NHKのテレビ番組『メイド・イン・エチオピア 一帯一路の最前線』を録画で見た。エチオピアに近代的工場を建設するため派遣された中国人女性の4年間の苦闘の記録である。
エチオピア政府の工業化計画に中国が協力して既に建設された工場を倍増するため広大な用地の開発が計画された。しかし、農民主体の住民にとっては天から降ってきたような開発であり、「我々をさらに貧しくするだけ」と受け取られる。エチオピア政府(そして背後の中国政府)のための交渉を担当する中国人女性の苦闘に終わりはない。
この番組を見ていて明治政府の殖産振興、とりわけフランスの協力のもと安中に立ち上げられた製糸工場(わたしも見学) のことが頭に浮かんだ。同地には名家の子女も含めて各地から若い女性が労働に従事したと聞く。この違いは何なのか?
自国の工業発展を目指すエチオピア政府も、アフリカ進出の一環としてにせよ同政府に協力する中国も非難できない。それでもエチオピアと明治日本のこの違いは教育がどの程度国民に浸透していたかの違いなのか。私は門外漢だが徳川期の国民(領民)教育の水準はかなりのものだったと聞く。
子供を父母に預けて異国で無理解や反発と闘う中国人女性には同情を禁じ得なかった。
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