2015年9月30日水曜日

シリア問題の解決には

シリア難民のヨーロッパへの流入は相変わらず続いており、EU諸国は人道的配慮と現実的負担のジレンマで苦悩している。独仏を中心に、このジレンマを断つためにはシリアと周辺国の安定が最優先だとの認識は共有されつつあり、ヨルダン、レバノンなどのシリア人難民への物質的支援だけでなくISへの空爆まで開始されている。

難民は移住目標地とされる国々にとっても大問題だが、比較的豊かで教育水準の高い国民の大量国外移住はシリア国家の将来にとっても由々しい問題であることを忘れてはならない。欧州諸国 ( 我が国も ) が周辺諸国への経済的支援を決めたのは正しい措置だが、シリア国内の内戦状態を終わらせるためにはそれだけでは十分ではない。

それなのに米国とロシアがアサド政権をめぐって反対の主張をしているのは歯がゆい限りである。政治がより小さな悪の選択であるならば、極悪のISを負かすため悪のアサド政権を助けるのは止むを得ない (  かつてヒトラーを打倒するためスターリンと同盟したのではなかったか ) 。米国は穏健反体制派に肩入れしてきたが、五千人の部隊の育成をめざしたのに現在の実績は4~5人と米国も認めた。いまさらアサドの独裁をあげつらうことには何の意味もない。

自国の民主主義理解を尺度に他国を断罪することは誤りであることを米国は未だに学んでいないようだ。ロシアのアサド政権支持には当然複雑な思惑があるだろうが、スペインを含む1300年前の旧領の回復を旗印にするISを抑えるためにはロシアと協力出来ないはずはない。すでにEU大国はそれを認め始めている。米国は教科書的民主主義観にこだわっている時ではない。

PS. 前回、慰安婦問題で「儒教的??価値観」としたのは「家父長 (制)的価値観」が正しい。原作の用語がすぐに思い出せもなかった。事実としてもタイの同様の例を儒教的とは言えない。

2015年9月25日金曜日

韓国の「反日」教育

一昨日の新聞に韓国政府が小中高校で「慰安婦問題」を教える各20ページの教材を作ったと報道されている。昨日はサンフランシスコ市議会が慰安婦の記念碑設置の決議案を全会一致で可決したと報じられている。後者に関する『朝日』の記事が最も小さいのは大きな問題にしたくないとの配慮なのか (  それは理解できないではない ) 、それとも他紙に一日先を越されたので扱いを小さくしたのかは分からない。

サンフランシスコ市議会の件はむろん韓国系や中国系の市民団体の働きかけの結果だが、市議たちはカリフォルニア州での排日移民法 ( 全土での同種の立法のさきがけとなった ) の成立を米国のレイシズムの先駆と記す記念碑が日本に建てられたらと想像する能力がないのだろうか。そんな昔のことをと言うなかれ。慰安婦問題とはわずか20年の違いに過ぎない。

自国でどんな教育をするかは基本的にはその国の自由だろう。しかしそれが賢明な教育でなければ両国関係の将来は暗い。いま韓国で事実上発禁となり同国の検察が起訴するか検討中と聞く朴裕河世宗大学教授の『帝国の慰安婦』( 邦訳は朝日新聞出版。2014年) は韓国政府の公式見解と、それを促した挺対協 (韓国挺身隊問題対策協議会 )の主張をつぶさに批判している。

朴教授が一貫して主張するのは、日本軍の期待や要請に応えてとはいえ慰安婦募集の実行者は業者とそれに同意した親である事実である。われわれ日本人は業者の大半は韓国人だろうと判断しても確かな数字がないのでなかなか指摘できないが、朴教授は韓国人であることを当然視している。そして悲劇の大きな原因が、子ども特に女子が家のために犠牲になること (たとえ売春婦でも )を不当と思わない当時の儒教的??道徳観であると見る。私もそう思う。昭和初期の東北農村の子女の身売りも無論貧窮が主因とはいえ、やはり同じ心性が働いていた筈である。

また、挺対協の影響下にソウルに建てられ今回サンフランシスコにも建てられる慰安婦像はいたいけな少女像だが、朴教授は現実の慰安婦とはかけ離れていると指摘し、日韓両国の運動団体の主張のあり方を批判する。

彼女の主張に賛成するか反対するかは各人の判断による。しかし、もし韓国の検察が彼女を起訴したら、司法に関する限り現在の韓国は天皇機関説事件や滝川事件や森戸事件を輩出した戦前日本と同じ段階にあると世界に宣明することとなろう。

2015年9月23日水曜日

フォルクスワーゲン社に制裁金?

フォルクスワーゲン社が排ガス規制を免れるため自社のディーゼルエンジンに不正なソフトウェアを組み込んで居たという。すでに会長が陳謝しているので事実なのだろう。車体検査の時だけきれいな排ガスを出すとはどんなソフトなのか想像もつかないが ( すごい技術と感心してしまう! ) 、該当車が1100万台で会社は特別損失として8700億円を計上した。もし米国がさらに制裁金を課せば2兆1000億円という巨額になるという。今年度は販売数世界一と予想され絶好調だったので経営が傾くといった心配はないだろうが、会社には大打撃ではある。

私はフォルクスワーゲン社の車は旧ビートルを二回 ( 二回目はメキシコ製かブラジル製で、私の車歴で唯一の左ハンドル車 ) と初代ゴルフを所有した事がある 。前者は何しろ構造が簡単なので故障もなくお気に入りだった ( まともなクーラーがあったら今でも所有?)が、ゴルフはディーゼルエンジンの燃料噴射装置が数回故障して高速道で黒煙をあげて猛然と走りだし、ゾッとしたことがあった (何しろ偶に起こるので販売店では原因不明で、そのまま )。

工業製品に故障はつきもの。タカタ社の場合1000万台余りのうち二桁程度の事故は仕方が無いとも思うが、死傷した当事者になればそうも言っていられない。しかし個別に十分な補償をするのは当然だが、米国政府が別に巨額の制裁金を課すのは分かったようでよく分からない ( 隠した場合は別 )。不満のある外国に対し米国がしばしば在米資産の凍結を課すのは企業への制裁金とは性格が異なるのだろうが、どちらも自国の制度を世界に適用させようとするようであまり気持ちの良いものではない。TPPも同様の恐れがあるようで、やはり国際的司法制度を強化するのが本筋だろう。

2015年9月22日火曜日

竹田恒泰『アメリカの戦争責任』

PHP新書で出版間もない上記の竹田本?を読んだのは元左翼の旧友が一読を勧める葉書をくれたから ( え、何故 )。これまで著者 ( 明治天皇の玄孫 ) の発言から皇室評論家?と思っていた。

本書の題名はややミスリーディングであり、扱われているのは米国の原爆投下の責任だけ。言うまでもなく投下理由についてはこれまでも内外の研究は数多くなされ、本書もそれらを参照しながら書かれている。日本の降伏への動きも察知されていたあの時期に内部の慎重論を抑えて敢えて原爆が投下されたのは、トルーマン大統領 ( とバーンズ国務長官 ) が対ソ関係を見すえてソ連の参戦前にぜひ投下したかったとの結論は納得のゆくものである。無論それ以外にも従来から指摘されて来たように、日本本土決戦での米軍の犠牲者を減らすため、巨費を投じた開発費用を国民に対し正当化するため、戦時の敵国憎悪の空気など、それぞれが一定の役割を果たしただろう。

しかし竹田氏は、「日本は核兵器使用による唯一の被爆国として、アメリカのとった行動について批判する歴史的な責任がある」と主張するが、それが果たして賢明だろうか?  確かに原爆投下は軍事目標に攻撃対象を限定する交戦法規に違反していたし、アラブの人たちから「日本人は何でアメリカに怒らないのか」と言われるとも聞く。しかし規模こそ大きく違うが日本も重慶や広東に無差別爆撃 ( area bombing ) をおこなっている。相手が日本人だから投下したとの人種差別説も根拠無しとは言わないが、ドレスデンやハンブルクへの爆撃など東京空襲に匹敵する規模の空襲をドイツに加えているので、いまひとつ説得力に欠ける。

私はむしろリーヒ大統領付参謀長やアイゼンハワー将軍など当時の米国要人中にも原爆投下を非とした人たちがいた事実を重視したい。原爆投下を正当化する教科書にもかかわらず米国民でも若い人たちでは非とする率が高まっていると聞く。日本が唯一の被爆国であることは厳然たる事実だが、「八紘一宇」、「日本は神国」と教えられた私は日本が唯一の国であるとの論には、たとえ正しい場合でも生理的に!違和感先立ってしまう。

2015年9月20日日曜日

浅田次郎氏に失望

作家で日本ペンクラブ会長の浅田次郎氏が、「民主主義を、おざなりな多数決に堕落させ、戦後の日本社会が培ってきた平和主義、世界中の人々の信頼を壊した」とのクラブ声明を出したという。がっかりである。

民主制の下での多数決への批判は珍しくない。しかし公民教科書的な民主主義理解はときに人を誤らせる。人間は誰でも自分の意見が正しいと思っている。しかし他人もそう思っている以上、そして剣による解決が許されない以上、便宜的でも多数決による解決によるしかない。

むろん何事にも例外はある。ナチスは選挙により、つまり多数決により政権に着き暴政を行なった。しかし彼らは議会制民主主義を手段として利用しただけで、その尊重を約束してはいなかった。戦後の西独の基本法 ( 憲法 ) が全体主義政党を禁止したのはそのためである。浅田氏も自民党が全体主義政党だとはまさか主張しないと信ずる。

「英国の議会は男を女に、女を男にする以外は何でもできる」と言われる。むろん諺の類いには常に誇張があるし、英国は成文憲法を持たないという事情はあるが、議員は選挙民の代表ではあるが代理ではない。特別に国民投票を行う場合以外は不確かな「世論」などにわずらはされず自からの識見を優先すべきなのは当然である。

報道で知る限り浅田声明とは逆に、中国と韓国は除きアジア諸国の反応は好意的である。ベトナムやフィリピンは当然だが台湾、インドネシア、オーストラリアなど日本の安全保障政策の強化を歓迎しているし、他の諸国も中国の反応を気にしつつも批判していない。アジアのどの国も中国の一強支配を歓迎するはずがない。この問題で他国の評価が目に入らないのは片手落ちではなかろうか。私には「世界中の人々の信頼を壊した」とはとても思えない。

2015年9月18日金曜日

旧態依然の国会?

参議院の特別委員会の審議?を全部ではないがテレビで見た。第一印象は既視感であり、国会では未だにこんな事をしているのかとの失望だった。

外国の議会でも一定の議事妨害 ( フィリバスター ) は認められている。ただし演壇での長広舌もかならず立ってしなければならないとか、途中は手洗いにも行ってはならぬとかおのずと制限はかかるということだ。しかし委員長の出入室を物理的に阻止することが許されるとは少なくとも先進国ではあまり聞かない。「強行採決」との批判は第一原因である実力阻止に目をつぶっている。法案への反対に理があるからと言って言論の府でどんな手段も許されるものではなかろう。次の選挙で国民の審判を仰ぎ法律を改めるのが正道だろう。

もっとも今朝の『毎日』によると事態は単純ではないようだ。野党側も16日中の採決は覚悟しており、鴻池委員長には当日出入室が可能な時もあったとのこと。鴻池氏が自から動かなかったのは野党に対して「いい子」ぶって見せたかったのか、政権中枢の後輩たちへの長老のひがみだったのか。正当な不満があるなら委員長を辞任すべきである。

雨中の院外のデモ参加者の熱意はむろん立派である。しかし一般市民の多い今回のデモを持ち上げるあまり1960年の安保反対デモが労組などの組織的動員が主だったとの指摘がメディアに散見されたのは全くいただけない。私自身は就職一年目で多忙だった上に新安保条約批判に同意できなかったのでデモに参加しなかったが、友人たちは多く参加していた。むろん学生組織はデモ参加を呼びかけていただろうが、学生たちが完全に自由意志で参加したことは疑いない。現在の記者たちの無知?を正す年長者はいないのだろうか。

2015年9月11日金曜日

唐僧鑑真と歴史学

唐の盛時、来日して戒律をもたらした鑑真とその弟子たちをNHKテレビの「歴史秘話ヒストリア」が取りあげ、一昨日放映した (再映?)。この鑑真渡来は1957年に井上靖により『天平の甍』として小説化された。たいへん話題を呼び映画化もされた。見たかどうか私の記憶は曖昧だが、前進座の芝居は感動して見た (むろん原作も )。当時は「日中友好」が両国で喧伝された時期であり、井上靖と彼が参考にした『鑑真大和上伝之研究』の著者安藤更生早大教授の二人は中国に招かれ破格の厚遇を受けた。

それから何年も経ったのち松本清張が月刊『文芸春秋』で、6回目に渡日に成功するまでの鑑真の苦難の物語に疑問を呈した。清張によると従来の鑑真像は師とともに来日した彼の弟子たちが師の没後著した『唐大和上東征伝』に基づいているが、晩年の鑑真が朝廷からむしろ冷遇されたことに不満な弟子たちが師の偉大さと苦難を誇張した物語であったとした (5回の渡日失敗も疑問!)。その根拠として清張は、唐代の高僧を列挙した記録に鑑真の名はなく、伝えられるような ( 玄宗皇帝が渡日に反対したといった ) 高僧とは言えないとする。

素人の私には『天平の甍』に描かれた感動的な鑑真像と清張の主張のいずれが真実なのか判定できない。しかし、清張の主張は一応の史料批判の結果であり、否定もできない。

清張が訪中したとき中国人ガイドが1人ついただけで、中国側の井上靖への厚遇とは雲泥の差だった。作家として井上に劣ると思わない清張がこの待遇差 (中国のご都合主義 ) に立腹したことと鑑真への低評価は無関係ではあるまい ( 私の史料批判??)。

仮に『天平の甍』の鑑真像がそのままには受け取れないとしても、彼を日本に招くために十数年を費やした普照と栄叡ら留学僧たちの姿は充分感動的であり、『天平の甍』が名作であることには変わりはない。

2015年9月10日木曜日

EU諸国と難民受け入れ

ヨーロッパが難民や移民の大波を受けて苦悩している。EU諸国間で取りあえず国別の受け入れ数を決定したが、すでに中東欧のハンガリー、チェコ、ルーマニアなどは受け入れを拒否したし、EU非加盟国に決定を押し付けることは出来ない。

独仏ら難民受け入れに肯定的な国でも国民の反応は一様ではあるまい。今回の中東系特にシリアからの難民の場合、教育水準も比較的高く経済力もある人たちが多く自国の将来に見切りをつけた面が強いので、難民とも移民とも割り切れない。そうであれば受け入れ側の国民の反応が厳しくなる可能性はある。労働力として受け入れに余裕があるドイツでも以前から難民収容施設への放火が頻発していたのだから。一介の旅行者だった私でもドイツはドイツらしくフランスはフランスらしくあって欲しいと願う気持ちがどこかにある。

とはいえ、戦火を避けたいのは人間として当然であるし、より良い生活を求めることも批判はできない。私はオーストラリアや南米諸国など、かつての移民が主体の国が中心となって受け入れ国になって欲しい (すでにブラジルが手を上げている )。これらの国は人口に比して概して国土は広い。我が国もこれまでの難民受け入れ数は少な過ぎ、もっと門戸を広げるべきだが、中東やアフリカとの過去からのつながり (植民地支配など ) に乏しく、多数の難民の受け入れは難しい。彼ら自身も欧米語を身に付けられる国を希望するだろう。

前にこのブログでも言及したが、たとえ指導者が人道的配慮を重視しても (それも字句通りに受け取れるかは分からない )、国民が逆の態度を示すことは多いにあり得る。すでに中東の豊かな産油国が難民に門戸を閉ざしていることへの不満は新聞に散見される。リンカーンが言ったように、「だれもが抱いている感情というものは、正しくとも正しくなくても、無視してはならないのである」(本間長世 『リンカーン』)。


2015年9月6日日曜日

「私の好きな司馬遼太郎作品」

昨日の土曜付録紙beに表記の記事が載っている。上位10点のうち5点、上位20点のうち9点は読んでいる ( ただし記憶違いも )。むろん20位以外にも読んでいるものはある。他人より多いのか少ないのかは分からないが、仮に多い方だとしても新聞連載で読んだものが少なくなく、自発的選択ばかりではない。

記事では龍馬、大村益次郎、河井継之助のように「歴史の主流から離れた人物」で司馬により広く知られるようになったケースが少なくないと指摘している。確かに「坂の上の雲」の秋山兄弟もその例外ではなく、子規との近しい関係が読者の興味を高めた点はあろう。

新聞の連載で読んだ中で「胡蝶の夢」が20位以内にないのは残念である。この作品はオランダ人医師ポンペと蘭学を学ぶ彼の弟子たちの物語であり、彼等への賛歌でもあるが、終盤は弟子の一人関寛斎の足跡を追っている。寛斎は徳島藩の藩医で戊辰戦争に官軍の軍医として従軍した。そのまま官途に留まっていたら相当の地位につけたろうが、その後徳島で町医者となった。ところが老年になって北海道開拓を志し道東の陸別 ( 日本一寒い町として有名!) に親子で農場を開いた。だが、しだいに「米国式に富む」(徳富健次郎 『みみずのたはこと』より)ことを目指す子と寛斎との溝は深まり、寛斎は自死した。老いた自分にはもう出来ることは何もないと判断したのだろう。

小説の最後は司馬が陸別の関神社を訪ねるところで終わるが、この場面ほど感動的なフィナーレの小説はそうは無いだろう。私も道東旅行の途次関神社に立ち寄ったが、もはや神社というほどのものはなかったと記憶する。しかしその後、関寛斎資料館が町に建てられたようなので遺品が展示されているだろう。

2015年9月5日土曜日

文理佐藤学園の示すもの

埼玉県の文理佐藤学園の学園長を務める女性が何度も繰り返した海外出張で、ラスベガスのカジノを含む観光地めぐりに1500万円を浪費し辞職に追い込まれた。創業者の娘が親の威光を利用して勝手な振る舞いに及んだ点で韓国の「ナッツ姫」と好一対と言える。

その学園というのがエリート教育を方針に掲げ、「英語のシャワー」を売り物のひとつにして生徒募集に励んでいた。写真を見ると校舎も煉瓦造りで、これが日本の学校かといった雰囲気を漂わせている。そのあたりも保護者たちの心をくすぐったのだろう。

これまで世間で早期の英語教育導入が論じられるたび、言語学者らを中心に反対論( 先ず自国語を!)が唱えられた。しかし保護者たちは「専門家」の言を信用せず、英語の早期教育を売り物にする私立一貫校に競って子どもを入学させた。文理佐藤学園は絵に描いたようなその実例だろう。父兄は足で投票したのである。

半世紀前、東京圏で同様なことが起こった。当時、東大合格者数ベストテンの常連校は日比谷高校を先頭に都立高 ( 国立付属も ) で、私学は3校程度だったが、当時の小尾都教育長は都立高校間の格差拡大を懸念して「学校群制度」を作った。その意図は立派だったが、結果として現在の私立一貫校の圧倒的優位を招いた。ここでも父兄は足で投票したのである。

結果として学校群制度は私立高全盛を招き、父兄の教育費負担の増加をもたらしたのでは? 良き意図が良き結果を生むとは限らないのがこの世の現実である。

2015年9月2日水曜日

盗作とは?

偶然か、今朝の『朝日』の「天声人語」と『読売』の「編集手帳」が俳句の盗作問題を取りあげている。前者の場合、作家の車谷長吉の「無意識の記憶」との弁明 (したがって否定ではない ) は十分納得できる。後者の、中村草田男の有名な「降る雪や明治は遠くなりにけり」に先立つ志賀芥子の「獺祭忌 (正岡子規の忌日のこと ) 明治は遠くなりにけり」も同じなのだろう。何しろ17文字という制約では似る可能性はある。子規の名句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」以前に親友の漱石のそっくりの句があるそうだが、同じ題材でこういう作り方もあるぞとの意識的競作なのかも。むろん両人の友情に変わりはなかった。

東京五輪のエンブレム問題は作者の取り下げで一応の決着となった。素人の私には何とも言えないが、デザインの世界の盗作か独創かの判定は実に微妙だと感じた。以前に昭和歌謡曲の巨人の子息の作曲が盗作かと話題になったことがあるが、その後沙汰止みとなった。私など毎年毎年あれだけの数の曲が誕生して似た曲が少ないことが奇蹟のように思える。

30年ぐらい前、ある歴史学者の著書が盗作ではないかと報じられた。テレビで本人の写真まで紹介され、本人が勤務先に進退伺いを出したが受理されなかったと聞く。実は参考文献として先著が巻末で真っ先に挙げられていたのだが、引用符 (「           」)なしで地の文にかなり利用されていたのが前著の著者には納得できなかったようだ。注記のできない新書タイプなので厳しすぎるとも思えるが、後者が旧帝大の教授 ( もう私大に移っていたが ) で前著者が地方国立大の教授だったのも両者の関係を感情的にさせたのかも??     

東京五輪にケチがついたと言いたげな報道もあるが、現状では治安問題を含めて東京が最も安全安心できる都市であることは変わらない。諸外国の期待を裏切ることはないと信ずる。