マララの場合、不条理に抗う彼女の道徳的勇気が際立っていたが、劉氏の場合なみはずれた勇気に加えて、「私に敵はない」と言ったその政治的叡智によっても抜きん出ている。
独裁政権としても現在の中国共産党政権の独善ぶりは際立っているが、それは彼らがいつか国民に裁かれる日が来るのではないかとの深刻な恐怖を抱いているためでもある。それに対し「私に敵はない」との発言は、中国の民主と自由の実現に協力するならば過去は一切問わないということである。これまでの不正に目をつぶることはその被害者にとっては大きな苦痛であろうが、暴力の悪循環を断つためにはより高い立場に立つ必要があるということである。
また、「私に敵はない」とは現在の抑圧的政権の中にも止むを得ず従っている人たち、いつかは現状を変えなければと考える人たちが必ずいると認識することである。一歩早く共産党独裁を改めたロシア ( 旧ソ連 ) の場合、ゴルバチョフの功績は多大だが、ブレジネフ書記長が自分の後継者と目していたらしいロマノフも、当時のフランス大統領のジスカールデスタンの回想録によれば思慮深い人物だった。後継者にゴルバチョフを選んだ幹部会もまた従来の行き方を続けられないと考えていたのである。共産主義の改廃までではなくとも。
独裁政権であっても心ある人たち、いつか現状を改めなければと考えている人たちは必ずいると考えるからこそ劉氏は「私に敵はない」と言ったのだろう。それこそが政治的叡智である。ノーベル平和賞の選考委員会の決定がこれほど適切であったことはその歴史上無いのでないかとさえ私は思う。
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