刑罰の本質を専門家がどう説明しているかは知らないが、私の単純な思考では被害者側の報復やリンチを許したら『ロミオとジュリエット』式の報復の連鎖を生むから、国家が代理を務めるものである。いわば国家による正義の実現である。日本滞在中の英国人女性を英語の個人指導を口実に呼び出して殺害した犯人への無期懲役の判決に女性の父親はJustice has been done (正義は果たされた )と叫んだ。死刑を望んでも日本では死者が一人では死刑は期待できないと無論聞いていたろう。また、米国がビン・ラディンの隠れ家を急襲して彼を殺したとき、オバマ大統領も矢張りJustice has been done と叫んだ。
EU諸国をはじめ世界では死刑廃止国が多いことは私も知っている。しかし、最大の理由である誤判による死刑は、我が国では本人が罪を認めない場合執行されることはほとんど無いようだ。多くの国で未だその恐れがある政敵迫害の極致としての死刑は我が国ではおよそ考えられない。政治家では亀井静香氏が代表的な死刑廃止論者だが、彼の書いたブツクレットに新味はなかった。最近、死刑が執行されるとその事実とともに犯罪内容があらためて公表されるようになり、私などその非道さ、凶悪さに慄然となる。私には他人の一つしかない命を奪った以上死刑は当然に思える。
今日の新聞にブラジルで最近、リンチによる死が多発しているとある。それと事情はことなるが、以前同国で警官たちによる殺人が続発していると報道された。何ということをと思ったがよく読むと、裁判所が殺人犯らに甘い判決を言い渡すため、犯人逮捕に仲間の犠牲者を出したであろう警官たちが怒って出所した犯人を殺すということだった。国家が報復の代理を務めないなら結果は私的報復の横行となるのは自然である。
ただ私は絞首刑には賛成できない。不必要な残酷さは避けるべきである。毒液の注射などをぜひ考えて欲しい。執行官の心理的負担の軽減のためにも。
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