2017年7月31日月曜日

1969年という年

作曲家平尾昌晃が亡くなった。ヒット曲は私がよく知っているだけでも十指に余る。その才能は誰もが認めるだろう。しかも、その大部分が年齢に関係なく誰もが楽しめる歌だった。歌謡曲全盛時代の歌として今後も歌い続けられるだろう。

歌謡曲全盛時代といえば前週末の『朝日』の土曜版 beの「もういちど流行歌」は1969年6月の「読者のベスト15」で、「夜明けのスキャット」、「風」、「港町ブルース」など私でも半分以上よく知っていた。やはり年齢に関係なく親しめた歌が多い。紅白歌合戦が国民的行事?だったのもうなずける。

しかし私にとって1969年は別の意味で忘れられない年である。勤務先が大学紛争の波をかぶり ( 東大は1968年だが ) 、事務棟や研究室棟を闘争学生に半年間占拠され、卒業式も無かった。大学の存続も危ぶまれた (  国立大なら一年間学生募集無しも可能だが、私大経営には大打撃である ) が、荻窪警察署は「大学の自治に介入」とメディアに批判されるのを嫌い、協力を拒んだ。

ある深夜、「タダチニヒガシモンヨリキタレ」との電報で起こされ ( 当時、電話加入は二年待たされた ) 、いよいよ教職員が夜陰に乗じ実力で校舎を奪回することになった。何とか丸一日かけて六割かた占拠を解いたが、翌日角棒を入手した闘争学生たちに襲われ、あっという間に再占拠された。何しろ相手は暴力御免なのでこちらは無力だった。

紛争後、一部の闘争学生はプライドからか大学に愛想を尽かしてか退学したが、大多数は卒業式はなくとも卒業証書は手にした。我々としても闘争学生を個人として嫌ったわけではない。後日、スリランカで数年間教会活動に従事した元闘争学生をゼミに呼んで途上国の状況を話してもらった。「恩讐の彼方に」というほどの事ではないが............。

P.S.   7月7日のブログに寺田屋事件と書いたが、池田屋事件の誤りでした。

2017年7月28日金曜日

「窓から飛び降りろ」と命じた教員?

もう十日ほど前になるか、埼玉県所沢市の小学校で教員が四年生の男子に校舎の三階の「窓から飛び降りろ」との暴言を吐き、明日から学校に来るな、今後は一人少ない33人で授業をすると叱り、その生徒はその後休んでしまっているというニュースをメディアが一斉に報じた。

私は仮にも教員が三階の窓から飛び降りろなどと言うだろうかと疑問に感じた。もしそれが事実なら相当手を焼く児童に対してカッとなって思わず口にしたのかと想像した。なにしろ学校側が謝罪し、市の教育委員会も「行き過ぎた発言だった。児童の心のケアにつとめたい」と語ったというのだから (  『産経』7月28日 )。

ところが同紙の地方支局による続報 ( 同日 ) によると、他の児童にそそのかされて新聞を破った当人に対してその教員は、「やれと言われれば何でもやるのか? 飛び降りれと言われたらやるのか?   
やらないだろう。やったらいけない事をやれといわれてもやらないんだよ」と叱ったと他の児童の親は言っており、先生を学校に残すよう署名運動をしている親たちがいるという。

これだけでは断定はできないが、大いにあり得る話ではある。何よりも『産経』以外の他の新聞やテレビが一方の親の主張 ( テレビ局に話を持ち込んだらしい ) だけを報道し、もう一方の主張を続報ででも追わないのは理解できない。そう思って念のため iPadで調べたら、ツィッターなどでは叱られた児童の親のモンスターペアレントぶりを攻撃する文章が相次ぎ、児童の名前までバクロされつつあるという。不届きな親に天誅を下すということらしいが、それもまたかなり殺伐とした話である。

私が一番気になるのは、こうした「不祥事」に対する教育委員会の対応である。全てのケースでとは言わないが、少なからぬ教育委員会の対応は先ずは事件を表面化させずに身内の教員を守ろうとし、いったん事が公けになると逆に大げさに謝罪し、教員に過重な処分を課そうとすることが少なくない ( と感ずる ) 。その心情は分からぬではないが、保護者の要求といえども委員会も学校も安易に屈して欲しくない。仮にそんなことが続けば意欲的な教員が少なくなるだろう。

P.S.  最後の一行がなぜか太い活字となった!  お手上げ。

2017年7月27日木曜日

やまゆり園事件から一年

津久井やまゆり園事件から一年になるという。事件後、同園の建物を解体し再建するとの黒岩知事の意向表明だったが、意見対立で立ち往生しているという。

最近はやまゆり園のような大規模な施設を一般社会から隔離された場所に設けるのではなく、より小規模な施設を社会との交流が容易な場所に設置するという方針に変わっているという。しかし園収容者の保護者たちの大勢はそれに反対していると聞く。

私は一年前の当ブログで、現在の立派な建物を解体し新築するという知事 ( と保護者 ) の意向に反対と書いた。保護者たちが惨劇を思い出させる建物に我が子を入居させ続けることに耐えられないなら、そこには新しい身障者を入居させ、旧入居者は新しい場所の建物に移れば良いと考えたからである。今回は保護者たちは一般社会との交流が容易な施設という考えに反対している。

専門家に多いらしい「社会に開かれた施設」の考えに私は反対ではないが、同じ身障者といっても社会との交流が可能で望ましい人たちと、それが著しく困難な人たちの双方の存在を前提とすべきで、どちらか一方と決めつけるべきではないと思う。高齢化しつつある未収容身障者の親たちの切実な願いこそ最優先されるべきであり、何より必要なことは規模の大小にかかわらず収容人数の拡大ではなかろうか。そのためにはやまゆり園の現在の建物も利用すべきであり、園収容者の保護者たちも新しい小規模施設もダメ、元の建物もダメというだけで良いとは思わない。

2017年7月23日日曜日

ローマ字の略語の増殖

 日本語の文章に外来語が多く混入するようになって久しく、そのことの是非はこれまでも論じられてきた。しかし最近はさらに一歩進んでローマ字の略語が増殖している。すでに見慣れた用語も少なくないが、一瞬首をひねるケースが増えた。

すでに何の抵抗も感じないローマ字の略語にはEU, ICBM, IOC. NATO. OPEC などがあり、多少の抵抗感にとどまるものとして、TPP, NAFTA, M&A ( 企業合併、買収 )  EEZ ( 排他的経済水域 ) などがある。しかし最近のVR ( 仮想現実 ), AI ( 人口頭脳 ), IoT ( 物のインターネット ), PB ( プライマリーバランス、基礎的財政収支 又はプライベートブランド!) , AKP ( トルコ公正発展党 ) などは戸惑う。それも文中ならふつう訳語が併記されているが、新聞の見出しでは訳語無しなので本文を読むまで理解不能のケースが増えた。

ローマ字の略語の増加はむろん我々の実生活の変化を反映している。買い物をインターネットで注文し、支払いも金融機関に足を運ぶことなく済ませる人がどんどん増えているのだろう。私は預金の出し入れや送金などを自宅でインターネットで済ます気にどうしてもなれない。頭が古いと言われればその通りなのだが、詐取された例などを新聞で読むとスキを見せないのが一番と思ってしまう。ましてビットコインなど良く利用する人がいると感心してしまう。

それでも社会の進歩と共に非現金化が進むことは拒めない。米国だけでなく韓国と比べても我が国は後進国?らしい。そうであれば義務教育などで誤りのない金銭取引の仕方を教える必要がある。とっくに実施中かもしれないが............。

2017年7月19日水曜日

ピストル保持ぐらい許されてよい?

今朝の朝日新聞の「特派員メモ」というコラムに自社のサンフランシスコ特派員が書いた「空から自室をのぞくのは」という見出しの気味の悪いエピソードが載っている。お読みの方も少なくないだろう。

ハエも入ってこない17階のマンションのソファで読書していたらブーンという蜂の羽音のような音がした。窓外にはドローンが静止しこちらを見つめている ( ドローンはふつうカメラを搭載している )。立ち上がったらあざけるようにふわりと窓から遠ざかった。

米国では二年前銃で自宅周辺を飛ぶドローンを撃ち落とした男性がいたという。「家族のプライバシーを守るには当然だ」と主張し、おとがめ無しだったとか。さすが米国人と拍手を送りたくなった。私には銃もなければ射撃の経験もないが、同じ場面に遭遇したら空気銃 ( 昔は自由に持てた ) の使用ぐらい許して欲しくなるだろう。何しろ今後はドローンはわが国でも増える一方だろうから。

一足飛びに米国の野放しの銃保持を肯定する気はない。しかし億を越える銃器がすでに保有されていると聞く米国では、人里離れた一軒家に住む人はピストルの保持ぐらいは許されるべきだろう ( その程度でも有ると無しでは大違いである ) 。

幸いピストル無しでも安心して暮らせるわが国では銃もピストルも所持を許されるべきではない。しかし状況の全く異なる米国では連発銃禁止など段階的に対策を立てる他なさそうだ。

2017年7月17日月曜日

加戸守行前愛媛県知事の証言

加計学園問題をめぐる7月10日の国会参考人招致について翌日の各紙は例外なく前川前文科省次官の証言を大きく報じた。しかし前川氏とは逆の立場から証言した加戸守行前愛媛県知事の扱いは前川氏の扱いのほとんど十分の一程度だった。毎日新聞もその例外ではなかったが、今朝の同紙のコラム「風知草」の常連寄稿者で同紙の特別編集委員の山田孝男氏は「別の見方もある」として前知事の主張に半分のスペースを割いている。

前知事の発言をコラムから引用すれば、「加計学園獣医学部の今治市誘致は05年以来の懸案だった」「大学はどこでもよかったが、手を挙げたのは加計学園だけだった」「獣医学部の定員は神奈川以東が8割、岐阜以西2割。日本獣医師会系の政治団体が自民党に献金し、学生を奪われぬよう、新設を阻む構造がある。安倍首相と加計の理事長が親しいとは知らなかった。陳情しても自民党は冷淡。民主党政権は前向きだった。民主党政権が続いていたら、騒ぎにもならず実現していたという実感がある」「50年も新設を拒んだ行政こそゆがんでおり、今回の決定( 加計の開設認可 ) でやっと正された」と見る。

コラム筆者の山田氏は「政府内調整で容認派が勝った。すると、文科省から過程の記録が流失。官邸が確認を拒んだ結果、記録の真贋論争に集中、背景の説明は吹っ飛んだ」と記す。山田氏は7月11日の自紙の紙面では報道として不十分と感じたのであろうか ( 同氏は他の件でもメディアの傾向に批判的な意見を述べたことがある ) 。それとも新聞社内で同氏のコラム記事は一種の役割分担をになっているのだろうか? 多分うがちすぎだろうが。

新設容認派と批判派は獣医師が不足か過剰かでも真っ向対立している。しかし、どちらかが事実を曲げているというのではなく、都会では愛玩動物医が過剰で、地方では畜産動物医が不足しているのが実情のようだ (  最大の畜産県の北海道では道庁の獣医師数十人の募集に応募者は一桁だった!)。加計学園の獣医学部新設に安倍首相が介入したかとは現段階では確言できないが、関係者間で忖度がなされたことは否定できないようだ。

それにしても安倍首相は記録を出し渋った上に今になって国会審査に出席すると言うならなぜ最初からそうしなかったのか。結果として疑惑を深めただけではないか。現在の紛糾には野党の駆け引きやメディアのセンセーショナリズムとともに総理の 軽率さも大いに与っていると言われても仕方がない。

2017年7月15日土曜日

劉暁波氏の政治的叡智

2010年のノーベル平和賞受賞者である劉暁波氏が亡くなった。同賞は近年これまでの平和や人権への貢献の顕彰とともに、将来への期待や激励として選ばれる場合が少なく無く、金正日氏の受賞のように失敗のケースもあった。しかし、パキスタンの少女マララの受賞とともに、劉氏の受賞は最もふさわしい人選だった。

マララの場合、不条理に抗う彼女の道徳的勇気が際立っていたが、劉氏の場合なみはずれた勇気に加えて、「私に敵はない」と言ったその政治的叡智によっても抜きん出ている。

独裁政権としても現在の中国共産党政権の独善ぶりは際立っているが、それは彼らがいつか国民に裁かれる日が来るのではないかとの深刻な恐怖を抱いているためでもある。それに対し「私に敵はない」との発言は、中国の民主と自由の実現に協力するならば過去は一切問わないということである。これまでの不正に目をつぶることはその被害者にとっては大きな苦痛であろうが、暴力の悪循環を断つためにはより高い立場に立つ必要があるということである。

また、「私に敵はない」とは現在の抑圧的政権の中にも止むを得ず従っている人たち、いつかは現状を変えなければと考える人たちが必ずいると認識することである。一歩早く共産党独裁を改めたロシア ( 旧ソ連 ) の場合、ゴルバチョフの功績は多大だが、ブレジネフ書記長が自分の後継者と目していたらしいロマノフも、当時のフランス大統領のジスカールデスタンの回想録によれば思慮深い人物だった。後継者にゴルバチョフを選んだ幹部会もまた従来の行き方を続けられないと考えていたのである。共産主義の改廃までではなくとも。

独裁政権であっても心ある人たち、いつか現状を改めなければと考えている人たちは必ずいると考えるからこそ劉氏は「私に敵はない」と言ったのだろう。それこそが政治的叡智である。ノーベル平和賞の選考委員会の決定がこれほど適切であったことはその歴史上無いのでないかとさえ私は思う。

2017年7月13日木曜日

「ゴーストップ事件」の時代

長期間メディアを賛否で二分した「共謀罪法」が施行の日を迎えた。昨日の『朝日』にタレントのパトリック・ハーランのインタビュー記事が載っている。彼は「『共謀罪法』についての僕の主張は、みなさんの意見と違うかもしれない」とことわりながらも、「僕は『共謀罪法』が日本にあってもいいと思っています。テロ対策は大事だし、国際組織犯罪防止条約を締結し、人身売買やマネーロンダリングの摘発を強化するべきです」と賛成意見を述べている。もし『朝日』がハーランの法案賛成を知りながらインタビューをしたのなら、私は同紙を高く評価するのだが.........。

これまで国際組織犯罪防止条約に加盟していた187か国に日本が188か国目の加盟国となる。他の未加盟国は、イラン、ソロモン諸島、コンゴ共和国、ツバル、パプアニューギニア、パラオ、南スーダン、ソマリア、ブータン、フィジーの10か国。太平洋の島嶼国とブータンを除く4か国はそもそも民主主義国家ではない。

新聞各紙によると暴力団山口組が共謀罪を「法律の実績作りのためにヤクザが集中的に対象とされる」、「トップを含め、根こそぎ摘発、有罪にしようとするもの」と対策を呼びかけている。何年か前の暴力団対策法で大きな打撃を蒙った暴力団としては正常な反応なのだろう。

1933年、大阪で「ゴーストップ事件」が起こった。交通信号を無視した陸軍兵士を巡査が呼び止めたことから両者の殴り合いとなり、果ては陸軍省と内務省 ( 警察はその管轄 ) の対立となる大事件となった。結局は陸軍の主張が通ったが、なぜこの程度の偶発事件が本省を巻き込む対立となったのか。現在から見れば馬鹿馬鹿しい限りの意地の張り合いだが、当時の両者には「陛下の軍人」、「陛下の警察官」としての面子がかかっており、簡単には引き下がれなかったのである。警察官も自衛隊員も裁判官も現憲法ではみな主権者である国民の公僕、奉仕者である。しかし、戦前はそうではなかった。国制の根本的な違いを忘れてはなるまい。

2017年7月7日金曜日

幕末の薩長への批判

最近、幕末の薩摩と長州両藩を弾劾する著書が複数出版されたようだ。私自身は読んでいないが、日ごろ感じていたことと通ずるものがあるようなのでいつかそのうちの何れかを読みたいとは考えていた。すると昨日の新聞広告欄 (『毎日』)に外山滋比古著 『三河の風』 ( 展望社 ) が載っており、広告文には「薩長の維新勢力から吹く風は好戦的だった。10年おきに戦争を起こし、ついに国を滅ぼした。徳川発祥の地三河からはあたたかい平和の風が吹く」とある。外山氏は三河出身とのことなので多少は身びいき ( 郷土愛?)もあるかもしれないが、博識な学者として著名な氏がそれに無自覚とは考えられない。

勝者側の描く歴史像がそのまま正しい歴史でないことは誰もが同意するのに、これまでの明治維新のイメージはその点不十分ではなかったか。寺田屋で新撰組に襲われ多数の犠牲者を出した「志士たち」も、禁門の変で敗北した長州軍も大義のため京都を焼け野原にすることに何の躊躇も感じていなかったし、西郷は公武合体を阻止するため江戸でテロまがいの騒擾を起こした。武力倒幕の方針は小御所会議で西郷や大久保の脅迫の下に決定された。我々凡人と違い西郷や大久保は大義のために自己の生命をいつでも捧げる用意がある大人物だった。しかし私は、両人は大義のため他人の生命を犠牲にすることも何ら躊躇しなかったと感じる。だから成功した革命家になったとも言える。

徳川幕府や三河人が平和勢力だったかはともかく、高杉晋作の功山寺蹴起や彼に指導されたその後の長州藩の行動は常識ては考えられないほどの危険な行動だった。その伝統は帝国陸軍に受け継がれた。『精神一統何事か成らざらん」とばかりに日米開戦に踏み切った日本の精神主義は長州に遡るのではなかったか (  司馬遼太郎は長州人はときに狂うと書いている )。戊辰戦争なくしては明治日本の近代化はあれほど目覚ましくはなかったろう。しかし、異論を力で排除するやり方は結局は犠牲の多い回り道だったのではないか。


2017年7月5日水曜日

辺地? カムチャツカ

テレビのチャンネルを回していたらBSプレミアムで「グレートサミッツ」の再放映をしており、今回はカムチャツカ半島の最高峰クリチェフスカヤ ( 4750米 ) の学術登山への随伴記だった。聞き間違いでなければ番組ではユーラシア大陸最高峰と紹介していたが、ヒマラヤの山々はユーラシア大陸ではないのか?

カムチャツカ半島には富士山そっくりの火山が幾つかあり夏でも雪をいただいているが、クリチェフスカヤは文字どうりの活火山なので当日は雪はほとんどなく、45度近い頂上直下の斜面は富士山と同様滑りやすい火山岩のくずで覆われている。同じ高度でも低緯度地方の酸素は日本などの半分ということだが、チームの誰も酸素マスクを着用していなかった。およそ一時間おきに頂上では噴煙が上がり、その合間の登頂だった。私にはそんな危険を侵す勇気はない。

十数年?前、カムチャツカ半島へのツアーに参加した。登山の予定はなく、高山植物の花々、先住民部落、州都?ペトロパブロフスキー・カムチャツキー ( その昔、高田屋嘉兵衛が半年抑留された ) などが主な訪問地 ( 中継地のウラジヴォストークも ) だった。奥地に向かう泥濘の道は6輪駆動?のバス ( 兵員輸送車?)で走破するのだが乗り心地は最悪で、車に強い私が下車直後吐いてしまった。夜はロシア民謡のピアノ演奏があり、日本人を意識してか「恋のバカンス」も曲目に入っていたが、食事に気を取られてか気が付いた日本人は少なかったようだ。

帰りの空港は新潟空港で、JR新潟駅へはタクシー利用だったが、その快適さにシビれた。何処にでも走っているタクシーなのに!  道が良いからか?  上越新幹線では今度廃止が決まった2階だて車両に乗った。夜行寝台の経験から二階席はそうとう左右に振られるだろうと予想したが、揺れは驚くほど少なかった。ロシアの辺地と比較するのが無意味なのか。

2017年7月2日日曜日

香港の憂鬱

 香港返還20年の記念式典があり、習近平主席が出席して強硬な演説をした。20年前の式典では未だ香港人の間に祝賀ムードも感じられたが、今度は親中派にさえそうした空気は乏しいようだ。無理もない。

中国は「一国二制度」で50年間は香港の自由主義経済や自由な言論を認めると約束した。本土自体が市場経済を大幅に採用したので経済面での約束は守られたが、自由な選挙は許されず、言論の自由にも暗い影が迫っている。昨日の反中国デモの人数6万人超は主催者発表なので他国の場合と同様その半分程度と見るべきだろうが、それでも人口数百万人の国ではけっして少ない人数ではない。

今回の習近平主席の香港人へのあからさまな威嚇は彼個人の問題ではあるまい。この秋の共産党大会を前にして江沢民派などの反対派に乗ぜられないための非妥協性という面も重要であろうし、何より、領土を失った指導者との評価を恐れるのはどんな政権の場合でも同じだろう。とくに国民の支持に自信が持てない独裁政権の場合そうだろう。

残念なことだが今日、香港住民の民主と自由のために大国中国に楯突く国は出ないだろう。彼らがあくまで自由人として生きたければ海外移住しかあるまい。同文同種という点では台湾移住が最適だが、台湾自体の地位が不安定と言うなら米国、カナダ、オーストラリア移住だろうし、もし日本を選ぶなら私は政治難民として歓迎する。

東アジア人、少なくとも中国人、朝鮮人、ベトナム人らは過去に我々と同じ漢字を使用し、程度の差はあるが同じ儒教文化を受け入れた。観光地の中国人は服装などで何となくそれと分かることが多いが、生活態度などはそのうち改まるだろうし、二世、三世となったら我々と何の変わりも無くなるだろう。私には中国本土の民主化が簡単に実現するとは思えない。

P.S.   前回のブタペストはブダペストの誤り。「ドナウ川」は「ドナウ河」がベター。iPadにカナで入力したら「川」が最初に出たので思わず......。