのはやむを得なかったのか? 少なくともメキシコやカナダに工場をつくってまで利益の最大化を目指したのは賢明だったのか? それが米国の消費者にプラスだったとしても私には行き過ぎだったように思えてならない。私は現代に通用しない経済ロマンチストなのか?

 

2025年4月1日火曜日

東ドイツ滅亡の与える教訓とは.........

 昨夜おそく放映されたNHKの『映像の世紀 東ドイツ監視国家41年の闇』を録画で見た。ナチス・ドイツの消滅後に東西に分割されたドイツの東半分が、ソ連の指導下に社会主義(やがては共産主義)国家をめざしながら過剰な監視組織シュタージ支配の国家と化して国民の支持を失い41年後崩壊した歴史の記録である。新知見は多くなかったとは言え見応えはあった。
 
  同国は当初は社会主義の優位を示す宣伝の一端としてのスポーツ選手などの大活躍で世界の注目を浴びた。しかし、本番組で実例として挙げられた女子フィギュア・スケートのカタリーナ・ヴィット(私には昔の訳語ビットが懐かしい)を例に挙げれば、才能を認められた7歳児の頃から特別の教育を受けるばかりか、ステロイドの服用を強いられ、体は次第に男性化した。要するに国民は社会主義国家の宣伝道具と化したとのこと。
 同国は大戦後に工業設備などをソ連に賠償として持ち去られた不利もあったが、結局のところ西ドイツとの経済競争に敗れた。したがってその後は強権によって国民を支配する他なかった。その失敗にはシュタージの例に見るように徹底性に走るドイツ国民の国民性もあろうが、他の東欧諸国やアジアの中国、北朝鮮、ベトナムらインドシナ3国など全て高い理想を掲げて出発しながら今や党官僚支配の独裁国家となった。ベトナムを例にとれば、大戦後にフランス次いで米国と戦って独立を果たしたベトナムも300万人という大戦中の日本と同程度の死者を出した挙げ句、独裁から脱することができない。我が国で、いや世界でベトナム反戦運動に共感した当時の若者たちは現状をどう見るのだろうか?
 
 

2025年3月27日木曜日

戦後の学生運動の傍で

  NHKが「放送100年」と題して先週から夜のゴールデンアワーに、第一回は政治を含む世相の変転を、昨夜の第二回はオリンピックとプロ野球を中心に過去65年間?のテレビ放送の映像を再現していた。昨夜のスポーツ篇もオリンピックでの日本の選手たちやプロ野球の選手たちのの活躍の映像も懐かしかったが、第一回の世相篇も軽井沢の連合赤軍と警察の死闘(事実、警察側に死者が出た)を中心に当時の世相が再現され、私に強烈な印象を与えた。

 私が大学に入学した1950年代後半の頃は学生運動では日本共産党の影響が支配的だった。当時のキャンパス内の学生寮に級友を訪ねたら政治論議の最中で、双方がしきりに「党が」「党が」を口にしている有様。共産党の影もなかった田舎の高校を卒業した私は当惑するばかりだった。渋谷のハチ公前広場での無届け集会?に参加して警官隊に道玄坂の中ほどまで追われた時は本当に怖かった。

 その後の学生運動の「代々木派」と「反代々木派」の対立抗争は報道で知るのみだったが、「連合赤軍」の「山岳アジト」での仲間の処刑などの影響で少なくとも左翼学生運動は大衆には無縁のものとなった。それが大学紛争でふたたびクローズアップされた時には大きな話題になったが、大衆の理解と共感を得ることは少なかったと思う。大学人の末端にふたたび加わっていた私は今度は糾弾の対象となっていた! それも含めて私の世代はあの時代に無関心ではいられない。

2025年3月22日土曜日

産業公害が悪いのは自明だが...............

 今朝の朝日新聞のbe版に山田洋次監督の連載エッセー『夢をつくる』の第39回が載っている。私はトラさん映画はかなり見て楽しんだが、『夢をつくる』の愛読者ではない。今回は山田監督の出世作のひとつ?、ハナ肇主演の「馬鹿丸出し」の原作者藤原審爾の思い出が主だった。同氏の晩年の小説『我らが国のへそ曲がり』の映画化を勧められたが、実現しなかったとのエピソードだった。私は当の小説を読んでいないが、そのテーマが瀬戸内海沿岸の小さな街で、地域の工業化で自然が荒廃していくのに怒る話と知り、複雑な思いに駆られた。

 私の高校生時代の親友の1人K君は大学の工学部の製鉄科を卒業し父親と同じ製鉄会社に就職した。会社の主力工場が千葉だったころ、横浜港にクィーン・エリザベス2世号を一緒に見に行ったり、のちに倉敷市が主力工場の所在地になったころ、広島での学会出席の際や中国地方見物の際に倉敷に立ち寄り旧交を暖めた。そのおりに彼が製鉄所の廃棄物による公害に住民との板挟みで苦しんでいると知った。

 最近ではK君との連絡は絶え、お互いの年齢を考えればもはやこの世の人ではないと覚悟していた。ところが最近は倉敷の製鉄所の環境対策が進んで海中のプランクトンが減り、アサリが不作になったと聞いていた。直近ではこの辺りの瀬戸内海のシラス類の収穫減少が深刻だと聞く。誰を責めるということではないが、K君の苦悩は何だったのかと思うことはある。

 

2025年3月12日水曜日

西欧的基準を押し付けて良いのか!

  今朝の朝日新聞によると、ハーグの国際刑事裁判所(ICC)がフィリピンのドゥテルテ前大統領の「犯罪」を訴追すると決めた。それに激しく反発するドゥテルテ氏と娘のサラ・ドゥテルテ副大統領とマルコス現大統領の不和が深まっているという。

 ロドリゴ・ドゥテルテ前大統領がフィリピンの麻薬密売組織への厳しい取り締まり(むしろ戦争)の中で約6千人の死者を出したことは以前にも報じられていた。それでもマルコス氏は国民の間の宥和を図るため(と政略のため?)ドゥテルテ氏の娘を副大統領に選んだ。まことに賢明な選択だったが、ICCの前大統領逮捕要求への対応をめぐって正副大統領の間の不和が生じているという。

 麻薬取引に従事するギャング組織が中南米諸国で跳梁し、生命まで脅かされている国民が米国に大量に不法入国を計り、トランプ米大統領が彼らの入国拒否を訴えて大統領選に勝利したことは記憶に新しい。もともと私はトランプの不法移民拒否を非難する気にはなれなかったが、命を守るために不法入国せざるをない人たちへの同情に引き裂かれていた。

 ドゥテルテ前大統領の命令で麻薬関係者を処罰(むしろ処刑?)する中で多くの誤認による一般市民の死があったことは事実なのだろう。しかし、フィリピンが中南米諸国の轍を踏まなかった事実に前大統領の厳しい対策があったことも想像に難くない。もしそれが無かったなら東南アジア諸国にフィリピン人の「不法入国者」が押し寄せていた可能性は十分あった。私はICC(現所長は日本人)の立場も無論分からないではないが、ドゥテルテ前大統領の「犯罪追及」が既に正副大統領間の不和を生みつつあるだでなく、フィリピンの「中南米化」を産んではならないと考える。

訂正 前回のブログでcivilisatriceをcivili zatriceとしたは誤り。駿馬も老いれば駄馬に劣る。ああ(陰の声。駿馬の時期などあったの!)。

本編の中の下線は消せないだけ。ああ

2025年3月9日日曜日

フランスの植民地支配の論理

  今朝の朝日新聞に「80年前のフランス植民地軍による虐殺 真実が知りたい 旧宗主国との関係 見直すセネガル」との1ページ全面を使った記事が載っている。基本的にはNYタイムズ紙の 80years After Killing, Senegal Wants the Facts From  France の転載と言わぬまでも、記事に基づいているようだ。

 基本的事実は1944年12月1日にフランスでのドイツとの戦いから帰還した西アフリカの兵士たち35人(彼らは給料支払を求めていた)がセネガルのチャロイでフランス軍により虐殺された(一説には400人近く)。記事全体が米国メディアのフランス糾弾の色彩を感じさせないでもないが、昨年、マクロン大統領が虐殺と認めたのであれば、基本的事実は記事の通りなのだろう。

 フランス革命に際し世界で最初に人権宣言を発表したフランスがこのような不祥事をと驚く人が少なくないだろうが、逆の見方も不可能ではない。

 フランスではmission civilizatrice(文明化の使命)という言葉が帝国主義時代によく使われた。ヨーロッパ諸国によるアジアやアフリカなどでの植民地支配を美化したこの言葉の同類はヨーロッパの各国にあっただろうが、他国と違うところはフランス革命に始まる共和政が最高の統治形態だとの意識をフランスに生んでいた事だ。この現象がフランスによる植民地支配の正当化に他のヨーロッパ諸国以上に貢献したとは言えるだろう、

 パリの地下鉄の車内でフランス人警官が外国人(とくにアラブ人)に国籍を示す書類の提示を要求する事態を私も複数回見た。留学した英国でそのような振る舞いを見たことはなかった。人口中の他人種の比率もこうした事態の比率と無関係ではないだろうが.......。

2025年3月2日日曜日

トランプ・ゼレンスキー会談の破綻

2月28日に実現したトランプ米大統領とゼレンスキー・ウクライナ大統領の会談は文字通りの決裂となった。両者の立場の違いが大きい以上、この結果もやむを得なかったのだろう。あとは修復の早いことを願うばかり。

 米大統領の失礼な物言いは今更ではないが、今回はバンス副大統領の口出しが会談を一気に緊迫化させたようだ。私は以前のこのブログでバンスの要職就任に危惧を表明した。彼個人の性格への危惧も大きいが、私は例外は無論あるが一般論として芸術家と牧師の発言を重視しない。彼らはどちらも「絶対の探求」者でありがちで、相対性にとどまらざるを得ない政治の世界に不向きである。

 一方、トランプの発言で新しいのは、ゼレンスキーの主張が世界大戦の口火を切ることになりかねないがある。前にノーベル平和賞委員会が、日本の被団協にノーベル賞を与えた際に私が指摘したように、ロシアとウクライナが妥協を絶対的に拒否していれば、原水爆の使用もありうる。クリミア半島と東部諸州の帰属問題もロシアの主張には一定の根拠があり、NATOの東方への拡大には西側大国ももっと慎重であるべきだった。

 国益の対立も時が経つほどイデオロギー性が強まり、対立を不倶戴天の敵との戦いと化しかねない。冷静な計算も時には必要ではなかろうか?

2025年2月24日月曜日

ウクライナ戦争の行方

  今日2月24日でウクライナ戦争開始から満3年になるという。それと関連してか昨日録画しておいたNHKの『臨界世界 On the edge  女性兵士』と、放映中の『世界ドキュメント 前線兵士』を見た。どちらも(とくに前者)は林の中でロシア兵と対峙する女性兵士の記録、後者は銃後のウクライナ人の苦悩を中心に取りあげていた。

 どんな時代でも数十メートル先は敵陣といった最前線は兵士に強い緊張を強いるが、ドローンによる攻撃への警戒は極限の緊張を強いる。悲惨な現場にはウクライナ兵もロシア兵も違いはないだろう。

 トランプ米大統領の親ロシア的な動きにロシア側も呼応した動きを見せており、まもなくウクライナを置き去りにした米ソ間の対立緩和に向かいそうだ。ヒトラーの脅迫に英仏がチェコスバキアに領土の一部を譲歩させた悪名高いミュンヘン協定への言及もメディアに現れるようになった(確かにカタチとしては似ている)。

 しかし、領土的譲歩は一切しないとのウクライナとくにゼレンスキー大統領の立場にはもともと無理がある。クリミア半島にはロシア皇帝の離宮があり、そこでルーズベルトとチャーチルとスターリンのヤルタ会談が開催されたし、同地には晩年ここに住んだチェホフが名作『犬を連れた奥さん』などを書いた。ウクライナがそれまでウクライナ語とロシア語を国語として認めていたのにロシア語を国語として認めず、東部諸州のロシア語人口を怒らせ、クリミアとならび紛争の原因となった。

 それはともかく、ロシアと西側諸国の対立が深まれば第一次世界大戦のようにズルズルと大戦に巻き込まれかねない。これまで広島長崎を中心とする被団協の訴えを一顧だにしなかったノーベル賞委員会が突然受賞者に被団協を選んだことはどれほどこの先を案じたかを示している。

2025年2月21日金曜日

ウクライナ戦争の報道の偏向?

  新聞とテレビの何れかを問わず、戦後の我が国のジャーナリズムは報道の自由を享受してきた。しかし、最近明らかとなった芸能界の不祥事のように、報道の自由に自らくつわを嵌める事態もないではなかった。それが内外の政治情勢に関しても起こりうるとしたら影響は黙視できない。

 未だに終わらないウクライナ戦争に関して私は24年10月1日の本ブログで「ウクライナ戦争の行方」のタイトルで、過去のロシア報道というと必ず新聞などに論評が載るロシア史の長老たち?の意見が全く見られないのは、彼らが「一方的なロシア断罪に合意できない、したくないからでは」と書いた。あまりに不自然に感じたからである。今日、たまたま情報端末で旧世代のW東大名誉教授を調べたら、氏の発言に接し、私の想像が誤りでなかったことを知った。

 W名誉教授ら旧世代のロシア史研究者たち14名が、現在の報道が一方的なロシア非難に傾いているとの声明を発表したが、若い世代の発言者たちの怒りを買ったとのこと。

 私は長老世代の人たちの意見に近いのではと思うが、仮に逆でもよい。問題はこの意見対立がメディアに全く報道されず、若い世代の意見だけが報道されているかに見えることが大きな問題だと言いたいのである。政治報道の分野でも芸能報道の隠蔽と同じことが起こっていないか。そうだとしたら、我が国のメディアは同種の誤りを何度繰り返すのだろう。

2025年2月16日日曜日

醜悪な独裁国北朝鮮

  NHKテレビで13日に放映された『蓮池薫23年目の告白』を録画して見た。あらためて北朝鮮の金王朝の醜悪さを感じさせられた。

 拉致されてから半世紀近く、蓮池さんは今も帰国できない12人の運命を考え知っていることの全てを語ることを避けてきた。現地で横田めぐみさんとかなりの期間交流があったことは新事実ではないようだし、拉致された日本人を対日工作員に仕立てるための教育を7年目ぐらいに断念したらしいとの事実も蓮池さんには大きな変化だが...........。私には蓮池さんの誘拐犯がその頃から自らの行為の正当性に自信を失っていったとの発言が心に残った。

 本家ソ連の共産主義独裁が崩壊したのち、多くの共産主義国が独裁を離脱したのに、北朝鮮はむしろ独裁を強化したかに見える。私の目には北朝鮮軍の文字通り一糸乱れぬ行進や、金主席が姿を現した時の民衆の熱狂(むしろ狂態)は私には醜悪の極みとしか思えない。金王朝への忠誠に僅かでも欠けると見られるのがそれほど恐ろしいののかと想像してしまう。ドイツ国民のヒトラーへの熱狂ぶりは同程度であってもそこにあった自主性(無論それも問題だが)も北朝鮮の国民にはないと思う。私には北朝鮮の人たちがそれほど愚かとは思えない。

2025年2月11日火曜日

バンカラ気質の残る北大?

 建国記念日の今日は体調が今ひとつだったので日課の図書館での新聞読みに行かずテレビ漬け。NHKの大谷特集番組も楽しかったが、ほぼ同時刻なので録画して見たBSの『新日本紀行』の「札幌」も面白かった。

 実は番組は昭和50年放映の『都ぞ弥生』の再放送で、テレビ番組表の「札幌」でもなければ北大の紹介番組でもなく、同大学の「惠迪寮」が主題だった。大学の学生寮の内部の乱雑さは70年前の私の出身大学の寮に友人を訪ねて知っていたが、惠迪寮の場合、寮生たちが赤ふんどし姿で札幌の中心街を練り歩いたとは知らなかった! 旧制高校のバンカラ気質はわずかに北大に残っていたのである。北大生への札幌市民の敬愛度は他地方の大学生へのそれとは相当違ったようだ。

 北大生と言っても寮生は北海道以外の出身者が多かったろう。他大学では既に廃れつつあったバンカラ気質が残っていたのはやはり北海道への憧れとともに、札幌農学校以来の歴史と伝統への熱い想いが他大学の比ではなかったのだろう。しあわせな大学である。


2025年2月5日水曜日

生産者と消費者 国民の二面性

  トランプ米大統領の高関税政策(当面はメキシコ、カナダ、中国が対象だが)は本来の自国産業保護だけでなく、間接的ながら「不法移民」の入国阻止を狙っている。むしろ後者の目的が主なのかもしれない。しかし、前者の比重が小さいとも言い切れない。

 第二次世界大戦の一因として自国本位の高関税政策が指摘され、戦後は自由貿易(自国経済の開放)が善とされた。じじつ、百円均一の店の商品の驚くほどの低価格は自由貿易の結果と見ても良いだろう。しかし、国民には消費者の面と生産従事者の側面がある。メキシコやカナダで生産された自動車は米国自動車工業にとって打撃ともなり、従業員への負の影響は小さくあるまい。

 そうした実利の側面をさらに歪めた例が新日本製鉄によるUSスティール社の買収紛争だろう。後者の現在の米国内での生産比率はヒトケタとも聞く。新日鉄による同社の買収はむしろ再生の端緒ともなりうる。しかし同社はUSスチールの名の通り多年、米国の製鉄業のシンボルでもあった。それが新日本製鉄の援助にすがるとは米国人に屈辱と受け取られたようだ。さらにそれが全米製鉄労働組合の買収反対の火に油を注ぎ、民主と共和両党の選挙対策と重なり、買収反対一色となった。経済合理性よりも国民感情が重視された不幸な事件となったが、米国民だけの問題でないことは確かである。

2025年1月31日金曜日

ポツンと一軒家の魅力

  テレビ東京の週一回の番組『ポツンと一軒家』を毎回愛聴している。私自身は都会人で地方の実情を多少とも知りたいと思うことも一因だが、それを抜きにしても山中に孤立して住む人たちの生活力や勤勉さに毎回心を打たれるからである。

 毎週見るたびに、先ずわが国土がいかに山がちであるかと感じ入る。そこに設置された道路は無論狭い。それでも奥地までの道路は舗装されていることが多く、ガードレールが設置されている場合も少なくない。地方当局も住民の離村を防止するため努力を惜しんでいないことがわかる。それでも現在の「ポツンと一軒家」もかつては何軒かの集落の一部だったケースが多い。どの家も自動車(軽トラが多い)を所有しているが、それでも離村の大勢は阻止できなかったということだろう。

 何よりも感心するのは住民(ほとんど老人)の器用さ。そもそも家自体を改築した人が少なくないが、祖先伝来の家屋でも内部はかなり改装されているし、大きな工事以外はほとんどが独力での階層である。その勤勉さには頭が下がる。

 山中に残るにせよ、平地に移住するにせよ、残りの人生の多幸を願わずにはいられない。

2025年1月29日水曜日

移民難民と国家主権

  トランプ米大統領が南米コロンビアからの「不法移民」の軍用機での強制送還を企てたのに対し、コロンビアのペトロ大統領が当初受け入れを拒んだ。しかし、米大統領が「コロンビアからの全輸入品に25%の関税をかける」とSNSで発表するとコロンビアは態度を改め、送還を受け入れると決めた。

 メキシコとの国境を越えて米国に不法入国する人たちはメキシコ人では必ずしもなく、中南米諸国からの移民や難民が主だと聞く。米国自身が移民が建国した国だったが、現代の難民移民は自国の政治の混乱(というよりも破綻)により生活を脅かされるばかりか、生命さえ脅かされていると聞く。むろん同情に値するが米国に入国する権利はないだろう。

 中南米諸国はおよそ二百年前、ヨーロッパがフランス革命やナポレオン戦争で多難な時期に相次いで独立を果たした。なかでもハイチはフランス革命の影響下に世界史上初の黒人共和国として誕生した。しかし現在のハイチはギャングの支配下にある。難民として認めよと言われても米国としても「はいそうですか」とばかりに同意する訳にもいかないだろう。

 移民難民の流入に直面しているのはヨーロッパ諸国も同様である。EU諸国では難民の権利が認められており、彼らがチュニジアの沖20〜30キロのイタリア領の小島に上陸すればEU諸国は彼らを保護しなければならない。これではヨーロッパ諸国で極右諸党が国民の支持をますます集めるだろう。ヨーロッパのトランプ化である。私には理想主義の陥りやすい陥穽としか思えない。

2025年1月28日火曜日

これでも死刑廃止は正義に叶うのか

  京都アニメーション(京アニ)に放火して36人を死に追いやり、32人に重軽傷を負わせた犯人青葉真司の死刑が確定した。本人がすでに控訴を取り下げていたとのことで、本人にとって意外なことは何もないだろう。

 これほど巨きな被害を生むとは本人にも予想できなかったろうが、たとえ被害が現実の十分の一であったとしても到底許されない巨悪という他ない。

 昨今国際社会から、と言うより欧米諸国から我が国の死刑制度への批判が高まっていると新聞などが我が物顔に報道しているとか。我が国の記者たちはこの放火事件を前にしても、そう信じるのだろうか。

 死刑制度に誤審が皆無とまでは言えない。しかしこれほど明快な事件に対しても死刑反対論者たちは主張を変えないのだろうか? 世界がどう言おうと先進国がどう言おうと私には死刑廃止論は犠牲者をないがしろにする主張としか考えられない。

2025年1月19日日曜日

ガザの平和を願う

   ガザ地区を支配するハマスとイスラエルの間に期間限定ではあるがとりあえず休戦が実現しそうだ。大変喜ばしく、4万数千人の死者と目を覆う国土の荒廃の後とはいえ何とかその後も休戦が続いて欲しい。しかし、休戦の報道に文字通り狂喜乱舞するガザの住民たちを見ていると複雑な気持ちとなった。なぜ住民たちはハマス指導部に対して休戦要求のデモが出来ないのか。それをすればどんな目に遭うか分からなかったからではないのか。他方のイスラエルでは政府に自国民の人質解放を優先するよう要求する数千人のデモが2回あったと聞くのに.............。

  もちろん人質を解放したところで和平が進展する保証はなかったろう。それでも先に行動を起こすのはハマスであるべきではなかったか。これではイスラエル軍によるハマスやヒズボラの指導者の暗殺作戦の成功が彼らの変化の原因だったとの疑いが消えない。

 アラブとイスラエルの数次にわたる戦争の詳細を私も知らなぃ。しかし、エジプトのナセル大統領によるシナイ半島の占領が発端の第三次中東戦争の際に私は在英中だった。英国の報道陣がシナイ半島東端のエイラート港をイスラエルが失えば(スエズ運河はすでにエジプトの支配下にありイスラエル船の利用は不可能だった) 、同国はアジアとの交易が不可能になるとの質問にナセルは沈黙を守った。それが目的なのだから答えようがなかったのだろう。その後、イスラエル軍の反攻に敗れたナセル大統領は失脚した。私には、休戦に追い込まれた今回のハマスのケースと二重写しになって仕方がない。

2025年1月17日金曜日

発展途上国近代化の難しさ

  NHKのテレビ番組『メイド・イン・エチオピア 一帯一路の最前線』を録画で見た。エチオピアに近代的工場を建設するため派遣された中国人女性の4年間の苦闘の記録である。

 エチオピア政府の工業化計画に中国が協力して既に建設された工場を倍増するため広大な用地の開発が計画された。しかし、農民主体の住民にとっては天から降ってきたような開発であり、「我々をさらに貧しくするだけ」と受け取られる。エチオピア政府(そして背後の中国政府)のための交渉を担当する中国人女性の苦闘に終わりはない。

 この番組を見ていて明治政府の殖産振興、とりわけフランスの協力のもと安中に立ち上げられた製糸工場(わたしも見学) のことが頭に浮かんだ。同地には名家の子女も含めて各地から若い女性が労働に従事したと聞く。この違いは何なのか?

 自国の工業発展を目指すエチオピア政府も、アフリカ進出の一環としてにせよ同政府に協力する中国も非難できない。それでもエチオピアと明治日本のこの違いは教育がどの程度国民に浸透していたかの違いなのか。私は門外漢だが徳川期の国民(領民)教育の水準はかなりのものだったと聞く。

 子供を父母に預けて異国で無理解や反発と闘う中国人女性には同情を禁じ得なかった。

2025年1月15日水曜日

いちごの収穫の季節

  私の青少年時代、いちごは晩春から初夏にかけてのフルーツだった。私自身、庭の片隅で収穫した記憶がある。ところが何時ごろからかクリスマスや正月のフルーツとなっている。

 今日テレビで石油製品の値上がりを報じていたが、ある温室いちごの大規模栽培の場合、温室を温めるための石油燃料の費用はこれ迄も高価だったのに60万円ほど余分の出費となるという。

 クリスマスや正月に新鮮なイチゴを食することに私は反対しないが、その頃しか店頭に見掛けないのはおかしい。今のイチゴはまるで宝石のように美しく飾られているが、その分美味しくなってはいない。昔はよく「贅沢をするとバチが当たる」と言われたが、自分の金で食べるのに文句があるかと思う人が多数派なのか? 少なくとも自然な収穫時期にも提供されるべきと考える私は今や変人なのか!

2025年1月2日木曜日

池上彰氏の奮闘

  最近のテレビや出版物での池上彰氏の活躍の目覚ましさは皆さんもご存知の通りだが、新年初日から長時間の解説番組『元旦初解説 2025年はどんな年に』で高橋克実氏や久本雅美氏を相手に長時間司会をされたのには感心するばかり。

 番組では最初に今年開催の大阪万博が取り上げられた。国民は無関心といった大手メディアの批判的記事の多さにもかかわらず、私は今後の開催までや開催中には状況は変わるのではないかと予想する。木製の円形の施設も、あれほど大きな必要はあったかとは思うが、豊かな森林を持つ開催国日本の施設として私は高く評価する。

 トランプ氏の大統領再選も無論話題に取り上げられた。私自身、対立候補との間にあれほどの大差がつくとは予想しなかったが、池上氏が訪問した最近の米国のインフレの激しさからすれば、民主党が国民の信頼を失ったのも理解できた。民主党政権の勤労者重視の言説も実態が伴っていなかったということだろう。

 プーチンのロシアとトランプのアメリカでは両国間の緊張激化の可能性もあるが、両人とも民主主義や人権を声高に唱える人たちへの嫌悪という点では驚くほど似ている。2025年は案外米露間のイデオロギーがらみの対立は緩和するのではないか?そう願いたいものである。