旧日本軍が兵站 ( 糧食や弾薬の補給。ロジスティックス ) を軽視したことはよく知られている。標高二千米の山地を越える400キロの行軍に3週間分の糧食しか持たせなかった結果、実際の戦闘よりも飢えや疫病で何万もの兵を死に追いやった牟田口司令官の独善は大筋では知っていた。しかし、ある陣地を攻略するのに三千人を殺すとの部内の発言は実は自軍が三千人死ぬという意味だったとの部下の日誌は、牟田口司令官個人だけではない日本軍の頽廃と非人間性を物語っている。
終戦後その牟田口が裁判で責任を追及されなかった ( 敵兵を虐待したわけではないので連合国も無関心 ) ことは日本国民が怠慢だったと言われても仕方が無い。東京裁判については様々な批判が可能だが、何も知らされていなかった日本国民に戦争の実態と指導者たちの無責任ぶりを知らしめた功績は否定できない。
アッツ島をはじめとする数々の玉砕戦術も、降伏を禁ずる東条首相の「戦陣訓」の結果だった。必ず死ぬと決まった特攻作戦ほど、指導者として決して部下に命じてはならない非人間的な作戦は考えられない。しかし、戦後みずからの生命をあがなって特攻隊員に詫びた指導者は稀だった。将軍たちにも少数ながら立派な人はいたが、悪貨が良貨を駆逐したのが実態だったようだ。
P.S. 前回のブログの「ヴァージニア州知事 ( 州議会 ) はシャーロッツビル市長 ( 市議会 ) の誤りでした。悪しからず。
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