新聞とテレビの何れかを問わず、戦後の我が国のジャーナリズムは報道の自由を享受してきた。しかし、最近明らかとなった芸能界の不祥事のように、報道の自由に自らくつわを嵌める事態もないではなかった。それが内外の政治情勢に関しても起こりうるとしたら影響は黙視できない。
未だに終わらないウクライナ戦争に関して私は24年10月1日の本ブログで「ウクライナ戦争の行方」のタイトルで、過去のロシア報道というと必ず新聞などに論評が載るロシア史の長老たち?の意見が全く見られないのは、彼らが「一方的なロシア断罪に合意できない、したくないからでは」と書いた。あまりに不自然に感じたからである。今日、たまたま情報端末で旧世代のW東大名誉教授を調べたら、氏の発言に接し、私の想像が誤りでなかったことを知った。
W名誉教授ら旧世代のロシア史研究者たち14名が、現在の報道が一方的なロシア非難に傾いているとの声明を発表したが、若い世代の発言者たちの怒りを買ったとのこと。
私は長老世代の人たちの意見に近いのではと思うが、仮に逆でもよい。問題はこの意見対立がメディアに全く報道されず、若い世代の意見だけが報道されているかに見えることが大きな問題だと言いたいのである。政治報道の分野でも芸能報道の隠蔽と同じことが起こっていないか。そうだとしたら、我が国のメディアは同種の誤りを何度繰り返すのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿