2017年8月22日火曜日

第三 緑の魔境

最寄り駅から拙宅まで十分余りの間、後半は片側が森となる。半世紀前引っ越してきた頃はその中に昔の近道の跡があったが、利用者が絶えるとたちまち笹に覆われて通れなくなった。森自体もその間に樹高が倍にもなり夏には中は暗く、分け入る者は皆無となった。駅から数分のところに森が残ったのは、坂上に住む当時の都副知事が緑地に指定させたからだと噂に聞いたことがあったが、その表札の家を見たことはなく、真偽は不明である。

それはともかく、草も木も油断すれば手に負えなくなることは森も住宅地も同じ。我が家も笹を含む雑草には毎年悩まされている。農家の夏は草との戦争であると蘆花が書いているように、除いても除いてもすぐ生えてくる。

NHKの朝のニュースの中に村の除草に独り励む中老人の紹介があった。島根県の山村出身の彼は定年まで広島でバスの運転手をしていたが、今は故郷に戻り地区の除草に励んでいる。むろん除草機を使ってだが、お盆の墓参りに来る旧村民も彼の奉仕活動がなければ墓にたどり着くことも困難だろう。
 
我が国の人口の都市集中、農山村の過疎化は著しい。私は、働き口を求めて村を出た人たちの一部でも定年後故郷に帰り住んでくれれば過疎と過密の双方の問題が緩和するのだがと思っていたが、国家の持ち家政策もあり都会に住居を得た人がもはや村に帰る気持ちを失うのも理解できる。そんな中で番組で紹介された除草奉仕する老人には頭が下がった。「地の塩」という言葉はこういう人を指すのではないか。自分 ( というより家内!)が小さな宅地の雑草に手を焼くことがそれで納得できるというわけでも無いが...........。


0 件のコメント:

コメントを投稿