そこで氏の逝去を機会に氏の『江は流れず 小説日清戦争』全三巻を読んだ。主人公は前半は主に袁世凱、後半は李鴻章で、前者の有能さと後者の人物の大きさが印象的だったが、黄海海戦の敗軍の将丁汝昌 (定遠艦長)がその後自決したことは私も知っており、武人らしい最後と感心していたが、本書によると同僚 (鎮遠艦長 )が一足先に死刑、それも衆人環視下の公開処刑されたのを知っての自決だった。李鴻章自身も下関で日本人暴漢に襲われ負傷して世界の同情を買ったことがむしろ彼の生命を救ったかもしれないとは............。清国や李氏朝鮮など前近代の東アジアの政治の苛烈さが印象に残った。
『チンギスハンの孫たち』が新聞に連載されていたとき、中国が南京虐殺事件を史上稀な暴虐とキャンペーンしていた。それを意識してかは知らないが陳氏は作中で、都市が抵抗した場合北方遊牧民族は住民の男子は皆殺しに女子や子供は奴隷化した事実を中国では古来「屠城」と呼んでいたと教えてくれた。また、自己の財産を孫文を助けるため費消し尽くした梅屋庄吉の名前を私が初めて知ったのも陳氏の筆を通してだった。氏の逝去を心から残念に思う (ただし、『江は流れず』の中で陳氏は日清戦争時の日本を帝国主義列強そのものと描いている。念のため )。
P.S. 『江は流れず』を読了した翌日(2月12日)、パンフレット『公立共済 友の会だより』二月号を手にしたが、そこに日清両国の戦没者を弔うため、また負傷した李鴻章を手当てした陸軍軍医総監(三代目順天堂主)の顕彰のための〈活人剣碑〉が静岡県袋井市の可睡斎 (禅寺)にあると知った。今秋、地元と順天堂大学が行う碑修復完了の記念行事があるという。
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