歌謡曲全盛時代といえば前週末の『朝日』の土曜版 beの「もういちど流行歌」は1969年6月の「読者のベスト15」で、「夜明けのスキャット」、「風」、「港町ブルース」など私でも半分以上よく知っていた。やはり年齢に関係なく親しめた歌が多い。紅白歌合戦が国民的行事?だったのもうなずける。
しかし私にとって1969年は別の意味で忘れられない年である。勤務先が大学紛争の波をかぶり ( 東大は1968年だが ) 、事務棟や研究室棟を闘争学生に半年間占拠され、卒業式も無かった。大学の存続も危ぶまれた ( 国立大なら一年間学生募集無しも可能だが、私大経営には大打撃である ) が、荻窪警察署は「大学の自治に介入」とメディアに批判されるのを嫌い、協力を拒んだ。
ある深夜、「タダチニヒガシモンヨリキタレ」との電報で起こされ ( 当時、電話加入は二年待たされた ) 、いよいよ教職員が夜陰に乗じ実力で校舎を奪回することになった。何とか丸一日かけて六割かた占拠を解いたが、翌日角棒を入手した闘争学生たちに襲われ、あっという間に再占拠された。何しろ相手は暴力御免なのでこちらは無力だった。
紛争後、一部の闘争学生はプライドからか大学に愛想を尽かしてか退学したが、大多数は卒業式はなくとも卒業証書は手にした。我々としても闘争学生を個人として嫌ったわけではない。後日、スリランカで数年間教会活動に従事した元闘争学生をゼミに呼んで途上国の状況を話してもらった。「恩讐の彼方に」というほどの事ではないが............。
P.S. 7月7日のブログに寺田屋事件と書いたが、池田屋事件の誤りでした。
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