2014年4月28日月曜日

カード以前のこと

一ヶ月以上も前に、むかし留学した大学からの電話での募金の要請を振り込め詐欺と誤解した話を書いた。結局、本当の話と分かって遅まきながら送金したのだが、今日カレッジからの丁重な礼状が届いた。実は送金用紙にカード番号や安全コードを記入したが、他にも記入する箇所があり、そのうち意味不明の箇所は空欄のまま出したので、果たして有効な書類となったのか気懸りだった。これで用件が完全に片づいたのでホッとした。(電話してきた学生の名も判明した。手紙ではサインが読めなかった!)

送金方法にはカードと銀行小切手の二種類があった。四十数年前の英国では小切手による支払いが一般的で、留学生も入学後ただちに銀行口座を求められ、(学生は小切手帳を受け取る)  そこに大学からの奨学金も振り込まれる。日本では小切手帳など無縁だったので仲々慣れなかった。
その後ヨーロッパではカード利用が一般化したようで、三十年ぐらい前のオスロー空港でレンタカーを申し込んだらカード利用でなければ保証金を積むよう要求され断念した。その際レンタカー店のカウンターに手帳を置き忘れた。その後二ヶ月ほどのヨーロッパ滞在中不便をかこちそうだった。ところが滞在半ばに家内から手帳が東京に送られてきたとの連絡があった。ノルウェー在住の日本人にでも聞いて手帳内の住所を探したのだろう。日本人の親切さや正直さは世界で評価されていると思うが、ノルウェー人も日本人に負けず、或いはそれ以上に親切だった。

韓国ではフェリー船の事故に関して新聞が自国を三流国家だと自嘲していた。船長を始めとする乗組員の無責任ぶりをみれば自虐的評価とばかり言えないが、我が国も北欧諸国と比べて社会保障や女性の社会進出、なかんずく政治的成熟など未だ及ばないようだ。(振り込め詐欺の横行も!) 早く一流と自信をもって言えるようになりたいものである。
なお、今回のタイトルは高名な人の著書名のもじりだが分かるかな?  実は私も読んでいないのだが。

2014年4月26日土曜日

失言は国益を損なう

麻生副総理が「国内でオバマが(議会を)全部まとめ切れるほどの力はないだろう」と述べて、官房長官が慌てて火消しにまわっている。

麻生氏は以前、漢字の読みを間違えてひんしゅくを買ったことは記憶にあたらしい。私は逆にリーマンショックに際し当時総理だった氏が、経済人出身らしく素早く景気刺激策を採ったことは正当に評価されて良いと考えていたが、今回の発言は政治家としての資質まで問いたくなる。
先ず、先方を呼び捨てにするのは失礼である。自分がそうされたら不愉快でないだろうか。
だが、それ以上に相手を無力呼ばわりしたのは問題だろう。確かにオバマ氏の議会の基盤は脆弱で事実に反するとは言えないが、同盟国の指導者に対し、否、同盟国でなくとも一国の指導者に対し失礼千万である。麻生氏を副総理に起用した安倍総理の見識まで問われるだろう。
森元首相を始めこれまで失言が問題になった政治家は数多いが、冗談で会場を盛り上げようとするなど未だしも可愛げがあった。今回はただ無礼なだけである。

相手を不快にさせるという点では安倍総理の「価値観外交」の提唱も意図が見え透いていて良くない。中国がそれを自分に向けられたと不快に思っても曲解とは言えない。相手も不快な発言をするからというのでは五十歩百歩になってしまう。ことは国家の品格に関わる。
他にも、ゴルフ場ならともかく記者会見でバラクを頻発するのは、本人は親しさを誇示したいのだろうが、かえって聞き苦しい。心して発言して欲しい。

2014年4月23日水曜日

教員が公務を休むとき

埼玉県の県立高校の五十歳台の教師が長男の高校の入学式に出席するため自校の入学式(一年生の担任だった)を休んだ事件( ! )が話題になっている。初出の埼玉新聞の記事が四月十二日。私が偶然旅館のテレビで事実を知ってから朝日新聞が記事にするまででも一週間以上たつ。その間、私の知る限り全国紙では産経新聞しか記事を載せなかったようだ。この感覚の鈍さは何だろう。

それらの記事によればインターネットでの賛否の比率は賛成(つまり教師に問題なし)がやや優勢だという。とすれば、1) 記者たちも問題なしと判断していたということか、 2)それとも評価が見事に二分している事実には、触らぬ神に祟りなしと考えたのか。前者にも私は問題を感ずるが、後者なら最早何をか言わんやである。実は他にも三人、休暇届を出して休んだ高校教師がいるという。教員とても家族の急病とまでではないとしても止むを得ず休むことはあるだろう。だが日程が決まっており、しかも初めて新入生に担任として紹介される日に休暇を取るとは驚きであり、それを否とする声が半数に満たないとは、それ以上の驚きである。

私はこれまで尾木直樹氏の教育論は生徒に甘すぎると感じ、不満を覚えることが多かった。しかし今回は氏は「プロ意識が欠如している」、「働く倫理が崩壊している」と断じ、「賛同者がいなくても私一人になっても譲れない主張です」と言い切っている。胸がすくとはこの事であり、私に付言することはない。

しかし、問題の教師たちや高校長たちは措くとして、最初に地方紙で報道されてから全国紙が報道するまで(投書を別とし)、十日も経過するとは理解できない。今後は詳細ばかりか第一報まで週刊誌でと言うことか!

2014年4月22日火曜日

小さな変化に注目を

中国の裁判所に賠償を命じられた商船三井がその船を差し押さえられた。それに対し菅官房長官が「日中共同声明に示された国交正常化の精神を根底から揺るがしかねず........」と批判した。少し反発が過ぎるのではないか。
中国外務省報道局長はこれを商取引上のもめ事と見なし、「この案件は戦争賠償の問題とは関係無い」、「(日中共同)声明の原則を守るという中国の立場に変化はない」と語っている。取りようによっては、これは他の民間の戦時賠償に関してはこれを必ずしも先例としない、少なくとも未だ政治が態度を決定していないと読める。それに対する反応としてはもっと抑制された言い方が望ましかった。
菅官房長官は苦労人と聞くし、概して慎重な受け答えが多いとの印象があったが、以前にも安重根をテロリスト呼ばわりした。韓国では英雄であることを知っていればもう少し違った言葉づかいもあったはず。残念である。

この一、二年に中国、韓国、北朝鮮でトップが変わり東アジアの状況の好転を期待したが、期待外れだった。パククネ大統領は親日派の娘と見られるのを避けたいのだとの解釈もあったが、彼女の頑なさは、むしろその信念にあると考えた方が良さそうである。今では私はパク氏よりもむしろ金正恩主席や習近平主席に期待している。何を世迷言をと言われそうだが、私にはヨーロッパで数年を過ごした金氏が今の自国の異常さを知らないはずがないと思いたい。北朝鮮への制裁強化に賛成なのもそれが同国の変化のきっかけになることを期待する故である。
習近平氏も文革時代は苦しい生活を送ったと聞く。更に彼の父は親日派の胡耀邦の親友だった。

事実、金主席はロケット発射の失敗を直ちに発表したり、公式行事に夫人を同伴するなどこれまでにない行動に出る。これら、とくに後者は単なるスタイルの変化に過ぎないと見られそうだが、私には西欧的なものへの内心の憧れの反映と見える。習近平氏が胡耀邦氏の子息を最近我が国に派遣したのも習氏の本心の反映と私は考えている。
あの悪名高かったミャンマーの独裁政治さえ変わる時は変わる。中朝何れにせよ独裁と決めつけるだけで良しとせず、どんな小さな変化にも着目すべきであろう。

2014年4月20日日曜日

「日本国憲法にノーベル賞を」運動に賛成

ノーベル賞を日本国憲法に(正しくはそれを保持した日本国。法律は受賞者にはなれない由)との要請をノーベル賞委員会が賞候補として受理すると連絡してきたという。一主婦を中心としたこのイニシアティブの発想の卓抜さには脱帽である。

私は必ずしも護憲派ではない。現憲法が制定された当時と七十年近く経過した現在とでは国際環境はあまりに違う。
憲法第九条が1928年の不戦条約の条文(「国際紛争解決のため戦争に訴えることを否定し、国策の手段としての戦争を放棄する」と酷似していることはよく知られている。そもそも同条約の正式名称は「戦争放棄のための条約」なのである。だが、これ以後加盟国が武力を放棄したわけではない。自衛のための戦力は別とされたのである。おそらくそれを念頭に「戦力を保持しない」との九条第二項が追加されたのであろう。しかし、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」国の安全が保持できると言い切る自信は私には無い。

しかしそれでも今回のイニシアティブを高く評価するのは、提唱者の意図とは違うかもしれないが、第一に、国を守るのに戦闘機や戦車が有用であるのと同じように、或いはそれ以上に日本国を見る諸外国の目も重要だからである。仮に日本国憲法がノーベル賞を受賞すれば日本の右傾化、軍国主義復活を口にする国の主張の効力は多少とも減殺されるだろう。ノーベル賞作家を獄に閉じ込めている国がどれほど態度を変えるかには疑問が残るが。
第二に、約七十年間平和国家を堅持してきた日本には受賞する資格がある(この点は提唱者と同じのはず)と考えるからである。ドイツと日本を比較してドイツの方が前大戦を反省しているとする論があるが、戦後も兵器を外国に輸出して金儲けをして来たドイツと、それを自ら禁じてきた日本とどちらが反省をかたちに表して来たかは明らかであろう。兵器の性格が多様化し、その素材までが重要な意味を持つ時代に、武器輸出三原則の解釈は単純ではないが、これまで「死の商人」にならないと自らを律してきた我が国が相応に評価されることのは当然であろう。私も第九条が世界に広く知られて諸外国が日本の例に倣うこと、その結果改憲の必要など論外となることほど喜ばしいことはない。
最後に、「安倍首相に(授賞式に)喜んで行って欲しい」とのリーダーのユーモアもすばらしい。中国や韓国が行って欲しいと願うかは見ものだが。

2014年4月17日木曜日

安全・美観・経費(その2)

東京西郊国立市の学園通りの桜並木が漸次切り倒されるという。
学園通りはJR国立駅から南に二キロ(?)ほどの片道二車線の立派な車道があり、両側を一橋大学のキャンパスが占める。車道の両側にソメイヨシノの並木があり、さらにその外側に歩道が設けられている。季節に無関係に美しい通りだが、桜の季節はとりわけ美しく、国立市民の誇りであろう(市民でもないのにおこがましい言い方だが)。
しかし電鉄会社が一帯を造成した戦前に植えられたと想像する桜は老木化し(だから立派なのだが)、安全のため切ることになったらしい。

老木ゆえ倒れたら死傷者が出かねないので市として放置出来ないと考えるのは自然である。学園通りの美観を守るため高層マンションの建設に反対して業者と裁判で争った市が好んで並木を切るはずがない。植え替えの費用も掛かる。しかし若木を植えれは美観を取り戻すのに最低十数年はかかるだろうし、今ほどの美しさはさらに先のことになろう。

おりから川崎市の商業施設で、広場のケヤキの枝が風もないのに自然に折れて幼児が重体になった。ケヤキ独特の美しい群生の株で、施設の品格を高めていることはテレビ画面でも十分うかがえた。死傷者が出たからと言って撤去して欲しいとは住民も思わないのでは?
注意深い管理の必要はもちろんだが、結局は表題の三者の関係はケース毎に軽重を考える他ないのだろう。当事者ではない私としては、メデイアが安全を錦の御旗に自治体当局を後知恵で非難するのはあまり聞きたくない事態であるが。

2014年4月13日日曜日

安全、美観、経費。

最近は子供たちまで犯罪や事故の被害者になる時代だからか、自治体が町の中に拡声機を取り付け、一定の時刻に住民に注意を喚起する。

我が家のすぐ裏の電柱にそうしたスピーカーが付けられており、定時(今頃は午後五時)に夕焼け小焼けのメロディーに続けて大人が子供たちの安全に気を付けるよう呼びかける。日頃は屋内で聞いていてその声の大きさが気になっていたが、今日、裏の斜面でツクシを摘んでいたら(ツクシぐらい田舎でなくとも採れる!)鳴りだし、その声の大きさに思わずぎょっとした。

安全とくに子供たちの安全は大事なので住民は我慢しなければならない。それは分かっているのだが、毎夕大声が繰り返されるとゲンナリもする。むかし住宅公団のベランダの手すりが子供の事故が起こるたび少しづつ高くなったと聞いた。そのうち手すりが伸び切って檻のようになるかと予想した。幸いそうはならなかったが。そんな馬鹿なと笑う人も有ろうが、中国でそうした天井までつながる手すり(もう手すりとは言えない)のアパートを見た。都会で、物が落下して歩行者に被害が出る可能性があり、納得できた。

子供たちに自己責任を求めるのは誤りだが、大人が自己責任を棚上げして安全要求を繰り返していると、万事が手すりが檻になり兼ねないと言うのは心配過剰かもしれない。しかし、美観を損ねるとして嘗ては絶対善だった歩道橋も最近は廃止される例が少なくない。安全のための経費にも限度が有ろう。その兼ね合いが難しい。(たかがスピーカーの音に何を大げさな!)?

2014年4月11日金曜日

事実誤認

出来るだけ間違いが無いように心掛けてはいるが、うっかりミスは避けがたい。

前々回、英国の皇太子夫妻がニュージーランドを訪れたと書いたが、ウイリアム王子は皇太子ではなかった。それにしてもチャールズ皇太子の最近の影の薄さは目立つ。まるでダイアナ元妃という太陽があって始めて光る月のようだ。しかし彼は仲々ユーモアのセンスもあるようだし、離婚したから国王としての能力が低いとも言えない。元妃への同情がマイナス効果になっているのでは?

それにしてもエリザベス女王は頑張っている。立派だが、それが良いことなのか私には多少の疑問がある。何故かそれがチャールズへの重しとなり、彼のやる気を削いでいないだろうか。
ヴィクトリア女王も即位期間の長さでエリザベスと甲たり難く乙たり難いが、彼女の子供のエドワード七世はなかなか即位出来ず、その間パリの社交界で羽根を伸ばすしかなかった。老害の側面が無かっただろうか?
余計なことだろうが、日本でも百歳を超えて大病院の理事長をつとめ大変な敬意を払われている人がいるが、私には何で偉いのかさっぱりわからない。

もう一つ。英国の鉄道のコンパートメント式の旧式車輌は各室をつなぐ廊下が無かったと書いたが、私が居た1960年代の旧式車輌は廊下の両端にドアのあるコンパートメント式の由。私の聞き方が悪かったようだ。しかし駅員がドアを閉めて回る音がプラットフォームに響いていたことは確実で、国鉄の全車両のドアが自動化されたのは1990年代になってからの由。のんびりの国情は矢張り争えないようだ。

2014年4月9日水曜日

英国の鉄道

前々回、英国ののんびりさの一例として1960年代まで各コンパートメントに直接ホームに乗り降りするドアがある車輌が使われていたと書いた。しかし家内にはそうした記憶は無いという。仕事のためにロンドンに何度か国鉄を利用した私と家内とでは違うのは当然なので、家内が健忘症なのではない! 逆に私の方が映画の画面で見たことを自分の事のように誤って記憶していたのではないかと不安になった。

そこで今はバンクーバーに住む元クラスメイトにメールしたら早速誤りではないとの返事が来た。彼によると、そうした車両はコンパートメント同士を結ぶ廊下がそもそも無い(だから自室から直接乗降する他ない!)上に、内側からドアを開ける取っ手は無く、乗客はドアの窓ガラスを下ろして(落として)外側の取っ手を回すのだという。そして一人の駅員porterが一列車の未閉鎖のドアを閉めて回る(と読める)。私自身が利用したことは無かったので今更に驚いた(呆れた)次第。

そういえば1966年だったか、ロンドン・マンチェスター間の鉄道電化が完成し、新聞が「鉄道の新時代」と書き立てていたことを思い出す。(ディーゼル機関車が普通だったので、いきなりSLから電化したわけではない)。わが国は英国に鉄道技術を学んだ筈だが、いつの間にか鉄道車両を逆に英国に輸出する関係となった。無論大いに喜ぶべきことなのだが.....................。

皇太子夫妻の旅行

英国の皇太子夫妻がニュージーランドを幼子と共に訪問中である。実はウイリアム王子はダイアナ妃の胸に抱かれて同国を最初の外遊先として訪れているとのこと。ニュージーランドが将来の英ほほほ国王の初外遊先に再度
選ばれたのは英王室と英国民の同国への特別の親近感と治安状況への配慮によるものであろう。       

世界ニュースにはならなかったが日本の皇太子夫妻も平成十四年に同国を訪問しており、私は偶然同じフイヨールド観光船に乗り合わせた。日本を離れる前から皇太子夫妻の同国訪問は耳にしていたので、現地で鉢合わせするかもと冗談を飛ばしていたが、まさかその通りになると思ってはいなかった。事実、最初の予定では前日に南島西岸のフィヨールド(ミルフォード・サウンド)見物をする予定だった。ところが春の盛りの12月と言うのに西岸への峠に近ずくと、雪がどんどん降ってきた。貸切バスは其れでも続々と峠に向かっていたが、レンタカー利用者としては大雪で帰路が二日閉鎖されたら帰国便に乗機出来なくなる。幸い予備日が一日あるので取りあえず引き返した。幸い雪はそれほどにはならず、翌日無事に峠を越えた。

現地では二つの会社が観光船を運行していた。その一つと交渉したら、日本の天皇が乗るので船内に閉鎖する部分があるという。皇太子だと訂正して先に乗り込んだ。そのうち皇太子夫妻がやって来たが、お付きの日本人や白人が二、三十人いた。私はタラップの上端近くに座席を取っていたので、タラップを登ってきた皇太子と目があった(だから何なんだと言うべからず!)。
天候が悪化する気配だったので、クルーズの前半(往路)は上甲板に出て景色を楽しんだ。しかし皇太子夫妻は往路には姿を見せず、見せたはずの復路では天候がやはり良くなくなっていた。

現地の人たちとの挨拶や交流も大事だが、夫妻のせっかくの楽しみが半減したのではなかろうか?   間も無くの雅子さんの発病も、そうした不本意の累積も一因だったのではと思わずにはいられない。

2014年4月6日日曜日

むやみにひとを疑った罪?

、十日ほど前にオレオレ詐欺(正しくは振り込め詐欺でした!)に騙されかけたと書いた。ところが先日、要求した正式書類がエアメールで届き、中に電話してきた大学院生の改めての手書きの依頼文があった。ひとを疑って恥ずかしい限りだが、苦しい弁解も出来ないでもない。

こういう事になった始まりは大学からの封書が二つあり、その内の一つ(学長の手紙)を私が開け忘れていたことである。あらためて開封したらそこには学長が寄付金集めfundraisingのため学生に電話をかけさせると予告していた。(ともあれ二度手間かけさせたとあればこちらも金額を増やさざるを得ない!)。
それにしても日本の大学が寄付金集めをする場合、学生に電話させるであろうか。現在のように振り込め詐欺が横行している時代ではないとしても、大学がそんな事を考えるとは思えないし、学生が簡単に同意するとも思えない。いくら大学院生だけの小規模カレッジの金集めでも。のんびりした国情抜きには考えられない。

私が滞在した1960年代半ばの英国の鉄道では、コンパートメントごとに下車のためのドアが開く旧式車輌も少数ながら使われており、始発のターミナル駅では発車直前に未だ開いているドアを駅員が閉めて回る。そのどしんどしんという音がホームに響いていた。今そんな車輌は使われていないだろうが、耳に残るその騒音が今は限りなく懐かしい。

2014年4月1日火曜日

捕鯨の終焉?

国際司法裁判所が日本の南極「調査捕鯨」の禁止を決定した。決定は最終決定との事なので、残る北西太平洋や沿岸捕鯨、特に後者の継続に主張を縮小する他ない。これにより仕事を失う人たちへの対策は欠かせないが、そもそも「調査」に一千頭もの鯨の捕獲が必要との日本の主張はとても外國に通用するものではなかったことが示された。
                                                                                                                                                                      

日本国民は礼儀正しく正直な国民と(一部の国を除き)世界で評価されていると信ずるが、国の政策ともなるとそれほど正直でもない場合も散見される。「調査捕鯨」もその一例だが、これまで「非関税障壁」と外国から指摘されてきたものにも該当するものがある。
昨年(?)まで我が国は防疫のためとの理由で牛肉の輸入を生後十二ヶ月までの牛に限って許可してきた。(国際的には二十四ヶ月まで問題ないと認められていたのに)。ようやく昨年輸入牛肉の年齢制限が諸外国並みに改められたが、テレビのインタビューで生産者が「大変だ! 生後十二ヶ月と二十四ヶ月とでは味が全然違うのです」と答えていた。図らずも十二ヶ月の制限は防疫のためではなかったと知った。古くは外国産の果物(オレンジやチェリーなど)輸入への禁止も生産者重視が甚だしく、むしろ外国の圧力が消費者の利益になっていたことも想起される(私はアメリカン・チェリーが好物! )。

非関税障壁だけではない。さらに古く、北洋サケマス漁業がソ連との協定により実施されていた時代、毎年のようにソ連は漁獲量の縮減を主張し、私など大国の横暴に腹立たしかった。しかし、ずっと後に日本のサケマス漁船団は協定に定められた制限を少しも守らなかったと知った。当時、政府はもちろんメディアもそうした違反を全く報じなかった。苦い記憶である。

むろん国内の肉牛生産者にこれまで以上の工夫と努力が求められることになり心苦しいが、果樹栽培者もこれまで品種変更や品質向上(ブランド化)などにより乗り切ってきた。健闘を祈りたい。