2016年10月31日月曜日

中日新聞の誤報問題

最近、中日新聞と同系の東京新聞の二紙に捏造記事があったと報道されていたが、昨日の後者に中日新聞社の社内調査の検証記事が大きく掲載された。「新貧乏物語」と題された連載記事に、貧しい家庭の女子中学生が教材費や部活の合宿費が払えなかったり、塾に行きたくても行けなかったと写真入りで紹介された。だが、写真はヤラセ、合宿費は払われて本人は部活に参加しており、塾は母親が勧めたのに本人が断わったのが真実だったという。

ひどい捏造記事だったが、担当記者は入社後間も無くで大きな仕事をあてがわれ、ぜひアピールする記事をと焦り、デスクはその嘘に気づかながったという。いくら功名心に動かされたとはいえ捏造記者は厳しく処罰されるべきだが、誇大記事を大目に見た疑いもあるデスクを含めて社内に貧困や経済格差への批判なら誇張も咎めないとの雰囲気が存在したのではないか。5月の記事にしてはあまりに遅い訂正にそう思はざるを得ない。たとえ正義感に駆られた結果でも事実を曲げて報道して良いはずがない。                                                      

現在のわが国では人手不足が深刻なようだ。じじつ失業率3%といえば諸外国と比べてよく頑張っている方だろう。それに対して失業率低下といっても非正規労働者の増加のために過ぎないとの反論がある。しかし、非正規といっても不本意非正規労働者はそのうちの四分の一だと聞く。残り四分の三は高齢者、主婦、ニートなど  自ら非正規を選んだ人たちということになる。むろん残り四分の一といえども放置して良いはずはなく、職業教育の改善などの努力は必要だが、誰もが希望の職業につける訳ではないのは止むを得ないだろう。

2016年10月28日金曜日

三笠宮殿下の思い出

三笠宮崇仁殿下が亡くなられた。わずか三、四年間だが週一度、同僚としてお目にかかっていたので私なりに殿下の謙虚な人となりを述べずにはいられない。

昨夜のテレビニュースで殿下が「気さくな」人柄であったと再三言及されていた。それが生得のものか長年の配慮が習い性となったのかは分からないが、私に異存は全くない。非常勤講師の方々は通常、時間調整のため授業前に学科の談話室に立ち寄られた。われわれ専任教員も授業を依頼している以上たいてい顔を出しており、殿下も談笑に加わっておられた。特別扱いが何よりも嫌いな殿下には数少ない気楽で楽しい時間だったのではなかろうか。

年度末、熱海の来宮のキリスト系大学の共同の保養所で学科の教員の慰労会があり、殿下も興味津々? 参加されていた。私がご一緒したのは三度くらいだが、大学紛争が激しかった年 ( その年の卒業式は無かった )、教員間の関係も緊張をまぬがれなかった。そのため当夜二人の教員間で論争があり、年下の側が泣いて抗議する場面があった。目の前で諍いが起こるなど、軍隊時代を除き殿下には前代未聞の出来事だったかもしれない。むろん発言はなさらなかった。

過激派のテロの恐れを理由に ( そういう時期が日本でもあった ) 講師を辞められたとき、赤坂御所?の宮邸に同僚数人とお茶に招かれ、妃殿下やご息女も加わり楽しいひと時を過ごした。学生の奇怪な卒論を話題にして御一家の爆笑を誘ったので女性お二人は私のことを今も記憶しておられるのではないか??

殿下のご著書『古代オリエント史と私』の中だったと記憶するが、満州事変の調停のため来日したリットン調査団を敵視した軍の一部に、調査団の食事にチフス菌を入れる陰謀があったと記されている。一部にせよ当時の軍部がどれほど増長していたかを示すエピソードである。また、東條大将への大命降下は、勝手な要求を並べる陸軍を抑えるには陸軍自身に首相の重責を負わせる他ないとの苦肉の策だったのに、外国からは日本もいよいよ開戦を決意したと逆の解釈をされたと書中で残念がっておられた。不幸な時代だったという他ないが、他国に真意を理解してもらうことの難しさは当時だけではない。




2016年10月25日火曜日

「駆けつけ警護」の是非

自衛隊の「駆けつけ警護」の是非が政党間で、またメディアで論じられている。具体的には南スーダンへの自衛隊のPKO派遣部隊に新任務として与えることの可否が問題となっているが、むろん今後とも他地域での同様のケースが予想される。

政党間でもメディアでも派遣された自衛隊員の危険がもっぱら論じられている。これまで自衛隊の主要任務は道路整備などの非軍事的活動とその防衛で、他国のPKO部隊や援助機関の救難は考えられていなかったが、今後は後者も有り得ることになる。

自衛隊が参加しているPKO活動は文字通りは「平和維持活動」であり、道路や民生施設の整備がそれに当たるとはむしろ拡大解釈だろう。それが他国から大目に見られていたのは現実に住民の生活改善に役立つからだろう。しかし我が国の「PKO派遣五原則」がどうあれ、実際に他国のPKO部隊や援助機関が反乱軍やゲリラに攻撃されたとき我関せずで済むだろうか? 事実、何か月か前、韓国の部隊が弾薬不足に陥り、現地の自衛隊が何万発かを貸与したことがあった。幸い大事に至らなかったが、もし自衛隊が援助を断れば弾薬が尽きて 韓国の部隊が皆殺しに近い損害を被る可能性はあったろう。そのとき日韓関係はどうなっていただろうか。私には悪夢としか思えない。

そもそもPKO派遣部隊は国連の兵力のはず。確かに「駆けつけ警護」は自衛隊員の危険を増大させ犠牲者を出すことも大いにあり得る。それがいけないなら我が国はそもそもPKO活動に参加すべきではない。米国に次ぐ国連経費を負担しているのに敵国条項を改めようとしない国連にPKO協力をする必要はないとの意見はあり得るし、破綻国家の住民のために自衛隊員が一人でも犠牲になるべきではないと考えるならそれも一つの考えではある。しかし現在の「駆けつけ警護」批判はそうした理由を挙げてはいない。いつまで曖昧さを続けるつもりだろうか。

P.S.  今朝とつぜんメール以外の機能が作動しなくなった。メクラ滅法にプラグを引き抜いては付け直していたら回復したが今後も作動不能はありそうだ。電子機器の故障は素人にはお手上げだが、ブログが中止になっても私が死んだと早合点しないで欲しい!

2016年10月21日金曜日

中国の体制内知識人の苦悩

朝日新聞 (10月20日 )に中国の天津社会科学院名誉院長の王輝氏への長いインタビューが掲載されているが、当局の人権侵害と闘う反体制知識人とは別の体制内知識人の苦悩が読み取れる。

文化大革命時代に党幹部だった王氏は拘束された苦難の時期と政府内で仕事に従事した時期をともに経験した。氏は一千万人の犠牲者を生んだ文革の暗黒面をむろん否定しないが、文革の直前には「党内には、すでに特権階級が生まれつつあった」とは認めている。

その後は鄧小平の「改革開放」時代になり経済は大成長したが、貧富の格差は拡大するばかりとなった。現在は「すでに貴族権益のようなものを持つ階級も生まれているから、左 ( 共産主義 )にも行けない」「かといって右に行くこともできない。右とは米国的民主政治の道です」「 ( 民主化が ) 進めば中国は四分五裂の道をたどるでしょう」「ただただ、今のままやっていく。これしか他に道はありません」。

現在の習近平体制下の人民の人権擁護に身を捧げている反体制知識人たちの受難と苦悩には多くの日本人が心を痛めていると信ずる。しかし、彼らはまだ希望を失っていないのに対し、王氏のような良心的体制内知識人には絶望しかないようだ。氏はこうなった原因を「( 中国共産党のような ) 暴力による政権奪取の必然の結果は専制政治です。それは民主化をもたらすことはないのです」と結論している。もっと早く目覚めるべきだったと言うのは言い過ぎだろうか?

現在の中国の対外政策は独善的で危険をはらんでいる。しかし、習近平が腐敗撲滅以外に中国を正道に戻す道はないと信じているのは誤りではない。その道はおそろしく狭い道だろうが...........。

2016年10月18日火曜日

訂正?

今日のNHKのクローズアップ現代でロンドン・オリンピックの経費が2兆1000億円と伝えていたが、私のメモ ( 出典不明で残念 )には北京3兆4000億円、ロンドン3兆1700億円、アテネ1兆1100億円、バルセロナ1兆1900億円とある。より詳細だから正しいと言うつもりはないが..........。

ボート・カヌー会場選定の難航

東京オリンピックのボート・カヌー競技の会場選定が難航している。今日の小池都知事とIOCのバッハ会長の会談の内容は伝えられる限り、当初の海の森会場の方針を守って欲しいとの婉曲な要望であるようだ。

そもそも会場選定がこじれたきっかけは東京オリンピックの経費予想が当初言われた数千億円から三兆円に膨張したことにある。しかし北京、ロンドンの開催費も三億円を超えていたと聞く。東京の場合も施設費以外の警備費や運営費などが巨額なようだ。当初の数字とは積算根拠が全く違うのである。

とはいえ我が国の財政難を考えれば開催費は出来るだけ節約することが望ましい。しかもIOC自身がオリンピックの簡素化に好意的になりつつある。むろん選手たちの使い勝手は大事だが、ボート会場も宮城県や埼玉県に適当な候補地があるなら再考の余地はあろう。各競技団体も理想論に固執すべきではないし、ましてレガシー ( 遺産で何が悪い!) 作りは二の次、三の次である。私にとってのオリンピックの遺産は長野大会の男子ジャンプ、リオの体操、卓球、バドミントン、水泳などでの選手たちの歓喜や感涙の思い出である。

IOCが韓国でのボート・カヌー競技の開催の可能性を口にしたという。平昌オリンピックのボブスレー競技の会場も難航し、日本側が長野での開催を申し出たが韓国側が断固拒否したとも聞く。私はボート会場が韓国に移されても断固反対はしないが、同じ選手村での各国選手たちの交流や親善という理想に合致しないとの国際ボート連盟会長の長沼への反対理由は何だったのかとは思う。

夕刊に海の森会場の整備費を当初の491億円から300億円に圧縮する試算がなされつつあるという。そうであれば今回の開催地騒動も、当初案に落ち着いたとしても十分意義があったともいえる。他の競技会場も仮設の観客席の採用など今後も簡素化に勤めて欲しいものである。

2016年10月15日土曜日

君主制の効用

タイのプミポン国王が亡くなられ国中が喪に服している。クーデターの絶えない国の世論をとらえるのは難しいし、同国の場合都市と農村部の違いが大きいようだが、今回は国民の大多数が国王の逝去を悲しんでいると見て良いようだ。その理由には伝統的な王室尊崇の国民感情と共に、これまでプミポン国王の存在が国の分裂をぎりぎり防止してきたとの国民の認識があるようだ。

王室尊崇の感情は君主国ならどの国にも多少にかかわらず存在するだろうが、国王に拝謁する国家指導者たちが文字通り床にひれ伏すのには驚いた。我が国では絶対に見たくない光景だし、今後そういうことは有り得ないと信じるが、タイの流儀を否定する気はない。

自由、平等、友愛を掲げたフランス革命が王制を廃止して以来、王制廃止を民主主義発達の指標と見なす風潮が一般化したが、英国の例を挙げるまでもなく皮相な見方である。フランス自身その後ナポレオン独裁を生んだが、彼はオーストリア宰相のメッテルニヒに、「フランス人は戦勝を続けなければ私を許さない」とこぼしたという。身勝手な弁解だが否定もできない。血筋による正統性、神秘性を持たない弱みである。

君主は政治的階級的対立を超越した存在であるとの主張は疑わしいし、虚構の要素が大きいが、君主制が国内対立が内戦にまで激化することを防ぐ緩衝役を務める場合は確かにある。第一次大戦後英仏はメッカの太守フサインの三人の息子をそれぞれシリア、イラク、ヨルダンの王位につけた。そのうち王制を廃止しなかったヨルダンだけが 同じく王制のモロッコとともにアラブ世界で悲惨な内戦をまぬがれている。両国の政治や社会に問題はないはずがないが、内戦よりはマシである。

一度は君主制を廃止しながらのちに復活した国にスペインとカンボジアがある。どちらも共通して激しい内戦を経験した国民が王制復活を許したり願ったりしたのである。王制が人間平等に反するとの主張は間違っていないが、君主制が緩衝装置となる現実は否定できない。「君主制の効用」とする所以である。

2016年10月13日木曜日

「聖地巡礼」

映画やドラマの舞台となった場所を訪ねる「聖地巡礼」は以前から話題になっていたが、今回は新城誠監督の『君の名は』がブームの火付け役のようだ。私も過去に「聖地巡礼」をしたことがあるので思い出を記したい。海外の「聖地」ばかりとなったのは過去の名画の存在を知って欲しいから で自慢のためではない!

ジョン・フォード監督の名画の一つに『わが谷は緑なりき How green was my valley 』(1941年 )がある。南ウェールズの炭鉱町の坑夫一家の思い出を息子の目で描いた映画で、炭坑事故をきっかけに敬虔で誠実な一家の生活は過去のものとなる。リチャード・レウェリンの原作小説 ( 邦訳 ) も印象的だったので、その舞台とされる南ウェールズのロンダを訪ねた。すでに炭鉱は閉鎖されたのか人影はまばらだったが、石造  (煉瓦?)の家々は道沿いにひっそりと佇んでいた。  

『ローマの休日』の「聖地」はそれほど珍しくもない。主演のグレゴリー・ペックも好演だったが、清末の中国に赴任し妨害に耐えて布教する牧師を演じた『王国の鍵』(1944年 )の彼もこれ以上の適任は考えられないほどぴったりの役だった。当時の主演者はペックにせよジェームズ・スチュアートにせよ出て来ただけで好感を持たれてしまうタイプ?なのに、最近のジョニー・デップなど何でこんな汚ならしい男が人気なのか理解できない!

『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台のザルツブルク市街やミラベル庭園は映画の通りの美しさだったが、私の第一の関心は近くのベルヒテスガーデンのヒトラーの有名な山荘だった。ヒトラーの見たドイツアルプスの絶景を私も見たいとの低俗な願いは十分満たされたが、山荘でのヒトラーと愛人のエヴァ・ブラウンとの満足げな写真と異なり、高所恐怖症だったヒトラーはあまり来たがらなかったという。

映画ではないが、韓国ドラマ『冬のソナタ』ファンの「聖地」春川や南胎島を、放映後の人気絶頂の頃訪ねたのはたまたま韓国ツアーに参加したため。テレビで欠かさず見ていたので結構楽しかった。訪韓の本来の目的は元同僚の韓国人の友人と再会するためソウルで自由行動日のあるツアーを選んだのだが、けっきょく私たち夫婦しか参加者はなく、済州島からソウルまでミニヴァンでの贅沢な旅となった。日本では『冬のソナタ』といえばペ・ヨンジュンが話題の中心だったようだが、私はチェ・ジウのファンだった。

私は冬ソナファンではあるが、その後の韓流ドラマはヒロインがこれでもかこれでもかとイジメられる『宮廷料理人チャングム』を途中まで見ただけで疲れてしまい、一切見ていない。信じてほしい!


2016年10月10日月曜日

グローバリゼーションの功罪

三、四年前に購入した柱時計が動かなくなった。随分早い故障だが、もともと安物の上に保証期間を過ぎており、修理代が原価を超える可能性を考え新規購入することにした。最寄駅の周囲にはニトリ、小売店の集合ビル、デパートと ( 数種類しか置いていないビックカメラを除いても ) 三店舗あるが、この順に千円未満 ( 柱時計が!) から数万円の物まで見事に販売店の格に応じた?価格帯で並べられていた。結局、ニトリでは高額の品を購入した。やはり中国製だった。

経済のグローバリゼーションの結果、昔なら考えられない価格で各種商品が入手可能になった。百円ショップを訪れた友人が何でも売っていると驚いていた。発展途上国の製品を経済先進国の国民が買うことは相互に利益であり、一見万々歳である。しかし、物を大切にする習慣は確実に廃れるだろう。痛し痒しである。。

刊行されたばかりの講演再録集『問題は英国ではない、EUなのだ』( 文春新書 ) でエマニュエル・トッドが英国のEU離脱の原因を、先進国共通の「グローバリゼーション・ファティーグ ( 疲れ )」に求めている。国境を越えての物品や人間の自由な移動が経済の活性化を生み、人々に物質的満足をもたらすとの新自由主義的教義が誤りとは言い切れない。しかし、米国の製造業従事者が全雇用の10%程度と聞けば、かつて米国製品が輝いていた時代を知る私には健全なこととは思えない。トランプ人気の一因が矢張り米国民の「グローバリゼーション疲れ」であることは否めない。その結果、政治家の品性が二の次、三の次となる時代が来るのだろうか。

それも困るが、トッドは別のインタビュー記事で、「この大統領選挙でグローバル化の神話は終わり、国家回帰に拍車がかかるだろう」と予言している ( 『朝日』10月4日 ) 。

2016年10月5日水曜日

死刑廃止論の行方

日本弁護士連合会が国連の勧告に応じて死刑制度廃止 ( 2020年迄に ) の提言を七日の「人権擁護大会」で決めるという記事が載ったと思ったら翌日、犯罪被害者の支援に取り組む弁護士たちが反対声明を出した。反対理由は基本的には「犯罪被害者の人権や尊厳に配慮がない」ということだが、手続き論としても強制加入制の日弁連が会員の思想・良心の自由を損なう決定をすべきでないこと、大会出席者は会員の数%に過ぎずそうした決定をする権限はないということである。

私は「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」の主張に全面的に賛成である。手続き論としてもそうだが、それを離れても死刑制度を止むを得ないと考えるから。高名な廃止論者に元警察官僚にして元自民党幹部の亀井静香氏がいるが、氏の著書 ( ブックレット ) にも冤罪の可能性など聞き慣れた反対理由しか挙げられていない。

廃止論者が真っ先に挙げる冤罪の可能性が絶無とは言わないが、戦後しばらくはともかく現在のわが国では、死刑囚がしばしば再審を認められている事実が示すように、犯行をあくまで否定する死刑囚が刑を実行されることは先ず考えられない。国連加盟国の中には政治的反対者を死刑にする国が少なくない ( 国連の人権擁護組織のメンバーにはそうした国の国民が少なくないようだ ) が、わが国ではそうしたことはあり得ない。死刑の犯罪抑止効果はあまり期待できないとしても、逆に国によっては犯罪者と見なされた者を裁判の手間を省くため射殺する誘惑は強まる。

しかし私が死刑を是認するのはそれが正義に叶うと思うからである。前にも紹介した気もするが、オバマ大統領はビンラディンの殺害に成功した際 、Justice has been done! と叫んだ。一人でも他人の生命を奪った者は原則として自分の生命で罪を贖うべきだが同情すべきケースもあろう。複数の生命を奪うと死刑判決という現在のわが国の慣行は妥当なのだろう。EU諸国の犯罪者の人権擁護のための死刑廃止論に私は偽善の匂いを感じてならない。

2016年10月3日月曜日

戦時中の日本知識人たち

一昨日終了した朝ドラで花森安治がモデルとされる花山編集長が、雑誌『あなたの暮らし』の今後の重要テーマとして戦時中の庶民の暮らしを取り挙げるとの決意を表明していた。庶民の暮らしではないが、当時の知識人たちは戦時中どんなことを考えていたのだろうか。さいわいドナルド・キーンが彼らの考えていたことを『日本人の戦争   作家の日記を読む』( 文春文庫 )で詳細に教示している。  

本書に取り挙げられている日記作者は引用や言及の回数順( 大略 )に記せば、高見順、伊藤整、山田風太郎、永井荷風を主として、清沢洌、内田百閒、渡辺一夫、大佛次郎、徳川夢声、古川ロッパ、高村光太郎、野口米次郎と多彩である。

戦争の評価に深入りせず、生活とくに食生活に関心を集中している荷風は特異であり、銀行員として米国やフランスで生活した彼には「鬼畜米英」的風潮にページを割く気になれなかったのかもしれない。逆に熱烈に「大東亜戦争」を肯定している作家 (将来の )の代表は伊藤整と山田風太郎である。米国で激しい人種差別を経験した高村光太郎や野口米次郎が戦争を肯定しているのは理解できるが、伊藤整と山田風太郎に海外体験はない。とくに伊藤はジェームズ・ジョイスの翻訳者として抜群の英語力を有し、小樽高商生時代には英米人教師に接した筈なのが信じられないほどの対米戦肯定者だったし、山田も当時医学生だったことが信じられないほど既にフランス文学やロシア文学に通じていたインテリだったのに伊藤と五十歩百歩の反米派であり、戦後しばらくも見解を改めず、復讐戦を熱望したのは驚きである。

結局、最もバランスの取れた見解を書き記しキーンが最も多く言及や引用をしているのは高見順である。戦前の左翼運動に参加して特高に「転向」を強いられた彼が「大東亜戦争」に批判的なのは自然だし、従軍作家として中国戦線に送られ皇軍兵士の蛮行を目撃した。だが、それを指摘しながらも特攻機に涙し、戦後の同胞の苦難には深く心を痛めている。また、戦後直ちに米兵向けの売春施設を用意した日本人、戦時中の英語全廃でバットやチェリー ( 分かるかな?)を廃止し、戦後あたらしいタバコにピースと名づけた日本人には「極端から極端へ。日本の浅薄さがこんなところにも窺える」と批判している。他方、ロッパはGHQの指令で歌舞伎が全面的に禁止されたことを評して「アメリカ人の芸術の分からなさが、先づ嘆かわしい。............敗戦国のみじめさは、地理歴史の廃止の次に、かういふものが控えていた」と評している。

2016年10月2日日曜日

関係者の責任の取り方とは?

横浜の大口病院の患者不審死事件は犯罪の気配が濃厚になって来た上に、まったくの素人に可能な犯罪とも思えない。まだ推測に過ぎないが病院関係者の手による犯罪の疑いは小さくない。

同病院の四階は終末期の患者の収容施設になっていたようだ。そうでなければ一日に5人の患者が死亡しても ( 2か月で50人とも )病院が意に介さなかった理由は説明困難である。あくまで想像だが、病院側が不自然死と感じていたとしても事件となれば厄介であり、まして終末近い患者の死では目をつむりたかったのかもしれない。

もし病院内の犯罪ということになれば相模原の県立障害者施設「やまゆり園」での大量殺人事件の影響は当然考えられる。他人の介護なしには生活できない人たちという点で両者には共通性がある。「やまゆり園」事件の犯人植松は麻薬の影響下にあったらしいが、抵抗できない人の命を奪う行為が悪であることは明らかである。ただ、そうした施設で働いた経験に欠ける私には自分がその場合どう感ずるかは予想困難なので、軽々に他人を糾弾したくはないが。

「やまゆり園」の障害者 ( の父兄 )の会の要求に応じて黒岩神奈川県知事は、園の建物を60~80億円をかけ撤去し新築することにしたという。危うく難を逃れた入居者の保護者としては無理もない面はある。しかし、こうした施設への入所希望者は数多いのではないか。同じ規模の施設を新設し、「やまゆり園」は残して新規希望者を収容すべきではないか。既入居者の要求だからといって同意するのは安易に過ぎる。知事は県の施設での職員の犯罪の管理責任を取ったつもりだろうが、知事のすべき第一の仕事は入所を希望する人を可能な限り多く収容することではないか。立派な施設を撤去する必要があるとは思えない。