2016年1月29日金曜日

イスラエルの明と喑

イスラエルのネタニヤフ首相といえば歴代の同国の首相の中でも頑迷さで一頭地をぬく人物であり、この頃は米国のイラン政策への抵抗が目立っている。最近も野党優位の米国議会の招待をオバマ大統領の了解も得ず受諾し、大統領を不快にさせた。

何新聞だったか ( わずか四、五日前が思い出せない!)ネタニヤフ首相の記者会見の記事が載っていた。質問者は自由に質問し、雰囲気は良かったという。それにひきかえ記者は日本の首相記者会見の堅苦しさ、質問の不徹底さを思い出していた。日本だけでなく他の中東諸国とイスラエルを比較しても同じことが言えそうだ。かつてラビン首相がユダヤ教狂信者に暗殺された時、イスラエル国民は衝撃を受けた。イスラエル人が同じイスラエル人を殺すことが信じられなかったのである。イスラエルが中東で稀な言論の自由な国であることは疑いない。

しかし、そのイスラエルの周辺への入植地拡大が止まらない。その状態でアラブ人に冷静を呼びかけても効果は期待薄だろう。現在のイスラエルの入植地政策は旧満州に対する日本の進出策とその本質において変わらない。伊藤博文は日本が日露戦争で獲得した権益は遼東半島と満鉄以外の満州には及ばないと戒めた が( 孫崎享『日米開戦の正体 ー なぜ真珠湾攻撃という道』祥伝社。著者はその論の奇矯さで知られるらしいが、本書はミスリーディングなタイトルと異なり、日露戦争後から日米開戦までの日本外交史でとくべつ奇矯ではない )  、その後の日本は軍部の強硬策に屈して世界を敵に回した。しかし、同じ事をしているイスラエルに対する欧米とりわけ米国の態度は及び腰という他ない。イスラム過激派と軍事力で戦うのは誤りとは思わないが、イスラエルの拡張主義にも本気で反対しなければその効果には限界があろう。イスラエル国家の存在は守らなければならないが、欧米はもっと厳しく入植地拡大に反対すべきである。

2016年1月28日木曜日

両陛下のフィリピン訪問

かれこれ40年近く前、ノルウェーの旧ハンザ都市ベルゲンの観光バスでフィリピン人の女性ピアニストと知り合った。というよりもカメラを持っていた私に、グリーグの住まい ( 別荘? )の前で彼女の写真を撮ってフィリピンに送ってくれと本人に依頼されたのである。渡された住所にリサール ( 通りの名前?) とあったので独立運動家のリサールにちなんでかと彼女に聞いたら、しばらくポカンとしたのち、「オー、リザー!」とのたまった。英語読みでもルは付くらしいが、母音の着かない L は日本人には聞き取りにくかった ( 一般化するな!)。写真を送ったのに礼状は来なかったのには失望したが、同地に住んだ事のある知人が重い封書は先方に届かないこともあると教えてくれた。

現在訪比中の両陛下がリサール像や無名戦士の碑に頭を下げられた。晩餐会で天皇が戦争中のフィリピン市民の被害に対し「私ども日本人が決して忘れてはならないこと」と述べられたことに、ほとんどの日本人は同感すると私は信じたい。

今朝の『東京新聞』に同国の「従軍慰安婦」のヘンソンさんの記事が載っていた。「アジア女性基金」の償い金をヘンソンさんは受け取ったが、「日本の支援団体の中には、ヘンソンさんらに償いの一時金を受け取らないよう求めたグループもあった」。理由は「国家賠償でなければ人間の尊厳を取り戻せない」ということだが、ヘンソンさんは私の名誉は50年前に失われたと言って取り合わなかった。一年後ヘンソンさんは亡くなり、記者が弔問に訪れた自宅 ( トタン屋根のつぎ目から空が見えた ) は、「立派な二階建てに変わっていた」。苦難の記憶は消せないとしてもヘンソンさんが自分の苦難をせめて家族への贈り物に変えて残したことを知り、私はホッとした。

国土が戦場となったフィリピンには女性の被害を始め数々の悲惨事があった。韓国のケースと異なり被害者としての彼女らの主張はほぼそのまま信じてよかろう。日本政府の支出金は「女性基金」の支援事業の半ばを占めており、支援団体の主張は事実に反するが、それを措くとしても、被害者救済よりも自らの主張を通すことを優先する「支援団体」はその名に値するのだろうか。私には独善のかたまりとしか映らない。

2016年1月26日火曜日

優勝力士の出身国強調

初場所での琴奨菊の優勝をほとんどのメディアは十年ぶりの日本出身力士の優勝と報じた。日本人ゆえの「快挙」扱いは扱いの大きさにも明らかだった。それに対し『朝日』の投書欄に「『日本出身力士』の強調はおかしい」との意見が載り、『東京新聞』には問題視する記事も載った。「その間に優勝した力士たちの努力や栄誉への敬意を欠く」、「出身国がどこであれ、幕内最高優勝という栄誉の価値は変わらないはず」など投書の内容は始めから終わりまで100%正しい。私自身、体重別のクラス分けのない相撲で、日馬富士や鶴竜ら軽量力士を常に応援してきた。

それでも私も十年ぶりの日本出身力士の優勝を喜んでいることは否定しない。それには五回の大関陥落の危機 ( 私は大関として不名誉極まるとさえ考えていた ) を努力で乗り越えての優勝という意外性や優勝後の琴奨菊の幸せそのものの笑顔も与って力あったが、何と言っても十年60場所の日本出身力士の空白に終止符を打ったことが大きいと認めざるを得ない。やくみつるが理由として白鵬らの賛成し難い所作 ( 『東京新聞』)を挙げていたのにも同感する。

理屈では『朝日』の投書子の絶対的正しさを認めながら十年ぶりの日本出身力士の優勝を喜ぶのは矛盾ではあるが、人間性は理想主義者の考える通りではないということだろう ( 開き直り?)。移民問題も同じこと。ハーフ生まれの人に子どもの頃いじめられた経験を持つ人が少なくないと聞くのは、子どもは本性のままに行動するからである。差異を超えるのは教育の結果なのである。しかし、危機 ( テロの場合も、外国人力士の優勝独占の場合も!)に際会すると、抑えられていた本性が頭をもたげる。それを計算に入れて制度設計はなさるべきなのである。それでも問題提起した投書の意義は認めるべきだろう。


2016年1月25日月曜日

スコットランド紀行または英国の物価

民放テレビの「地球バス旅行」のスコットランド編 ( 1月21日放映 )を録画で見た。最初は定番の古都エジンバラとその周辺、ついで北上してピトロッホリーのウィスキー醸造所、最後にさらに北上してネス湖訪問だった。エジンバラは私自身二度訪れている上にテレビの旅番組でたびたび紹介されているのでそれ程興味をそそられなかったし、ピトロッホリーの漱石も訪れたという醸造所 ( 当時は知人宅 ) もアルコール愛好者でもない私には興味津々とまではいかなかった。

ネス湖訪問は過去一回半?ある。最初は1966年で、ネス湖の直前のフォートウィリアムまで行ったが、ネス湖まで足を伸ばしてもどうせネッシーに会えるわけではなし ( 秋の学年始め直前でもあった )と断念した。ところが帰国後二度三度ネス湖とネッシーのことが紹介されるテレビ番組を見たら惜しいことをしたとの思いに駆られ!、二十年ほどのちにやっと訪問した。といってもやはりネッシーは現れなかったが、代わりに?若い日本人女性二人組が現れ、インバーネスまで同乗させてくれないかと頼まれた。しかし既に四人乗車だったので断った。二人はそれでは湖畔の宿を探すとのことで別れたが、夕方近くなのにその元気に感心 ( 寒心?) させられた。

今回のテレビ番組を見たら物価が日本よりもかなり高いと感じた。1ポンドが千円だった1960年代の英国は鉄道運賃を始めとする物価の高さが印象的だったが、その30年後は物価はむしろ日本より安くなっていた。その後EU加盟や好景気もあり、再び物価が上昇したようだ。しかしその好景気は金融業や不動産業などが中心で、街を走る車は外国車 ( 製造地は英国も少なくないが ) ばかり。多くの英国車のブランドが消滅するか、外国資本に買収されている ( インド資本にも!)。英国が「世界の工場」など遠い昔であることはもちろんだが、物づくりを怠って良いのか、他人事ながら心配である。

2016年1月22日金曜日

震災復旧談合の評価

東北地方の高速道路の震災復旧に関して舗装業者12社の間で談合が行われたという。新聞各社の社説は一斉に談合の非を糾弾している (『朝日』の「被災者への背信行為だ」、『毎日』の「被災地への背信行為だ」) 。

国民の税金を使った工事に談合があってはならないことは今回に限らない。しかしその内容を紙面で判断する限り不合理とも言い切れないと感じた。

あの年、4月中ごろ東北道を利用したが、ところどころ路面は波打っており、そこでは速度制限による渋滞が発生していた。当時は少しでも早く東北を復興させることが要請されており、大動脈である高速道路の早期修復は不可欠だった。報道によると工事各社はそれぞれ自社に最も近い区間を落札している。復旧を急ぐ当時としてはそれは合理的であり、ましてアスファルトは一時間半以内に現場に運ばなければならないとすれば必要でもあったろう。アスファルトや人件費の高騰も十分予想されていたろう。東北復興のために国民に特別税が課されたように、政府は東北を特区と決め談合を許可してもよかったろう。

数年前? 薬品 ( 芳香剤?) に禁止成分が含まれていたとして製造会社が罰せられると聞いた。しかしその成分は多くの国では使用禁止されてはいなかった。私には単に我が国の役所が是正に怠慢だったと思えた。

私は読んでいないが、SF作家の星新一に父を題材にした小説『人民は弱し  官吏は強し』(1967年)がある。星製薬の創立者である父は、政治家やライバル社と組んだ役所の卑劣な妨害の的になったという。肉親の語るところがそのまま事実とは無論即断出来ないし、現代に大正時代のような不条理は考えられないだろうが、官庁の「無為無策」が「犯罪」を誘発することがないよう用心が肝要である。

2016年1月20日水曜日

バス転落事故の原因は?

バス転落事故でまた一人犠牲者が増え、計15名となった ( まだ増えるかも )。二人の運転手以外はすべて前途ある二十歳前後の若者たちだった。本人や家族や友人の無念は如何許りか。今回の事故責任の重大さに圧倒される思いである。

事故原因はまだ十分には解明されていないが、旅行会社とバス会社に大きな責任があることは間違いなかろう。前者の場合、バス料金を値切れば安全面で手を抜かれる可能性 ( むしろ蓋然性 ) は予想できたろうし、バス会社は大型車の運転経験が乏しい人間を起用したことが直接の事故原因だったと見られる。

まだ車体整備の不備なども調査する必要はあるが、予定された高速道を利用していれば事故はほとんどあり得なかった ( カーブの多さや厳しさは高速道と碓氷バイパスとはまったく違う ) 。私は当初てっきりバス会社か運転手が高速料金を節約するために一般道を選んだと予想した。その可能性も無論あるが、どこかのテレビで同じバス会社の同僚運転手が匿名で、助言者役だったもう一人の運転手 ( 亡くなった ) が新人に習熟させるため一般道を選ばせたのだろうと語っていた。大型車の訓練を二回しかしていなかったということならそれも考えられるが、40人を乗せて習熟訓練をしたのなら暴挙という他ない。

最近の観光バスはおしなべて車高が高くなった。見晴らしを良くするためか荷物室創出のためかは分からないが、以前より車体が不安定になったことは間違いない。昨19日にも福井で強風によりバスが横転したが、昔は聞いたことのない種類の事故である。経済性のためのむやみな車体軽量化とともに大事故原因の一つになっている可能性はある。

運輸当局による業界の監視強化も対策の一つだろうが、そのための公務員のむやみな増員も望ましくない。当面は一方での事故会社への厳罰化と、他方での乗客のベルト着用による自衛しか対策は思い浮かばない。

2016年1月18日月曜日

台湾の政権交替

台湾の総統に蔡英文女史が選ばれた。すでにアジアでは、女性を過去に最高指導者に選んだ国は韓国、フィリピン、インドネシア、インドなど少なくないが、親や近親者がすでに同じ地位に就いていた人が多く、純粋に個人の力量で選ばれたのは今度が最初ではないか。

国民党候補が大差で敗れたのはメディアも指摘しているように住民の間の台湾人意識の成長が大きかったのだろう。私は馬英九現総統が失政というほどのことをしたとは思わない。中国本土との経済関係の強化は台湾経済にとってマイナスではなかったと思う。馬政権下で貧富の格差が拡大したとされるが、同じことはわが国についても言われており、馬氏の失政というよりも自由主義経済自体の問題だろう。

ただ、外省人出身の馬氏は台湾人意識の成長に対しもっと敏感であるべきだったとは言えそうだ。すでに民主的政権交替を実現していた台湾住民が少なくとも現在の中国への復帰はおろか接近さえ望まないとしても当然である。選挙前に香港の言論人や出版人数人が中国で抑留されたとの報道は台湾人の警戒心を高めたろう。香港の若者の「雨傘革命」は中国の圧力でしりすぼみになったが、台湾住民に「一国二制度」の実態を示した点で大きな功績があったと私は考えている。

今後、台湾には慎重さが望まれるが、蔡政権も本土との経済関係を悪化させるつもりは毛頭無いだろう。習政権は選挙結果を尊重し、台湾住民が「一国二制度」を信用できるよう努力する他ない。日本は台湾の平和的政権交替を高く評価しても民進党の勝利としてあからさまに歓迎するのは良くない。国民党候補を支持したものも住民の三分の一を占めたのである。

2016年1月16日土曜日

函館は悲しい町?



今朝の朝日新聞の付録beの連載「みちものがたり」は函館の観光スポット「八幡坂」と同地出身の早世 ( 自殺 ) した作家佐藤泰志の『海炭市叙景』を紹介している。私は原作もそれを有名にした映画 (  2010年 ) も目を通していないが、「不遇な作家が描いた『故郷』」との見出しや、「80年代後半、バブルの東京とは裏腹に疲弊していく地方都市を俯瞰する」との本文を目にすると、函館は現代日本の有数の観光地との明るい側面と同時に箱館戦争や石川啄木に続く悲しい側面の印象も併せ持つようだ。

私が最初に北海道を訪れた1970年代初め、最後の地函館には一泊しかしなかったので、五稜郭など立ち寄れなかった場所は多かったが、森昌子の歌でも知られる立待岬の入り口にある啄木一家の墓と、箱館戦争の旧幕軍の戦死者たちをまつる碧血碑には立ち寄った。当時は旧幕軍に参加した新撰組の残党や土方歳三も現在のようなブームには程遠かった。それでも碧血碑を訪ねたのは彼らを賊軍と切り捨てる官軍史観に反発したから。誇張して言えば函館は私には嘆きの地に思えた。さらに、啄木の「我泣きぬれて...........」や「函館の青柳町こそ悲しけれ.......」は私に函館を不遇と悲しみの町と印象付けた。

我が国の交通事故史上逸することのできない1964年の洞爺丸事件が起きたのも函館郊外の七重浜だった。乗客の米人宣教師が自分の救命具を他人の子供に与えて亡くなったエピソードは三浦綾子の『氷点』に出てくる ( たしか!)し、この事故を利用して北海道を脱出した犯罪者のの哀しい運命を描いた水上勉の『飢餓海峡』(と内田吐夢の同名の映画 ) も函館を語るとき忘れたくないエピソードである。

2016年1月14日木曜日

デビッド・ボウイて誰?

1966年のビートルズの来日公演はちょっとした事件だったらしい。らしいと言うのはその年私は英国に居たのでその後の伝聞だけだから。当時の英国では「イエローサブマリーン」がベストテンのトップを続けており、その曲はテレビで親しんでいた ( モンキーズというグループがライバルだった )。

新年早々デビッド・ボウイが亡くなり、メディアでその死は大きく報じられた。私も彼の名は知っていたが彼の曲は一つも知らない。彼だけではない。ローリングストーンズの曲も知らないし、その他のシャウト系??の曲も知らない。外国人だけでなく、日本人のその手の曲も知らない。

音楽の知識も素養もないことは自覚しているが、ビートルズの場合はメロディーの美しさが素人にも分かった。しかし最近の内外の音楽の中にはメロディーが有るのかさえ疑いたくなるものが少なくない ( ようだ )。それでも圧倒的人気を博しているのなら良しとすべきなのか。

NHKの紅白歌合戦をここ数年まともに見たことはない。それは私だけではあるまい。理由は明らかで、聴きたい音楽が世代ごとに違ってきたためだろう。NHKは「国民的行事」の建前を維持するため四苦八苦しているようだが、少なくとも私には踊りが歌の代わりにはならないし、その年の話題の人物を出演させても話題から離れて興味は持てない。

全国民が同一の歌に感動するなど気味が悪いとの意見もあろう。私も例えば国民が国歌に感動すべきとまでは思わない。しかし、せめて童謡や抒情歌ぐらいは最後の砦として?  世代を超えて愛されて欲しい。

2016年1月12日火曜日

廃止駅の哀歓

鉄道の廃止線のニュースは珍しくないが、今朝のNHKニュースに北海道の廃止駅、旭川と網走を結ぶ石北本線の小駅 ( 「旧白滝」駅?) の紹介があった。

かつては住民も少なくはなく、その要望に応えて駅が新設されたが、現在は一日4便しか停車せず、恒常的な利用客は通学の女子高生一人だけ。駅舎もバス停の小屋を大きくした程度。石北峠に近い雪深い駅の冬は近所の一組の夫婦がプラットフォームの除雪をしている ( 自らも通学生だった夫も近年は腰が痛くなると苦笑していた ) 。今春、女子高生が高校を卒業し都市の看護学校に入学するのをきっかけに駅が廃止されるという。

利用客が一人だったということは18軒?の住民も鉄道を利用しなかったということ。地方の人口減少とモータリゼーションの普及を考えれば廃止線や廃止駅の増加は止むを得ないのだろう。それでも大都市の鉄道や都市高速道路などの建設費や維持費の巨額さを聞くと、その何百分の一、何千分の一を地方線の維持に回せなかったのかと思わぬでもない。そのための税金なら負担して良いと考える都市住民も少なくないのでは?

わずかな救いは当の女子高生が自分の通学のため地域の人たち (  駅まで毎日軽トラで送り迎えした父親を含め ) が払ってくれた努力を理解していることだろう。その心を病人たちのために向ける看護師になってくれると信ずる。

PS    前々回、金正恩主席としたのは第一書記の誤り。

2016年1月10日日曜日

トリセツは詳細なら良いのか。

歳末に古い車が去り、新しい車がやって来た。きっかけは12月中に車検の期限が来たからだが、いろいろな点で進化した低公害低燃費車が発売されたことも理由の一つだった。ところがその車は人気を呼び、5ヶ月は待たなければならないという。それは仕方のない事だが、車は変わっても10余年間担当者だったセールスマンの態度が今回心なしか強気になっていたのが面白くなく、デザイン優先でもう一つの候補車を選んだ。

ところが、買い替えの書類の数が特に増えた訳では無さそうなのに手続きの面倒さは想像以上だった ( と言っても実務はセールスマンが主として当たったのに ) 。要するに当方が怠惰になったということらしく、これでは今度の車が「終の車」になることは間違いなさそうだ。

ということで手続きは完了したが、新車の取り扱い説明書 ( トリセツ )の大部なのに閉口した ( ろくに読んでいないが ) 。それなのに10日も過ぎて保険会社から「ご契約のしおり」なるものが送られて来た。それが小活字のA4版192頁で250グラムある ( これをしおりと呼べるのか!?)。全く読む気になれない。面倒なことを避けるため保険に入るのに。

このごろの工業製品はどれもトリセツが大袈裟になったが、保険よ お前もか!  問題が起こった時の責任追及を逃れるためなのだろうが、約款は小活字が多いようだ。読まれないための工夫でもないだろうが............。

2016年1月7日木曜日

北朝鮮の深い闇

正月早々北朝鮮が自称「水爆実験」をした。同国の暴走ぶりは今更驚くことではないのでメディアの相変わらずの騒ぎぶりにはついて行けない思いがあるが、事態の深刻さは否定できないから厄介である。

北朝鮮が核実験を決行した理由は未だ推測の部分もあるが、国内的には党大会をひかえて金正恩主席の威信を高めること、対外的には米国を交渉に引きずり込むこと ( 最近の米国は欧州や中東に関心を奪われているので ) にあったのだろう。何しろ民主主義国家と違って失脚は死に直結する可能性が高いとあれば、他国の反応に気を使う余裕などないだろう。

一党独裁の国は北朝鮮以外にも数多いが、文明国 ( 教育がゆきわたっているという意味で ) で同国ほど常軌を逸した独裁国は稀だろう。これと比較すれば戦前戦中の日本の独裁などたかが知れたものだった。当時の民間右翼や一部軍人によるテロ ( その重要性は軽視しないが )を除けば、昨日まで壇上に立っていた政府要人が翌日には政権により銃殺というほどの酷さではなかった。もはや狂態という他ない。

金正恩氏が主席に就任したとき私は彼に対して期待しそれを本ブログに書いた。青少年期をスイスで過ごした人間が自国の異常さを知らない筈は無く、何とかしたいと思うのではと考えた。しかし北朝鮮は変わらなかった。今でさえ私は同国の変化に完全に絶望してはいない。文字どうり「一縷の望み」であることは承知しているが。

ナポレオンはオーストリアの宰相メッテルニヒに隣国への自らの相次ぐ戦争を「フランス国民は常に私に勝利を期待するからだ」と弁解したという。身勝手な弁解だが全くの嘘ではないだろう。生まれながらの君主ではないかれには自分の地位への不安は抜き難くあったのだろう。フセインにもカダフィにもアサドにも金正恩にも。