2016年1月28日木曜日

両陛下のフィリピン訪問

かれこれ40年近く前、ノルウェーの旧ハンザ都市ベルゲンの観光バスでフィリピン人の女性ピアニストと知り合った。というよりもカメラを持っていた私に、グリーグの住まい ( 別荘? )の前で彼女の写真を撮ってフィリピンに送ってくれと本人に依頼されたのである。渡された住所にリサール ( 通りの名前?) とあったので独立運動家のリサールにちなんでかと彼女に聞いたら、しばらくポカンとしたのち、「オー、リザー!」とのたまった。英語読みでもルは付くらしいが、母音の着かない L は日本人には聞き取りにくかった ( 一般化するな!)。写真を送ったのに礼状は来なかったのには失望したが、同地に住んだ事のある知人が重い封書は先方に届かないこともあると教えてくれた。

現在訪比中の両陛下がリサール像や無名戦士の碑に頭を下げられた。晩餐会で天皇が戦争中のフィリピン市民の被害に対し「私ども日本人が決して忘れてはならないこと」と述べられたことに、ほとんどの日本人は同感すると私は信じたい。

今朝の『東京新聞』に同国の「従軍慰安婦」のヘンソンさんの記事が載っていた。「アジア女性基金」の償い金をヘンソンさんは受け取ったが、「日本の支援団体の中には、ヘンソンさんらに償いの一時金を受け取らないよう求めたグループもあった」。理由は「国家賠償でなければ人間の尊厳を取り戻せない」ということだが、ヘンソンさんは私の名誉は50年前に失われたと言って取り合わなかった。一年後ヘンソンさんは亡くなり、記者が弔問に訪れた自宅 ( トタン屋根のつぎ目から空が見えた ) は、「立派な二階建てに変わっていた」。苦難の記憶は消せないとしてもヘンソンさんが自分の苦難をせめて家族への贈り物に変えて残したことを知り、私はホッとした。

国土が戦場となったフィリピンには女性の被害を始め数々の悲惨事があった。韓国のケースと異なり被害者としての彼女らの主張はほぼそのまま信じてよかろう。日本政府の支出金は「女性基金」の支援事業の半ばを占めており、支援団体の主張は事実に反するが、それを措くとしても、被害者救済よりも自らの主張を通すことを優先する「支援団体」はその名に値するのだろうか。私には独善のかたまりとしか映らない。

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