2025年8月15日金曜日

 終戦記念日に思うこと

 朝日新聞が終戦記念日の特集の一つとしてカラー印刷で太平洋の激戦地の島々を図示しており、その東南端に近いギルバート諸島のタラワ・マキン両島(現キリバス)が私には忘れられない地名である。両島は海軍が守備していたが、太平洋の日本軍の玉砕の島々の多分第一号で、守備隊の司令官は私の同級生のI君の父だった。国葬だったかは確かではないが、それに準ずるI海軍少将(生前は大佐か中佐)の盛大な葬儀が営まれ、その葬列の先頭に常にI君がいた。

 そして、その前か後かに新聞社がI少将の遺児の写真を撮りに世田谷の某小学校を訪れた。ちょうどI君と私たち数人は校庭で遊んでいたので騎馬戦の写真を撮ることになり、I君と私が馬上で取っ組み合いを演ずることになった。ところが実際には最初から私がI君に組み敷かれる形で写真は撮られ、翌日の紙面を飾った。

 この日から私のマスコミ不信が始まったと言えばウソになる。それにしても一家の柱を失った一家は戦後の混乱期をどう過ごしたか。葬儀の一年ほど後に東京を離れた私は七年後に大学入学のために上京したが、再会できた旧友は二人だけだった。

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