北朝鮮が核実験を決行した理由は未だ推測の部分もあるが、国内的には党大会をひかえて金正恩主席の威信を高めること、対外的には米国を交渉に引きずり込むこと ( 最近の米国は欧州や中東に関心を奪われているので ) にあったのだろう。何しろ民主主義国家と違って失脚は死に直結する可能性が高いとあれば、他国の反応に気を使う余裕などないだろう。
一党独裁の国は北朝鮮以外にも数多いが、文明国 ( 教育がゆきわたっているという意味で ) で同国ほど常軌を逸した独裁国は稀だろう。これと比較すれば戦前戦中の日本の独裁などたかが知れたものだった。当時の民間右翼や一部軍人によるテロ ( その重要性は軽視しないが )を除けば、昨日まで壇上に立っていた政府要人が翌日には政権により銃殺というほどの酷さではなかった。もはや狂態という他ない。
金正恩氏が主席に就任したとき私は彼に対して期待しそれを本ブログに書いた。青少年期をスイスで過ごした人間が自国の異常さを知らない筈は無く、何とかしたいと思うのではと考えた。しかし北朝鮮は変わらなかった。今でさえ私は同国の変化に完全に絶望してはいない。文字どうり「一縷の望み」であることは承知しているが。
ナポレオンはオーストリアの宰相メッテルニヒに隣国への自らの相次ぐ戦争を「フランス国民は常に私に勝利を期待するからだ」と弁解したという。身勝手な弁解だが全くの嘘ではないだろう。生まれながらの君主ではないかれには自分の地位への不安は抜き難くあったのだろう。フセインにもカダフィにもアサドにも金正恩にも。
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