1975年の南ベトナム「解放」後、解放戦線は急速に表舞台から姿を消し、戦争の真の目的は「民族統一」ではなく北ベトナムによる南の「社会主義化」だったことが明らかとなった。そしてそれに同調出来ない多数の南ベトナム人が「ボートピープル」となって南シナ海を漂流した。旧ベ平連の幹部たちはそうした事態に何の反応も示さなかった。組織としては解散していただろうが、個人としてでも反対を表明すればその知名度から新聞はともかく、事あれかしの週刊誌がほって置かなかっただろう。
中国の南シナ海進出に対してベトナムが米国とともに反対している。ベトナム戦争当時とは対立の構図は正反対となった。たまたま両国の利害が一致したこともあろうが、それだけではあるまい。統一後のベトナム政権は嘗てあれほど血を流して闘った米国ともフランスともその過去をことさらに問題化しない。よほど誇りの高い民族なのだろう。他人事ではなく日本も第二次大戦中のベトナム占領時代、米の大生産国の同国で大飢饉で多数の (百万人以上とも聞いた )住民の死者を出したが、同国が日本の責任を追求して非難したとは聞かない。
私は中国に対抗して我が国がベトナムと手を組むべしとは思わないが、同国への敬意は人並み以上に持っている。たとえ共産党の一党独裁の同国の現在の腐敗はかなりのものであり、「この国で、統一の時期や方法が正しかったのか、という議論がなされることはない」(中野亜里 大東文化大教授。『朝日』5月30日 )としても。