2015年5月31日日曜日

不思議な国ベトナム

ベトナム戦争当時、「ベトナムに平和を!  市民連合 」(通称 ベ平連 )を作家の小田実らと結成し事務局長をつとめた吉川勇一氏が亡くなった。当時米国に支援された南ベトナム政権と闘う「南ベトナム解放戦線」を支持する声はわが国でも広汎だった。とくに米空軍による「北爆」に対しては日本でも多くの団体が反対声明を出した。私も創立メンバーの一人 (名目的だが )だった小団体も反対声明を出すことになったが、私は署名を断った。解放戦線の実体に疑問を禁じ得なかったからである。

1975年の南ベトナム「解放」後、解放戦線は急速に表舞台から姿を消し、戦争の真の目的は「民族統一」ではなく北ベトナムによる南の「社会主義化」だったことが明らかとなった。そしてそれに同調出来ない多数の南ベトナム人が「ボートピープル」となって南シナ海を漂流した。旧ベ平連の幹部たちはそうした事態に何の反応も示さなかった。組織としては解散していただろうが、個人としてでも反対を表明すればその知名度から新聞はともかく、事あれかしの週刊誌がほって置かなかっただろう。

中国の南シナ海進出に対してベトナムが米国とともに反対している。ベトナム戦争当時とは対立の構図は正反対となった。たまたま両国の利害が一致したこともあろうが、それだけではあるまい。統一後のベトナム政権は嘗てあれほど血を流して闘った米国ともフランスともその過去をことさらに問題化しない。よほど誇りの高い民族なのだろう。他人事ではなく日本も第二次大戦中のベトナム占領時代、米の大生産国の同国で大飢饉で多数の (百万人以上とも聞いた )住民の死者を出したが、同国が日本の責任を追求して非難したとは聞かない。

私は中国に対抗して我が国がベトナムと手を組むべしとは思わないが、同国への敬意は人並み以上に持っている。たとえ共産党の一党独裁の同国の現在の腐敗はかなりのものであり、「この国で、統一の時期や方法が正しかったのか、という議論がなされることはない」(中野亜里  大東文化大教授。『朝日』5月30日 )としても。

2015年5月25日月曜日

日本人好みの幕末の人物

朝日新聞の土曜特別ページbeの今回のランキングは「あなたの好きな幕末の人物」20人だった。

1位はやはり坂本龍馬だったが断トツではなかった。多士済々の時期だから止むを得ない。近年、龍馬は薩摩藩が利用した使い走り役だったとの説があった。全くの誤りではないのだろうが、藩の後ろ盾を持たない浪人として影響力に限度があったろうし、薩長同盟の誓詞に裏書きをしているなら矢張り大活躍したとするべきだろう。
2位の勝海舟は私には多少意外だった。幕末の貴重な人材だったことは疑いないが。江戸っ子らしい洒脱さも人気の理由かもしれない。
3位は西郷隆盛で、同志だった大久保利通の17位とは功績からすれば不釣り合いだが、人気とはそういうものなのか。二人とも使命のためには自分の生命など意に介さなかったのは立派であり、大久保は死後は借金しかなかったほど清廉だったという。しかし私は両者は他人の生命も意に介していなかったとの印象を禁じ得ない。4位の高杉晋作は痛快といえばこれほど痛快に短い人生を燃焼させた人も稀だろう。人気があるのも頷ける。ただ、「長州人の狂気」の後世への影響はプラス面ばかりではないと感ずる。
佐幕派から新撰組の土方歳三と沖田総司がそれぞれ6位と8位とに選ばれているのは、生き方のカッコ良さが受けるのだろう。土方を演じた俳優は少なくないが、私にはテレビドラマ「燃えよ剣」で見た栗塚旭が土方役者としては最高だった。
土方と沖田に挟まれる7位に吉田松陰が入っているのはテレビの影響か。彼のテロ肯定には私などついていけないが。
女性が篤姫 (9位 )と皇女和宮 (20位 )しか選ばれていないのは男性優位の時代の反映なのか。それとも未だ活躍の掘り起こしが進んでいないためか。

全体として納得のゆく選定と感ずるが、島津斉彬 (13位 )はもっと上位にきて良い人物だろう。今の時代はテレビドラマの主人公に選ばれないとベストテンに入れないのか!  それとも演ずる役者が好かれなかったからか (確か高橋英樹が演じたことがあったが、彼も年齢が年齢だし.........)。

2015年5月23日土曜日

米国の干渉は御免である

今朝の新聞は米国が「プーチン氏訪日 (を )危惧」しているとして「日本の対露外交に不信感」との見出しをつけている。それに対し小見出しで菅官房長官がロシアとの「政治対話継続」に対し「米に理解を求める」とある。

実は一部の新聞 (「読売」と「日経」)に安倍首相訪米時のオバマ大統領との会談で首相がロシアとの外交交渉再開 (プーチンの訪日を含むだろう)の意向を明らかにし、大統領が「慎重さ」を求めたと報道されていた。今回、国務省の役人が相次いで圧力をかけてきたのである。不愉快である。

西側諸国では既にメルケル独首相がロシアの戦争終結70周年行事の翌日同国を訪問しているのに、日本は岸田外相も訪露していない。米国はドイツにも慎重さを求めただろうか。それともメルケルがそれを無視して訪露したのだろうか。ドイツは前大戦でロシアに多大な被害を与えたから訪露もかまわないと言うなら日本はロシアとの間で平和条約をまだ締結していない。わが国はプーチン訪日を早期に実現すべきである。

日米同盟は日本だけがその恩恵を受けているのではない。まして日露の友好は中国への牽制効果という点で米国の利益でもある。安倍首相は対米配慮のあまり対露交渉を断念すべきではない。

米国が日米同盟の利益を捨ててまで日米関係を悪化させる可能性は少ないと私は考えるが、何事にも干渉したがる国柄ゆえその可能性はある。しかし、「G7の結束」はすでにアジア投資銀行へのヨーロッパ諸国や韓国の加盟で破られている。その件で唯一米国と同一歩調をとってきた我が国が結束を求められても従う義務はない。我が国の自主性を守るためなら尖閣列島を中国に奪われる危険を冒すのも、防衛費のGDP1%枠を放棄するのも止むを得ない。考え直すべきなのは日本ではなく米国である。

2015年5月22日金曜日

白鵬の「誤審発言」問題

今年の一月場所で白鵬と稀勢の里の相撲が物言い後とり直しとなり、白鵬が「子供でもわかる」誤審だと発言して問題視されたことは覚えておられよう。昨日の白鵬と豪栄道の取組も多少微妙だった。

結論から言えば、私は一月場所の稀勢の里戦のとり直しは不当だとは思わないが、昨日の白鵬が負けとの行司判定は物言いがついても良かったと思う。どちらのケースも勢いは圧倒的に白鵬の側にあったので彼は前者のとり直しが不満だったのだろう。観客から「もう一度コール」が起こったのも不満に火を注いだのだろう。しかし、比較にもならないが私自身遊び仲間と相撲を取り合った頃、一瞬でも先に足以外の体の何処かが地面につけば負けと信じていた。国技館相撲では勢いも考慮されると聞くが、やはり写真判定のできる体位をより重視すべきだろう。その点で一月場所でのとり直しは不当ではなかったと思うし、少なくとも「子供でも分かる」は言い過ぎだった。

他方、昨日の勝敗も微妙だったが、新聞二紙は白鵬の腕が先についたと言っているのでそうかも知れない。しかし白鵬は物言いを期待してしばらく立っていたというし、その後報道陣に無言を通したという。判定に不満だったのだろう。私は昨日は物言いがついてもおかしくなかったと思う。行司は即座にどちらかに軍配を挙げなければならない苦しい立場だが、審判役はゆっくり写真を見て判定できる立場であり、その結果は白鵬も納得せざるを得なかっただろう。

むかし大鵬が物言い再試合での誤審で45連勝がストップとなったとき、横綱が物言いを付けられる相撲を取ったのが悪いと答えたと一月にも回想された。双葉山の69連勝の記録を破るかと思われた時期だったので大鵬の態度の立派さが際立った。しかし、後年ある記者が本心から自分が悪いと思ったのかと聞いたら、そう思わなければいけないと思ったと答えたという。納得は行かなくとも不満を懸命に押し殺していたということだろう。やはり彼は心技兼ね備えた大横綱だった。白鵬には今からでも大鵬を見習って欲しい。大鵬の偉大さと人気は強さだけが理由ではなかったと銘記して欲しい。白鵬には未だそうなる時間があるはず。

2015年5月20日水曜日

またまた訂正

先ほどのブログのブラバントはトラバント (愛称トラビ )の誤り。私は古臭い箱型の同車が大好き。前々回の「二人の女性教授」の一人は若い女性フォトグラファーの誤り。5月3日のブログでウイリアム王子が自分で愛車を運転していたと書いたが、チャールズ皇太子も自分で運転していた。どちらも警護車らしい車が追尾していた。日本なら警護車が先導するだろうしその方が安全だが、それでは運転は楽しくないだろう。どちらが人間的か!?

冷戦末期の東欧

昨夜偶然チャンネルを回したNHK BSプレミアムで「世界街歩き」の東ベルリン篇を見た。アレグザンダー広場でのソーセージの立ち売り男 (一人で食材もガスタンクも全て 25キロを身につけて売り歩く )や書物の木 (太い並木に本を入れた窪みが幾つかうがってある 。言わば街角の無料図書館 )などを見ていたら、家内がこの番組見た事があるのではと言い出した。この頃のNHKは複数回放映が多い。しかし、民放もBS放送で矢鱈に旅行や名所紹介番組が多く、それらを見ていた可能性もある。結局、判然としないまま番組は終わった。

30年ほど前、東欧共産圏諸国をめぐるツアーに参加した。東ドイツ航空のチャーター機利用だったので (スチュワーデスたちを見た途端、その体格にここはドイツだと感じた!)往復とも東ベルリンのシェーネフェルト空港利用だった。ベルリンの壁やブランデンブルグ門や美術館などを案内された。昨夜見たベルリンの壁には強烈な色彩の絵がいっぱいに描かれていたが、当時は少なくとも壁の東独側にはそれはなく、西ベルリンはブランデンブルグ門から遠望しただけ。街を走る車の大部分は色とりどりの小型車ブラバント。大柄なドイツ人が後席に収まるか疑問の車でも当時入手するのに十年の貯金が必要だったとのことで、今回インタビューされた婦人は展示車を見て懐かしいと言ったが、本心なのかユーモアなのかはわからなかった。

東欧共産圏諸国は、その政治はともかく他の面では西側の影響を受け始めていた。ブタペストで泊まった最新の?「アトリウム・ハイアット・ホテル」の駐車場にスーパーカーが並んでいたので驚いたが、ハンガリー初のF 1グランプリレース開催とかち合ったためだった。共産圏諸国と一括りされていたが国境の出入国検査は厳しく、相互関係は必ずしも友好的ではないとの印象だった。

なにしろ大手旅行社はまだ東欧旅行を手がけていない頃だったので、現地で他の日本人グループと会うことも全く無く、ポーランドからチェコスロバキアへの夜行列車は寝台車の手配漏れで普通車の座席で苦しかった。それでも、アウシュビッツ収容所を訪れるので参加したという若者も居て、最近のツアーより雰囲気は良かった。何よりヨーロッパの歴史にどっぷり漬かった旅ではあった。

2015年5月17日日曜日

日本的な、あまりに日本的な?

日曜午前のTBSの「サンデーモーニング」(司会 関口宏 )は前週のニュースの総括番組なのでよく見ていたが、最近は野党的見解の仲間を集めた自己満足的番組のきらいがあって (たまに出席する大宅映子氏は別 ) 、見たり見なかったりだった。今朝は安保法制がテーマだったからか森山敏元防衛大臣が出席したが、番組の雰囲気はたった一人の出席者の変更で一変していた。

森本氏は野田内閣の防衛相だったが、今朝は新安保法制の説明 (と弁護 )に徹していた。ところが、日頃は野党的見解を述べる二人の女性大学教授も法案の慎重審議は求めたが、正面からの批判は避けていると私は感じた。森本氏も時には安倍首相の弁護に窮したのか、あやふやとも取れる弁解をしていたので批判を展開する好機もあったのに論争に発展しなかった。下手に批判をして森本氏に本気で反論されたら恥をかくと警戒したともとれる。

しかし、論争にならなかった一番の理由はとっぴかもしれないが「和をもって貴しとなす」との日本的心性 (その場の雰囲気を壊さない )が勝ったからではなかろうか。フランスのテレビ討論番組を見たことがあるが日本とは全く違った雰囲気で、いかに自分の発言時間を確保するかの壮絶な競争だった。ともあれ日頃の楽しい語らいの雰囲気ではニコニコしている司会の関口宏が終始渋面を崩さなかったのが印象的だった。

今朝の森本氏の番組出席が政府自民党の意向を忖度したテレビ局の配慮だった可能性もあったのではないか?  何の根拠もないし、森本氏が新法制の説明の適任者で無いとは誰もいうまいが........。

2015年5月15日金曜日

新安保法制 一つの捉え方

安倍内閣が新安保法制を閣議決定し、今朝の新聞各紙が大きく取り上げている。賛否何れにせよ今回の安保諸法案が一つの転機であること、これにより自衛隊が海外の紛争に巻き込まれる可能性が増大したことは否定できない。「戦争法案」との評価は極端だが、首相の「そのようなことは絶対にあり得ない」との発言も正しくない。自衛隊員の家族が不安を感じているとしても自然である。

しかし、今回の諸法案がそのまま成立したと仮定して、わが国は同じ敗戦国のドイツやイタリアが半世紀前に選んだ道に一歩踏み出したと解すべきだろう (両国はアフガニスタンに派兵までして犠牲者を出している )。両国にはNATOという制約がある (だから過ちを犯す危険はない )とテレビでドイツ人が語っていたが、NATOはロシアにとっては脅威であり、セルビアにとっては爆撃を繰り返す敵だった。

日本が米国と同盟、それも基地提供の代わりに守ってもらうという「片務的」同盟を結んで来た以上、民主党政権が続いていても同盟強化の要求を拒みきれなかっただろう。国会での慎重審議は当然望まれるが、単に法案成立を阻止する口実と化しても困る。1960年代中ごろ英国労働党政権がロンドンの第三空港の候補地としてスタンステッドを選んだら、保守党が審議審議なしには認めないとした。野党になると保守党も日本社会党と同じだと思った。

南スーダン派遣の韓国軍が弾薬不足を懸念して現地の自衛隊に弾薬補給を要請し、自衛隊隊長がこれに応じた。現在の法制では彼は法規違反の責任を問われる可能性があった。それでも500人?の韓国兵が弾薬尽きて虐殺される危険を黙視出来なかったこの隊長を私は立派だと思った。韓国の政府も国民も感謝しなかったが。

スイスのルツェルンは世界的観光都市だが、原爆攻撃に備えて3万人収容可能の地下壕を備えているという (現在の市の人口は8万人。建設当時はもっと少ない?)。永世中立国で仮装敵国もない (考えられない )スイスが国民の安全のためそれだけの準備をしている。他国との同盟のため紛争や戦争に巻き込まれたくなければスイスのようにハリネズミのような防備が必要となろう。私はそれもありと考えるが..........。

2015年5月14日木曜日

教育格差の原因

最近、奨学金貸与の枠が狭いため奨学金頼みの学生の要望に応えられていないとの新聞記事が目についた。それは事実として、そこから敷衍して親の所得格差が教育格差を生んでいるとの論旨には必ずしも納得できなかった。『中央公論』6月号で大阪大学教授が所得格差よりも親の学歴格差が教育機会の不平等を生んでいるとの調査結果を発表しており、納得できた。

高等教育を受けた父親の職業はふつうサラリーマンだろう。そして家業のないサラリーマンには子どもに自分と少なくとも同程度の教育を受けさせるしか子どものために出来ることは無い。それに対し第一次産業従事者や小売業者には是非とも子弟に高等教育を受けさせる必要は大きくない。むしろ子どもの教育水準を高めるほど家業を継いでもらえなくなるし、子どもは親と同居せず大都会に職を得ることになろう。そして人口の都市集中、地方の過疎化を加速させる。個人的にも国家としてもそれが理想とも言い切れない。

しかし、第一次産業が細り、製造業さらにはサービス産業の比重が増大している現在、別の問題も生じている。ヨーロッパ諸国の失業率とくに若者のそれは日本の失業率よりずっと高い。半世紀前にはヨーロッパ諸国の大学の数は日本よりはるかに少なく、学生数も同様だったが、いつの間にか学生の比率は少なくとも逆転したようだ。その結果、増大した大学卒業者は生産現場を嫌い失業しているのに移民労働者は増加し穴を埋める。それでも移民がキリスト教文化圏の出身者だったうちは文化摩擦は少なかったが、他宗教とくにイスラム教徒であれば事情は全く異なる。

国民の教育水準の向上が望ましいことは一般論として正しいが、誰もが上級の学校に進むのがあるべき姿とまで言えるかには疑問が残る。やはり意志と能力を備えた者に限れば現在のわが国の上級学校進学率が妥当なところかもしれない。そうであれば奨学金の量的拡大より質的向上に努めるべきだろう。

2015年5月13日水曜日

私の「みなかみ紀行」

旧聞になるが、ゴールデンウィーク後半の帰京の車列の渋滞を横目に見ながら水上温泉に出かけた。

若山牧水は関東北部の温泉の旅を愛し、「みなかみ紀行」を著した。私は同書を読んでいないが、牧水の真似をしたくてこれ迄上州の温度を何箇所か訪ねた。しかし、水上温泉は高級ホテルから低額の旅館まである大きな温泉地。前者は身分不相応!だし、後者は気が進まず、これ迄訪問を避けてきた。しかし、以前にこのブログでも記したように、長妻議員のおかげで僅か十一ヶ月の公立校教員の勤務記録が蘇生した。年金額の増加は言うに足らないものだったが、公立共済組合の保養所に大手を振って?泊まれることになり (こちらの方が余程有難い )、今回も谷川連峰をのぞむ部屋に泊まり、再度八重桜や奥地の山桜を目にすることができた。

帰路に藤の大木で最近評判を呼んでいる「足利フラワーパーク」に立ち寄った。連休を一日外れても相当の人出だったが、藤の花だけでなく石楠花をはじめこれでもかと言わんばかりに様々な花が咲き誇っていた。花を売り物にしている以上当然だが、あまりに華やかなのでいささか食傷気味になり、背後の小山の新緑の中に満開の花をつけた孤高の桐の木にむしろ心を惹かれた。つむじ曲がりと言われれば一言も無いが。

日本の四季はそれぞれに美しいとはいえ、私個人はやはり春を一番に好む。私だけでなく、桜前線が一ヶ月以上をかけて列島を北上するわが国は、業平ならずとも「のどか」にしていられない人は少なくないだろう。これで天災が少なければと思うばかり。

2015年5月11日月曜日

プーチンの実像


9日のロシアの対ドイツ戦勝70周年記念式典について私の購読している新聞をはじめメディアは、西側諸国首脳の出席ボイコットや新兵器を誇示した軍事パレードについて詳しく報じている。それらの問題の重要性は疑い得ないが、他紙の記事でモスクワのパレード参加者数が50万人、ロシア全土では2000万人だったと知った。むろん政府による参加働きかけはあっただろうし、そもそもロシアは人口大国だが、もはや参加を強制できる全体主義国家ではない。西側諸国との対立激化で物価は五割も跳ね上がっているというのに。この数字は「軍事力を誇示」といった見出しで済ませて良いとは思わない。ウクライナ問題はロシア人のナショナリズムを激発させてしまったのである。

これ迄もブログに書いてきたが、西側諸国の理解がどうあれロシアから見れば、この20余年は屈辱の20余年だった。いかに弱体化したとはいえ依然原爆大国であるロシアの国益の軽視は、仮に西側にその意図が無かったとしても賢明ではなかった。5月5日まで『朝日』に11回にわたり連載された「プーチンの実像」(予定された単行本化が待たれる )は、これまで流布されたプーチン像とは大きく異なっている (同紙の10日の社説の主張とも 異なる)。彼は早くからソ連共産主義に見切りをつけ、ソ連崩壊後は任地サンクトペテルブルクに外資を率先して導入し、柔道への深い敬意で関係者を感激させたなど、当初から反西欧ではなかった。今回の式典での演説も米国の「一極支配」に反対する意図は誤りではない。どの他国による一極支配よりも米国の一極支配が望ましいとしても、一極支配よりも、米中二極支配よりも,多極支配が世界にとっても日本にとっても望ましい。

「プーチンの実像」はプーチンがもはや西側に絶望して政策変更した可能性も示唆しているが、中国と世界最長の国境線をを持つロシアが、地政学 (嫌な言葉だが )からして中国への警戒心を失うとは思えない。これ以上ロシアを中国の側に押しやって良いはずがない。



2015年5月3日日曜日

何事にも堅苦しい国 日本

ウィリアム王子とキャサリン妃に第二子が生まれ、メディアが英国民の興奮を伝えている。国王を断頭台に送り共和制になったことを誇るフランスと王室の慶事に沸く英国とは、同じように民主主義先進国と自負しても対照的である。どちらに共感するかは人それぞれだろう。しかし、両国に共通する面も見逃せない。

キャサリン妃が出産した病院に駆けつけたウィリアム王子は愛車のレンジローバー?を運転して帰った。日本では決して見ることのない光景だった。皇居内だが御用邸内だかで皇太子 (天皇 ?)がハンドルを握ったとは聞いた覚えがあるが、公道でそうした姿を見かけることはない。同じ王族なのに。

王族だけではない。以前、ジスカルデスタンがフランスの大統領だったとき、休日を中部フランスの別邸で過ごした彼がマイカーを運転してパリに帰る写真を見た覚えがある。大統領と異なり国家元首ではない日本の首相でも街なかで運転することはない。安全第一を優先する役所がそれを許さないだろう。しかし、テロの危険ならば日本より英国やフランスの方がずっと危険だろう。    

雅子妃も外交官時代はカローラを運転してパパラッチならぬ記者たちに追いかけられていた。彼女が車の運転が好きかどうかは知らないが皇太子妃の現在、街なかの運転を禁じられていることは間違いなかろう。一事が万事。彼女の病気にはそうした束縛の数々が原因となっていると私は睨んでいる。宮内庁こそが、あるいは宮内庁を臆病にさせる我が国の精神的風土こそが病気の第一原因に挙げられるべきだろう。

どの先進国と比べても安全な我が国で皇族も要人も他国に勝る束縛を強いられているのは不思議という他ない。

2015年5月1日金曜日

訂正続々!

、古い順に、4月11日、ソフィア.ローレンを故人としたのは誤り。マストロヤンニと混同。4月20日、マヌス島をインドネシアとしたのはパプアニューギニアの誤り。4月26日、「母親を山に捨てた息子」は「叔母を山に棄てた男」の誤り ( Wikipedia )。古今集の歌が先で、上記は後からつけた説話だろう。後はまた気がついたときに.........。

安倍演説の英語

米国上下両院合同会議での安倍首相の演説の英語全文ないし重要箇所の単語が新聞各紙で解説されている。演説内容もその英訳も外務省関係者を中心に練りに練ったものだろう (ジェスチャーまで?)。米国に対する過大とも言える賞賛は場所柄からある程度止むを得ないし、英訳に関しては私ごときが評価する資格はない。

ただ、「反省」をどう英訳するのか、reflectionしか思い浮かばず (竹原常太 和英小辞典もそれだけ )、気になってテレビを見ていたらremorseと聞こえた。思いもかけなかったのでもう一回別の放送にチャンネルを変えたが間違いなかった。remorseは英和辞典によれば「良心の呵責」、「自責」など、沈思の意味もあるreflectionよりずっと強い反省の言葉である (他の個所のrepentanceも同じ )。しかし、私の購読紙以外の他紙でremorseが「反省」の訳語として村山談話以来使われてきたと知った。

もう一つ、首相の好む「積極的平和主義」はactive (ないしpositive )pacifismとでも訳すと私は勝手に想像していたが、proactive contribution to peace と英訳されていると知った。proactiveとは研究社の英和大辞典でも一行しか割かれていない言葉で、私は無論のこと英語国民でも庶民は恐らく知らない単語ではないか。しかし、外務省?がpacifismの使用を避けたのは妥当だった。西欧、少なくとも英仏両国ではpacifismは否定的意味で使われることが多いからである。

第一次大戦で多大の人命の犠牲を払った両国は、ヴェルサイユ条約の厳しさへの負い目も加わり、ナチスドイツが台頭してきても平和的共存が可能だと信じがちだった。ナチスドイツがそんな生易しい相手ではないと気づいた時はもう遅く、後発のドイツの軍事力に圧倒され、米国の参戦でやっと勝利できた。それ以来、「どんな代価でも平和を peace at any price」は二度と繰り返してはならない政策となり、pacifismは少なくとも西欧の外交関係者は使わない用語となっていると思う。

米国を賞賛するのも、それとの協調を誇示するのも悪いとは言わない。しかし、安倍首相が再三、中国が提案するアジアインフラ投資銀行への疑念を語り、先日は、悪い金貸しは利用しないのが賢明と口にしたのは軽率としか言いようがない。自国が加盟するかは兎も角、無用な批判を口にすべきではない。中国のメディアは安倍演説を批判していても、中国外務省の報道官は要望はしても批判していない。礼には礼を尽くすべきである。