2016年4月30日土曜日

福島への一泊旅行

今朝の新聞に目を通したら「福島の観光は魅力全開」との大見出しが目についた。先週同地に一泊旅行したばかりだったこともあり着目したが、1ページ全面を使っての福島の観光広告だった。

福島の( 信夫 ) 高湯、山形の蔵王高湯と白布高湯は奥羽三高湯と呼ばれる高地温泉であるが、その中で私は福島の高湯を一番に好む。蔵王は冬のスノーモンスターは素晴らしいが温泉地としてはやや広がり過ぎ趣に欠ける ( 2軒くらいで断定して申し訳ない!)。白布高湯は米沢藩主の贔屓の名湯で巨きな藁屋根の宿が3軒並んで立つ様は壮観だったが、唯一泊まったことの無い東館が火災にあったと聞く。

信夫高湯は磐梯吾妻スカイライン沿いの高地の山の湯で、何よりも10軒足らずの宿のある現地に入ると硫化水素の匂いに包まれるのが素晴らしい。これ迄ハイランドホテルに二回、日本秘湯の会のA館に三回、今回のT館に始めて泊まったが、唯一露天風呂のないホテルでも失望はしなかった。

4月下旬ないし中旬 ( 年による ) の東北道は芽吹きの山中と高速道脇の双方の山桜がたっぷり見られるのが楽しみで、今回は都合でたった一泊のために福島に往復した。途中、いつものことだが雪の残る安達太良山が我々を見下ろしている。半世紀以上前、友人2人と登ったことがある。旧火山らしい荒々しい山頂を超え会津側にくだった二人はそれぞれ20年前と10年前にこの世を去った。その時はそれを知るべくも無かったが、安達太良山の下を過ぎるたび毎に運命の不思議を思わずにはいられない。

2016年4月28日木曜日

姨捨伝説が現実に?

たいした期間ではないが最近数年間に再度入院した私には、近年の病院の検査 (と治療 ) の施設の充実は心強いものだった。しかし医療の急速な進歩を単純に賛美してばかりはいられない。薬代を含めて医療費の高騰という矛盾を生んでいるからである。

新聞各紙によれば平均的体格の日本男性が最新の肺がん治療薬オプシーボを服用すると年間3500万円の薬代となり、年患者数10万人強の半数が服用すると年1兆7500億円が必要となる。ただし患者の出費は高額医療費補助を利用すると月額8万円 (患者により多少の差 )程度で済む。

今後の薬価の低下も期待出来ないでもないだろうが、現在でも社会保障費の中で大きな割合を占める医療費は次々と新薬が予想される現在、立ち行かなくなることは目に見えている。そうなれば余命の短い後期高齢者 ( だけではないが )に無制限に投薬して良いかという問題が生ずる。しょせん人間の寿命には限界があるのに現役世代にこれ以上の負担をかけることは公正と言えるかである。

哲学的に根本から考察すべき問題かもしれないが、私は或る年齢以上の高齢者の超高額医療の利用の制限は止むを得ないと考える。一部諸外国についで日本政府もようやく「費用対効果」の観点の導入を検討すると決めたらしいが、有限の資力で全ての要求を満足させられない時代に入りつつあるのだろう。とはいえ私は深沢七郎の『楢山節考』( というよりも木下恵介監督の同名の映画 ) のおりん婆さんのように、「楢山まいり」を息子に催促するほど立派にはとてもなれない。いざとなれば変節してオプシーボに期待するかも。せいぜい薬価の低下を期待するとしょう!

2016年4月26日火曜日

新聞は最高裁を批判できるか?

特別法廷という形でのハンセン病患者への過去の「差別」を最高裁が昨日になって謝罪した。新聞各紙は「差別放置 自省を」( 『毎日』)、「責任負わぬ最高裁 理不尽だ」(『朝日』)、「遅れた検証 踏み込みも甘く」(『産経』)、「問題を直視せず」(『東京』)などの見出しで一斉に最高裁を批判している。

しかし、各紙は戦後間も無く諸外国が次第にハンセン病患者への特別扱いを改めてきたのに ( 米国統治下の沖縄では60年代からハンセン病患者でも地裁支部で裁判が開かれていた。『毎日』)、まして2001年に熊本地裁が隔離政策を違憲と判決したのに大きく問題としなかった。今朝の四大全国紙でも最高裁に反省を迫っても自社の反省の言葉は皆無だった。わずかに『読売』が「偏見がすさまじい時代」との識者の言葉を紹介し、「戦後、隔離政策と厳しい偏見が続く中.........、裁判所に出廷させる判断が難しかった面はある」と一定の理解を示しているだけである。新聞各紙は最高裁を批判するならば同時に自社の報道への反省にも言及すべきだろう。

同じく今朝の『朝日』には一面をつぶして坂井隆氏( 元公安調査庁部長 )の「北朝鮮と向き合う」との発言が紹介されている。北朝鮮の国家運営には一定の合理性があり、最近の粛清も「かつての旧ソ連のスターリンのような社会全般におよぶ粛清ではない」「北朝鮮を多角的、冷静に見極めることが重要です」との氏の発言は傾聴に値する。同様に、同紙に十数回続いているコラム「北朝鮮を読む」は、かつて朴軍事独裁政権の道具と報道されてきたKCIAの元幹部の驚くほど冷静で鋭利な回想を紹介している。情報部出身というと特別な目で見られがちだが、先入観は良くないと思う。

2016年4月24日日曜日

「植物工場」の将来

NHKの日曜朝の番組「サキどり」で植物工場の事例を紹介していた。たまたまチャンネルを回していて ( 昔はチャンネルは文字どうり回して変えるものだった!) 見ただけなので当初はいい加減な態度で見ていたが、しだいに興味が湧いてきた。

私のような高齢者は人工光ではなく太陽光を浴びて育った野菜を選びたいところだが、専門家によれば成分も味も天然ものに劣るものではなく、むしろ与える肥料分 ( むろん水耕栽培 ) により特定の成分を強化することも可能との話だった。

それでも露地ものを選びたい人はいるだろうが、地方によっては気候上他県産に頼らざるを得ない場合がある。番組で紹介されていた青森県の場合、冬の生鮮野菜は殆んど温暖な他府県産だった。そこで或る生産者、彼はほんらい他産業の下請け工場の経営者だったが注文の先細りを見越して自社の小工場を野菜工場に転換した。地元スーパーとしても輸送費を節約できるし、さらに地域の雇用を維持したい自治体が廃校を苗育成用に無償で貸してくれた。現在では新鮮野菜としてスーパーで売れているという。

周囲の協力など成功の条件は欠かせないだろうが、全国の植物工場の約3分の2は収支トントン乃至利益を計上できているという。青森県では未だ3社だけということだが、地方に雇用の場を提供する植物工場は大いに育てていくべきだろう。外国を含む遠隔地からの輸送のためのエネルギーの無駄遣いを減らすことは地球温暖化対策としても有益だろう。人工的と敬遠している場合ではなさそうだ (  主婦はそんなこと気にしていない!?)。

PS    前回、メルセデス・ベンツとBMWの実燃費が公称値の4倍と1.8倍と書いたのは排ガス  ( NOX )の排出量の誤りでした。私としたことが。悪しからず。

2016年4月22日金曜日

自動車の公表燃費値のウソ臭さ

昨日あたりから新聞各紙に三菱自動車製の軽自動車の燃費試験データの不正操作が大きく報道されている。原因として他社の軽自動車との激しい販売競争や、公表燃費値に応じた税金の軽減などが挙げられている。だが、不正な数値で顧客を欺いたとすれば、その責任は追求されねばならない。

しかし、私は確信するが、自動車各社の車種ごとの公称燃費を信用していたドライバーは一人もいなかったろう。きわめて燃費コンシャスなドライバーを自任する私が四年間ほど使用した二代目プリウスは評判どうりの低燃費車で、リッター当たり20キロは日常茶飯値?だったが、カタログの数値に達したことはただの一度も無かった( 他社の車も同じだった ) 。 いったいどんなテスターが運転したのか不思議だったが、試験場の機械の上での走行値だったのか?  もしそうなら事態を知りながら放置してきた役所も好い加減だった。

フォルクスワーゲン社の不正が公表されたとき私は他の輸入車もその可能性があると指摘した。今朝の毎日新聞は「輸入二車種も基準超」と報じている。メルセデス・ベンツ社とBMW社の特定のディーゼル車の実際の路上走行調査では、公表燃費値のベンツは4倍、BMWは1.8倍だったという。

だからといって積極的にユーザーを欺いたワーゲン社や三菱自動車の罪が軽くなる訳ではないが、役所だけでなくメディア界の人間も怠慢かお人好しか。既往はともかく今後はしっかりして欲しい。

2016年4月19日火曜日

訂正

前々回、三河地震の際私が小学6年生だったとしたのは5年生の誤り。それより、以前にも本ブログで三河地震を話題にしたような気がしてきた。もし繰り返しだったらブログを終わりにする時期が近いのか!

報道番組の面白さとつまらなさ

昨日の新聞によればワイオミング州の共和党予備選でクルーズがトランプを抑え勝利したという。映画「シェーン」に描かれた人口希薄な州の勝利で最終結果に結びつく訳ではないが、嫌な予感がしないでもない。

内外のメディアではトランプの発言の数々が大きく取り上げられ警戒を呼んでいるが、だからといってクルーズが「より小さな悪」なわけではない。先日 ( 4月11日 )のフジテレビの「プライムニュース」で旧外務官僚で評論家の佐藤優氏が、トランプは「うんと悪い」候補だがクルーズは「とんでもなく悪い」候補だと語っていた。私も氏の意見は傾聴に値すると思う。

クルーズは保守強硬派ないしキリスト教保守派と呼ばれている。私は米国であれ日本であれ政治に宗教を持ち込むことは良くないとこのブログでも指摘してきたが、とりわけ一神教を政治に持ち込むことは危険だと感ずる。トランプの暴言はその効果を巧みに計算した上での意図的戦略的暴言で、本人が仮にそのすべてを信じているとしても実行できるとは限らないことは分かっているだろう。しかしクルーズは狂信者とまでは言えないとしても確信者である。「プライムニュース」に彼が小銃の先端部分にベーコンを巻きつけて連射し、発射熱で焼けたベーコンを平然と食べている場面があった。もともと全米ライフル協会への支持を公言しているクルーズだが、「マシンガン・ベーコン」を食べる彼には作為も計算も感じられず、不気味な印象しか無かった。

「プライムニュース」は反町という記者出身のキャスターが毎回複数のゲスト ( 多少違った意見のゲストの場合が多い ) を呼ぶ番組で、フジ・サンケイグループが保守寄りな論調であることは否めない。しかし他局の同種の報道番組がゲストの御意見拝聴に終始したり、逆に先月までの「報道ステーション」のようにキャスターに反論しない ( 反論できない。また呼んで欲しいから ) ゲストばかりを呼んだりするのに比べて、反町氏がゲストの意見に疑問を呈したり、時にまぜっかえししたり、活発な意見が交わされ面白い。

それにしてもかつてムネオと組んで叩かれた佐藤優氏は、『外務省のラスプーチンと呼ばれて』の著者にふさわしい怪物的容貌にさらに磨きがかかってきた!

2016年4月18日月曜日

直下型地震の恐ろしさ

熊本県を中心に発生した地震は他県にも拡大する動きを見せて不気味である。東北大震災ほどの巨大地震ではないが、被害住民の規模だけでは直下型地震の恐ろしさは計れない。まだ小学6年生だった私でもその恐ろしさは覚えている。

1944年12月7日の東南海地震のことは当ブログにも書いたと記憶するが、その37日後の45年1月13日の三河地震の恐ろしさは別種のものだった。未明に発生した三河地震の揺れは東南海地震のときほど大きくなかった。しかし、今回の熊本地震と同様、間断なく襲ってくる余震の恐ろしさは、どうせ余震だろうとたかをくくっていられるものではなかった ( 今回のように本震と思われた後にそれ以上の強度の本震に襲われたのは前代未聞だろうが ) 。

結局、翌日の夜は、ふすまを家型に建てた小屋で一夜を過ごしたが、近所にもそうした家は少なくなかった。今回もそうした写真を見かけたが、当時と異なりほとんど各戸にマイカーがある点では日本社会にも多少の進歩?があったと言える ( 硬い床で寝るよりは耐えられるはず )。とはいえ水とガスとりわけ前者の供給ストップは水道が普及してなかった1945年当時にはない困難である。今朝のテレビが報じた水不足の現地は、山村とまでは言えないが傾斜地に散在する独立家屋が舞台。ここまで水道化されているのかというのが正直な感想だった。

戦時中のことで両地震の報道は最小限に抑えられていたので、私は自分の体験から三河地震の人命被害は東南海地震よりもずっと少ないと思っていた。ところが死者数は東南海地震が1223名、三河地震が2306名と後者が多かったという ( 木村玲欧  『戦争に隠された「震度7」』 吉川弘文館 2014年 ) 。地震の規模 ( マグニチュード ) と被害は必ずしも比例しないのである。首都直下型地震が起こればどうなるのか。政府や自治体もだが個人としても対策や準備に本腰を入れる必要がある。

2016年4月15日金曜日

奨学金制度の問題点

予算編成の時期と関連するのかはわからないが、最近、現行の奨学金制度の問題点が新聞各紙でも取り上げられ、国会ではその改善 ( 貸付型から給付型へ ) が検討されているようだ。しかし、その返還が元奨学生への過大な負担になっているとの各紙の指摘ではあるが、公正という観点からすると給付型が理想とも言い切れない。

昨日の東京新聞によれば ( 各紙の数字には若干違いがある ) 、現在の国立大の授業料は年54万円、私立大の平均は86万円とのこと ( 入学時の諸負担を加えると国立大で60万円台、私立大では100万円以上にもなるようだ)。60年以上前、私が大学入学した頃の授業料は1万円前後だったから、その間のインフレを考慮しても授業料などの負担はより重くなっているだろう。

しかし、国立大やそれに倣った私立大の授業料の高騰には一応の理由があった。戦後かなりの間、大学入学者は同年齢者の1割にも満たず ( ? )、中高校卒の勤労者 ( 就職した同年齢者を含む ) が納めた税金を大学奨学金に回すことには異論もあり得た。そのため授業料は値上げし代わりに奨学生を増やす方向が選ばれたと記憶する。じじつ今の大学生の4割は奨学金を得ている ( その内訳は有利子枠が約7割という )。

時代は変わり大学進学者が同年代の半数を占めるようになった。奨学金を全額無利子としたり支払猶予期間を延長するのは望ましい。しかし統計上では中高校卒業者よりも大卒が生涯賃金額で有利な以上、奨学金返還を求めるのは不当ではない ( ある意味、格差縮小の方向とも言える ) 。一般論として教育にもっと我が国が予算を当てるべきという意見には賛成するが.................。

2016年4月12日火曜日

世論調査の読み方

メディア各社の世論調査が発表されている。と言っても調査日は一斉でもないようで、昨日から今日にかけてはNHKと朝日新聞の結果が発表された。そのうち安倍内閣の支持率に関してはNHKが支持42%、不支持32%、朝日新聞は支持45%、不支持34%  。先月と比較してもNHKは内閣支持率マイナス4%、朝日新聞はプラス1%だった。巷間ではNHKの政府与党への迎合や従順化がしきりに論じられているが、世論調査の結果で見る限り朝日新聞と比べてもそうとも言えないことが示された。

次の選挙でどの政党に投票するかとの質問にはNHKの与党23%、野党32%、どちらとも言えない40%に対し、朝日新聞は( 各党ごとの数字を合計すると ) 与党50% ( おおさか維新を含む ) 、野党24%、答えない・分からない26%となる。ここでも政府与党に批判的な朝日新聞の数字は与党優勢である。質問の仕方 ( とくに分類 ) が全く違うが、両者の与野党比が違うのは何故か?

そもそも調査の数字は客観的な筈だが、放送局よりも主張が鮮明な新聞各紙を読む限りこれまでそうとも言えなかった。つまりは世論調査とはその程度のものと考えるのが一番正しいのだろう。むしろ今回私に一番印象的だったのはNHKの質問にあった「一番関心のある問題」との質問に対し、我が国では景気と社会保障がそれぞれ22%で一位を分け合ったが、他国 ( 中東だったか南米だったかヨーロッパだったか国名を忘れたが ) の関心の第一位が「治安の維持」だったことである。あやふやな点はお許しを乞う他ないが、我が国で世論調査を何回やっても治安の維持が国民の関心の一位を占めることは考えられない。今後もそうとは確言しないが、自国の常識や基準を他国に当てはめて考えることの危うさをあらためて感じさせられた。

2016年4月9日土曜日

桜と桜桃

日本列島を桜前線が北上中である。東京近辺ではすでに満開を過ぎ、今日あたり桜吹雪そのものだったが、未だこれからの地域も少なくないだろう ( 今日、旭川では雪がちらついていた )。それでも今年は東北地方の桜も例年よりは早いようで、テレビニュースでは福島県の帰還困難地域の桜がもう満開だった。       

一、二年前から外国人の花見客が増えたが、今年が特に多いようなのはメディアが話題にしたせいもあろう。とくに中国人の観光客が多いのをあまり快く思わない人もあり、じじつ公衆道徳が問題となるケースもあるようだ。しかし、花見の季節と限らないが、多くの外国人が日本の治安の良さ、清潔さ、親切さなどを知ることは大いに歓迎すべきである。

外国で桜見物をするのはポトマック河畔や旧植民地の韓国など例外的なようだ。世界に自慢して良い日本の桜だが、開花期間が短いのは残念である。花木としてはジャカランダも有名で、テレビで見たブエノスアイレスの街のそれも桜花の美しさに劣らず、しかも一ヶ月近く咲き続けるのは羨ましい。

桜は桜桃 ( さくらんぼ ) の生産木としても有難い植物である。私は旧来の日本のさくらんぼよりも甘味の強いアメリカンチェリーが好きだ ( ヨーロッパも同じ品種。何がアメリカンだ!)。もう一つの理由は日本のさくらんぼがやたら高級化して気楽に買う気になれないことである。アメリカンチェリーも日本では結構高価だが、フランスやドイツでは市場で山積みされ、キロ単位で安く売っているので心置き無く食べられ?、初夏から夏の旅の楽しみだった。フルーツに限らないが生産者も、大きさを揃えたり容器に凝ったりして高く売ることを考えるよりも、買い手に心置き無く食してもらうよう心がけて欲しい。そうならない限り私はTPPに肩入れしたくなる。


2016年4月5日火曜日

大相撲春場所



先ごろの大相撲春場所は紆余曲折の末、白鵬の優勝で終わった。実力どうりという他に評し様がないが、千秋楽の横綱同士の結びの一番はあっけなく終わり失望したファンは多かったようだ。むろん私も。白鵬自身はあれで決まるとは思っていなかったと語り計画的な注文相撲を否定したが、心のどこかに何としても勝ちたいとの気持ちはあったことは認めた。素人の私に確かなことは分からないが、日馬富士の姿勢が低すぎたので思わずいなしたと見てもおかしくないとは思う。

武田鉄矢司会の「昭和は輝いていた」( 3月30日放映 ) は「大相撲名勝負」と題し、栃若時代から輪湖時代までの名勝負を再現し論評していた。栃錦と若乃花の最初の名勝負は優勝をかけた横綱と大関の対決 (栃錦の勝ち ) であり、次の優勝をかけた名勝負は両者ともに横綱で今度は若乃花の勝ちだった。どちらも激しい四つ相撲の末の決着だった。当時、本郷の森川町の学生下宿に住んでいた私の部屋にテレビがあるはずもなく、東片食堂という学生向きの食堂に対戦時間を見計らって通ったように思う。

試合の再現シーンを見て再発見したのは両者とも中年太りの中高年ほどにも腹が出ていなかったことである。二人が筋肉質タイプなことは無論知っていたが、ともに身長170センチ台、体重100キロだったとあれば不思議ではなかった。次の大鵬と柏戸はともに180センチ台、130キロ程度だったとのことで、栃若よりは腹が出ていたが、栃若と柏鵬どの取組もがっぷり四つ相撲で立会いの変化も張り差しもなく、勝負をたっぷり楽しめた。

輪島と北の湖の場合、後者は無論アンコ型だったが、がっぷり四つの勝負だったことには変わりなかった。なお、柏戸も輪島も大鵬や北の湖ほどの大記録は残さなかったが、印象に反し直接対決では勝負は相手を上回っていた。並び称されるゆえんであろう。

張り手もかち上げも立会いの変化も認められた勝負手なのに白鵬が非難されるのはおかしく、文句があるなら規則を変えるべきだとの投書があった。理屈はそのとうりだが、やはり白鵬ほどの横綱には正攻法で勝って欲しかった。相撲は他の格闘技とは違うというのは、これだけ外国出身力士が増えた時代にすべきでない要求だろうか。

訂正   前々回、子息と書いたのは子女の誤り。子どもは親子関係と年齢の両義が有るので使えなかったので.............。

2016年4月4日月曜日

エーゲ海の今昔

シリアなどからの難民がトルコからギリシアに入国する報道で中継地としてエーゲ海のレスボス島やヒオス島などの名前が紙面に載っている。難民の窮状には同情するし、上陸地のギリシアの困惑にも同情を禁じ得ない。しかし、不謹慎とのそしりは甘受するが、それらの島名に私は記憶を呼び覚まされ、ある種の感慨を覚えた。

レスボス島は女性の同性愛を指すレズビアンの語源とされているし、ヒオス島はドラクロワの名画「キオス島の虐殺」のキオス島の別称だろう。1820年代、オスマントルコの支配下にあったギリシア人が独立戦争を展開すると、トルコによる住民の虐殺が頻発し、詩人のバイロンを先頭にヨーロッパ人のギリシア人への同情が高まった。当時の理解には異教徒のトルコへの偏見も混じっていたのではと想像するが、当時のトルコ帝国の対応に問題が無かったとは言えないだろう。

ヒオス島のさらに北のサモトラケ島は難民の上陸地ではないが、ルーブル美術館の至宝のひとつの「サモトラケのニケ」の石像の発見された島である (靴のナイキは英語読み )。現在は知らないが、以前は「モナリザ」や「ミロのヴィーナス」以上に目立つ場所に展示されていた。

古代以来エーゲ海はヨーロッパ文明の発祥地であるとともに諸民族の衝突の場でもあった。ペルシャ戦争でスパルタ軍が勇戦し全滅した「テルモピレーの戦い」は教科書にも載るエピソードだが、現地ガイドによるとテルモピレーとは「熱い門」の意味だとか。サーモスタットやサーモメーターと同じ語源である。古代文明の遺跡に囲まれたエーゲ海は諸文明の発祥地であると同時に、諸文明の衝突の地でもあった。今後のエーゲ海が平和の海になるよう願う。