2017年2月28日火曜日

米国アカデミー賞考

米国アカデミー賞の受賞が決定した。前評判が高かった『ラ・ラ・ランド』ではなく、黒人の監督や俳優たちが作った『ムーンライト』が作品賞を受賞したことは御存知の通り。イラン映画『セールスマン』が外国語映画賞に選ばれたことと共に、ハリウッドの反トランプ気分を反映していると各紙が指摘していることは事実だろう。

そもそもハリウッド映画の有名俳優や有名監督は昔から外国出身者が多いし、今年は二年続けて全員白人俳優がノミネートされ人種差別と批判された翌年である。たまたま数十年ぶりに目にした『キネマ旬報』(  読みたい新聞がすぐに読めなかったため ) の恒例の?受賞予想座談会では『ラ・ラ・ランド』が断然第一候補だが、『ムーンライト』が次の候補に挙げられていた。それでもハリウッドの変わり身の早さにはやはりという感想は禁じ得なかったが。

『セールスマン』が外国語映画賞をとり、イラン人監督がトランプに抗議して表彰式に出席しなかった事実もハリウッドの反トランプ気分の一環とメディアで紹介されている。しかし、偶然カーラジオで赤江アナの「たまむすび」を耳にしたら、この作品はイスラム教そのものでなくともイスラム教国の女性差別の非人間性をテーマにした映画でもあると批評家 が語っていた。真実はもう少し複雑なようだ。

わが国のアニメ映画『レッドタートル』が賞に選ばれず、ディズニーの『ズートピア』が代わりに選ばれたのは日本人として残念だが、我が家としては長男が『アナ雪』についで二度目のオスカー像を ( 今回は監督自身から ) 抱かせてもらったのは喜ばしかった。考えてみればこれもハリウッドが外国人を差別しないお蔭かも ( やはりトランプはまちがっている??)。

P.S. 前回の「野天湯へGo」は数年前の番組の再放送で、山田べにこ氏はすでに引退し、家庭の人となっている由。

2017年2月26日日曜日

温泉探訪番組

放送のテーマに困ってか、テレビで温泉地探訪番組をよく放映している。実際には温泉そのものより地元の料理を食する場面が多かったりするので、ときどき見るだけ (  料理が不味いと言った出演タレントを一度でも見たことがない。これがヤラセでなくて何がヤラセか!)。

今夕、たまたまチャンネルを回していたらBS日テレで「野天湯へGo」という番組が途中から目に入った ( 5.00~5.30 。今晩11.00~11.30も )。今回が第一回らしく今後も日曜に放映されるらしいが、出演者が山田べにこという温泉ファン ( というより狂というべき )で、久しぶりの再会?だった。

3年ぐらい前か、やはり温泉番組で彼女を見かけたが、山道をさんざん歩いた末の温泉 ( 湯小屋すらなく、野天湯が確かにふさわしい ) に入浴する熱意に驚いたことがあった。大変感じの良い女性だったので ( 見ればわかる!)、こうした番組の常連になるのではと予想したが、その後見かけなかった。

今回も奥鬼怒の川俣温泉から山道を数キロ歩いた谷川のほとりで、ろくに訪問者もないらしく、丸太を渡した橋が三箇所も流され靴を脱いで徒渉するしかなく、4時間ほどかかったという。しかも今回は撮影チームと同行だが、彼女にはここでの入浴は初めてではなかった。一人でも腰まで浸かるのがやっとという狭さ、浅さでもめげないその執念には驚くばかり。

私も若いころ知床半島で数人が入れる滝壺全体が適温の湯船という入浴経験はあるが ( 現在は自由な入浴はできないらしい ) 、難行苦行してまでの入浴は望まない。せいぜい温泉番組を見せてもらうとする。
PS    前回、中国の有料道路料金が日本より高額としたが、マイカーと大型トラックの違いを忘れていました。日本の方が高いようです。

2017年2月24日金曜日

訂正

書いたばかりのブログに人口の5%近くとあるのは2%以上の誤り。悪しからず。

激走トラックの行方

2月18日にNHKで放映された「BS1 スペシアル  爆走風塵  中国  激変するトラック業界」を録画で見た。BS1 スペシアルとは地上波テレビの「NHKスペシャル」のBS版ということか。地上波版はときに軽薄な取り上げ方のものもあるが、概して啓発されることの多い番組ではある。

中国の急速な経済発展は同国の新幹線網があっという間に日本のそれを大きく凌駕した事実からも理解していたが、それに劣らず急激な有料高速道路網の建設が全国を網の目のように覆った事実は始めて知った。そして個人でローンで購入した大型トラックやトレーラーで物流を担う運転手たちが3000万人 ( 人口の5%近い?) に達するということも。国土の広さを考慮しても10年間に2倍の台数に増加とは驚きである。

番組はベテラン2人組、親子2人組、妻と幼児を乗せた新米ドライバー一家の三組のトラック運転手チームの生活を丹念に追う。一時は収入の良かったトラック業界だが、最近は燃料費高騰、競争激化、事故多発、ローン返済の四重苦?に追い詰められる運転手たち。かつて一台で請け負った仕事を十台で奪い合う。有料道路の料金も無計画な拡張のため日本より高額だった。

かと言って多額のローン返済を考えれば元の職業への復帰もできない。豊かになりたいとの人びとの願いに応えた急激な市場経済化の生んだ難問は、それに翻弄される国民にとっては勿論だが、中国政府の困難にも同情を禁じ得ない。中国が対外的冒険で国民の不満をそらすことなく、国際協調で難題を解決するためなら先進国も協力を惜しまないことが望ましい。ともあれ、かなり衝撃的な番組ではあり、激走する大型トラックは現在の中国の姿とも映った。

2017年2月21日火曜日

南スーダンPKO再論

国会で稲田朋美防衛大臣の答弁の迷走や事務当局の資料の出し渋り ( むしろ隠匿だろう )が大きな問題になっている。この問題に限らないが、稲田氏の大臣としての適格性には私も疑問を禁じ得ない。今回、野党が大臣不信任案を提出しても私はおかしいとは思わない。

しかし、大臣答弁にせよ事務方の資料の扱いにせよ、そもそも南スーダンPKOの危険性を政府が無理やり否定するから混迷が生じていることは明らかである。誰が見ても南スーダンの情勢は危険をはらんでいる。PKO五原則を改正してから自衛隊を派遣するのが順序というものだろう。衆参両院で与党が多数を占めている現在、派遣原則の改正は不可能ではないはず。

派遣原則の改正前であれ後であれ、南スーダンへのPKO派遣は危険に満ちている。そもそも南スーダンの独立を国際社会は承認すべきではなかったとわたしは思うが( 国家運営の能力が本当にあるのだろうか ?) 、今さらそれを問題にしても事態がどうなるものではない。ともかく、中国、インド、イギリス、韓国など13カ国が部隊を派遣しているのである ( フランスは自国の旧植民地に派遣 )。

昨日の毎日新聞のコラム「風知草」の執筆者の山田孝男氏が元カンボジア国連特別代表を務めた明石康氏の発言を紹介している。「PKOに完全な答えはないが、人類が現段階で持ちうる最善の平和への道だと思う。東京の議論はあまりに後ろ向き。( 日本人は ) 以前より精神的に貧しくなっているんではないでしょうか」。明石氏が南スーダンPKOの危険を知らないはずはない。それでも日本だけが傍観すべきかと問うているのである。

2017年2月19日日曜日

芥川賞受賞作品を読む

今年の第156回芥川賞に山下澄人氏の「しんせかい」が選ばれたというので出たばかりの『文芸春秋』を買って読んだ。同賞受賞作品を近年読んだことは一昨年の又吉直樹の「花火」以外は滅多に無く、2004年の綿矢りさ、金原ひとみの共同受賞以来かもしれない。その時読んだ動機が文学的興味というよりは二人の年若い女性の作品という不純な?動機だったように、今回も倉本聰の「富良野塾」の元塾生の作ということも動機と無関係ではなかった。

弁解になるが、近年芥川賞受賞作品と縁遠かったのは端的に面白いと感じなかったからであり、作品の文学的価値とは無関係である。新人の有望作家の発掘が賞の目的であれば応募作は新しさを追及した実験的作品が殆どとなり、執筆の経験などない一般読者には面白くないのは止むを得ない。

今回も富良野塾への関心が皆無なら途中で投げ出していたかもしれない。作品の大筋は北海道の厳しい自然の中での激しい肉体労働と粗食 ( 主人公は健康を害する ) と、そこでの塾生同士の人間関係であり、倉本聰の演劇観や指導ぶりには時たま言及されるだけ。倉本がときに塾生に厳しいのは都会育ちの演劇青年たちの甘さを叩きなおすためと考えれば十分納得がゆく。倉本にはあまり面白い作品ではないだろうが。

『文芸春秋』が当初の文芸雑誌から世相全般を扱う情報雑誌に変貌していっとき国民的月刊誌の地位を得たのは戦後であり、名物編集長池島信平の下でだった。氏は西洋史学科の先輩で、学科のコンパにいち二度顔を出されたことがある。「西洋史なんかやって何になる」と氏にからかわれて先輩の大学院生が「今さらそう言われても」と反論したが勿論双方ともやりとりを楽しんでいたのである。当時の氏は『週刊朝日』の扇谷正造、『暮しの手帖』の花森安治と並んで名編集長の三羽烏とされた時代だった。最近、朝ドラの影響から花森安治だけに陽が当たっているが、池島自身が自分も扇谷もそれまであったものを発展させたが、花森は無から出発したと一目置いていた。三人は個人的にも相許す仲だった。

2017年2月16日木曜日

領土教育の是非

小中学校の学習指導要領の改定案に北方領土、竹島、尖閣諸島は「我が国の固有の領土」で、「解決すべき領有権の問題は存在しない」との記述が盛り込まれることに対し、今朝の朝日新聞の社説に「領土教育   複眼的思考こそ」との反対論ないし懐疑論が載っている。私は社説に賛意を表したい。
 
国際仲裁裁判所が先ごろ南シナ海での中国の領土領海の主張を全面的に否定したことは大きく報道された。私も心の中で快哉を叫んだ一人だが、同裁判所は自立した生活が不可能な島は岩であって、領有権の根拠とはならないとも述べており、ベトナムやフィリピンの領土主張も認めていないと解せられる。自立した生活ができないとはまず第一に飲料水が自給できないこととすれば、沖ノ鳥島も竹島も岩に過ぎないし、尖閣諸島は岩とも島とも微妙なところである。

むろん我が国が領有権の主張を緩めても中国や韓国が簡単に主張を引っ込めるはずがない。とくに竹島の実効支配を続けている韓国がそうである。しかし、中国の場合、日中国交正常化の時から尖閣諸島の領有権を主張しており、意見を変えたわけではない。日中両国とも島自体に執着しているよりも周囲の経済水域の予想される資源を失いたくないのであれば、折半するなり妥協は不可能ではないはず。米国の支持は不変だろうか。

そもそも国境線はある時期により強盛だった国が自国に有利に定めることの繰り返しで決まって来た境界線と考えれば、「歴史的にも法的にも疑いもなく」自国領だと力むことがいつでも正しいとは限らない。学習指導要領にまでうたうことは妥協を不可能にすることになりかねない。自立して生活できない岩の領有権を争うことが賢明だろうか。他紙も続くことを期待したい。

2017年2月11日土曜日

ロシア革命100年

ほとんど忘れていたが、今年はロシア革命100周年に当たり、関連する著作が目に付くようになった。年末までには何冊にもなるのだろうが、そのはしりとも言うべき一冊、池田嘉郎『ロシア革命       破局の8か月』( 岩波新書 ) を読んだ。

「8か月」というのは1917年2月 末( ロシア暦 ) のロマノフ帝政崩壊から10月末のボリシェヴィキ (のちの共産党 ) の武装蜂起の成功までの自由主義者と穏健派社会主義者の連合政権 ( 臨時政府 ) の苦闘と失敗の期間である。西欧的民主主義国家を目指した彼らがなぜ失敗したかへの著者なりの回答である。

第一次世界大戦での敗勢と帝政崩壊が生んだ未曾有の混乱に対処するには著者によれば「結局のところそれは、民衆にどこまで苛酷になれるかにかかっていたのであった」「実際、エスエルとメンシェヴィキは崩壊の進む一九一七年のロシアを統治するには、あまりに柔和な人たちなのであった」「社会主義者も強権的な統治のすべを身につけなければならなくなるだろう。そうした覚悟は彼らにはなかった」。レーニンとボリシェヴィキにはその覚悟があったということである。

岩波新書はおよそ60年前、レーニンとロシア革命を讃えたクリストファー・ヒル著『レーニンとロシア革命』をリストに加えた (1955年 )。同じ新書シリーズの結論のあまりの隔たりは驚くばかりである。池田氏にはそれは「破局の8か月」である。

同様の指摘は四半世紀前にもなされていた。長谷川毅『ロシア革命下のペトログラードの市民生活』( 中公新書  1989 ) は、帝政崩壊後の首都の「低俗新聞」の社会面を徹底調査して犯罪の驚くべき増加 ( 逆に犯人をとらえた時の民衆の凄惨なリンチ殺人 ) を明らかにした。「人間の善意を信じ、理想主義に燃えて出発した新しい刑事司法制度は機能しなかった。それは犯罪者に利用され、犯罪率の上昇に貢献することになった」。民衆はボリシェヴィキの強権に期待するほかなかった。

私はソ連共産主義に終止符を打ち冷戦を終結させたゴルバチョフを今も心から尊敬している。しかし、彼の「べレストロイカ」の時代、知人のロシア史研究家のI氏はモスクワで強盗にホールドアップさせられた。強権的なエリツィン時代への移行には理由があったのである。現実を理解できなかった1917年の理想主義者たちの多くは異郷で死を迎えた (  ボリシェヴィキ革命の立役者トロツキーも )。

2017年2月9日木曜日

行列しない心

今朝のテレビニュースに高級チョコレートの売り出しを待つ数十人の行列が写っていた。先頭のひとは朝5時ごろから並んでいるという。価格はいろいろだろうが、一粒500円とかのモノを六つ収めた箱が目に入った。バレンタインデーが近いが此の頃は自分へのほうびとして買うひとが多いとも聞く。

私は甘いもの好きなのでチョコレートも例外ではないが、普通のミルクチョコレートで十分満足しており、一箱3000円のチョコレートを買うつもりにはなれない。物好きだなあと思うだけである。「違いの分かる男」に生まれなかったわけだが、それを残念に思ったことはない。

チョコレートだけではない。この頃は小さなラーメン店の前に行列が出来ていたりする。グルマンでない私でも不味いものよりは美味いものを食したいが、そのためにずっと高い金額を支払ったり行列に並んだりする気にはなれない。

自分の収入を何に使うかは個人の自由であり、私も例えばカメラを何台も持っている。たまたまフイルムカメラからデジタルカメラへの移行期があったので台数が増えたという事情があるが、ライカを購入したときは既にデジタル化が相当進んでいたときであり、単に工業製品としてのライカの優れたデザインに惹かれた結果だった ( そのために数回も使っていない ) 。

そういう私に高級品を買う人に文句を言うつもりも筋合いもないが、インフレ時代にもデフレ時代になってもその度に国民が生活に苦しんでいると報道するメディアには本当かなと思ってしまう。昭和一桁生まれの性なのだろうが、もう少し歴史的思考  ( 大袈裟だが ) が必要だとは思う。あながち義理チョコを貰わない者のヒガミではない!

2017年2月6日月曜日

日米首脳会談には毅然とした対応を!

間も無く開催される日米首脳会談に日本政府は51兆円の経済協力とそれにより70万人の雇用を米国内に生むとの「日米成長雇用イニシアティブ」を提案するという。既存の個々の案件を一つにまとめた面が大きい上に、日露経済協力と同様、今回のイニシアチブも両国の経済に貢献するもので一方的な貢献ではないとはいえ、そこまであたふたと提案をすべきだろうか。

日ごろ安倍内閣に対してことごとに対照的な態度を示している『朝日』と『産経』がこのイニシアチブに関しては一致して批判している。「協力の前に原則を語れ」との『朝日』の社説は「主体が民間企業なら、採算が合わなければ政府が旗を振っても進まない....。雇用などに関する数字が独り歩きし、それを口実に無理難題をふっかけられかねない」「何より、首相の訪米時に協力案を持参しようとする姿勢が.......トランプ政権を増長させる」として具体的には「まずは自動車分野や為替に関するトランプ氏の誤解を解くことだ」とする。『産経』の社説も「対米経済外交  土俵に乗るのが早すぎる」との見出しで、「米側の『恫喝』を受け入れられないと言えなければ、対等の関係ではない」「日本が数字を挙げてまで米国の雇用に関与してどうするのか。悪しき前例」となる。具体案としては「事実誤認を正す。新たな関係の構築は、そこから始めるべきだ」とする。私はまったく同感である。

日米同盟は大切だし、日本経済での自動車産業の重要性は言うまでもないが、「事実誤認」を正すことが先決である。ポピュリスト大統領が相手ゆえ、場合によっては米軍のグアム島あたりへの後退の可能性は皆無とは言えないが ( ミサイル時代には有りうる ) 、日本の軍事力増強でその穴埋めをするくらいの覚悟は当然持つ必要があろう。

安倍首相の早まった反応の一因はアベノミクスが日米経済対立により失敗することへの恐れであるとの指摘があるようだが、私はアベノミクスが失敗しているとは思わない。2%のインフレ率は達成できそうもないが、インフレは経済回復のための手段であって目的ではない ( 物価上昇なしに回復すればそれがベストである) 。完全失業率は先進国では最低であり、勤労者にとって失業の恐れからの解放は何よりも有難いはずである。アベノミクスの評価 ( それも間違った 評価 ) のために卑屈になるべきではない。

P.S.   前回のブログで触れた東村や高江区が受けた補助金は正式には「特定防衛施設周辺整備調整交付金」と呼ばれる由 (東京新聞2月6日 )。ヘリパッド反対派から区長には抗議が「相次いだ」とのことだが、「区民の集まりでは、ヘリパッドの話はみんな避ける」という ( 同 )。ほとんど収束したというあの反対行動の参加者は誰だったのだろうか。

2017年2月2日木曜日

沖縄報道への疑問

1月28日の朝日新聞に「高江で抗議男性はねた疑い   機動隊員を書類送検    沖縄県警」との見出しの記事が載っていた。米軍北部訓練場のヘリパッド建設工事に抗議する50代男性を警察車両ではねて軽傷を負わせた20代の機動隊員を過失運転致傷で書類送検したとのこと。「機動隊員が運転する警察車両が、抗議で道路に座り込んでいた男性に接触してけがを負わせた疑いがある」とのことだが、つまりは男性はわざと負傷したのではないか。現地にはメディアのカメラマンが居たはずなのに写真でも動画でも全く報道されないのはおかしい。実態が知られたくないからではないか。

そう思うのも沖縄についてはあまりに不可解な報道が少なくないから。ヘリパッドは国頭村に4箇所、東村の高江に2箇所とあるが、後者の反対運動は頻繁に報道されるが国頭村の反対運動はまったく聞かない。両村の着工時期に違いがあるのかもしれないが、黙っていればいずれ国頭村も騒音被害の対象となるのは明白なのに。と思っていたらテレビで政府からの補助金?を国頭村長だけでなく、東村の村長も、さらに高江区長も!受け取る場面があった。国頭村の沈黙を納得したと同時に、東村と高江の受領に驚いた。

「東京新聞」の編集副主幹の長谷川幸洋氏が司会する東京MXテレビの「ニュース女子」という番組で軍事ジャーナリストの井上和彦なる人物がヘリパッド報道で、座り込み中の反対派を「テロリスト」「日当をもらっている」などと誹謗したという。1か月目の今朝の「東京新聞」に「深く反省する」との声明が載っている。品位の感じられない井上氏の批判だが、その声明でも「市民特派員」という名で本土から十数人を交通費という名目で5万円を払って呼んでいるとあるし、他に沖縄の都市部の人に「行動費」1万円の他にガソリンの現物支給をしていると沖縄紙では報道されているという。自社の編集副主幹が司会していたとはいえ他社の報道番組について反省するのはよく分からない。

沖縄の人たちが基地問題に敏感なのは当然だし、本土側に平等な負担を強く要求するのも当然である。しかし、沖縄に不利な報道はタブーということで報道機関の責任は果たされていると言えるだろうか。

2017年2月1日水曜日

一泊旅行

両陛下の葉山御用邸でのご静養に刺激されたわけではないが ( そんな畏れ多いことを考えるわけがない!)、箱根に一泊旅行をして来た。

温泉にはさまざまな種類があるが、自宅の風呂と違うという点で私は硫化水素泉 ( 白濁湯 ) や硫黄泉を好む。雪中ドライブの用意はないのでこの時期は南関東中心とならざるを得ない。ところが南関東には硫黄泉はほとんど無い。例外は大涌谷を泉源にする仙石原や強羅の温泉群だが一昨年の噴火?以来、給湯施設が回復したとは聞かない。それ以外では古来箱根七湯の一つとされる芦の湯が硫黄泉なので予約した。

江戸の文人墨客に愛された芦の湯は国道1号沿いにあり、旅館は二軒しかない。むかし獅子文六が小説『箱根山』で西武 ( 堤康次郎 )と東急 ( 五島慶太 ) の激しい箱根開発競争と、それに巻き込まれた二館の対立を箱根戦争などと書いたが、M館は幕末に木戸孝允らが泊まった宿で知られ、K館は志賀直哉や中曽根元首相らに愛用されたほか、滝廉太郎が『箱根八里』を作曲した宿をウリにしている ( 遠い親戚だった由 ) 。私は今回が三度目 ( すべてK館 ) だが、前回や前々回と違い湯温が低くちょっとがっかりだった ( 元来白濁湯ではないが ) 。今回が冬季だったことが理由なのだろうか? もう一つの源泉 ( 炭酸泉 ) はそれよりは良かったが、泊まっていた中国人観光客には不運としか言いようがなかった。

彼らの一人と入浴中話をしたが、筆談なら蘇州、杭州、麗江、成都、九寨溝など曽遊の地をすぐに分かってもらえるのに英語では上海と雲南ぐらいしか読みを知らないので確実には通ぜず、これほど焦れったい思いをするとは思わなかった!

箱根観光は翌日芦ノ湖岸まで足を延ばしただけ。湖上遊覧船の船首に「春節遊客歓迎」の看板が掲げられ、波止場には20人ほどの中国人観光客が楽しげに海賊船と白雪の富士を入れた写真を撮ったりしていた。少しでも日本に好印象を持って欲しいので一組の家族の写真のシャッターを押してあげた。中国政府がどうあれ私は中国人観光客に不愉快な思いをしたことはない。

そのまま帰宅するのも残念で、西湘バイパスを利用して鎌倉に向かった。七里ヶ浜の江ノ電鎌倉高校前駅の近くに駐車して、『海街diary 』にも登場する江ノ電に乗る予定だったが ( 聖地巡礼?)、目前の駐車場は冬季のせいか閉鎖されまたの機会を期すほかなかった。午後1時に出発し午後1時に帰宅したので24時間の気晴らしの旅だったが、天候に恵まれ満足した。