2015年8月30日日曜日

トランプ氏が米国大統領 に ??

米国共和党の大統領候補の一人トランプ氏の露骨な人種差別的発言が注目されている。最初は泡沫候補とも見られていたが、いまや共和党候補中支持率が最高である。ワシントンの既成政治家たちへの庶民の潜在的不信が掻き立てられると何が起こるか安心はできない。同氏は実業家と聞くが、米国人の民主主義理解には「たたき上げ」(self-made man )への信仰、裏返せば知識人への不信が抜き難くある。

氏の当面の攻撃対象は主としてメキシコ系移民だが、すでに日本への安保ただ乗り論を口にしている。一般的には経済自由主義者の多い共和党政権の方が日本との相性が良いとされるが、とても安心できる人物ではない。移民やマイノリティ民族は米国経済に大いに貢献しているはずだが、職場や居住地で日夜向き合う労働者層にしてみれば歓迎してもいられない。

1970年代中ごろ、「ボストン通学バスボイコット事件」が耳目を集めた。学校現場での人種統合を実現するため黒人の多く住む地区の生徒たちをバスで市内の白人居住地区の学校に通学させるとの施策は、他国では考えつかない米国らしい大胆な措置で敬服に値するが、通学時間もかかる上にバスは白人たちに妨害され、黒人生徒たちはおびえ先細りとなったようだ。白人居住者たちの人種偏見を批判するのは容易だが、施策を決めた市政 (  教育委員会?)のお偉方たちは黒人の稀な市外の高級住宅地に住み子どもを高い学費の私立学校に通わせる人たちだったと聞けば、白人庶民層の怒りは理解はできる。

とはいえ、公然と差別発言をするトランプ氏が米国大統領に就任すれば世界での米国の威信に傷がつくだろう。世界にとっても日本にとってもそれがプラスとは思えない。もどかしいが此処は米国民の良識に期待するしかない。

2015年8月29日土曜日

ラスベガスに見る米国の一面

今朝の新聞の土曜版beに米国西部を貫くルート66の記事が載っている。スタインベックの小説『怒りの葡萄』とからめての記事で、ジョン・フォード監督の黒白映画しか見ていない私 ( それさえ記憶は曖昧 ) には小説の価値を云々する資格はないが、数年前グランドキャニオンやラスベガスなどを廻る米国西海岸ツアーに参加してルート66に立ち寄ったことがある。何しろ原作を読んでいないので正直なところルート66に何の知識も関心もなかった。往時の面影 ( と言っても戦後 ) を残した売店に立ち寄り1950年代の米国車のミニアチュアカーなどを買ったぐらいで、ラスベガスほどの印象はなかった。

ラスベガスは初めてではなく20年ぐらい前に、当時サンフランシスコ近辺に滞在していた長男一家を訪ねたついでにラスベガスに2泊してグランドキャニオン見物をする予定だった。ところが悪天候のため飛行機が飛ばずラスベガス見物しか出来なかった。予定外のショー見物で時間を過ごしたが、テーブルで同席したミズーリ州の老夫婦にトルーマン ( 同州出身 )を話題にしたら大いに話しがはずんだ。

ということで二度目は前回ほどにはラスベガス見物はしなかったが、全行程をバスに同乗した日本人ガイドが同地の生活ぶりを語ってくれたのが面白かった。ラスベガスは夏季は高温になるので、その間不在にする場合は冷房を付けっ放しにする ( そうしないと家具類がおかしくなる!)、庭の水撒きは義務であるなどなど。しかし同地のあるネヴアダ州や南カリフォルニアはコロラド川を唯一の水源としており、その水量はしだいに減少しているとのこと。今後もその傾向が続くとすればラスベガスは ( ロサンゼルスもサンディエゴもだが ) 将来廃墟になる可能性がある。それなのにいっときの繁栄を享受している姿は、ギャンブル都市という側面を離れても ( 近年は家族連れも楽しめる配慮はしている )   帝国末期のローマに似ていると思わないでもなかった。

元来グランドキャニオン見物の基地としてラスベガスを選んだのは、米国勤務が長かった友人が同地は一度は見る価値があると、気のない私の背中を押したためだった。同君が推奨した理由と同じだったかは知らないが、米国の一面を見た思いのする都市ではあった。その後の米国の不動産の大不況でガイドは住宅のローンを払い続けられただろうか。

2015年8月26日水曜日

外国人の姓名表記




陸上短距離走でサニブラウン選手が注目されている。フルネームはサニブラウン・アブデル・ハキームとのこと。サニブラウンが姓で、日本人だから姓が先に来るのは当然だろう。

ところが外国人の場合は表記順に統一がないようだ。ジローラモと言えば「ちょい悪オヤジ」役で人気のイタリア人だが (姓はパンツェッタ )、姓がジローラモだと思っている日本人は少なくないのでは?  私はたまたまルネサンス時代のフィレンツェの宗教的独裁者サヴォナローラからジローラモが名であることを知っていたが (これって自慢? )。

むかしは欧米人の姓名を記すときは、名 ( first name )+姓 ( family name ) の順に書くのは当たり前だったが、ジローラモのように最近はそうでもないようだ。日本在住の外国人だけ、姓+名になったかと思ったが、最近人気のテレビ東京の番組「YOUは何しに日本へ?」で とぼけた声で番組を盛り立てているボビー・オロゴンの場合は名+姓であり、まったく統一がない ( まさかアフリカ人は欧米人ではないから? )。キャロライン・ケネディ大使については言うまでも無い。

外国人でも記述順が姓+名の場合があるからややっこしい。1956年のハンガリー動乱中首相を務めソ連軍による動乱鎮圧後処刑されたナジ首相 ( 冷戦時代のもっとも暗いエピソード の一つ ) は日本と同様 ナジ ( 姓 )+ イムレ ( 名 )がハンガリーでの記載順らしいが、当時の日本の新聞ではヨーロッパ人ということで? イムレ・ナジと書かれていた。間違えなかっただけでも立派?

少なくとも日本在住の外国人は日本式で行くというならそれも結構だが、現在のように双方入り乱れているのはおかしいのでは?それとも、どちらでも自分の懐が痛む訳では無しと達観するのか?

PS.  スターリン暴政の一番の被害者はソ連人だったと以前のブログに書いたが、「ロシア人 ( 正確には旧ソ連人 ) と書くべきでした。そうでないと論旨が不明確になる怖れあり。

2015年8月25日火曜日

安倍談話と世論

終戦70年の安倍談話に対する新聞各紙の世論調査の結果がほぼ出そろった ( 『毎日』だけ未発表? ) 。どの社の結果も率に小さくない差はあれ談話支持が不満を上回る。それでも各紙の談話「評価」と「評価せず」の差 ( 社により7%から26%もある ) が社論に見事に一致しているのは、自紙の購読者相手の調査ではないゆえおかしいと言えばおかしいが、設問の仕方の違いもあろう。むしろ直ちに調査を実施した肯定派の社と最大一週間遅れた否定派の社の数値の違いが目立つ。

結果として談話が「おおかたの日本人の共感するところであると思います」との関川夏央氏の予測が当たっていたことになるが、『朝日』の調査には他紙に無い「後世の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」との一節への質問があり ( 共感する63%、しない21% ) 、私はこの一節が談話全体の評価に貢献したのではないかと考えている。また私はこの一節が、安倍首相が「侵略」や「お詫び」の挿入で妥協しても一番入れたかったことだろうと推測する。ともかく、70年以後も節目ごとに謝罪を続けるなど前代未聞だろうと思うから。

今朝の『毎日』によると、中国と韓国の世論とくに後者の安倍談話への評価は全く否定的だという ( 韓国で80%以上が不満 ) 。朝鮮戦争への中国軍の介入により朝鮮半島の統一が寸前で阻まれた悲劇を忘れている韓国が談話をどう評価しようと勝手だが、安倍首相が70周年に談話を出すと予告したことで中国が内容確認まで警戒を解かなかったことは、日中関係改善にとって大きな時間のロスを招いたのではないか。中国政府の談話への反応は抑制の利いたものだと思う。首相の靖国参拝など日本側から日中関係を悪化させるようなことをしてはなるまい。

PS.  前回の「かつら橋」は「かずら橋」の誤り。また、つくば市の運動施設の建設費百数十億円は300億円余りの誤り。前者は国家補助金にほぼ当たり、間違えたようです。

2015年8月22日土曜日

日本の橋ランキング

今朝の朝日新聞の土曜付録beに日本の橋ランキングが載っている。10位までは一度は訪ねているが20位までとなると天草五橋、瀬田の唐橋、琵琶湖大橋は多分訪れていないか、遠望しただけ ( 記憶が曖昧 )。

断トツではないが錦帯橋が1位なのは納得できる。技術のことは私には分からないが、気品という点で一頭地を抜いている。それに対し2位の嵐山の渡月橋は周囲の風景と歴史を味方につけた名橋だが、橋自体はそれほど魅力的だとは私は思わない ( 夜景は知らない )。他方、明石海峡大橋 (3位 )、レインボーブリッジ (7位 )、大鳴門橋 (9位 ) といった現代技術を駆使した橋も独自の美しさを備えているが、自動車で通る間はその美しさはあまり感じない。三つの中ではレインボーブリッジがループ状の取り付け道路からの変化する眺めが期待感を高める。お台場の日航ホテルのカフェからの橋の眺望もちょっとしたものである。

4位の祖谷の「かつら橋」は二年ほど前訪ねたが、完全天然素材?という点でもユニークである。中国人らしい若いカップルにシャッターを押そうかと身振りと英語で尋ねたが、料金を取るとでも思ったのか断られた。直後に遅れていた家内が追いついたのでその嫌疑は晴れたらしいが!  5位の長崎の眼鏡橋はそのロケーションからも名橋と言って良かろうが、九州は石造アーチ橋が多く、美しさで九州随一かどうかはなんとも言えない。6位の二重橋は島倉千代子ならぬ東京人には当たり前すぎて感興はいま一つである。

上高地の河童橋 ( 8位 ) は十回近く訪れた。むろん橋の形も良いが、やはりロケーションの絶対的優位が大きいだろう。穂高連峰に残雪のある季節なら最高である。10位の四万十川の沈下橋群も二、三箇所車で渡ってみたが、欄干がないとけっこうスリルがあった。僻地?なのに頑張ったのはやはり実力なのだろう。

人間の渡る橋という基準なら仕方が無いが、美しさなら熊本県の灌漑用の通潤橋も挙げたい (人間も歩ける )。混雑を避けゴールデンウィーク直後に訪れたら用水の放出は連休中だけで残念だった。要注意。日本三奇橋の一つと言われる山梨県は大月の猿橋がベスト20位に入っていないのは残念である。我が家から最も近いからではない!

2015年8月21日金曜日

裁判の難しさ

やや旧聞に属するが、広島長崎への原爆投下日前後に両市の惨状が改めてテレビなどで紹介された。プーチンの側近が米国による原爆投下は「人道に対する罪」として訴追されるべきだと語ったとの報道に思わず賛成したくなる ( 人道に対する罪に時効はない )。それが米国への嫌がらせと分かっていても。

それに対しては旧ソ連による日ソ中立条約違反や日本降伏後の攻撃、捕虜のシベリア抑留 ( すべて国際法違反 ) は何なのだと日本人なら言いたくもなる。しかし私は旧ソ連と現在のロシアとを同一視することには賛成できない ( それでは某国と同じになってしまう )。スターリン暴政の最大の被害者は旧ソ連国民なのだから。

最近号の『文芸春秋』に、A級戦犯として処刑された7人の1人木村兵太郎大将の長男の、中島岳志氏との対談が載っている。私も含め殆どの日本人が知らない名前だが、東條内閣の陸軍次官で、ビルマ戦線末期に派遣軍総司令官を務めた。A級戦犯となった理由は後者しか考えられず、ビルマから一度は追い出された英国が復讐と見せしめの対象に選んだのだろう。

同じことはシンガポールで英軍を降伏させた山下奉文将軍とフィリピンで米比軍を降伏させた本間雅晴将軍の死刑 ( 現地法廷での判決 ) にも言える。英国の東洋支配の拠点シンガポールの陥落は当時世界に喧伝されたし、フィリピンの「バターン死の行進」は真珠湾奇襲と並んで米国民を憤激させた。しかし、教科書裁判で知られる家永三郎氏が、これが戦争犯罪と言えるのか何とも言えないとしている ( 『戦争責任』1985 年 ) ように、思いもよらない多数の捕虜を獲得して彼らを炎天下に長距離歩行 ( 42キロ。残り80キロほどは鉄道とトラック。Wikipedia ) させたのは、当時の日本の国力からすれば残虐行為とまでは言えなかったろう ( 『風と共に去りぬ』の読者はリンカーンが残虐行為で作者に避難されていることを覚えていよう。南軍の多数の捕虜に北軍が対応しきれなかったようだ ) 。緒戦でフィリピンから逃亡したマッカーサーはその原因を作った本間将軍 ( 人格者として知られる ) を見せしめのため殺さねばならなかった。

我々は戦犯裁判の判決を受諾して講和条約を結んだ以上、対外的に「蒸し返す」べきではないが、不公平な扱いを受けた戦犯の無念は忘れたくない。

2015年8月18日火曜日

映画雑感

新聞休刊日を利用して午前中に近くのシネコンで「日本のいちばん長い日」を見た。九時過ぎに初回の上映なので余裕を見て出かけたがすでにチケット売り場には数十人の列ができ、しまったと思った。しかし子供連れの三、四人の家族が大半 ( 他作品が目当て ) なので上映には間に合った。

観客は40人ほど ( それでも「アナと雪の女王」についで多い )。終戦の決定に至る映画の内容は特別新しいものではなかったが、英語のタイトル The Emperor in August  にふさわしく昭和天皇の言動はかなり詳しく (初めて?)扱われており、一応満足できた。天皇役者も似ていなくもなかった!

昭和天皇は個人としては平和主義者だったと私は考えるが、元首としての開戦責任は当然有ろう。それでも戦後昭和天皇が退位しなかったことは保守派の人たちにもいろんな意見があったろう。ただ天皇の主観では最後まで国民への責任を果たしたいの一心だったのだろう。

そう思うようになったのはエリザベス女王や両陛下 (天皇は私と同年 ) が見るだに痛々しいと感ずるのに退位しないからである。英国王室も天皇家も働き盛りの後継者が育っているのに。しかし、こればかりは側近でも助言ははばかられるのだろう。

もし天皇が憲法を超えた独裁者だったらあの戦争は起こっていただろうか。それはわからないが中途半端な民主化 ( 明治憲法程度でも ) には危険が伴う。現在の中国は独裁国であることは疑いないが、胡錦濤時代いったんは集団指導制を取り入れたため逆に思い切った改革は出来なかった (宮本雄二 『習近平の中国』 著者は元駐中国大使 )。メディアはしきりに習近平政権への権力の集中を批判的に報ずるが、恐らくそれなしには日中関係の改善は困難だろう。第一次大戦中から「外交の民主的統制」が叫ばれるようになり、講和条約締結までの期間は長引くばかりとなった。

2015年8月16日日曜日

「ヴェール着用」の可否

ヨーロッパ諸国で移民や難民の急増が問題になっていることは再三報道されているところだが、それが惹起した問題の一つのヴェール着用の可否を論じた書物 ( クリスチャン・ヨプケ『ヴェール論争   リベラリズムの試練』法政大学出版局 ) の書評が今朝の新聞に掲載されている。私は原著を読んでいないが、この問題はマイノリティ民族の文化を何処までみとめるかという難問に関わる。

問題は実際的なものと原理的なものに分けて考えられる。書評によれば英国では「治安上の懸念」として浮上した。確かに眼しか出していない服 ( ニカブ ) では男女の別を隠すことも容易だし、ゆったりした服なので小銃を所持していても分からない。現実に今以上にイスラム過激派のテロが頻繁になったら公共の場 ( 街頭や交通機関など ) での着用制限はある程度止むを得ないだろう。

公教育の場でのヴェール着用はもっと厄介な問題である。スカーフ程度なら実害はないが、ニカブなどとの間の何処に線を引くかは難しい。その上フランスのように公教育から宗教を文字どうり追放した国では原理からして特定の宗教にだけ寛容にはなれないだろう。他方、フランスほどには政教分離が徹底していない国では「外来宗教」?の扱いの不平等という問題が生ずるだろう。

私自身ロンドンの街角でニカブ姿の女性?と出会ったとき、強い違和感 ( むしろ衝撃 )を禁じ得なかった。昔から住むマイノリティ民族と最近の移民とでも一般の受け取り方は微妙に違うだろう。最近は少なくとも先進国では多文化共生が理念として受け入れられつつあるが、多数派民族の側の受容努力とともにマイノリティ ( とくに新移民 )の側も新しい仲間との間の差異縮小の努力を一定程度必要とされるのではないか。今のまま移民の激増だけが続けば社会や政治の保守化さらには非寛容化は確実に進むだろう。ゲルマン民族至上主義のナチスが選挙を通じて政権に到達したことを忘れるべきではない。

2015年8月15日土曜日

安倍談話と新聞

いろいろな点で注目されていた戦後70年の安倍談話が発表された。新聞各紙の論調は当然それぞれ異なっているし、掲載された「識者」たちの論評も同じではない。『朝日』と『読売』の社説は前者が否定的評価を、後者が肯定的評価を下している。予想どうりととる人が多いだろうが、『読売』は過去に日本の戦争責任に関するプロジェクトを実施して成果を刊行しており、他の諸問題とくに安全保障問題と異なりこの問題に関しては、管見の限りでは厳しい態度を取ることが少なくなかった。

意外だったのは両紙に三谷太一郎・東大名誉教授が論評を寄せ、『朝日』では首相談話を100%批判する一方、『読売』では大略批判6割、賛同4割の談話を発表していることである。「識者」は掲載紙の傾向に合わせた発言をするものなのか。しかし私はそう断定する気は毛頭無い。インタビュー記事での発言だったから。

以前、ある考古遺跡発見の意義について年長の知人が新聞にその大きな意義について発言していた。たまたま直後に顔を合わせたので、「あそこまで言っていいのですか」と聞いたところ、「本当に困っているんだよ」ということだった。知人はいろいろ前提条件をつけて発言したのにその部分が全く省かれた記事だったため、同業の友人にも私と同じ疑問を呈されたとの事だった。記者による歪曲であり、社の方針 (この新聞は考古関連の記事がよくトップ記事になった ) ろが優先したのである。今回の三谷氏のケースも同じかもしれない。

今回の何人かのインタビュー記事では「おおかたの日本人が共感するところであると思います」との関川夏央氏のそれが一番同感できた。氏の処女作?『海峡を越えたホームラン』以来私が氏のファンであることもあるが、他の論者たちが何故か誰も触れたがらない中韓の「外交カード」の側面にもきちんと言及しているからである。もっとも、「千年たっても加害者と被害者の関係は変わらない」と断言した朴大統領 (それが正しいなら日本は元寇の故に現在のモンゴール国を対等視してはならないことになる ) には、外交カードを利用するという意識はないかもしれないが........。

2015年8月13日木曜日

ドイツ的性格再論

昨今話題の芥川賞受賞作品を読みたくて発売当日『文芸春秋』を買い求めたが、真っ先にギリシャ危機に対するドイツの対応を批判する二つの文章、E. トッドの「ヨーロッパは三度自殺する」と塩野七生氏の巻頭の小随筆「なぜ、ドイツ人は嫌われるのか」が目についた。

前者はインタビュー記事で、以前に当ブログで言及した単行本 ( 新書 )の趣旨をさらに一歩進めて、現在のドイツを放置すれば世界は第一次大戦と第二次大戦に次ぐ第三の災厄に見舞われるだろうと警告する。現在のギリシャの危機が財政緊縮や当面の国際的融資で解決するような生易しいものではなく、債務の大幅軽減を必要とするとのトッドの判断は多分正しいだろう。そして、そうした根本的解決にドイツが障害となっているのも事実だろう。今回の新しい論旨は前著のように障害をドイツ人の国民的性格 ( 融通のきかなさ、他国への猜疑心=騙されることへの恐れなど ) に帰するだけでなく、ドイツの大部分を含む北ヨーロッパ諸国のルター的プロテスタンティズムに原因を求めている点である ( カトリックのポーランドは例外 ) 。

他方、ローマ史家の塩野氏がギリシャを含む南欧の主張に同情的なのは「やはり」と言いたいところだが、氏はドイツ ( 南ドイツを除く ) がローマ帝国の領域外だったことに原因を見出す!  ローマ帝国は「勝って譲る」という懐の深さで他民族を心服させたが、ドイツ人にはその度量が無いと言う。私は今回の南北ヨーロッパの対立 ( トッドは南欧は本心ではギリシャの味方だという )を常識的にゲルマン民族とラテン民族の気質の違いと捉えてきたが、トッドや塩野氏のように論旨を拡大されると戸惑ってしまう。

ヨーロッパのユーロ貨採用も外国人旅行者としては本当に便利だったが、相当に無理があったように感ずる。最近の非ヨーロッパ系移民の激増 ( とその一部の国への集中 ) ひとつをとってみてもEUへの批判は今後強まりこそすれ弱まることはないだろう。古い考えかもしれないが、国家という単位はそれなりの存在理由があるから続いてきたのではないだろうか。私はEUの分裂を望まないが今後あり得るとは考えている。

2015年8月7日金曜日

70年談話 有識者懇の報告書

きのう上記懇談会の報告書が発表された。新聞掲載の「要旨」を読んだだけだが、その限りではおおむね妥当なのではないか。

「満州事変」以後の日本の対中国軍事行動を侵略と認めるのは止むを得まい。それに先立って中国人の在中日本人に対する犯罪やボイコットがあったことは事実てある。尖閣列島国有化の際の中国人の「愛国無罪」の蛮行は、80年前もこうだったのかと思わせた。しかし日本側の反応(とりわけ「暴戻支那人」と煽り立てる新聞の反応 )は過剰反応だった。その根源に自国民の生命を特別視する自民族優越思想があったことは否定できない ( 現在のイスラエルのアラブ人への対応と同じ )。それを正当化するのは困難である。

我が国が欧米の植民地支配からのアジアの解放のため戦ったというのも「正確ではない」。そう信じた同胞は少なくなかったと思うし、結果としてアジアの解放に寄与した側面があることを否定したり無視したりするのは賛成できないが、日本の国策がそれを目指して居たというのは強弁だろう。日本を動かした動機はアジアの資源の獲得であったと見るのが大筋では正しいだろう。

台湾ついで朝鮮の植民地化は、欧米にそれを非難する資格があったとは思えないが、民族自決に反したことは事実である。報告書が1930年代から日本の「植民地化が過酷化した」としているのは戦時徴用の導入もその一例なのだろう。私は戦時中朝鮮人の「飯場」に級友を訪ね歓待された事がある。その活気に満ちた雰囲気を覚えているが、彼らの職場が鉱山や土木工事など危険の多い仕事場だったことは否めないし、飯場を訪ねる地元住民は稀だった。

戦後しばらくは中国が日本に対し「軍民二元論」を採り指導者層と一般国民を区別していたのはマルクス主義の階級史観にもとずくものであったろうが日本にとって有難い事ではあった (マルクス様々?)。長い中断期を経て最近習近平政権が「軍民二元論」を復活させようとしているかに見える。それなのに野党が参院審議で安倍首相の念頭にある仮想敵国が中国であるとわざわざ言わせたのは賢明だろうか。中国も名指しされれば面子も当然あろう。そもそも十年ごとに首相談話を出す必要はないのに安倍首相がいわば寝た子を起こしたことと同様賢明ではなかった。

2015年8月3日月曜日

つくば市民に敬意

茨城県のつくば市長が市の郊外に陸上競技場をはじめとする大運動施設の建設を計画したが、住民投票は圧倒的にこれを否決した。住民投票には強制力は無いらしいが、市長は結果を尊重せざるを得ないようだ。

市長は予定地近くに大病院を経営しているとのことなので、周辺の土地開発に特別の利益を期待したのかもしれない。テレビはそれを匂わせていた。しかしそうでなくとも自治体首長は大きな「ハコモノ」を作って自分の業績として長く残したい誘惑に駆られるようだ。それを助長するのが国の補助金である。今回も総額百数十億円の半分 ( 46% )をそれで賄うという。( 他に49%が市債という名の借金とか )。私は補助金のエサに釣られなかったつくば市民を立派だと思う。

私がこの事実に注目したのは似たことが私の住む市でも過去にあったからである。私宅に近いロータリー (いまやラウンドアバウト )に面した土地に市が、老人が会合などに利用する小建物を建てようとし、周辺の数軒の住民が反対した。最初私は老人は騒音源とはならないのに反対するのは住民エゴではないかと感じた。しかし市長はそれまでそうした計画を示したことは一度もなく、たまたま、リーマンショック後に政府が特別高率の補助金を出して全国に事業を募ったのを利用するためと知った。けっきょく施設は建設され利用もそこそこ為されているようなので、市としては面目は立った。

しかし、リーマンショック当時は景気対策として例外的に必要があったとしても、補助金があるが故に不必要なあるいは過剰な施設が建設されのを放置して良いわけがない。全国の自治体住民はつくば市民を見習って欲しい。

2015年8月1日土曜日

終戦の月

毎年8月は前の戦争の体験談や関連記事がメディアを賑あわす。今年は特に新安保法制との関連か、7月から賑やかである。まだ封切前らしいが、映画『日本のいちばん長い日』が話題を呼んでいる ( 私がPRに乗せられているだけ?)。むかし私が見たのは半藤一利氏の原作か1967年の旧作映画かあやふやだが、私自身の戦争体験と重なり無関心ではいられなかった。

現在から見れば終戦の「聖断」がせめて一年早ければ原爆投下も沖縄戦も東京下町の大空襲も免れたのにと残念に思わない人はいないだろう。しかし、1945年8月でさえ和平への抵抗は辛うじて阻止された。もっと早ければ、ヒトラー暗殺に失敗して和平派が粉砕されたドイツのように戦争が首都陥落まで続いた可能性はあった。ライシャワー博士は広島原爆投下の報に、日本は終戦に向けて動き出していたのにと暗然とした。だが、戦後見聞を深めた結果、広島への投下は止むを得なかったとの結論に至ったと回想録で語っている (長崎への投下は全く無駄だったとしているが )。それほど当時の我が国は軍部に牛耳られていたと理解するべきだろう。

今週の『歴史秘話ヒストリア』はジョセフ・グルー元駐日米大使の日米開戦阻止の努力と、戦時中の対日ポツダム宣言の穏和化の努力を紹介していた。前者では近衛首相のハワイでの日米首脳会談の提案がグルーの後押しにもかかわらず実現せず、開戦が決定的になったと指摘していた。じっさいグルーは会談開催をローズベルト大統領に文字どうり懇願している ( 『滞日十年』)。十年間に日本政治に精通したグルーには、もはや開戦回避のためにはハワイでのローズベルト大統領との会談での結果を近衛首相が帰国後ただちに参内して天皇の裁可を得てしまうというウルトラC級の手段しかないと正しく理解していた。番組では国務省ら大統領の周辺が「事前交渉なしに会談はノー」と反対したので会談は実現しなかったと説明していたが、その背後に中国政府の反対があったと聞く (蒋介石総統は「中国戦線が崩壊する」と会談に反対したという )。他にもローズベルト個人の過剰な民主主義イデオロギーや日本への侮りなどが指摘できるだろう。

むろん日米開戦が取り敢えず避けられたとしても、満州問題を中心に問題解決は困難を極めただろう。しかし、戦後冷戦の収束や最近のその一部復活を見ていると、風向きを変えることの重要性を強く感ずる。相手への警戒心が信頼感に変われば以前は不可能と思われていたことでも実現したことを忘れるべきではない。

PS   以前、三沢高校に元ヤクルトの八重樫が居たと書いたが間違いで、八重沢が正しいようだ。